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(120)いくつもの可能性

 木箱をそっとひっくり返すと、中から同じ形の線香がいくつも転がり出てきた。ひび割れもなく、上手にできたようだ。ジェーンはほっと胸を撫で下ろした。

 試しに一つ、火をつけてみる。部屋には柑橘系の香りが漂った。シプラン村は漁村である。魚の臭いを消すためにどれがいいのか試行錯誤した結果、この香りが一番効果的だったのだ。

 トントン、と扉が叩かれる。返事をすると、セレネが入ってきた。

「ジェーンさん、お願いが……。あら?なんだかいい香りがしますね。」

「ええ。香時計用の線香が出来上がったんです。」

 ジェーンは浮き浮きとして答える。我ながらいい香りが作れたと満足していた。セレネはお香をしげしげと眺めると、頷いた。

「ジェーンさん。このお香、領主様に献上してみませんか?王都から離れたこの場所では、香時計は高価になってしまうのです。」

 割れやすい香時計を長時間馬車で運ぶのは難しいのだ。ここからカーセル程度であれば、柔らかい布で包み、人が持っていることで割れずに運べる。

「でも、私職人でもありませんし。」

 自分で使うつもりで作ったお香だったのだ。戸惑うジェーンを見て、セレネはにこりと笑う。

「カーセルの領主様はあまり細かなことに拘らない方なので、大丈夫だと思います。前に商業ギルドにいた私の勘が、これは売れる、と言っています。そうですね。もし気になるなら先にダミアンに渡してみて、ダミアンに判断してもらっても良いですよ。」

 ダミアンは、カーセルの町にある商業ギルドのギルド長だ。彼が大丈夫と言うなら確かに安心だ。

「じゃあ、それでお願いできますか?」

「分かりました。アンドリューが来たら、お願いしておきますね。何か入れ物はありますか?」

 ジェーンが使っていた香箱の一つに、手作りの香時計を入れる。王都からここまで、割れずに持ってこられたのもこの箱のおかげだ。

「この箱はできれば返していただけると。」

 おずおずとジェーンがつけ加えるともちろんだというようにセレネが頷いた。

「よろしくお願いします。ところでお願いとはなんでしょうか?」

 何か用があってここに来たはずだ。

「そうそう、ジェーンさんにお願いがあったのです。私の仕事を少し手伝ってはいただけないでしょうか。」

 セレネの仕事は、経理。つまりお金の計算だ。ジェーンも元貴族だから、簡単な計算は習得している。このまま何もしないのも申し訳ないと思っていたところだったので、ジェーンは頷いた。

「私でもできるのでしたら、もちろんお手伝いします。」

 ジェーンの言葉に、セレネはほっとした顔をした。

「助かります。実は今後カーセルとの行き来が増えそうなので、私がいない間に仕事をしていただきたいのです。」


 それからセレネの部屋で仕事の手伝いをするのがジェーンの日課になった。さらに新しくできる宿の準備も任された。そうした中で、領主様からの手紙が届いた。不要だと言われたのが嘘のような忙しさに、ジェーンの心は満たされていった。



 領主様の香時計購入が決まって、ジェーンは一気に忙しくなった。忙しそうな様子を見かねて、ペルーシャも香草の配合を手伝ってくれ、ジュドーも村近くで使える薬草を探してくれるようになった。それも冒険者依頼という形で出すので、経理の仕事がまた増える。それでもジェーンはそんな忙しい毎日がむしろ心地よかった。

「いっそのこと、香時計を作る工場をカーセルに作らない?」

 セレネからその話が出たのは、春になる直前だった。

「冒険者の私が工場を作るのは無理じゃありませんか?」

 土地を買うこともできないのに。そう疑問に思っていると、セレネが頷く。

「冒険者を続けなくてもいいのよ。あなたはまだ見習いだし。カーセルで住民権を買ってもらうことになるけど、領主様のお墨付きもあるから、了承されると思うわ。」

「カーセルの住民になる……。」

 ジェーンはつぶやいた。考えたこともない選択だった。捨てられた身だ。貴族に戻ることはないことはわかっている。平民として生きることに、今さら抵抗はないのだが、今の自分は冒険者だ。選択肢が増えすぎて、どれを選べば良いのか分からない。

 迷っている様子のジェーンにセレネが声をかける。

「しばらく時間をあげるから考えてみてちょうだい。今のままがいいなら、ダミアンが工場を立ち上げてもいいと言っているし。その場合、あなたのレシピを買い上げて商業ギルドが使用料を支払う形になるわ。」

「……少し考えさせてください。」


 ジェーンが海岸を歩いていると、村の人達が笑顔で挨拶をしてくる。もう全員が顔見知りだ。そしてジェーンのお香を使ってくれているお得意様たちでもある。魚臭さが取れない服にも、夜の間にお香を焚きしめておくと、臭いが取れると評判なのだ。ペルーシャと一緒に作った香り付きのハンドクリームは、今や村の女達の必需品となっている。

「どうした?浮かない顔をして。」

 そんな中、声をかけてきたのは、ヤシオだ。今日も釣竿を肩にかけている。

「ヤシオさん。こんにちは。私そんな顔をしてますか?」

「ああ。この村に来たばかりの時よりはマシだがな。」

 ヤシオはずけずけと物を言う。そのせいか、ジェーンもつい気安く話してしまうのだ。

「……幸せってなんなんでしょうね。」

「幸せ?」

 ヤシオは意味が分からないと言ったように首を傾げる。

「私、この村に来たときは自分が不幸だと思ってました。でも今は毎日が楽しいです。魚も美味しいし。」

「そりゃ良かったじゃないか。」

「でも一つ失敗したら、また手からこぼれ落ちてしまいそうに感じるんです。」

「まあなあ。俺もまた魚が釣れなくなったらと思うとゾッとする。」

 そう言いながら、ヤシオは海をみて目を細めた。

「そんときゃ、この村を出て、他の場所で魚が釣れるか試してみようと思ってる。見たことない魚が釣れるかもって思うとワクワクするんだよ。」

 ジェーンはその気持ちに心当たりがあった。ペルーシャと朝まで薬草をブレンドし、これだ、と思える香りを生み出そうとした時、同じ思いだった。

「自分のやりたいことをやればいいんじゃねえか?ジェーンさんは冒険者なんだろう?」

「やりたいことをやるのが、冒険者……。」

 ヤシオの言葉が胸に沁みた。

 その時だった。

「ジェーンさん、お客さんが来てます。」

 ジュドーだ。

「私にお客様?」

 香時計の注文でも入るのだろうか。

「ジェーンさんの、ご両親だそうです。」


 ジュドーのその言葉は、まるで時間の流れをくるりとひっくり返すかのように、手放したはずの過去をジェーンの目の前に差し出してきたのだった。


読んでくださり、ありがとうございます。

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