調査報告書1:居候
フランスの港湾都市と知られているマルセイユ。
プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏(PACA)の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地でもある。
南フランスでは貿易、商業、工業の一大中心地とも知られマルセイユは貿易港として古くからフランスを潤わせている。
毎朝、市場が開いて新鮮な魚などを買い求める者でごっ互いする。
そんな騒ぎが私達の家まで聞こえてきた。
マルセイユの街から少し離れた崖に立つコンクリートで作られた2階建ての家。
ここが私と彼の家だ。
2階が寝室となっている。
大きなキングサイズのベッドで寝ているとマルセイユの市場から朝を伝える人達の声が聞こえてくる。
しかし、私も彼も朝早く起きるなど論外なため一度、覚めた瞳を閉じて再び眠りの世界へと旅立った。
12時になって、私と彼は目を覚ました。
ベッドから起き上がる。
私は全裸だが、彼はジーパンを穿いていた。
彼の上半身は刀傷や銃痕、拷問痕などで覆われて無事な部分が一つも無い。
それだけ彼が歩んで来た道は生半可な道ではなく茨の道を歩んで来たと解る。
「おはよう。飛天」
欠伸を混ぜて挨拶をする。
「・・・・あぁ」
素っ気なく返事をすると彼はすぐ横に置いてあった黒いシャツを着て寝室を後にした。
「相変わらず素っ気ないわね」
出て行った彼に愚痴りながら私も立ち上がって放り出した衣服に着替える。
ブラウンのジーパンと紺色のランニングシャツを着て寝室を出て下に行く。
下に行くと既に彼が木製のテーブルに料理を並べていた。
料理と言ってもフランスパンとクロワッサンに搾り立ての牛乳にサーロインのステーキとポテトサラダと果汁100%のオレンジジュースとシンプルだ。
「顔は洗ったか?」
飛天は料理を並べ終えてテーブルの近くにある窓ガラスから市場を眺めながら日本製の煙草のセブンスターを吸っていた。
彼の気に入りの煙草だ。
「まだ洗ってないわ」
「だったら顔を洗って来い」
飛天は外に紫煙を吐きながら命令してきた。
「面倒臭いけど、貴方が家の主なんだから仕方ないわね」
普通なら私に説教や命令をしようものなら拳か鉛をくれてやる所だが、この家は彼の持ち物だし、私が無理を言って押し掛けたから逆らえない。
何より彼の言葉には何処か逆らいたくない気持ちがあった。
私はリビングとキッチンが一緒になっている部屋を出て洗面所に行って冷たい水を出して顔を乱暴に洗った。
洗った顔をタオルで拭いてリビング兼キッチンに戻った。
飛天は既に席に着いていたが、料理には手を出していなかった。
ここが彼の良い所だ。
「遅れてごめんなさい」
せっかくのステーキも冷えていると思っていたが、冷めておらず温かい煙が出ていた。
「別に気にしてない」
素っ気ない返事だが完全に眼を覚ました私にとっては聞き慣れている声で落ち着きがある声だった。
向かい合うように席に着く。
飛天が合掌して私も合掌する。
合掌するのは食材に関する有り難みを表しているらしい。
キリスト教でも食事前などに主に祈りを捧げるのと同じ事だ。
合掌を終えてから食事を開始する。
飛天はフランスパンをそのまま齧りながら牛乳を飲み私はステーキをナイフとホークで切りながら食べた。
中まで焼かれたサーロイン(牛の腰)ステーキは何とも言えない味だった。
肉の質も良いが、飛天が焼いたから美味いのかもしれないと心の中で思う。
数ヶ月前にイギリスで狂った男の計画を壊滅させてから私は事務所を畳んで飛天の家に転がり込んだ。
あれから家出娘を匿って両親をぶん殴って追い出したのが原因で裁判所に訴えられた。
判決は事務所停止で随分と軽い判決だった。
事務所を畳んでからは暇を持て余していたが、ラファエルが何処から聞き付けたのか天界に帰ろうと毎日のように来たからフランスに居を構える飛天の家に転がり込んだという次第だ。
その時に店の親父と娘も着いてきた。
何でも両親が居場所を突き止めて押し掛けてきたらしい。
そして家出娘の両親はフランスまで追い掛けて来たが、飛天が有無を言わさずに追い出した。
暗黒街の“伯爵”と言われる飛天の前では裁判所も形無しであったのか両親の訴えを棄却して身を引いた。
両親の方は諦め切れてない様子だったので、飛天の命を受けた部下が“紳士的なやり方”で追い返した。
そのためイギリスに帰っても良かったが、戻ればラファエルが今度は待ち構えているかもしれないと思い飛天の家に居候する事にした。
飛天の方は最初の方は渋面を浮かべたが直ぐに了承してくれた。
理由を聞いたら気紛れだと返された。
無駄な話しをしない上に気分次第で行動する男ほど女と言う生き物は付き合い難いものだ。
しかし、付き合ってみると中々のものだから不思議だ。
食事を終えた後は飛天が淹れてくれたブルーマウンテンのコーヒーを二人で飲みながら今日のスケジュールを聞いた。
「今日はどうするの?」
「別に今日は大して商談は無い」
何かスリルのある仕事がある事を期待していたが、何も無いという事に落ち込んだ。
「貴方はどうするの?」
「俺は銃の練習に射撃場に行く。それからはマルセイユをドライブする」
何とも優雅な生活であるが、退屈そうな一日だと思う。
しかし、仕事が無い時に一日中を部屋の中で煙草を吸って過ごす私よりは健康的な生活だとも思う。
「ねぇ、私も連れて行ってくれない?」
飛天と一緒に行けば多少の退屈は紛れると思い進言してみた。
「別に構わないが、問題は起こすなよ」
まるで私がトラブルシューターみたいな言い方だ。
「食器を洗ったら直ぐに行くから、お前は用意しておけ」
飛天は話を打ち切ると食器を纏めて持ってキッチンの方に行ってしまった。
私の方は準備をするために一度、自分の部屋に足を運んだ。
居候の身分である私に与えられた部屋は2階にある。
飛天のように本棚や暖炉がある訳ではない。
生憎と私は本を読むという事が大の苦手だ。
そのため本棚は置いてなければ雑誌なども置いていない。
あるのはテーブルと酒棚にソファーなどだ。
木製のハンガーから革のショルダー・ホルスターを取ってシャツの上から左腋に吊るす。
ホルスターの中には相棒のコルト・パイソン 4インチが入っている。
パイソンをホルスターから抜いてレンコン状の弾倉を左に出してメタル・ジャケットを被せた357マグナムの実包が装填されているのを確認する。
それから予備の357マグナムの実包を茶色のトレンチコートのポケットなどに入れておく。
リボルバーはオートマチックに比べて正確に作動するが弾数が少ない弱点があるから常に予備の弾は多めに持ち歩いている。
ショルダー・ホルスターをシャツの上から吊るしてトレンチコートを着る。
こうして置けば簡単には分からない。
最後にエメラルドグリーンの色のサングラスを掛けて準備を終えた。
下に降りると飛天は既に外に出てグレーのディムラー・ダブルシックスに乗っていた。
「・・・遅い」
バッサリと斬るような口調で飛天はセブンスターを灰皿に捨てた。
「女は着飾るのに時間が掛るのよ」
柄にもない言葉を言うと予想していた嘲笑が返ってきた。
「お前が言えた柄か」
私も自身の言葉に自嘲して右の助手席に座った。
「先ずは射撃場だ」
エンジンを掛けてゆっくりと発進した。
私のように荒い運転ではなく女をエスコートするような発進だった。
飛天はその車に合った運転をする。
ディムラーは『貴婦人』と言われる車だから女をエスコートするように優しく扱う。
少し嫉妬しながら私は革製の椅子に身を預けながら射撃場へと向かった。




