第7話
目的地に到着して、タクシーを下りる。場所は、駅前にあるホテルだ。ロビーへ入れば、紗菜の姿が見えた。
「紗菜!」
「あ、藍君!」
パタパタと駆けてくる紗菜。そして、後ろをゆっくりと歩いてくる夫婦がいた。紗菜の両親だ。藍は、二人に向かって頭を下げた。
「ご無沙汰をしています、凛花さん、昌宏さん」
「こちらこそ、久しぶりだね、藍君」
「ゆっくり挨拶をしたいのですが、まずは状況を話してもらえますか?」
挨拶は大事なことだが、今はそれ以上に大事なことがある。周りを見ても、関係者は片桐の者たちだけのようだった。
「紗菜、碧は?」
「碧ちゃんは、探しに出ていっちゃった」
「まぁ、だろうな……で、何があった?」
「うん。実は――」
「君と紗菜の婚約が内定したんだよ。如月さんの要望でね」
紗菜の言葉を遮って、昌宏が伝えてきた。そこにある如月という名前が、全てを物語っている。如月は、藍の亡くなった母方の祖父だ。とても厳しい人ではあるが、孫である藍や碧、光里のことは良く気にかけてくれていた。目の前にいる昌宏の父とは旧知の仲でもあった。そう、光里は藍のもう一人の妹なのだ。
「そうですか。それで、光里が?」
「認めないって、如月のお祖父様に怒って出ていっちゃって……直ぐに碧ちゃんが後を追ったんだけど」
「足だけは速いからな。わかった。昌宏さん、凛花さんもご迷惑をお掛けして申し訳ありません。後はこちらで収拾しますので」
これ以上は片桐家には関係のない話になる。身内でやるべきことだ。昌宏らも忙しい時間の合間を縫ってここにいるのだから。
「紗菜、連絡助かった。また後で連絡する」
「うん、わかった」
「じゃあ、俺はこれで。失礼します」
頭を下げて、藍はロビーを出る。直ぐにスマートフォンを取り出し、連絡先から選択する。
トゥルルル。呼び出し音の後、相手は直ぐに出た。
『兄様?』
「碧、今どこだ?」
『えっと……如月のお家』
「光里は?」
『え……もしかして、聞いたの?』
「聞いた。それで、光里は?」
『見つからないの』
予想に反して小さな声が返ってきた。もしかすると、既に一緒にいるかもしれないと期待したのだが、まだ逃げているらしい。
『どうしよう。お祖父様は放っておけって』
「意地を張ってるんだろう。碧はどこを探した?」
放っておけと言われて、そうすることなど出来るわけがない。
探し場所を碧から聞いた場所以外に絞る。碧が戻っているということは、恐らくは藍以外に探している者はもういないということだ。
「わかった。後は俺が探す。お前は心配しなくていい」
『う、ん……藍兄様、光里をお願い』
「あぁ」
通話を切る。光里は、中学生になったばかり。一人で遠くまで行くことはないだろう。家には帰っていないと断言できる。
藍は、思い付く場所に向かって走り出した。
公園や光里が通う中学校近くを回る。しかし、光里の姿はなかった。
「あとは……! まさかっ!」
藍は急いで駅前に戻った。既に辺りは暗くなり始めている。駅前でタクシーを拾い、学園へと戻った。門の前にいる筈の守衛が、外灯の下に屈んでいるのが見えた。藍もそこへ向かった。足音に気がついて、守衛がこちらへと振り替えると座り込んでいる少女の姿が見えた。
「君は、一ノ瀬君?」
「はい……その」
チラリと体育座りをしている少女を見れば、ゆっくりと顔を上げるところだった。目蓋は腫れて泣いたことがわかる。藍は屈んでいる肩に手を置いた。
「探した、光里」
「お、兄様……わ、わたし」
「何処にもいないと思ったら、こことはな。ったく、ほら立てるか?」
コクリと頷く光里に、手を差し伸べると力なく握り返してきた。泣き腫らした目は冷やさなければならないが、このままにしてはおけないのだ。
「お手間をかけました。ありがとうございます。すみませんが、中に妹を入れてもいいですか?」
「……」
学園内は関係者以外立ち入りを禁止している。だが、この顔のままの光里を放置することは出来ないし、早めに目を冷やさなければ明日以降に響く。
守衛は、直ぐに中へ連絡を取ってくれた。短い会話を済ませると、藍へ向き直る。
「許可は出た。この時間帯だからということだ。明日はちゃんと帰るように」
「ありがとうございます」
要するに今日は泊めてもよいということだ。頭を下げて礼を言うと、光里の手を引いて門の中へと入った。
「あ、えっと、お兄様」
「もう遅い。今日は俺のところに泊まれ。明日、送っていくから」
「わたし……」
「話は後で聞く」
「は、い」
戸惑っている光里を半ば強引に近い形で引っ張った。学園内に入ると、寮へと直行する。運が良かったのか、誰にも会わずに自室へと戻ることができた。
鍵を閉めて、光里を部屋へと招く。個室であることを今ほど感謝したことはない。
「座ってろ」
「……はい」
直ぐにタオルを用意して、冷水に浸す。滴が落ちない程度に絞ると、少し水気を含んだタオルを光里へ手渡した。
「まずは冷やせ」
「ありがとう、ございます」
素直にタオルを目に当てているのを見て、藍は漸く安堵した。取り敢えず、連絡するのが先だろう。
スマートフォンを取り出し、実家へ連絡を入れる。
「ということだ。明日には、送っていく」
『かしこまりました。あの』
「あの人たちには知らせなくても構わない。それじゃ頼んだ」
『承知しました』
簡単に事情を説明して、今日は藍のところで預かる旨を伝えた。碧もいないので、何も把握してなかったようだった。取り敢えずは、藍と共にいるということで安心しただろう。次は、碧だ。
『兄様っ光里は?』
「落ち着け。ここにいる」
『そ、そっか。良かった。どこにいたの?』
「学園前」
『へ?』
随分と間抜けな声が出ていた。碧にとっては予想外なのだろう。
「門の前で座り込んでいるのを見つけたんだ」
『全くもう。確かにその可能性はあったね。うん、納得。なら、今日は泊めてもらえるの?』
「あぁ。明日には帰す」
『わかった。私も明日帰る』
「頼む。じゃあな」
これでまずはいいだろう。紗菜にも後で連絡をするが、先ずは簡単にメールで報告をしておく。光里がいる前では電話をしない方がいいだろうから。
報告を終えると、光里はじっと藍を見ていた。
「光里?」
「ごめん、なさい。わたし、迷惑をかけてしまいました」
「わかってるならいい。ちゃんと碧にも謝れよ」
「はい……」
「俺は少し出てくる。大人しく待っていろ」
俯く光里。反省はしているのだろう。
話を聞くのは本人が落ち着いてからにして、藍は部屋を出る。あの調子なら夕食は食べていないはずだ。藍も同じ。あまり誉められたことではないが、この際仕方ないとして食堂で簡単な物を用意してもらった方がいい。光里を食堂へ連れていくわけにはいかないのだから。
安心と疲れからか、扉を閉めると藍はため息をついた。