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フロム・ヘル★ ― C氏(男性、享年二八、自営業)のケース

三人称形式

※残虐描写があります。ご注意ください。

 その日、埼玉県在住の自営業C氏(28)は打ち合わせのために都心を訪れていて、それで騒ぎに巻き込まれた。

 大混乱の中、彼は市街地の路地を逃げ続けた。周囲では彼と同様に逃げ回る人々、そしてそれを追いかける人々とでごった返していた。


 目の前で繰り広げられているのは、若干ルールがアレンジされた「鬼ごっこ」のようなものだった。一部で「ゾンビ鬼」と呼ばれるローカルルールを、さらに改変したものとも言える。


 参加者は無制限。老若男女関係なく、その場にいれば誰であっても問答無用で強制的に参加させられる。最初は逃走者役からだ。

 逃走者は追跡者()から逃げなければならない。

 追跡者は逃走者に噛み付いて皮膚を食い破ることで、捕まえたと判定される。

 そして、捕まった者は五~一〇分ほどその場で待機(心臓停止)した後、起き上がって追跡者に加わる――


 遺憾なことに、それは演習(ごっこ)ではなく、生死のかかった実戦だった。

 事態(イベント)は何の予兆もなく唐突に始まり、半日と経たないうちに全国規模に拡大していた。なぜそんなことが起きたのかも、知る者はいない。


 方々で悲鳴と絶叫があがり、そのたびに血しぶきが舞い、肉片が飛んだ。血まみれになって倒れ伏した者も、しばらく痙攣した後にむくりと起き上がり、別の誰かを追いかけていった。

 たまたま通りかかった乗用車が、いきなり道路に飛び出した逃走者を撥ね飛ばし、停まったところに追跡者が飛び込んできて、ドアガラスを突き破って運転手に襲い掛かった。

 サイレンを鳴らした救急車がそれを避けるように急ハンドルをきって、ギリギリのところを通り過ぎていった。


「くそっ、ここにも!?」


 C氏は道の前方に追跡者らしき人々が屯しているのを見て、進路を変えようとした。その時、死角から追跡者が飛び掛ってきた。追跡者は口を限界まで開いて、彼の二の腕に噛み付き、その肉を引きちぎった。


「ぎゃあああっっ!?」


 彼は慌てて追跡者を蹴り飛ばし、よろけながらも尚も逃げた。だが、幹線道路を横切ろうとしたときに、さらなる追跡者たちに追いつかれた。彼は全身の至る所を噛まれ、食いちぎられた。


 そこへ、大型トラックが蛇行しながら猛スピードで突っ込んできた。ちらりと見えたトラックの運転席では、助手席の男が運転手に襲い掛かっていて、フロントガラスには夥しい血が塗りたくられていた。トラックの左右両側には追跡者らしき者が十数人わらわらとしがみついていて、必死に運転席によじ登ろうとしていた。


 あっという間にトラックはC氏も追跡者もまとめて跳ね飛ばし、少し進んだところで路上駐車車両にぶつかって派手に横転して爆発、炎上した。

 そして、彼は瀕死の状態で路面に転がった。


(ああ……トラックに轢かれるなんて、そうそう起こるわけねえのに、よりによってこんなときにかよ……これでどっかの異世界に転生しねえかな……)


 心臓も停止し、意識が消滅するまでの数瞬の間、彼はそんなことを考えていた。その間にも彼の体内では、この事態を引き起こした細菌が一挙に増殖を始めていた。


 数分の待機の後、彼がゆっくりと起き上がろうとしたところで、彼の周囲の路面が光り、奇怪な紋様を浮かび上がらせた。





――Day 0


 迷宮(ダンジョン)の奥底にある薄暗い大広間で、一人の男が宙に浮いた光る板切れ(コンソール)を前にうんうん唸っていた。


「一体あたり五〇 DP (ダンジョンポイント)か。安い分、戦力としては弱すぎるが……背に腹は変えられんしな」

「ご主人サマ。アレは臭すぎて、冥奴(メイド)のわたしとしましては、アレが配備された階を清掃するのは断固として拒否したいのですが」

「う……すまん、クレア。しかし、予算的にアレを置くしかなくてなあ」

「うぅ……アレは臭いのです。臭いのですよ……」

「ああもう、後でプリン作ってやるから、それで我慢してくれ」

「はいぃっ!」


 傍らに控えたメイド服の少女が不満を訴えるので、男は仕方なく懐柔策を示した。少女は満面の笑みを浮かべて引き下がった。


 男は迷宮管理者(ダンジョンマスター)だ。

 男の役目は迷宮を維持管理し、さらには階層を拡張することによって、迷宮の心臓たる迷宮核(ダンジョンコア)を守ることにある。

 この世界の人類にとって迷宮とは異物であり、滅ぼさねばならない害悪だ。そのため、迷宮核は常に狙われている。頻繁に冒険者が侵入してくるし、ときには軍隊が送り込まれてくる。

 迷宮管理者はそうした侵入者を排除、撃退しなければならない。

 そのために、迷宮内部の構造を設計し、罠を設置し、侵入者と戦う魔物(モンスター)を配置する。


 今、男は配備する魔物を選定しているところだった。

 魔物はよそから勧誘(スカウト)してくるか、迷宮固有の召喚魔法によって異界から呼び寄せることができる。

 ただ、召喚魔法を使うにはダンジョンポイントと呼ばれるエネルギーを消費しなければならない。魔物の強さによって召喚に必要なコストが変わるため、無闇やたらと強力な魔物を召喚することはできない。

 限られた予 算(ダンジョンポイント)の中で、いかにしてやり繰りするかが迷宮管理者の腕の見せ所であった。


「よし、いくぞ。『我は求め訴える。異界に棲みし魔のものよ、彼方より来たれ』」

「ご主人サマ、その呪文恥ずかしくないんですか? わたしだったらあんまりにも恥ずかしすぎて半日くらいゴロゴロと部屋でのたうちまわってしまいますよ」

「やかましいっ、オレだってこんな中二病くせえ呪文使いたくねーよ! 『出でよ、()()()~~』×一〇〇!」


 メイド姿の少女の茶々に精神的ダメージを受けつつも、男は呪文を詠唱した。

 大広間の床に、光る複雑怪奇な紋様が描かれた。その直後、広間には一〇〇の人影が現れた。

 いずれも身長や体格、性別、年齢、服装などはさまざまだが、共通しているのは顔色が土気色だったり紫や緑色がかっていて、体のどこかか裂傷などでひどく損傷していて、おまけにひどい腐敗臭を放っていることだった。一部には裂けた腹から内臓が零れ落ちている者さえいた。

 ありていに言えば、それらは動く屍体(ゾンビ)であった。


「くさっ!? 臭えっ!」

「ほっ、ほひゅひんはあ(ご主人サマ)っ! はらら(だから)っ、はらら(だから)いっひゃは(言ったじゃ)ひゃいですか(ないですか)っ!? むいいぃぃぃっ!」

「て、転送!」


 涙目と鼻声で悶絶する少女が訴えるまでもなく、男は一〇〇体にも及ぶ臭気の元をあらかじめ予定していた階層へと転送した。同時に、換気の魔導具で広間の空気を入れ替えた。


「あ゛ーーー臭かった……」

「はぁ~~~……呼吸困難で死ぬかと思いました」


 次に、ゾンビを召喚しなければならないことがあったら、召喚する場所は考えようと男は心に誓った。


「ご主人サマ」

「なんだ?」

「さっきのゾンビ、一体だけ変なの混じってませんでした?」

「違うって、どういう風に?」

「なんか、真新しいっていうか、気配がちょっと他のと違ってたような。それに、服装がなんだかご主人サマがここに来たときに着てたのと似ていたかも……」

「なんだそりゃ?」


 この時は迷宮の防衛体制の整備に忙しかったため、男は特に気にすることなく流してしまった。


 男は知らなかった。男が使った召喚魔法は特定の異空間に接続して、そこに棲息する魔物を転送してくるものである。しかしごく稀に、まったく未知の異世界に接続してしまうことがあるのだ。

 普通は未知の異世界に接続したとしても、そこに都合よく目的の魔物がいる可能性はゼロに等しく、召喚は失敗となる。その場合、召喚術式の不備による失敗と区別がつかないため、こうしたイレギュラーなケースの存在は見落とされてきた。

 しかし、偶然、そこに条件に合致する魔物が存在していれば、それを召喚してしまうのだ。

 歴史上の名のある大魔導師たちでさえ、そういうケースがあることを知らなかったのだ。男が知らないのも無理はなかった。


 たまたま未知の異世界――地球――に接続し、たまたま条件に合う魔物――動く屍体(ゾンビ)――がタイミングよく発生していた。そういう偶然が重なった。


 かくして、C氏は、彼を死に至らしめた元凶である細菌とともに、この世界へと召喚されたのである。

 残念ながら、彼が願ったような転生ではなく、屍体のままの転移だったが。



 そして、物理法則の異なる世界に転移してきたことにより、細菌の性質には変化が起きていた。


> Entered(異世界に) different(進入) world(しました)

> Applied(スキルシステムを) Skill(適用)System(しました)


Race  Necro(ネクロ)coccus(球菌)

HP    1

MP    1 < up!

Skill

  Divide(分裂)

  Create(芽胞) spore(生成)

  Neurotoxin(神経毒) LV7 < up!

  Spray(飛沫) infection(感染) < new!

  Increase(分裂) prolife(速度)ration speed(上昇) LV5

  Heat() resistance(耐性) LV5

  Cold(冷凍) resistance(耐性) LV5

  Magic(魔力) resistance(耐性) LV1 < new!

  Anti()Immunity(免疫) LV MAX

  Reanimate(死細胞) dead cells(再作動) LV MAX

  Host(宿主) overdrive(過剰活性) LV8 < up!

  ……

  …



――Day 1


「ご主人サマ。昨日、一二層に配置したゾンビですが、やっぱり一体おかしいのがおりまして」

「え?」

「どうも、他のゾンビに噛み付いてまわってるようです。噛むだけですぐ離れるんで、ダメージはさほどないようですが」

「敵味方の区別がついてないのか?」

「わかりません。制御コマンドも利かないみたいで」

「……なんで?」

「さあ……」

「いったい何がしたいんだそいつは?」

「特殊性癖……?」



――Day 4


「ご主人サマ。例の侵入してきた高ランク冒険者パーティ、撤退した模様です」

「そうか。良かったーー。あんな強い連中に襲われたらどうにもならんかったわ」

「ただ、一点気になることがありまして」

「なんだ?」

「彼らが撤退したのは一二層でした」

「一二層っていうと、ゾンビを配置したフロアか?」

「はい」

「あんなにレベル高い連中が、たかだか一二層でゾンビ相手に不覚をとったのか?」

「そういうことのようですね。油断してたのか、前衛二人と後衛一人が噛まれて、そのときは高位聖職者(ハイプリースト)の〔治癒〕と〔解毒〕、〔浄化〕で治したものの、しだいに症状が悪化して撤退せざるを得なかったようです」

「魔力が足りなくて治療できなかった、じゃなく、高位聖職者の聖魔法が効果なかった?」

「そのようです」

「ゾンビの毒って、そこまで強かったか?」

「少々考えにくいかと」

「謎だ……」



――Day 7


「ご主人サマ、なんか一二層のゾンビが他のフロアに侵出しているんですが」

「え? 魔物は配置されたフロアに縛られてるはずじゃないの? なんで他の階層に行ってるんだ?」

「すべてのゾンビが制御コマンドを受け付けなくなってます。それでフロアの縛りも無視してるんじゃないですかね」

「なんでそんなことに。どこまで広がってる?」

「上は七層、下は一八層まで広がってますね。あ……」

「なんだ?」

「これらの階層に配置してあった他の魔物も、生命反応がありません。一五階層のボス、マンティコアも反応ありません」

「殺されてる、じゃなく、生命反応がない?」

「はい。心拍も脳波もすべて停止してます。にもかかわらず、活動を続けてます」

「なっ……ゾンビ化してるのか!?」

「そのようですね。無事なのはエレメンタルやゴーレムなど非生物系のみです」

「こっちのゾンビって、感染して増えるのか?」

「ゾンビの毒自体にはそんな効果はないはずです。もちろん、死んだ後に瘴気を大量に浴びれば普通にゾンビ化もありえますが、こんなに短期間で迅速にゾンビ化することはありえません。そもそもマンティコアまで殺せるような強い毒じゃないんですが」

「……」

「……」

「……ひょっとして、あのゾンビは別物なのか?」

「そういえば、最初に一体おかしいのがいましたね」

「まさかとは思うが、何かおかしな病原菌持ってないか調べてくれ」


 事ここに至って、男はようやく異変に気づいた。


 一般的に、この世界で知られるゾンビとは、魔力が変質して生じる瘴気が遺体に作用して動き出すものである。

 一方、地球でC氏を襲ったモノは、細菌による純粋な生化学反応によって活動していた。

 一見同じように見えて、その生態はまったく異なるのだ。

 ここでは、一方を瘴気(ミアズマ)型ゾンビ、もう一方は生化学(バイオケミカル)型ゾンビとしよう。


 生化学型ゾンビは人獣共通感染症であり、ほぼすべての脊椎動物が感染・発症しうる。これは、こちらの世界のヒトやその他の生物も例外ではなかった。遺伝子配列こそ違えど、構造的には非常に似通っていたのである。

 加えて、召喚時の変質によって、感染力や毒性などがさらに凶悪さを増していた。


 まず、C氏の遺体である生化学型ゾンビは、同じフロアにいた瘴気型ゾンビを襲った。同型以外はすべて攻撃対象となる。

 そして、瘴気型ゾンビは生物としては死亡しているものの、その肉体は人間そのままであるため、十分に感染可能だったのだ。

 増殖するのに生きた細胞を必要とするウィルスと違って、細菌は適切な水分と養分さえあれば自己増殖可能である。血流がないため繁殖域はなかなか広がりにくいが、それでも細菌たちは血管や神経系を辿って地道に増殖を続け、ついには体全体を支配する。その時に、迷宮からの制御からも外れる。

 そうやって、瘴気型ゾンビをすべて生化学型に転化して、一二層を制圧した。

 さらに他のフロアに進出して、そこにいた魔物たちを襲った。生きた魔物はこの細菌にとっては格好の獲物だった。そうやって各フロアを軒並みゾンビ化していったのだ。


 男は対策として、残ったポイントでゴーレムを数体召喚してみたものの、焼け石に水だった。



――Day 9


「ご主人サマ。王都が陥落した模様です」

「え゛!? 王都が!? なんで!? ナンデ!?」

「先日ここから撤退した冒険者パーティの負傷者が、ハリエスの街でゾンビ化、そこからパンデミックが発生し、王都にまで飛び火したようです。通常の対処法では効果がないため手の打ち様がなく、瞬く間に蔓延しました。すでに王都のみならず王国内のすべての都市と近隣諸国にまで感染は広まっています。一部は海を越えて暗黒大陸にまで広がってますね」


 迷宮を守るためには、侵入者である冒険者を殺さねばならない。そして、彼らを殺すことでダンジョンポイントが得られる。冒険者は敵であると同時に、糧でもあるのだ。


 また、男も霞を食べて生きてるわけではなく、普段は食料や日用品などはこっそり近隣の街であるハリエスから調達してきている。食料はダンジョンポイントで作り出すこともできるが、ポイントが増やせなければ先がない。

 人間社会に依存しているようなものだ。なしでは生きていけない。

 その社会が崩壊してしまったら。


「ど……」

「ど?」

「どーしてこーなった……」

「間接的には、ご主人サマが災厄を呼び込んじゃったから、ということになりますね」

「うぐっ」



――Day 12


 ガンッ……ガンッ…………ガァァンッッ……

 迷宮の奥底にある薄暗い大広間に、大音響が響いていた。上の階へとつながる通路に設けられた隔壁に、何か巨大なものがぶつかっている。

 隔壁の耐久とて無限ではない。突破されるのも時間の問題だと思われた。


「まさか、ラスボスとして配置してたドラゴンまでゾンビ化しちまうとは……。いくらなんでも、あのゾンビ、感染力強すぎねえ? 全力疾走してるのまでいるし。あれこそチートだろ」

「巻き添え食らって魔王軍も壊滅したようです」

「えー……。ウィルスだか細菌だかが『勇者』ってなんのジョークかよ……」

「どちらかというと、『真・魔王』って感じかも」

「あー、まあなあ……。全部、オレがミスったせいか……。クレア、ほんと、ごめん」

「恐らく偶然が重なった結果だとは思いますが、まあ、最後の最後まで駄目なご主人サマでしたね。でも、キライじゃないですよ」

「クレア……」

「……」

「……」

「さすがに私でも、貪り喰われてゾンビ化というのはお断りです」

「ああ、わかってる」


 男はメイド服の少女を抱きしめた。

 ドカンッという衝撃音とともに、ついに隔壁が破られた。C氏の遺体を先頭に、屍体たちが吐き気を催す臭気と共になだれこんできた。

 男は板切れに表示された『自爆』のボタンをタッチした。


【了】


まとめ

・トラックに轢かれて転移、ただし転生するとは限らない

・転移でチートをもらえるのは、人間ばかりとは限らない

・勇者が人間とは限らない


Day1以降は蛇足かなという気もしたのですが、なんとなく消すのも惜しい気がして入れてしまいました。


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