(86)1人じゃない
魔物の前で硬直してしまい、呆然自失のリーズ
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リーズ達は夜になる前にカーセルの宿屋に戻った。今回は『琥珀』ではなく、普通の宿だ。
調査のためなら使ってもいいと領主には言われたが、丁重にお断りした。ドレスを着ての晩餐会は、食べ物が美味しいにしてもなるべく避けたい。
「さて。銀の森亭にでもご飯を食べにいくかい?」
ペルーシャの誘いに、リーズは首を振る。
「ちょっと食欲がないから、一人で食べてきてくれる?」
魔物にあってから、リーズの様子がおかしい。なんでもない振りをしているが、よく見ると指先が震えている。
基本的にリーズは人を頼ろうとしないところがある。両親がいないまま子供時代を過ごしたことが影響しているのだろうとは思う。友達を作ったこともほとんどないようだった。感情が溢れ出す前に、一人になりたいのかもしれない。
「分かった。じゃあ、簡単に食べられそうなものをもらって来るよ。お酒もね。そうそう、この街の薬屋も見てきたいから、ちょっと時間がかかるかも。」
時間がかかる、を強調して言うと、リーズはこくりと頷いた。
部屋を出ると、ペルーシャはため息をつく。
「どうしたもんかなあ。今からアイネを呼ぶわけにもいかないし。」
なんでも話したくなる薬を一服盛ることも考えたが、話したくないことまで話させてしまう可能性もあるし、友達にそれをするのも気が引けた。
「とりあえず、食べてくるか。」
お腹が空いている時に、人は碌なことを考えない、というのがペルーシャの家の家訓である。宿の人に道を教えてもらい、銀の森亭へと向かうことにした。
銀の森亭は珍しい魚料理が食べられるとあって、賑わっていた。今回も魚と一緒にカーセルまでやってきたのだ。
「今日入ったばかりの魚を使った料理はいかがですか?」
「ええと、肉でもいいかな。あと、持ち帰れる料理ってある?」
シプランでも毎日魚を食べているので、ペルーシャとしては肉が食べたい。
「そうですね。牛肉のワイン煮込みかコッコの香草焼きならあります。持ち帰りなら、パイはいかがですか?」
「そうしたら、コッコの香草焼きで。果実酒も欲しいな。パイも食べてる間に準備してもらえる?」
「かしこまりました。」
店員が下がった後、ペルーシャは店を見回す。ほとんどの人が魚を食べているようだ。笑顔で口に運ぶその姿にペルーシャは安心した。リーズの始めた魚の流通は、順調に進んでいる。商業ギルドの口ききもあって、新しい船や網も調達できる目処がついた。漁業の再開を聞いた領地の文官もやってきた。獲れ高で税金を変更するつもりなのだろう。冒険者の仕事はまだ少ないが、ギルドとして赤字は出していない。リーズはちゃんと仕事をしている、とペルーシャは思う。それなのに、何かあるとどうしても先頭に立ちたがる。今回の事前調査なんかは、アイネと自分に頼んでもいいんじゃないかと思うのだ。それをしない真面目さが、長所でもあるが。
先に来た果実酒をちびちび飲んでいると、コッコの香草焼きがやってきた。くるりと丸くなった肉を切ると、中からチーズがとろりとこぼれてくる。口に入れると、爽やかでスパイシーな香りが口の中に広がった。チーズとの相性もいい。思わず次々と口に入れてしまう。
「そういや、冒険者ギルドが洞窟調査に乗り出すらしいよ。」
店の中で交わされる会話が気になり、ペルーシャの手が止まった。
「あそこは昔っから魔物がいるからなあ。でも今まで調査なんてやらなかったじゃないか。」
「領主が依頼を出したんだってよ。保冷箱が売れてるからな。」
「魔物がいなけりゃ、あの奥の氷石は取り放題だからな。冒険者ギルドに感謝しないと」
「違いない」
続く笑い声にペルーシャの頬が緩んだ。リーズが一緒に来られなかったのが本当に残念だ。
持ち帰り用のパイは肉と魚の2種類あった。リーズが全部食べられなければペルーシャが食べるので問題はない。ついでにエールを一樽肩に担いでいる。他にお酒を持ち帰る方法がなかったので仕方ない。
「戻ったよ。」
部屋に戻ると、リーズはベッドに腰をかけたまま、ぼんやりと座っていた。ペルーシャが出かけた時と何も変わっていない。まだ泣いている方がマシだ。リーズはペルーシャの方へと顔を向けてへにゃりと笑う。
「ペルーシャ、早かったね。」
早くはない、と言いかけて言葉を飲み込んだ。エールの樽を床に置くと、手に持っていたパイを見せる。
「銀の森亭のパイだよ。魚と肉の二種類あるけど、どっちがいい?」
「うーん。食欲があまりないかなあ。」
「そうか。エールを樽ごと飲むのとコップで飲むのとどっちがいい?」
「コップかなあ。」
普段ならくるツッコミが今日は来ない。優しく話を聞いても多分「大丈夫」の一言でしか返してこないだろう。厳しくてもちゃんと話した方がいい。ペルーシャは黙って樽からエールをコップに移すとリーズに渡す。
「それ飲んで。明日には樽を返すから。」
「あ、うん。」
勧められるままに、リーズはエールを飲んだ。
「リーズ。洞窟調査は本部に連絡を入れて、冒険者に任せよう。」
「…どうして!」
「危険すぎるから。ギルド職員としての確認はしたんだから、後は任せたらいい。」
リーズは目を見開いたまま呆然としている。
「で、でも、調査ができないと困るじゃない。」
確かに事前調査も必要だが、それよりも問題がある。
「リーズ、きみ、大きな魔物が怖いんじゃないの?」
リーズの育ったミシュリ村が魔物によって壊滅させられた事は聞いている。その時にリーズが負った心の傷は本人が思っているよりも深い。だからこそ硬直してしまったのではないか。
ペルーシャの指摘に、リーズは指が白くなる程手を握りしめた。
「そんなこと言ってたら、ミシュリ村に戻れないじゃない!」
リーズが絞り出すように声を上げる。
「あんな辺鄙な村、一人くらいしかギルドは派遣してくれないでしょ。私がそこで働くには、全部自分でできないと。」
「リーズはバカだなあ。一人でやれなんて誰も言わないよ。」
「え?」
「行くならボクだって行くし、アイネだって置いてかれたら絶対怒るね。」
ミシュリ村の先はアイネの生まれたクーラン王国だ。誰も入れなくなってしまった、今や魔物の王国。自分が1番に行くのだと息巻いている。
「一人じゃなくて、いいの?」
「うん。」
堰を切ったように、リーズの目から涙がこぼれ出す。ペルーシャがコップを受け取り、よしよしと頭を撫でると、リーズはぎゅっと抱きついてきた。
しばらくすると落ち着いたのか、リーズは体を離した。
「よし。じゃあ、パイを食べよっか。」
コップにエールを注いでパイを渡すとリーズは素直に受け取って口に入れた。ペルーシャも一口食べてみる。流石に冷めてしまっていたが、それでも魚の旨みがぎゅっと濃縮されているのがわかった。リーズも美味しかったのか、口角が僅かに上がる。エールもいいペースで飲み干している。
「大体さあ、そんな場所に小さなギルド建てたって仕方ないよ。むしろ魔物対策を考えて大きい支部ができると思うけどね。」
魔力の濃さを軽減する方法、強い魔物と戦えるだけの冒険者。この二つを最低でも備えない限り、クーラン王国には入れない。魔力の濃さについては、『人魚の涙』が手がかりになりそうだ。冒険者にしてもギルドが手をこまねいているとは考えにくいのだ。
「でも遠いじゃない。」
「そこだよねえ。」
海か空を使えば距離は縮まる。どこかの国では龍を使って空を飛ぶらしいが、ランテッソではお目にかかったことがない。
「まだすぐに出来ないことを考えても仕方ない。今できることをまずやろう。銀の森亭でね、あの魔物は昔からいるって話があったよ。」
パイを咥えたまま、リーズは目を瞬く。きちんと食べきってから、口を開いた。
「最近の魔物じゃないって事?」
「そうみたい。それならさ」
リーズは立ち上がる。しおれた姿はもうどこにも無い。
「カーセルで聞いてみたら魔物の事が分かるかも?」
「そういう事。リーズが出来ることはまだまだあるよ。」
嬉しさのあまり、エールを飲みすぎ、次の日は昼まで寝てしまったが、それは仕方のない事だった。
読んでくださりありがとうございます。
いままであまりリーズの背景を書けていなかったと今更反省。
こっそり今までの分を訂正するかもしれないです。
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