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プロローグ

作中で使っておいてなんですが、拡張型心筋症について作者は詳しくありません。こんな年齢の子が罹るのか、症状は本当にこれで正しいのか、病院の対応はこれでいいのかなど、わからない点が多々あります。間違っている箇所のご指摘、「こんな描写にしたいならこの病気の方がいいんじゃない?」などのご意見は大歓迎です。感想や作者宛のメッセージなどいただければ、全て拝見し参考にさせていただきます。お詳しい方はぜひご連絡ください。

また、前述の理由により、読まれる際は作中の「拡張型心筋症」を、「作中のような症状が出る、原因不明で治療法のない、患者が短期間で死に至る病気」とだけ解釈していただければ、誤解なく読んでいただけるかと思います。

長文失礼いたしました。それでは本編をどうぞ。

 ◆笠間秀司(かさましゅうじ)視点◆


 ――地元から逃げ出して、約八年。


 思い出したくないことがあるからと、地元に帰ることを拒否し続けて、八年だ。


 その日々は、両親の懇願により変えられることとなる。年末年始の長期休暇を使って、俺は帰省することになった。


 ――地元から逃げた理由、思い出したくないこととは、〝あの子〟のこと。


 物心ついた時から付き合いがあり、遂には恋人にもなった、幼なじみの女の子のこと。


 ――地元へ向かう、片道何時間という長ったらしい電車の中。暇な時間故に、一度考え始めてしまったことは止まらない。


 〝あの子〟が元気だった頃。まだ付き合っていなかった時代や、告白した時の泣き笑いの表情。付き合ってから見られるようになった照れ顔や、スキンシップをねだってくるいたずらっぽい顔……。


 ……そして、〝あの子〟が病気になり、死ぬまでの数週間の、無理をして取り繕った笑顔やクシャクシャに歪んだ泣き顔。


 ――俺は在りし日の〝あの子〟について、思い出を回想する。


 ◇


「――――!」


 その声は、物心ついた時から傍にあった。


「――――! ――――!」


 彼女は、いつも俺を守ってくれた。


「――――! ――、――――!」


 彼女は、いつも俺を引っ張っていってくれた。


「――――?」


 雪の結晶を模した青い髪飾りを額に着けた、流れるような黒髪の少女、安藤(あんどう) 優希姫(ゆきひめ)。姫ちゃん、シュウちゃんと、お互いに呼び合っていた。


「――――! ――――!」


 そんな、いつもの日々。引っ込み思案で臆病だった俺と、そんな俺を引っ張る姫ちゃんとの、変わらない日々が変わったのは。――変えようと思い立ったのは、小学校の卒業式の日。


「ずっと、姫ちゃんのことが好きでした、今も好きです。僕と、恋人になってください……!」

「………――、――――」


 勇気を振り絞った当時の俺の告白に、感激の涙と共に照れ隠しをして、姫ちゃんは頷いてくれた。


 中学校に進学して、ずっと昔から好きだった女の子が恋人になってくれて……そんな幸せな生活は、一年も続かなかった。


 ――あの日のことは、よく覚えている。


 中学一年生の冬休み。新年を迎え、あともう数日で学校が再開するという、そんな日。


「――ッ、ぜッ、は……ッ、あ……!」

「!? 姫ちゃん!?」


 突然、姫ちゃんが倒れたのだ。


 荒い呼吸をして、身動きが取れないほど苦しそうに顔を歪め、心臓の辺りを抑えながら。


 ――救急車に乗せられて辿り着いた病院で聞かされたのは、末期の特発性拡張型心筋症、という言葉。


 それから、姫ちゃんに残された時間のこと。


 余命はあともう数ヶ月。早ければ数日。そして、現代であればともかく、当時の医療には心臓移植以外の治療法はない。そしてドナーは見つかっておらず、見つかるまで姫ちゃんが生きていられるかはわからない。


「――え……?」


 それを聞いた時の俺は、なんとも間抜けな顔だっただろう。なにせ、つい先ほどまで元気だった恋人が、あと少ししか生きられないと言われたのだから。


 医者に恥も外聞も捨てて頼み込んだ。どうにかなる手立てはないのかと、どうにかしてほしいと。


 ――どうにもならないと納得するのに、何日もかかってしまった。


「……姫ちゃん……」

「――――?」


 俺が悩む間、姫ちゃんは病室のベッドの上だった。彼女も余命のことは聞かされていたらしく、姫ちゃんこそ取り乱すべきだったのに。……残り少ない時間を恋人とすごさせてほしい、と、わがままを言う権利があったのに。


 自分のことで手一杯だった俺を責めることもせず、姫ちゃんはその時病室を訪れた俺を見て、自分を棚に上げて心配そうな顔になったのだ。


「――、――――。――――……」


 いつも通り明るくできるよう、姫ちゃんが強がってくれたのを覚えている。俺のことを、なんとか励まそうとしてくれたのだと。


 しかし、姫ちゃんだって参っていたのだ。そんな強がりは長くは続かず、やがて姫ちゃんは涙腺を崩壊させた。


「――……! ――――!」


 姫ちゃんの目がみるみる潤んで、いてもたってもいられなくなった俺は彼女に駆け寄って、抱きしめ合って。


 ――そのあとしばらく、二人揃って泣いた。


「……――――」


 姫ちゃんは俺の腕の中に抱かれ、俺の服を涙で濡らしながら、ポツリと不安を口にした。


 消え入りそうな声で、悲しみのせいで胸が苦しいのだと、そう言われたのだ。


 その時の俺は、すぐにでもなんとかしてあげなくてはと焦り。自分はなにを言えばいいのかを必死に考えて、口から出任せの酷い言葉を言った。


 不安で苦しいのなら、とびきり嬉しいことを考えればいいのだと。


 ――俺は言った。


「――姫ちゃん、結婚しよう?」


 とびきり嬉しいこととは、恋人である俺との生涯の誓い。言ったその時は、俺の意図が理解できない姫ちゃんに困惑されてしまったが。俺が想いを説明すると、納得してくれた。


 ――姫ちゃんのことは、物心ついてからそれまでの間、ずっとずっと好きだったのだから。その年月は10年を軽く超えていて、であるならば、その先の生の中でも変わりはしないだろうから、と。


 大人になっても……姫ちゃんが死んでしまった後でも、絶対に変わることはないから、と。


 君が好きで、これからも変わらず好きでいられるから、だから結婚しよう――なんて。


 法的なものも、書類もない口約束だけれど……俺がこれまで、一度も違えたことのない誓いだった。


「――……――――……!」


 姫ちゃんは俺の思いを聞き届け、嬉しさと申し訳なさを発散するように、ごまかすように、俺に抱きついて何度も首を縦に振ったのだった。


 ◇


 ――激しい運動は厳禁。病院の敷地から出るのもダメ。少しでも辛くなったらすぐに戻ってくること。


 そんな条件を飲み、姫ちゃんは病室の外に出かけられることになった。


「――――! ――――!」


 姫ちゃんは、病院の敷地から見える海を眺めながら、とびきりの笑顔で言った。


 たしか、「今が幸せだ」とか、そんな風な言葉を。


 ……だから、その時の俺も同じ言葉を返したのだ。


 「大好きなお嫁さんと一緒にいられるんだから、僕も幸せ」などと。


 ――下手な、嘘だった。


 俺の返事を受け取って、姫ちゃんは照れ臭そうに笑ってくれた。今が幸せなのだと、自身の現状から目を背けて強がって、姫ちゃんも嘘をついていた。


 ……俺と一緒にいられることが幸せだと言うのなら、それから先もずっと一緒にいたいと思ったはずなのに。


 姫ちゃんはその時からきっと、泣き叫んで駄々を捏ねたいほど、なによりも未来を望んでいたはずなのに。


 それをわかっていながら、その時の俺は、姫ちゃんに辛い思いをさせていた。


 ――冬休みが終わっても、顧問の先生に無理を言って部活動を欠席し続け、姫ちゃんの下に通った。


 その頃になると、姫ちゃんが幸せだと笑う顔に明らかな無理が見え始めていて……それに気づいていながら、俺はなにもできなかった。


 その頃の姫ちゃんはベッドに横たわっていることが多くなり、病室の外へ出かける回数が減ってきていたのを覚えている。


 ――それが己の死期を悟った者の行動だったと、どうしてわからなかったのか。


 ……忘れもしない、最期の日のこと。


「――――」


 病室に訪れた俺を見て、ニコリと微笑む姫ちゃんの表情が、酷く危うげなものに見えたから。


 その時の俺は、いてもたってもいられなくなった。


 「どうしたの?」と、姫ちゃんに尋ねた。


 姫ちゃんは黙り込む。俺がベッドに近づくと、ようやく姫ちゃんはポツポツと話し始める。


 ――「シュウちゃんは、私がいなくても元気でいられるのかな」。


 ――「前みたいな笑顔でいられるのかな」。


 ――「泣き虫シュウちゃんに戻ったりしないかな」。


 ――「シュウちゃんは、私がいなくても……」


 姫ちゃんが、恐らく病気が発覚してからずっと抱えてきたであろう、不安の発露だった。枕詞にはどれも「私がいなくても」がつき、自身が死んだ後の俺のことを心配してくれた。


 そして、俺が姫ちゃんへ告白した時の言葉を、同じように姫ちゃんも返してくれた。


 「私も、シュウちゃんが好きだった。今も、これからも。死ぬまで、ずっと好き」、と。


 ……そこまで言うと、耐えきれなくなった姫ちゃんは遂に泣き始めた。俺の傍にいたい、死にたくない、なんて、思いを撒き散らすように喚きながら。


 当時の俺も同じように思っていたから、俺もそう思ってると返して。姫ちゃんを抱きしめて、その時もまたしばらく、二人揃って泣いた。


 ――そして、この約束だけはハッキリと覚えている。


 故人の思い出は、まず声から忘れていくらしい。実際今の俺は、姫ちゃんの声はあまり思い出せない。


 しかしこの時の姫ちゃんの言葉だけは、脳裏に焼き付いたかのように、消えることはない。


「……シュウ、ちゃん」


 姫ちゃんは、消え入りそうな声で言った。


 彼女が思った、最期の願いを。


「……約束、しよう……?」


 ――それから先の俺が、生涯抱え続けることになる、命よりも大切な約束を。


「ぜったい……ぜったい、また会いに、来るから……」


 ――ずっとずっと俺が忘れずにいる、今だって抱えている約束を。


「……生まれ、変わったら……今度もまた、お嫁さんにしてね……?」


 考えるまでもなく、俺が答える言葉は、もうとっくに決まっていた。


「……うん、もちろん。姫ちゃんは、生まれ変わっても……僕の、お嫁さんだから」

「……あり、がと……」


 姫ちゃんは、泣きそうな顔でお礼を言って……それから、消え入りそうな声で、「……ごめんね」とも言った。


 ――その日は、面会時間の終了ギリギリまで病室に居座った。


「――――……」


 姫ちゃんの傍から離れたくなかった俺が帰りたくないと主張すると、姫ちゃんに窘められた。


 姫ちゃんだって離れたくはなかっただろうに、彼女だって縋りつきたかっただろうに。


 「また明日来るから」と苦し紛れにそう言った俺に相槌をうって、姫ちゃんは最期に、こんな言葉を遺した。


「……さよなら、シュウちゃん」


 ……姫ちゃんはきっと、わかっていたのだろう。その日が自分の人生で最後の日だと、自分のことなのだから。


 だから、「さよなら」なんて言葉を選んだのだ。


 ――まるで、自分の人生全てに、別れを告げるように。


 ◇


 ――高校卒業と共に、地元から電車で何時間と離れた場所の大学に進学して。


 そのままその近辺の企業に務めたのは……〝あの子〟のことを思い出したくないから、と、最初に考えた通りだ。


『次は――駅。――駅です』


 ……そうこうしていれば、随分時間が経っていたようだ。長い電車旅もひと段落、ここからは乗り換えに気を使うこともなく、なにも考えずに駅から出て見知った道を行けばいい。


 ――帰省ラッシュだったりするのだろうか。人混みと言っても差し支えないほどの人口密度。その中を抜けて駅を出て、なんとなく様変わりしたように見える故郷を拝む。


「……変わったな」


 それはそうだ、と俺は心の中で述懐した。なにせ八年前に高校卒業と同時に飛び出し、それきり帰らなくなった地元である。変わりもするだろう。


 親が迎えに来る、というのは断っていた。一緒に帰省する同郷の者も――一応いるがここには――いない。なので一人寂しく、記憶を辿りながら実家への道を行く。


「……こんなに遠かったっけ……」


 道中、ポツリと呟いた俺。26歳、まだまだ老いというものとは縁遠いが、学生時代と比べれば体力が落ちたのも事実。仕事に追われるばかりで、運動不足なのも祟っているだろう。


 それを痛感しながら、全三十分程度の道のりはそれから十分ほど続いて……やがて、見慣れた風景を見かけることが多くなってきた。


「…………」


 ……あそこは、老夫婦が営んでいる個人営業のたい焼き屋さん。大判焼きなんかも美味しくて、〝あの子〟共々小さい頃からよくお世話になった。今も営業しているらしい。


「…………」


 ……あそこは、小学校の合唱コンクールなんかで使ったことのある文化センター。〝あの子〟は歌が上手くて、恥ずかしがり屋で声が小さかった俺はよく怒られた。今でも近隣の学校が行事で使っていたりするのだろうか。


「…………」


 ……あそこは、俺も〝あの子〟も通っていた保育園。ここの曲がり角を進むと小さな神社があって、そこにもよくお世話になった。初詣はあそこに挨拶をしに行かなくては。


「………っ」


 ……あそこは、それからあそこも――なんて。


 地元にいると、湯水のように溢れてくる思い出。〝あの子〟がいた時間は俺の人生のちょうど半分だというのに、もう半分よりもそちらをよく思い出すのだ。


 ……これだから、帰ってきたくはなかった。


 ――なんとかして、実家にまで辿り着く。俺が子供の頃は新築のように綺麗だったそこだが、今はなんとなく寂れているような気もした。


「……懐かしいな」


 ポツリと呟く。実家はまだ〝あの子〟が亡くなってからすごした日々の印象が強く、なにかを思い出すこともない。


 ならばと思って帰省したのだが、実家に限ればそれは正解だったらしい。


「……インターホン、かな……?」


 と、俺は玄関先で変なことに思い悩む。実家の合鍵は大学進学の際に向こうへ持って行っていたのだが、生憎使わない生活が長すぎたせいで見事に紛失した。


 故に実家の鍵は、中から開けてもらうか、今現在鍵が開いていることを期待するかの二択。その前者としてインターホンを選択しようとしたが、自分の実家でインターホンを鳴らすというのも間抜けな話である。


 さてどうするか……、なんてどうでもいいことに思考をめぐらせていたのは、俺に降りかかった小さな奇跡だったのだろう。


 ――それが聞こえたのは、背後から。


「……シュウ、ちゃん?」


 実家の玄関扉の前に立つ俺から見て、塀の向こう側から。


「――ッ!?」


 忘れもしない。


 その呼び方は、そしてその声は、紛れもなく〝あの子〟のものだ。


「――姫ちゃんっ?」


 俺は振り返る。


 そこにいたのは、在りし日の〝あの子〟――安藤優希姫という少女に、瓜二つの少女だった。


「っ! そうっ、そうだよ! わたし! やっぱりシュウちゃんだっ!!」


 一気に声量とテンションを上げ、喜色満点の態度で喜びを露わにする少女。


 「そうだよ、わたし」……。


 「やっぱりシュウちゃんだ」……?


 ……ということは、この少女は……本当の本当に、姫ちゃんなのか……?


 ――ガチャッ!


 俺の思考を遮ったのは、眼前の少女が家の門を開けて敷地の中に入ってきた音であり。


「――シュウちゃんっ! 会いたかったよ!!」


 少女が俺に、飛びかかるようにして勢いよく抱きついてきたことであった。


 ――ここまでが、俺、シュウちゃんこと笠間秀司の送った、長い長い前日譚の話。


 端々を彩る親友や、俺と同じように上京した昔馴染みもいたりするが、要約すれば――幼なじみの少女とできもしない将来を誓い合い、しかしてそれを叶えた、と。そんな感じ。


 ……人の幸福と不幸は、必ず釣り合うようにできているらしい。


 望まない死を遂げた姫ちゃんは、同じだけの奇跡を以て報われたのだと……そう考えたとしても、いいだろう。


 今は――今だけは、この少女が姫ちゃんなのだと……そう、夢を抱いたって、いいだろう。


 狂おしいほどに求めた温もりが、この腕の中にあるのだから。


 ――どうか、今だけは。

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