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吐出口  作者: 鈴木
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空気を読めない

 SNSのコメントでよく見かける共感言葉、「分かる」「一緒」「知ってる」「私も経験ある」「私も持ってる」「私の子(親きょうだいペット)も同じ」エトセトラエトセトラ。

 これらに類する言葉を、私は中学生の時に一度だけ、同級生に向けて言ったことがあった。

 それに対する相手からの応えは、


「誰もてめえのことなんか聞いてねえよ」


 実に憎々しげに言われた。

 時と場所と相手を選ばない、最悪の言葉だったわけだ。

 空気を読まない、読めない人間は、読める人間の格好の侮蔑対象だが、私は正にその読めない人間だった。

 他の同級生が受け入れられているのを見て、自分もその流れに乗れると思い上がったのだろう、同じ言葉でも言う人間が違うだけで相手の受け取り方が真逆になることもあり得るのだと、当時の私はまるで分かっていなかった。

 これを言うと(空気を読めない駄目人間が)被害者面するなと面罵されそうだが、この「誰もてめえのことなんか聞いてねえよ」は結構なトラウマになったようで、当時は元より未だに多少ながら引きずっている。


 そうして数年ののち――高校を卒業した年だったか、母親から思いがけない話をされた。上記の言葉を投げつけてくれた同級生が死亡した、と。

 交差点でのバイク事故だったという。母親はその同級生の母親とそれなりに親交があったらしく、当人から聞いたというのでデマではなかったと思う。

 この話を聞いた時、良い子ぶるわけではないが、ざまぁ、とは思わなかった。ただ、皮肉な話だ、と苦々しくなっただけだ。

 この少し前に私は事故で死にかけた。

 中学時代、社交的で存在感がありクラスの中心にいた、周囲に "必要とされていた" 同級生が事故に遭って助からず、事故に遭ったことを告知されてもクラスメイトに「誰それ」と笑いながら言われてしまうくらい存在感皆無で誰にも必要とされていなかった私が生き延びた。

 これが皮肉でなくて何なのか。

 同級生が死んだからといって、植え付けられたトラウマが解消することはなかった。何十年も経った今でも言いっ放しにされた言葉は(しこ)りとなって残っており、いつも欝々としているわけではなくとも、思い出せば自傷になる。







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