(1)研修中に寝てしまいました
火曜金曜の週二回更新予定です。
お付き合いいただければ幸いです。
「いいか、目と耳をちゃんと動かしてれば、ちょっとの動きでもわかるもんだ。よく見て耳をすませ……。」
夏の海はいつも荒れる。父さんと二人で乗っている船は木の葉のように波にもてあそばれているが、小さい頃から乗っているのでもう慣れた。船べりをしっかりつかんだまま大きな波にゆられながら、リーズは必死で耳をすませ、目をこらした。風の音に混じってかすかに海鳥の声、白く泡立つ海面…じっと見ていると不思議な点がたくさん見えてくる。あれは泳いでいる魚の群れだ。
「あそこだよ、父さん!」
リーズが指差すと、父さんがニカっと笑って頭をわしゃわしゃとなでてくる。ごつごつした大きな手だ。
「よくできた!さすが俺の子だ。今日も大漁だ!」
波にゆられながら船はスピードを出して走り出した…
「リーズ・シーエル!」
身体の横からの衝撃にはっと目が覚めた。父さんと海に出ていたはずなのに、海ではなく広い部屋が見える。周りには不規則だが同じ方向を向いた椅子に腰掛けた人が15人ほどいて、呆れたような顔でリーズの方を見ている。ここはいったいどこだっけ…。ぼんやりした頭で考えているとまた何かが頭に当たった。
「どこへ向かっていたんだ? リーズ。」
怒りを秘めたようなギルド長の声が間近で聞こえて、今度こそはっきり目が覚めた。今は冒険者ギルドの新人研修の途中で、ギルド長の話を聞いていたのだった。しかし、さっきまで前で話していたギルド長はそこにいない。おそるおそる横を見上げると、腕を組んでこちらを睨んでいるギルド長、リッテルの顔が見えた。昔魔物を退治したときに右目を負傷して黒の眼帯をつけているが、片目でも威圧感は半端ない。手には羊皮紙をまいた物を持っている。どうやらあれで殴られたようだ。
(固いものじゃなくて良かった…。じゃなくて!)
どうやら研修を受けながら寝てしまい、さらに寝言で叫んでいたようだ。リッテルの向こうで目を丸くしてこちらを見ているのは同じ宿にいるペルーシャだ。青いターバンを巻いているが、下の方から金色の髪がふわふわと飛び出している。あの目は絶対に面白がっているな、とリーズは思った。でも今はペルーシャどころではない。とりあえず何か言わないと。
「あ、えーと…ぼ、冒険者ギルドはこれからどう進んでいくのかなって。あはは…。」
リーズの適当な言い訳に、リッテルははあっとため息をつく。
「先を見る前に、まずは今までのことをちゃんと押さえとけ。冒険者ギルドに勤める奴の基本だ。ちょうどいいからギルドができた経緯をまとめてしゃべってみろ。」
「はあい…。」
今までの研修を思い出しながらリーズは話しはじめた。
冒険者、という肩書がまだなかった頃、王都などの大きな街には色々な場所から職のない者が集まってきていた。前向きに働こうとする者も多かったが、誰もがうまくいくわけではない。結果、トラブルを起こしたり、犯罪に走ってしまう者も多く、どこの国でも問題になっていた。その状態を何とかしようと国家間で話し合いが行われ、考え出されたのが「冒険者」という、色々な仕事を請け負う職業である。今から200年ほど前のことだ。
冒険者はどこの国にも属さない。納税の義務も、徴兵の義務もない。逆に言えば、冒険者となった者を国は保護しない。厄介者はいつでも追放できるのである。
冒険者という職業ができる前から、魔物退治や護衛を生業としている者たちもいた。彼らは彼らで良い仕事を得るための駆け引きや喧嘩が日常茶飯事だった。このままではいけない、と立ち上がったのが初代冒険者ギルド長のアザベルだ。ドラゴンをも倒せる腕と誰にでも公平に接する態度で国からの信頼も厚かった彼は、ギルドの設立に力を注いだ。
彼は「冒険者」という肩書を大いに利用した。冒険者のギルドを承認させ、ギルドで全て管理できるようにしたのである。冒険者となったものは、ギルドで必ず登録をし、登録証をもらう。それを提示すれば、どこの国にでも入ることができ、その国にある仕事を受けられるようにしたのである。
国に籍があれば、納税や徴兵の義務があるように、ギルドに登録した冒険者にも義務がある。冒険者はギルドから緊急時に出される依頼を引き受けなければならない。また、登録した街を離れる場合、新たに行った場所でまた登録ギルド変更をすることも義務である。ギルドができた当初、行方不明になる冒険者が続出したからである。ただ、どこにでもギルドがあるわけではないので、ある程度の範囲ではあるが。
冒険者ギルドをさらに後押ししたのが、リングネル鉱石の存在である。
リングネル鉱石は不思議な鉱石である。隣国のクーラン王国で地下深くから発見された。叩くと固い感触だが、粘土のようにちぎったり、形を変えたりすることができる。また、魔力を注ぎ込むことで様々な情報を整理し、記憶する能力をもつことも分かった。鉱石を解明し、システムを作り上げた人の名がリングネルだったので、その名がつけられた。これによって、冒険者ギルドのシステムは大幅に進化した。
冒険者になりたての者が命を落とすことが多いことを改善するために、さまざまな保障も生まれた。冒険者ランクの創設。ランクによる仕事内容の制限。期限付きの生活の保障、金銭の貸し出し、訓練、スキル相談…至れり尽くせりだ。
ただし。理由もなく依頼を全く受けない、期限までに金を返せない、あるいは犯罪に手を染めてしまったなどの場合、冒険者としての身分は剥奪され、ギルドと提携した国の収容所で労働することになる。冒険者になめられるようでは、ギルドは続けられない。
ギルドは依頼を受けた際、手数料を取る。それが収入になる。また、街の警護をギルドとして国から請負うことで、街の治安を守る役割も果たす。魔物の襲来や火事などの際も、率先して働く。トラブルを抱えながらもそれらを積み重ね、今の冒険者ギルドにつながっているのだ。
「いまでは冒険者ギルドは国から信頼される機関となりました。その信頼をなくさないこともギルド員としてのつとめです…。」
長々とした話を終えたリーズがはあっと息をはく。
「そうだな。ただ、今はどこの国にでも入れるわけじゃない。」
リッテルは前に戻ると羊皮紙を広げて壁にかける。さっき殴られたものは地図だったようだ。四方は海を表す青で塗られている。中央に、横に広がった円のような形があり、その両端から下の方に曲げた足のように伸びた半島があり、その足の間に一つの島があった。
大陸部分は4色で色分けされており、右下あたりが赤く塗られている。その部分をギルド長は指差す。
「ここが俺たちがいるランテッソだ。大陸には他にも4つの国がある。ランテッソの北側、青くなっているのがベヒレーベン、その西側の黄色がパトラム。パトラムの南、緑色なのがイルーシャだな。パトラム王国では、ちょっとトラブルがあってな。今は許可証を持った冒険者しか通ることができない。信頼を失うとどうなるかっていういい見本だな。あとはここ」
リッテルの指が大陸の下にある、黒く塗られた島を指す。
「この島がクーラン。15年前の魔力暴走事件以来、誰も入ることができない」
「封鎖されてるってことですか?」
新人職員からの質問にリッテルは首をふる。
「危ないから封鎖もしているが、そもそも近づけないんだ。色々試しちゃいるんだが…」
地図を壁から外し、くるくると巻き取ってから、リッテルはリーズ達に向き直る。
「大事なのは、何かが起こったとき、冒険者は命をかけて先頭に立たなきゃならない。そいつらの命を俺たちが預かってるってことだ。普段の仕事も大事だが、それは忘れないでくれよ。」
リーズの脳裏に幼かった自分の姿が浮かぶ。忘れようと思っても、忘れられない記憶だ。
リーズの生まれた村は、クーラン王国にほど近い、ミシュリ村と言う小さな村だった。物心ついた時には漁師の父と二人暮しだったから、母の顔も名前も知らない。
クーラン王国の事件が起こった時、空と海から大量の魔物がミシュリ村を襲った。
リーズの村には冒険者ギルドがなかった。村長は慌ててギルドと領主に知らせを送り、村人を集めた。どちらも数日かかる距離だ。
戦える者達はそれぞれ得物を持って集まっていた。リーズの父親も銛を片手にリーズの手を引いて、広場に集まった。
「子供は倉庫の地下に隠れるんだ。」
戦えない老人や子供、女達は皆そこに入っていた。リーズを父親はぎゅっと抱き締めると、倉庫に入れる。
「父さんが来るまで出るんじゃないぞ。約束だ。」
そう言ってニッと笑った顔が今でもリーズの脳裏に焼きついている。
長い長い時間の後、誰も来ないのを不審に思った1人が地下倉庫から外に出ると、村は変わり果てた姿になっていた。家は焼け焦げ、戦っていたはずの村人は誰も残っていなかった。
土には赤黒いシミがあちこちに出来ていた。残っていたのはそれだけ。
数日経ってから、冒険者達がやってきた。魔物達が北へと向かうのを騎士達と協力して阻止していたらしい。荒れ果てた村を見て、冒険者達は呆然とした顔をしていた。
「間に合わなくって、ごめんな。」
父さんがどこにもいなくて、村中歩いて、疲れ果てて座り込んでいるリーズに、そっとスープを渡してくれた冒険者のお兄さんの顔は、歪んでいた。
その後しばらく、冒険者達は村人と一緒に村の復興を手伝ってくれた。領主様からだという食べ物や家を作り直すための資材も運んでくれた。でもそこまでだ。冒険者はずっといてくれる訳じゃない。村の様子が落ち着くと、少しずつ冒険者達は街へと帰っていってしまった。
…冒険者ギルドがあればいいんだ。そしたらずっといてくれるもの。
その時から、自分の村に冒険者ギルドを設立するのがリーズの目標になった。
「冒険者ギルドをもってしても、クーラン王国にはまだ入れないんですの?冒険者の名が泣きますわ。」
大声ではないがよく通る声が部屋の中で響いた。