(103)嫌な予感
洞窟の入口が壊れ、これ以上の調査は不可能と判断したリーズ達は、町へと戻ってきた。冬間近の日暮れは早く、すでに通りは深い藍色に染まり始めている。通り沿いの店は入り口に温かい明かりを灯し、人々はそれを頼りに、それぞれ家路を急いでいた。
『琥珀』の宿に辿り着くと、ヒューイは自分の外套を受け取り、そそくさと商業ギルドへと帰っていった。念のため、詳しい山の地図がないか、調べてくれることになっている。レオン達は一日の疲れを癒すように汗を流すと、小さな個室へと集まった。『琥珀』は泊まり客の要望を聞き、最適な夕食の場所を設定してくれるのだ。豪華絢爛な領主との晩餐の時とは違い、上品ながらも落ち着ける空間に、リーズは心からホッとした。
タイミングを見計らって運ばれてくる、一品一品が芸術作品のように美しい料理を堪能しているメンバーの中で、一人だけ心ここにあらずといった様子で黙々と食べていたのは、ミカサだ。その異変は、他のメンバーも気になっていたようだった。
「ミカサ、どうした。」
クリシュナが心配そうに尋ねると、ストリペアも頷く。
「そうだよ。いつもは美味しいものを食べるとひたすらその料理について熱弁するのに。」
ミカサはハッとしたように顔をあげ、気まずそうに目を伏せた。
「ああ、悪かったな。ちょっと気になったことがあってね。」
ミカサはしばらく躊躇ったあと、再び口を開く。
「明日、もう一度洞窟に行ってもいいだろうか。」
「もう一度、ですか?」
リーズは思わず聞き返した。洞窟にはあの様子ではもう入れないはずだ。他にあの場所に何の用があるのだろうか。
「うん。氷狼が出てくるのが早すぎるのが気になってね。」
「まあ、日の光が苦手な割には、入り口の近くで出てきたな。」
レオンが腕を組みながら呟くと、ミカサが深く頷いた。
「そうなんだよ。他の入り口の話も出ていたが、それほど大きな洞窟なら、もっと奥深くを縄張りにしていたっていいはずだ。それなのに、あんなに入り口近くで威嚇してくるのはおかしいだろう?」
「他の入り口はあまり見込めないってことかい?」
クリシュナが肉を切り分けて優雅に口に運びながら尋ねると、ミカサは困ったように首を傾げた。
「それは分からない。奥の方から別の魔物の気配もあっただろう?ただ、あの氷狼はあの入り口近くにしかいられない……と考えると納得はいくんだ。」
ストリペアがフォークを加えたまま、腕組みをした。しばらくして何か思いついたのかフォークを口から出すと、ミカサに向けた。
「洞窟の途中が太陽光に当たる場所だから、そこから先に動けない。あるいは、体が大きすぎて、あの場所から出られない……ってこと?」
氷狼の体は、洞窟の通路ぎりぎりの大きさだった。元々あの大きさだったら、もっと別の広い場所にいたのではないだろうか。
「つまり、洞窟の周りを詳しく調べてみた方がいいってことか?」
「そう言うこと。どうにも嫌な予感がするんだ。」
ミカサの言葉に、レオン達は揃って眉を顰める。
「お前の嫌な予感は当たるからなあ。」
レオンの言葉に、クリシュナが頷いた。
「こりゃ、早めに調べた方がいいね。」
「そんなに当たるんですか?」
リーズの問いに、ミカサは苦笑して肩をすくめた。
「できれば当たってほしくないんだけどね。」
ミカサは遠く、山の稜線の方に視線を上げる。
「居場所がなくなると思って、氷狼が暴れなきゃいいんだが。」
次の日の朝。
「嘘……。」
リーズ達は窓の外を見て呆然とした。昨日までは何の予兆もなかったのに、外は一面、音もなく降り積もった白銀の世界になっていたのだ。慌てた様子で、通り沿いの店員達が雪かきに追われている。くるぶしほどの積雪だが、足を取られ、歩きにくそうだ。そして、空は重い灰色の雲に覆われ、さらに白い雪の粒が止まることなく舞い降りてきている。
「これは、領主と話し合った方がよさそうだな。」
「そうですね。」
レオンの言葉に、リーズは硬く頷いた。
昨日のミカサの予感と、氷狼の行動を考えると、この雪は氷狼が原因である可能性が高い。
今はまだ吹雪ではないが、このまま雪が強まれば、町は完全に雪に閉ざされてしまうかもしれない。下手をすれば飢えや寒さで死人が出る可能性もある。
「とりあえず、私が商業ギルドに行って、領主様と会えるようにお願いをしてきます。」
「わかった。いつでも出られるように準備をしておく。」
レオンの言葉に押されるように、リーズは宿を出て商業ギルドへと向かった。急に降った雪を見上げて立ち話をする人々、雪に大喜びをして走り回る子ども達があちこちに見える。彼らは「今年は雪が早い」と考えているだけだろう。その平和な光景が、もしかしたら一変するかもしれないと思うと、リーズは知らず知らずのうちに歩きが速くなり、気づけば駆け出していた。
商業ギルドでギルド長への面会を頼むと、早朝にも関わらず、すぐに部屋へと通された。部屋にはすでに青ざめた顔のヒューイがいた。ギルド長のダミアンは険しい顔をしている。
「この雪はおかしい。やはり氷狼の仕業か。」
「おそらくは。なので、できれば氷狼の討伐を許可していただけないでしょうか。領主様の緊急の許可をいただきたいのです。このままではカーセルの町が、吹雪に閉ざされてしまいます。」
リーズの言葉にヒューイは俯き、ぎゅっと手を握りしめている。氷狼が討伐されれば、カーセルの発展を担っていた氷石が取れなくなってしまうかもしれないのだ。
「ヒューイ。お前の意見はどうなんだ。」
ダミアンの静かな問いかけに、ヒューイはゆっくりと顔を上げた。
「もし、これが氷狼の怒りによるものであれば、吹雪はすぐにはおさまらないでしょう。住民の避難が必要かと。」
「確かにそれも必要だな。」
ギルド長はそう呟くと、手元の紙にサラサラと何か書き付け始めた。
「それで、この吹雪をおさめるにはどうしたらいいと思うんだ?」
「討伐するしか、ないかと。ただ、氷狼は強大です。討伐できるかどうか。」
ヒューイが言葉を絞り出すように答える。
「『雷帝の鬣』はすぐにでも出立できる準備を整えています。」
リーズがすかさず言葉を挟んだ。昨日は防衛のみだったが、彼らなら倒せるだけの実力がある。
「……わかった。すぐに領主様に連絡を取ろう。」
ギルド長は重々しく立ち上がった。
「それにしても、次々と事が起こりすぎる……。」
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