(105)準備
「リーズ!」
契約を終え、商業ギルドへと戻ってきたリーズたちに、聞き覚えのある声がかけられた。振り返ると、そこに立っていたのはペルーシャとアイネだ。
「え?早くない!?」
リーズは思わず目を疑った。
領主の許可が出た後すぐに知らせは送ったが、まさかこれほど早く到着するとは思っていなかった。馬車を飛ばしたとしても、まだ間に合わないはずだ。
「セレネさんが、『大事になりそうだから様子を見てきてくれ』って頼んできましたのよ。そしたらこの雪ですわ。」
ペルーシャとアイネの防寒着が真新しいのは、この町で買ったばかりなのだろう。口から出る白い息が、寒々しく凍える空気に溶けていく。昨日のうちにもう一度洞窟の調査をしてくると報告はしていたが、まさかセレネがペルーシャたちを送り出してくれたとは思わなかった。
「びっくりしたよ!途中までは大丈夫だったのに、この町の近くに来たら、雪が降ってるから。」
「雪の範囲はどのくらいだ?」
同行していたダミアンが尋ねる。この後、住民の避難の準備があるのだ。情報はいくらあっても困らない。
「そうだなあ。それほど広くはないよ。馬車で少し走ったら範囲から出られる。行商の人の馬車がかなりカーセルから出ていくのを見たよ。」
雪が積もれば出掛けられなくなるのを見越して、慌てて出発したのだろう、とリーズは合点が言った。
「そうか。馬車が使えるのはありがたいな。」
わずかに安堵した表情のダミアンにアイネが尋ねる。
「ひょっとして、避難を考えてらっしゃるの?」
「全員ではないがな。」
ダミアンは静かに頷いた。
「そちらの手伝いは…」
「大丈夫だ。」
アイネの言葉を途中で遮り、ダミアンが告げる。
「領主と商業ギルドで準備はできる。それよりも、氷狼の討伐を頼みたい。」
「よろしいんですの?」
念を押すようなアイネの言葉に、ダミアンは少し俯いた後、覚悟を決めたように顔を上げた。
「ああ。領主の許可ももらった。このくらいで駄目になるような町ではないよ。」
「分かりましたわ。リーズ、ペルーシャ。『雷帝の鬣』のいる宿へ行きましょう。なるべく早く出発できるように準備をしなくては。」
「あ、待ってよアイネ!」
踵を返して宿の方へといつになく早足で歩き出すアイネを、リーズとペルーシャは慌てて追いかけた。
リーズがレオンの元に着いた時、レオンは静かに焦れていた。リーズの顔を見て組んでいた腕をそっと下ろす。
「すみません。遅くなりました。他の皆さんは?」
「買い出しだ。多少防寒対策はしていたが、雪が積もっているのは想定外だったからな。吹雪の可能性を考えると、食料も心許ない。」
雪の中を歩くのは体力を使う。道が分からなくなれば尚更だ。万が一迷ってしまった時、食料がなければ命取りになる。
「私たちも一緒に行きますわ。少しは力になりましてよ?」
「そうそう。薬関係はボクにまかせて!」
宿に着く前、リーズたちもそれぞれ必要だと思うものを買い込んできている。レオンはその姿を見て、かすかに顔を和らげた。
『雷帝の鬣』だけでも勝てない相手ではない。それは皆で話し合って出した結論だった。それでも防御魔法に特化しているアイネ、薬師でもあるペルーシャがいれば、更に戦いやすくなるのは間違いない。
「それはありがたいな。頼りにさせてもらおう。」
「戻ったよ。あれ、リーズさんも帰ってきてたんだね。」
そこにミカサとクリシュナが両手に山ほど荷物を持って帰ってきた。
「町の様子はどうだ。」
「今の所は平和だね。冬支度をしていない家があったみたいで、慌てて買い物をしていたけど。僕たちの欲しいものとは種類が違ってたから問題は無かったよ。」
クリシュナはそう言いながら、肩に担いだ大きな袋を下ろす。ミカサも隣で荷物を下ろすと、余程重かったのか、手首をぐるぐると回していた。
「ストリペアはどこだい?買ってきたものが合うかどうか、試してもらいたいんだけどねえ。」
皆で買い物に行ったのではなかったのか。リーズの疑問が顔に出ていたのか、レオンはため息をつく。
「ストリペアは調合部屋で調合中だ。」
『琥珀』は本当に様々な客の要望に対応しており、調合ができる場所はないかと相談すると、専用の器材と部屋を貸してくれたのだ。以前高名な錬金術師が泊まった際に頼まれて部屋を作ったのだそという。器材を見たストリペアは、それまで見たことのないような表情で大喜びし、
「しばらく声をかけないで!」
と言って部屋に篭ってしまった。役に立つものを作ってくれているのはわかっているが、何が完成するのか不安しかない。
「調合中!じゃあ、手伝いに行かないとね!」
目を輝かせ、どこにいるのかも聞かずに部屋を出ようとするペルーシャをリーズが慌てて捕まえる。
「ペルーシャが行くと、調合時間が更に長くなる気がするからやめて。少しでも早く出発したいから。」
しょうがないという顔をして、ペルーシャが荷物を下ろす。
「分かったよ。じゃあ、みんなに薬を渡すから自分の荷物に入れてくれるかい?氷狼の調査なら、寒い場所で使える薬が必要になるだろうと、色々用意してきたんだよ。」
ペルーシャは自分の荷物から袋に入ったものを一人ずつに渡す。
「万が一遭難した時も困らないよう、一人ずつ持っていて。この袋は凍結防止がついてるから、使う時以外は出さないで。寒さ避けの塗り薬と飲み薬。塗り薬は特に手足の指先に塗っておいて。温かくなるから。凍傷は流石に治せないからね。それから切り傷につける薬。少しの傷なら血も止まる。ポーションも入ってるけど、体力が奪われるから、できれば使わないで欲しい。ただ、ボクが側にいるとも限らないからね。念の為だよ。」
「じゃあ、私たちが買ってきたものも分けるかね。」
それぞれが自分の荷物の整理をしていた時だった。
「お待たせ!」
勢いよく扉が開いて、入ってきたのはストリペアだ。手にはいくつかの道具を持っている。
「やあ、ストリペア。何を作っていたんだい?」
ストリペアはペルーシャを見て嬉しそうに瞳を輝かせる。父親の仇と思っていたのはどこかへ飛んでいってしまったようだ。
「ペルーシャも来たんだ!吹雪で遭難しないように、準備をね。って言っても、今まで持っていた道具を少し改良しただけなんだけど。」
そう言うと、ペルーシャは手に持った道具を机に並べる。
「これは、ランタンを改良して作った明かり。前よりも遠くまで照らすことができる。少し眩しいから、吹雪の時だけ強くして使って。それから、これは元々懐炉だったんだけど、出力を上げられるようにした。これを雪に近づければ、熱で雪が溶ける。無闇に使うと、雪崩が心配だけど、道を作るくらいなら大丈夫だと思う。もちろん暖を取るのにも使えるよ。」
「それは便利そうですね。」
雪かきは意外と体力を使うのだ。
「それから、目印のリボン。これはね」
そう言いながらリボンを部屋の端と端に置いた後、一方のリボンに触れる。するとリボンの間に赤い線が現れた。
「これがあれば迷わないでしょ?みんなの腕にもつけてもらう。そっちは青い線が出るから。」
「すごいですわね。」
アイネが感心したように言うと、ストリペアは恥ずかしそうに笑う。
「それ、元々猫や犬につけておいて、迷子になったときに探しやすくしたものなの。」
それぞれが準備をした装備を確認して、足りないものがないか話し合う。気づいた時には日がほとんど落ちていた。
「今からは危険ですね。」
窓の外は雪が止むことなく降り続いている。
「そうだな。今日はそれぞれ部屋に戻って……」
レオンの言葉の途中で、扉が叩かれる。開けてみるとそこにはヒューイがいた。その顔は酷く青ざめている。
「大丈夫ですか?ヒューイさん」
「大丈夫なわけが無い。僕の研究が水の泡になりかけているんだからな。」
そういいながら、ヒューイは手に持っていた袋をリーズに渡す。ずしりと重い。口を開けてみるとサラサラとした白い粒がぎっしりと入っている。
「なんですかこれ?」
リーズが尋ねると、ヒューイは苦々しい表情で答えた。
「氷狼の弱点になりうるものだ。」
氷といえば、あれですね。
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