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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夢の中

作者: 巡茶

 いつからだっただろう。夢の中にいることが好きになっていた。夢の中ならしたいことが全部できる。奇麗なドレスを着てお茶会に出席することも、素敵な旦那さんと愛を育むことも。だから私は寝ることも好きだ。今日も早くベットに入り夢の中に行きたい。

 

 一人でいる時に感じる寒さ。この精神的に来る寒さから逃れるために私は他人を必要とする。この寒さは他人の温もりでないと癒えないのだろう。そんなことを考えながら歩いているとやっとアパートが見えてきた。あと少しでこの寒い世界から抜け出せる。部屋に帰れば安心と優しい空間が私を出迎えてくれるのだ。私が作った空間で私が教育した人が待っていてくれる。階段を上り、203号室を目指す。玄関の前まで来ると、中からは明かりが漏れ、人の気配がした。彼女が先に帰ってきているようだ。チャイムを鳴らすと、居間の方から小走りでこっちに走ってくる音と共にドアが開く。

「おかえりなさい」

そう言ってこっちを見つめる彼女の顔には私の帰りが嬉しかったのだと描いてある。

「ただいま」

不純物を含まないその笑顔に見とれたまま私は答えた。

「お風呂入ったばっかりだった? 湯冷めしちゃうとダメだから早く居間に行こ」

濡れたままの髪に気づいたのか、彼女は恥ずかしそうに笑う。

「そだね。髪を乾かしてる時にチャイムが鳴ったから… そだ! ドライヤー切るの忘れてた! 早く行こ!」

私の手を掴み居間に連れていこうとする。私は苦笑しながら玄関のカギを閉め、引かれる手から感じる手の温もりに優しさを感じていた。

居間につくとテーブルにコンビニ弁当とお茶が置かれているのに目が留まる。

「今日の夕ご飯ってこれ? たまにはあなたの手料理もたべたいな」

ちょっとした苛立ちから彼女を困らせたいと思ってしまった。本当は彼女の手料理なんて食べたくない。彼女は料理なんてできないのだ。料理だけでなく家事全般が出来ない。持ち前の愛嬌の良さで他人に寄生して生きてきたのだろう。同棲し始めた頃はそれも可愛く思えたが今はそこが憎くくもある。手間がかかる子供のような愛人。

「ごめんなさい。バイトが休みの時に作ってみるから…」

彼女の表情からは本当に申し訳なさが見て取れた。この彼女のか弱さが私に抱いてはいけない感情を抱かせる。

「冗談よ。ごめんなさい。あなたが当番の時は買ってきた物でいいから。その代わり私が当番の時はちゃんと作るから。安心して」

何とか自分の感情を押さえつけながら彼女の方を向く。

「私はこれ食べてお風呂に入るから、あなたは先に寝てて」

彼女はなにか言いたげだったが、頷いてまた髪を乾かし始めた。

私もそそくさと弁当を食べ、お風呂に入りに行く。上がってきたころには居間は静まり返っていた。彼女はどうやら寝室に行ったようだった。一人になると途端に襲ってくる寂しさ。色づいていた部屋の空気が剥がれ落ち白黒の世界に迷い込んだ錯覚に陥る。早く私も彼女の温もりを感じたい。私が寝室に行きベットに入るころには彼女はもう寝息をたてていた。彼女の長い髪に触れる。サラサラと流れ落ちる感触を楽しみにながら彼女の顔や服から見える鎖骨や胸元を見た。整った顔立ち、私とは違って女性らしい体、透き通る白い肌の所々にある痣。

「あなたを傷つけることでしか愛せなくてごめんね」

耳元で囁いてみたが返答はない。彼女は今ごろどんな夢を見ているのだろう。彼女の背中を抱きしめて眠りについた。

今日の夢では私は主婦だった。玄関先で夫のネクタイを直していた。夫がこれから仕事に出かけてしまい一人になることを怖がっていた。夢の中まで私は寂しがり屋のようだ。不意に夫からキスをされる。数秒間、唇が重なることがこれほど幸せなのかと再認識させられた。夢の私は幸せそうだ。


 家を出て会社にいる時の私は世界と距離があるように感じる。まるで私を第三者が撮った映画を見ているようだ。自分の事なのにどこか他人事。画面越しに見える世界はどこかよどんでいて輪郭がはっきりしない。そんな職場だが私にも好きなことがある。喫煙所での一服だ。会社でも吸う人が減ってきて、ほとんど貸し切り状態となる。

仕事がひと段落ついたので私はデスクを立ち喫煙所に向かう。途中、休憩室を通りかかると数人の女性社員が談笑していた。私はあの輪に入りたいとはどうしても思えない。他人を必要とするくせに、愛想笑いを浮かべてどうでもいい話をするくらいなら一人でいた方が有意義だと感じてしまうのだ。私は我が儘な女なのだろう。

喫煙所の扉を開けると、中には珍しく先客がいた。

「どうもです」

私は煙草を吸いながらスマホをいじる先輩に声をかけた。

「おお。 お前か。 相変わらず近づくなオーラが出てるな。そんなんだと婚期逃すぞ。 顔がいいのにもったいない」

ちらりと私の方に視線を向け、またスマホを見ながら言ってくる。

彼は私がこの会社で気軽に話せる数少ない人間の一人。違う部署だが何かと気にかけてくれている。年齢は35、結婚もしていて一昨年、ご長男が生まれたとか。

私は彼とは向かい側の窓がある方へと向かった。窓からは忙しなく歩く人たちが見える。

「先輩、それセクハラですよ。 次にお会いする時はここじゃなくて法廷ですかね。 それより、先輩はこんなところでタバコ吸ってていいんですか? 早死にしちゃいますよ」

いつの間にか先輩はスマホをしまい、自分が吐く煙を見つめていた。

「お前、いろいろとひどいな。タバコはここでしか逆に吸えなくなったからいいの。家の中は全部、禁煙になったから。子供が出来れば女ってのは変わるもんだな。俺の顔色伺って言いたい事言うのに一週間はかかっていたあいつが今じゃもう、言いたい事は思ったらすぐに口から出ちゃってるぜ。母は強しってな。おかげで、俺は肩身が狭いよ」

子供…好きな人の子供…

「…なら、私は一生このまま変われないのかもしれません」

不意に口から漏れてしまっていた。先輩も怪訝そうな顔をしながら口を開く。

「なんだ急に? お前ならすぐに結婚できるだろ」

なぜそんな無責任な事が言えるのだろう。目の奥が熱くなり、苦笑しながら私は思わず下を向く。

「どうした? 何かあったか? 俺でよければ相談に乗るぞ」

私の中にどす黒い感情が芽生える。彼は私が絶対に得ることのできない幸せを持っている。

私も彼を経由してならその幸せに触れることが出来るんじゃないだろうか。

それに彼の目の中にはオス特有のギラついた視線が宿っている。今にも私の咽喉に噛みつきたいのだろう。私はその視線を受け入れた。そして悲哀と期待に満ちた表情を作る。

「そうですね。ここじゃあれですし、いつか先輩の奢りでどこか連れてってください」

言い訳を作ってしまえば人は如何様にも動く。

先輩は少し考えた後にこう言った。

「なら、数日中にまた声かけるよ。その時に誘うことにする。じゃあ、お先に」

「楽しみにしてますね」

ドアを開け、部屋から出ていこうとする先輩の背中に向けて言う。すると先輩はこちらの方を軽く見て手を挙げて出ていった。私は振り向く直前の口角の上がった先輩の顔を見逃すことはない。妻と子供より私を選んでくれたその事実が煙をより甘美なものにする。


 今日は私の方が先に家に帰ってくる予定だった。買い物を済ませ、私が作る料理をおいしそうに食べる彼女を想像すると自然と笑みがこぼれる。家のカギを開け、中を見ると彼女の靴があった。今日、バイトだったはずなのに。名前を呼びながら部屋に行くと、電気も付けず薄暗い部屋の中で彼女は横になりながらスマホを見ていた。

「どうしたの? バイトで何かあった?」

落胆が声に乗らないように気を使った。彼女はこれで何回目なのだろう。

「…バイトの同僚から嫌な事言われたの。先輩の男性に色目使ってるって。怒って帰ってきちゃった」

スマホの薄明かりに照らされた彼女の顔は酷く歪んで見えた。

私は電気を付け、そっけなく対応する。

「で、どうするの? そのバイト辞めて新しいの探すの?」

彼女はスマホを見つめたまま答える。

「先輩が俺が何とかするからしばらくは休んでていいって。そっちの連絡が来てから考えようかな。ところで、今日の夕ご飯なに?」

彼女の声色が急に明るくなり、こちらに笑顔を向けてくる。

「肉じゃがよ」

「私、肉じゃが大好き」

その後はこの話題に触れずに過ごした。寝る支度をし、ベットに入ると彼女は何か言いたげにこちらを見つめてきた。この目を私は知っている。性欲に塗れた汚い目だ。私が最も嫌悪し私を最も魅了する目。私がベットに入ると彼女は私を触り始めた。虫唾が走る。私はいつのころからか他人に性的な気持ちで触られるのを心底不快に思うようになった。気持ち悪い、吐きそう。そう思った私は彼女の腕をつかみ取った。

「やめて。 そういう気分になった時、私に触れないでって言ったでしょ また一から教えなきゃいけないの?」

彼女の体が震え始める。無理もないだろう。彼女と同棲を始めたころは彼女の尽きることのない性欲のはけ口になることを甘んじて受け入れていた。しかし一か月で我慢の限界だった。彼女が私が望んでいない時に私の肌に触れたら、柱に鎖で繋ぎ革のベルトで叩いたのだった。騒ぐときは口も塞いだ。そのかいがあってか、ここ最近は彼女はおいたをしなくなっていた。

「ごめんなさい。 でも今日は…」

潤む瞳で何が言いたいのか分かる。

「しょうがないな。 今日だけだよ。 ただし、私に触れないでね 触ったらお仕置きだから」

「うん」

彼女はすぐに自分の両腕を枕の下に入れた。私を触らないという意思表示だろう。彼女の健気さが私を誘惑する。私は彼女が喜ぶことをしてあげた。この行為の本質は快楽じゃない。相手を全て理解できたという自己満足なのだろう。端から見ればそんなのは絵空事のように聞こえるかもしれない。だが、実際、自分の指先や発言で彼女を自由に操れるのだ。そう思っても無理もない。

サイドテーブルの時計に反射している自分たちの姿に目がいった。横たわる彼女の顔が自分の顔に重なって見える。支配しているのは私で支配されているのは彼女なのになぜそんな風に見えるのだろう。疑問をかき消すためにさらに私は彼女を操り続けた。

今日の夢では私は子供だった。男の子と一緒におままごとをしている。私はその男の子に将来は結婚しようねと言われ満面の笑みを浮かべていた。


 その日は曇りだった。肌には湿気がまとわりつき嫌気がさす。光を一切通す気もない厚い雲を喫煙所の窓から眺めながらタバコを吸っていた。口から出るこの煙も空に行って雲になるのではなんて幼稚な妄想していると、彼が入ってきた。

「よ。今日も仏頂面だな。前の事覚えているか?」

そう言い、私と同じ窓側の方に来る。取り出したタバコの箱には可愛いシールが貼ってあった。

「覚えてますよ。先輩が私の話を聞いてくれてさらに食事まで奢ってくれるんでしたよね」

私の隣に来て壁に背中を預けながら先輩は答える。

「まぁ、その話だ。明後日とかどうだ? 予定空いてるか?」

見下ろしてくる先輩の目を見つめながら囁いた。

「大丈夫ですよ。 場所はどこにします?」

「仕事を終わったら連絡をくれ。これ、俺の連絡先」

紙切れをもらいながら思ったことを口にする。

「そういえば私、先輩の連絡先知りませんでしたね」

「それもそうだな」

それっきり何も言わないままお互いタバコを吸い始めた。お互いがお互いの存在を意識しながら煙を吐く。吐いた煙が混ざり合い雲へと向かう。

彼と会う前の日、彼女には会社の人と飲んでくるから遅くなると伝えた。その時の彼女の驚いた顔は今でも忘れられない。それもそのはず、私は彼女と同棲するようになってからは一度も彼女以外の人間とどこかに行くことなんてしなかったのだ。

仕事が終わったので彼に連絡をする。ここから二駅行ったところにあるイタリアンレストランを予約していたようだ。店内に入りメニューを見て驚いた。私が想像していた金額の倍以上する店だったのだ。恐縮する私に彼は遠慮するなと言い、次々と注文した。豪華な料理に高価な酒、どれもが私を楽しませる。そして彼との会話もとても有意義なものとなった。私の相談に乗ってもらうという体だったが、彼は今の結婚生活に満足していないことや、私のような女性がタイプだと教えてくれた。何よりも私にとって重要だったことは、この男は一回目では手を出さないということだ。

帰ってきたのは12時を少し過ぎたあたりだった。いつもなら彼女はもう寝ている時間だったが、今日は起きていた。不安げな顔して私を見つめてくる彼女はいつもより小さく感じる。

「こっちきて。 大丈夫だよ」

何が大丈夫なのか自分でもわからないがテクテク歩いてきた彼女を抱きしめる。

「酒臭いでしょ。 ごめんね」

彼女からは何の返答もない。ただ私にしがみついたままだ。

「怒ってる?」

彼女の頭を触りながらやさしく問いかける。

「怒ってない。でもめちゃくちゃ心配だった」

彼女の抱きつく腕の力が強くなる。

「ごめんね」

何に対しての謝罪なのかもう自分でもわからない。ただ、お互い、不安をどう解消したら良いのかは分かっていた。

彼からのアプローチは日に日に多くなり、彼が私を選んでくれているという優越感に浸っていた。5回目くらいの食事の後に今日はどこか泊まっていかないかと誘われた。彼の妻と子供は実家に帰っているそうだ。私は迷うふりをする。すでに答えは決まっているのに。これから私は彼から幸せを分けてもらえるのだ。

ホテルでチェックインを済ませ、部屋の中に入る。ベットの真横に大きな鏡がある部屋だった。彼は私の方をじっと見つめてくる。

「本当にいいんだな?」

何のことを言っているのだろう。既婚者と寝ることに罪悪感はないかという意味なのか。そっちこそ妻子がいながら自分より若い女を抱くことに罪悪感はないのかと問い詰めたくなる。

「了承してなきゃここに来てませんよ」

彼をまっすぐ見つめ返すと共に甘い言葉でさらに誘惑する。

彼が私に唇を重ねようとしたとき、私はそれを手で制す。

「私、他人に性的な気持ちで触られるのが大嫌いなんです」

彼は驚いた顔をして唖然としていた。

「どういうこと? しちゃいけないってこと?」

私は微笑んだ。

「違いますよ。先輩は私に触らないでください。私が先輩に触るだけならいいので」

そう言って、彼からネクタイを取りベットに押し倒し、両手を縛って固定した。

「君がこういうのが趣味だとは思わなかったよ」

先輩が苦笑いしながら私を下から見ていた。私は彼の上に乗りながら彼を見下ろす。

すぐにその口のきき方を直してあげなきゃ。後、そのいらないプライドも捨てさせなきゃ。それからは痛みと快楽で彼にどちらが上なのかを教えてあげた。彼は妻と子供の名前を叫びながら快楽へと沈んでいく。私としては、またしても鏡に映る彼の表情が私と重なるのが不思議に思えて仕方なかった。

全てが終わり彼と一緒にベットに入る。いつもは彼女と寝ているが今日は男性だったので少し緊張した。昔はこんなことが当たり前だったのに。自分より大きいものに包まれて眠るのはまた違った幸せを感じることが出来た。

今日の夢では浜辺を彼氏と散歩する夢だった。子供は何人欲しいとか、今日は何が食べたいとか、そんなとりとめのない会話をする二人。


 外泊した翌日、私はあらかじめ午前休を取っていたので一度、家に戻ることにした。考えてみればこれは立派な浮気なのかもしれない。私には彼女がいるのに他の男と寝てしまった。罪悪感が無いといえば嘘になるがあまり感じていないのも事実だ。彼女だってたまに他の男の匂いを纏っていた時がある。自分なりの言い訳を携えて家路につく。部屋に入ると、彼女は誰かと電話していた。たぶん男だろう。声色で察することが出来た。彼女は私を見るや否や電話を切り、おかえりと言ってきた。私は曖昧に頷き、着替えをしに奥の部屋へと向かった。気まずい空気が部屋に充満する。彼女は私に「どこに行ってたの」とは聞かず、私は彼女に「誰と電話してたの」とは聞かなかった。きっとお互い目に見えない男の存在を感じていたのだろう。


「今日も泊まってくるかも」

彼と寝るようになって5度目くらいだった思う。手帳を見ながら彼女に告げた。

「そうなんだ。私も今日は泊ってくるね」

最近、彼女も外泊が多くなった。きっとバイト先の先輩だろう。お互いの距離が離れていくことに寂しさを感じれない自分がひどく嫌になる。誰もいないこの部屋はきっと外の世界のように冷たくなるのだろう。

仕事が終わり彼と食事をし、いつものホテルに行く。部屋に入りお互い腰を落ち着けると、彼がポツリと話始めた。

「俺は君にいつまで触らせてもらえないんだ?」

彼の目から不安や期待が見て取れた。まさか、数回抱いただけで私の事を好きになってしまったのだろうか。だとしたら本当にバカな人だ。ただ私は憐憫と共に愛おしさも感じてしまっていた。ふと、また意地悪したいと思ってしまう。本当の事を言ったら彼の表情はどう変化するのだろう。

「そんなの、この関係が続く限りずっとですよ」

いたずらっ子のように笑ってみせる。

「つっ…俺は、お前の事…」

彼の顔はますます困惑の色を強めていく。

「好きになっちゃったんですか? 奥さんより? 息子さんより?」

はなから私を選ぶ気がないことは知っている。

「わかるだろ? 家族を愛するのとは別の感情なんだよ。お前もちゃんと愛してる」

きっと、彼の愛はたくさんあり明るいのだろう。私にはどれが愛なのか分からない。真っ暗な場所でたった一つの光を待っている。

「わたしには愛は一つですよ。家族か私かです」

彼をまっすぐ見据え話しているが彼は私と目を合わせてくれない。

「それは…お前はやっぱり分からないな。いつも何も付けずにしても怒らないくせに、触るのは極端に嫌がるなんて。普通は逆だろ」

「あぁ。そのことでしたか。私には子宮がないので問題なかったんですよね」

言ってしまった。彼と目が合う。

「なんだって?」

彼は明らかに戸惑っている。

「わたしにはしきゅうがないんですよ」

一言ずつ区切ってはっきり言ってやった。これで彼にも聞こえただろう。

「それは病気かなにかで摘出したってことか?」

ようやく彼も現実に追いついてきたようだ。

「そうですね。病気です。ただ、私の場合、生まれた時から子宮がなかったみたいです」

ロキタンスキー症候群、先天的に子宮と膣の一部あるいは全部が欠損するという病。

「でも、お前…」

動揺している彼の表情を見ても言いたいことは分かる。入れることはできたと言いたいのだろう。そう、神様は残酷だ。私に子宮をくれなかったくせに膣はくれたのだ。どうせなら全て私から奪っていってほしかったのに。

「前の彼氏に、お前は妊娠の心配がないから良いって言われたことがありますよ」

中学くらいだったと思う。私だけ月経が起こらず、病院に行った。そしたらあるはずものがないと診断され、私は女として生まれたことを否定されたような気持になった。普通に女友達と話しているだけなのに感じてしまう疎外感。突然やってくる疎外感から逃げていたら同性を必要以上に意識するようになっていた。そして募る寂しさを紛らわすために恋愛ごっこにも夢中になり私は肌を重ねる快楽に溺れていった。

ただただ寂しかった。求められれば心が満たされていく。そんなことをしていると噂はすぐに広まり、女子からは不良品などと呼ばれていた。こんな事では心が満たされることはないと知ったころには、ただ血だけが出続け、他人に触られるのを極端に嫌悪するようになっていた。ついでに歪んだ心は他人より精神的に優位に立ち、自分が望んだ相手を掌握したいと望むようになっていた。

「先輩は私が絶対に持つことのできない幸せな家庭がありながら私と寝てるんですよ。少しは自重してください。私は先輩に幸せを与えることもできますが、壊すこともできるんですから」

恐怖で彼を支配する。

「お前は…それで幸せなのか?」

震えながら彼はそう呟いた。喉元が熱くなる。幸せか?幸せかだって?この世界に私の幸せがあるとでも?夢になら幸せがある。ただ、夢を見るためには眠らなきゃいけない。私は眠るとき人の温もりを感じていたい。だからお前のようなクズにすがっているのでしょ。この男にも同じ気持ちを味合わせてやりたい。

「ここに私の幸せなんかないです。先輩にも私と同じ気持ちを味わってもらいたいから、会社や家族に私との関係しゃべっちゃいますね」

涙が出そうで声も震えていたが精一杯の笑顔を作った。

「たのむ!それだけはやめてくれ!」

必死で懇願する彼を見て怒りが少しずつ薄れ始める。でも、まだ許してあげない。

「さっき、私の事好きって言ってくれたじゃないですか。それなら私の所まで来てくださいよ。先輩がいる場所は私にとっては明るすぎます」

一つずつ言葉で彼をえぐっていく。

「たのむ! なんでもするから! この通りだ!」

そう言い、彼は自分の頭を床に付けて懇願し始めた。私は彼へと近づき、しゃがみこみ、耳元で囁く。

「ダメです。てか、後輩に土下座までしてみっともないって思わないんですか? 酷い格好ですね」

これで彼は身動きが取れず、私の言いなりになるしかない。そう確信した。だが、横を見た時の彼の目は違っていた。彼の目は怒りに満ちていたのだ。彼はまだ私に屈してなどいなかった。

「いい加減にしろ! 下手に出れば調子に乗りやがって!」

彼は私の腕を掴み乱暴に私を床へとたたきつけた。とっさの事だったので私も反応が遅れる。私に馬乗りになった彼の顔はもう何も恐れてはいないようだ。

「やめて! 私に触れないで!」

私が彼にした教育は不十分だったのであろう。拳を作り必死に殴り掛かろうとする。

「うるさい! だまれ!」

私の拳はあえなく彼につかまれてしまい私の腕も上から彼に押さえつけられてしまった。

足もバタバタと動かしてはみたが効果がないようだ。

「動くな!」

そう言うと彼は私の頬を強く打ってきた。額がジンジンする。なぜだろう私の体は動かなくなっていた。嫌なのだ。心底嫌なのに抵抗できない。私は自分にはどうしようもない力で圧倒されている事実に気が付いた。

「さんざんお前も俺の事打ったろ! おあいこだな」

息を荒げながら彼は私を見下ろしている。何をしても彼には届かない。私はなすが儘に彼を受け入れるしかなかった。私は彼の物へと落ちていく。そんな思考が頭をよぎる。

私は誰かの物になりたかったの? 

私の目に映ったものを彼は見逃さなかった。

「なんだその顔は! もっとして欲しそうな顔しやがって!」

そうか、私は痛みを欲していたのか。彼に言われ自分が纏っていた何かを剥がされた感覚に陥る。

彼は邪悪な笑みを浮かべ何度も私を打った。私は痛みの中に疼きがあるのを感じた。私は物欲しそうな顔をして彼にさらなる痛みを要求する。

後はされるがままとなった。痛みと快楽で泣きわめきながら思考が澱む。彼に絶対に抗えないと分かりながら形だけの抵抗をみせ、彼により一層の罰を求めていった。一つ分かったことがある。私は他人を支配したいのではなく支配されたかったのだ。だが、支配される方法が分からない。だから、その逆、支配を行い、支配されている人間を見て想像していたのだろう。自分が支配されている姿を。鏡に映る私の顔はそういうことだったのだろう。

事が終わったら彼は金だけおいて逃げ帰っていった。彼女に泊まるといったので私は一人でダブルベットに寝ることにする。一人で寝ることが久しぶりだったのでこれほど冷たく寂しいものだったのかと驚いた。

今日は夢を見ることが出来なかった。

翌朝、会社をサボり自分の家に帰ってきた。まだ彼女は帰っておらず、部屋の中は冷たくなっている。私は急いでベットに潜り眠ろうとしたがベットがあまりにも冷たいことに気が付いてしまった。これでは眠れない。なんで彼女はいないのだろう。埋まらない寂しさを抱えつつも意識が途切れたのはいつ頃だったのだろうか。また夢を見ることが出来なかった。

翌朝、目を覚ましても彼女はいなかった。さすがに仕事に行かなければと思い、支度をして家を出た。会社につき机の引き出しを開けると見覚えのない白い封筒が目に留まる。中は彼からの謝罪文だった。どうやら私との一件を苦にして会社を辞めたらしい。私は彼から結局、幸せを貰えたのか考えたが、途中で考えること自体がばからしくなった。

私は努めて冷静を装いながら仕事をこなそうとしたが彼に付けられた痛みが疼き思考を曇らせてくる。これではいけないと思い喫煙所へと向かった。そこにはもちろん誰もいない。いつもの窓側でタバコを吸っていて、ふと、彼が吸っていたタバコの銘柄が何だったのか気になった。この問いを彼に聞くことはもうできないのに。

「どうして、こんな変なこと気にしちゃってるんだろ」

この問いにも誰も答えてはくれない。

吸った時に疼き、吐いた時には忘れるような痛み。そんな痛みを彼は私に残して消えていった。

仕事を終え、家に着くと彼女の荷物が全て消えていた。もともと彼女は荷物が少ない方だったが物がなくなるとこの部屋もなんだか広く感じる。机にはカギとありがとうと書かれた紙切れがあった。もう何も考えたくない。一人、冷たく寂しいベットに向かう。スーツのまま倒れこみ深々と息を吸った。自分とは別の人間の匂いがそこにはある。可愛らしい彼女の匂いだ。今はもういない彼女の匂い。私はこの些細な他人の痕跡だけで今日は寝ないといけないのだ。早くこんな現実から覚めて夢に行きたい。

その日、夢をみた。彼によく似た男性と私が公園で一人の少女を見守っている。その少女は彼女のように可愛らしかった。私たちは手をつなぎながらお互いの愛を確認している。後はもう曖昧になり現実に落ちる頃には、私は全ての幸せを夢特有の曖昧さの中に置き忘れていくのだろう。


語尾が安定しない気がします。

読みにくかったらすみません。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  読み応えがありました。  過ぎ去っていく恋愛には、都会人の寂寥感のようなものを感じました。  夢とは何なのか。僕は人間のイメージの世界のほうが、物質の世界よりもリアリティがある認識状…
2020/01/29 16:38 退会済み
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