(38)目に見えぬもの(下)
アイネはギルド本部を出るとふうっとため息をついた。朝からギルドの図書室にこもって論文を読み、気づけば日が落ちる時間になっていた。じわりと熱い空気が王都には漂っている。
「あれ、アイネじゃないか。こんなところで珍しい。」
声をかけてきたのは同じくギルド本部から出てきたペルーシャだ。相変わらず空色のターバンを頭にまき、ふわっと膨らんだパンツを履いている姿は人の目をひいている。
「ごきげんよう。ちょっと調べ物がありましてこちらにお邪魔しましたの。ペルーシャさんこそ本部に何の御用ですか?」
「ボク?ボクは薬の予算について交渉中。新しく開発した薬を購入してほしいんだけど、なかなか許可がおりなくってね。もう少し自分で売って知名度を上げないとだめかな。」
なんとなく連れ立ってギルドの方へ向かう。王都の門が閉まる前に入ってきた旅人達が街中で宿を目指してごった返している。王都の賑わいは相変わらずだ。ふとペルーシャには魔力がない、と以前言っていたことを思い出す。
「そういえばペルーシャさんは魔力がないとか以前おっしゃってましたよね。」
「うん。まったくね。種族の問題だから仕方ないけど。」
「魔力がない、ということは『魔力酔い』にかからないということですか?」
ペルーシャは首をひねった。
「少なくともボクはかかったことがない。そうか。魔力を持っていないということは、魔力を溜めることができない、ということになるのかな。」
しばらく考えるとペルーシャはアイネの方を見上げる。
「せっかくだからリーズも誘ってご飯でも食べないか?今の話を詳しく聞きたいし、リーズも何か話があるとか言っていたから。」
「あら、いいですわね。一度魔力課に顔を出してから帰ろうと思いますので、後ほどギルドの前で待ち合わせでよろしいですか?」
明日からリスタと一緒にエマリアの花の研究をする許可を申請していた。それの許可が出ているか確認だけでもしたい。
「いいよ。ボクも一度書類を置いてこないといけないからね。ついでにリーズも連れて行く。」
ペルーシャはそれだけ言うと、ひらひらと手を振って救護課の方へと歩いて行った。
今日の店はペルーシャが見つけてあったお店のようで、店の中には仕切りがあって、個室のようになっている。話の内容を考えてこの店にしてくれたようだ。
「さ、ではいつものようにまずは乾杯から行こうか。」
こうやって3人で飲むのももう3年目だ。最近はセバスチャンもあまり出なくなってきた。
お互いに頼んだグラスをカチリと合わせる。リーズはエール、アイネはワイン、ペルーシャは果実酒だ。
料理も運ばれてくる。暑い時期なのでスパイスを効かせた料理が多い。
「ところで魔力酔いのことだったよね。魔力課で何かあったのかい?」
確かに時々魔力課で魔力酔いにかかる職員がいる。壊れかけの魔道具は外に魔力を放出していることがあるようで、運んでいる間に倒れるということがあった。
「いえ、魔力というものをどう見つけたのか調べていたのです。」
アイネは今日調べたことをかいつまんで話し始めた。
魔力酔いが魔力が原因で起こることを見つけたのは、クーラン王国のクロムという医者である。
元気だった人が突然倒れ、動けなくなるという病気がある村で立て続けに起こった。原因が分からず困っていた時、ある母親が子供の発熱を心配し、動かない体を必死に動かし、子供に冷却魔法をかけようとした。すると体が軽くなり、動けるようになったという。
そこから魔力が原因ではないか、と考えたクロム医師は魔石に魔力を吸わせてみる、魔法を使えるものには使わせてみるなど、様々な方法を試してみた。すると、症状が改善することが分かった。その中でさらに、屋内にいるよりも屋外にいる方が症状が改善される者が現れた。
そこからクロム医師は、魔力は空気中にも存在するのではないか、と推測をした。
「……なるほど。で、その村の魔力酔いの原因はなんだったんだい?」
ペルーシャの質問にアイネはまずワインを一口飲んで口の中を潤す。
「その後しばらくして魔物が現れてたので、魔物が魔力をばらまいていたのではないかとクロム医師は考えていたようですわ。実際その後も魔力酔いと思われる症状はあちこちで見られ、クロム医師が試した方法で改善する例が多かったそうで、魔力酔いの原因は魔力であるということになったようですわ。」
「ふうん……。」
それだけ言ってグラスを見ながら何か考え始めたペルーシャの代わりに、黙って聞いていたリーズが口を挟んだ。
「目に見えないけど身体に影響が出るものって怖いですね。それ、目に見えるようにできたらいいのに。」
アイネは大きく頷いた。リーズはできる、できないを考えずに今欲しいものを言ってくれるところが面白い。
「私もその方法を考えているのですけれども、どうすればいいのかよく分からなくて。ペルーシャさんは薬が専門ですから何かご存知ないかと思ったのですけれども。」
ペルーシャはなんだか歯切れ悪そうに口を開く。
「うーん。実はうちの薬局ではクロムは『嘘つきクロム』って呼ばれてて、魔力酔いについても実は半信半疑だったんだ。そもそも周りに魔力酔いがなかったからね。」
「え、でも前にペルーシャが魔力酔いについて教えてくれたよね。」
首を傾げながら聞くリーズの言葉にペルーシャは頷く。
「うん。どう考えても魔力が原因としか考えられない症例がいくつもあったからね。だから魔力酔いは
あるんだということは今は理解してる。ただ前にも言ったけど、体内の魔力を制御する薬はないんだ。ただなあ……。」
クルクルとグラスを回しながらしばらくペルーシャは考えていたが、やがてカタンとグラスを置く。
「ひょっとすると、魔力が見えるようになる薬は存在した……かもしれない。」
「ええ?」
まさか、ないと思っていたものが、あるかもしれないとは。驚くアイネからペルーシャは目をそらす。
「身内の恥を晒すようだけど。クロムとボクの父親は知り合いでね。良く薬を買いにきてたそうなんだ。で、ある日、クロムは不思議な薬を持ってきた。」
「どんな薬なんです?」
「飲むと周りの色が変わって見える薬。いや、なんだか危険な感じしかしないじゃないか。」
ペルーシャが手を振りながら弁明するが、それは確かにそうだ。飲むと楽しくなる薬、楽しい夢が見られる薬。そんな恐ろしい薬が世の中にはあることをアイネは知っていた。
「で、父親が自分で試してみたんだって。でも何も起こらなかった。だから、偽物をもってきた、お前は嘘つきだって言ってクロムと大喧嘩。それからクロムは父親のところに来なくなったんだってさ。父親も少し言いすぎたと思ったのか、飲むとこの話ばかりしてた。だから良く覚えてる。」
「でも何も起こらなかったんでしょ?」
不思議そうにリーズが言うと、ペルーシャは頷く。
「父親には効かなかった。でも、それが魔力に関係するのなら、魔力のないボク達にだけ効かないってこともあるかもしれない。そして魔力に関係するとすれば……。」
「魔力が色で見える薬?」
アイネは呆然として呟いた。魔力を色で見る。エマリアの花が思い浮かんだ。エマリアは魔力の量で色が変わる。それを利用した薬が可能なのだろうか。
「父親に手紙を送ってみるよ。何か手がかりを知っているかもしれない。」
「お願いしますわ。私はクロムの書いたものが何か残っていないか、引き続きギルド本部でも調べてみます。それと、エマリアという花があります。」
エマリアの色の変化について簡単に伝えると、ペルーシャは頷く。
「そのまま使えるとは思えないけど、どちらもクーラン王国に関係があるし、ボクも調べてみるよ。ただなあ、ボクには魔力がないから手伝いが必要かも……。」
そう言ってペルーシャはリーズの方をチラリと見る。巻き込みたいのだろう。しょうがないなあ、と言っててっきり引き受けると思っていたリーズが首を振った。
「ごめん。手伝えない。」
「え、なんで?」
目を丸くするペルーシャに、言いづらそうにリーズは言う。
「実は、近くの村のギルドへの派遣が決まったの。期限は1年。今日はそれを伝えようと思って。
読んでくださりありがとうございます。
閑話はここまでとなり、次からは本編となります。
とはいえ大分色々と撒いてますが……。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。
次回も日曜日更新予定です。




