色んな初めて
「そうだな、まずはお互い自己紹介から始めようか。あの時はなんやかんやで互いの素性も分からずに行動していたからな」
天がコクリと頷くとネルが「では私から自己紹介をしよう」と言い最初に自身の名を告げた。
「私の名前はネル=ロージュ。身なりからしてある程度分かると思うがジョブは騎士だ。身分は……そうだな、数ある騎士の中で一番偉いと言えば伝わるか?騎士長だ」
ネルの自己紹介が終わると次に天も自己紹介を始めた。
「えっと、僕の名前は東雲 天です。ジョブとか分からないけどただの一般人です……。その、呪われてるとか……』
「ま、こんなもんだろ。私のことは好きなように呼ぶといいさ。その代わりに私もお前のことは好きなように呼ぶから」
「じゃあネルさんで……」
その言葉に束の間の静寂ができる。天はもしかして何かまた爆弾発言した? え、違うよね? と心の中で冷や汗をかいていたのだが。
「……あー、いや、別にビクビクしなくていいぞ。ちょっと面食らっただけだから。というかそんなに一々怯えるなって、もう危害を加える気はさらさらないんだから」
「いや、素です」
「素かよ。どんだけ怖がりなんだよ」
天はあはは、と苦笑する。ネルは呆れたようにため息をつくと何かを思い出したかのように話題を変える。
それはこの世界においての常識についてである。天は呪い、ステータスなど一部の言葉を知っているようだが何やら知識が変に偏っており少しズレているのだ。ネルは呪いの事を何かの状態異常か何かと問いかけられたのは初めてで、かなり衝撃を受けたものだ。
そのためある程度の一般常識を天に教えるネル。理解するのに時間がかかるものかと思ったがあっという間に知識を吸収していく天にネルは少し感心した。
そして何も分からないくせしてどうして理解だけは早いのか、と呆れたように言うと天はラノベとかゲームのお陰ですよ、とか言い始めるのでネルは少し混乱する。
それに気づいたようで天は冒険譚みたいなものをよく読んでいたのでそこら辺の理解力が早いのかもしれない、と説明した。それに一応納得したネルは次に天が知っている情報の提供を求めた。記憶がなくともどこに住んでいるか、どういう生活を送ってきたのか、そしてそちらの常識はどうなっているのか、など多数の質問をした。
記憶喪失だったとはいえ無くなっているのは森にいた前後の記憶であり、地名までは覚えていなかったがそれでも質問には覚えている範囲でネルに語ってくれた。詳しく話を聞いているうちにネルは何度目かの衝撃を受けた。
タカシのいたニホンなる国は何年も戦争がない平和な国だという。そして剣、槍、鎧などはほとんどが物語だけに出てくるようなものであり、武器はジュウとかいう飛び道具らしい。
そして何より恐ろしいのが移動手段に馬車ではなく車という機械に乗っているらしく、道路なども整備されており今となっては荒野などほとんど存在しないらしい。
そして海に囲まれた島国であるというのになんとそこで土地が分割されており47もの土地が存在するという。土地ではなく県と呼ぶところがなんだかちょっとした近未来感がある。
ニホンの特徴としてアイティーなるものが凄いらしい。日々進化を遂げておりなんと驚くべき事に小さな端末1つで誰とでも時間、場所を問わずにリアルタイムで連絡が取れるらしい。しかも文字だけの会話も出来るらしくどれだけニホンという国が進んでいるのかが伺えるというものだ。
「……なんというか驚きすぎてなんて反応を取ればいいのか戸惑うよ」
「そ、そんなにですか」
「ニホン、ニホンか……。ううむ、そんな先進的な国が存在したとは……もはや機械都市じゃないか」
「あながち間違いじゃないですね。少しずつ仕事が機械化してきてるせいで人のやる仕事が少なくなってきてる、というのも少し危惧されてますからね」
教育も進んでいる、他国との付き合いも良い、なんだか理想郷なのでは? と思ってしまうほど素晴らしい国だとネルは思う。だが話を聞いているうちにとある疑問が浮かんだ。
「なぁ、もしかしてそっちの世界にはモンスターがいないのか?」
「それってあれですか? 竜とかゴブリンとかの……」
「そうだ、言い方を変えれば人外の存在の事だな」
「生物自体は普通にいるんですよ、けどスライムとかそういうモンスターはこっちでは空想上の生き物とされてるんですが……」
「空想上……。ああ、ようやくタカシの言ってた意味が分かったよ」
天は頭にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げる。
「異世界だのなんだのって言ってただろ。つまりタカシのいた場所ではモンスターが存在しているここの存在を知らなかったというより、元から存在していなかった、だろ?」
「……はい、騎士という呼び名はもう物語や歴史の本でしか見ることもありませんし、今や戦闘職といえば誰もがすぐに答えられるものは大体自衛隊とかですね。魔法なんてものは存在しないし、モンスターなんてのは空想上の物語でしか出てきません」
「ふふっ、こりゃ驚いた。別世界の人間か……」
「……ネルさん?」
初めて聞いたネルの純粋な笑い声に天は何か嬉しい事でもあったのかな? と思いながら名前を呼んでみるがネルは反応せずガシャリと音を立てながら寝そべる。そしてボソリと、
「今向かっているのは私の家な「
「へ?」
「お休みなさい」
「え、ちょ! 寝る前に説明くださいよ!」
しかし返ってきたのは規則的な呼吸音、つまり寝息だ。諦めたように天はため息をつくと着くまでまだしばらく時間があるので外の景色でも眺めてようと思い布をめくってしばらくその景色を楽しんだ。
———途中で酔って吐いた。
◇◆◇◆◇
「もう馬車に乗りたくない……」
目的地の一歩手前で天は地面に膝をついて崩れていた。どうしてこの様な状態になったかというと、馬車の揺れで車酔いになってしまったからだ。
「途中から胃液しか出てなかったな……。本気で心配なんだが」
「うう……。口の中を洗浄したい……」
御者は困ったようにネルへ不安そうな顔を向ける。待っててもいいけどその子大丈夫? と心配そうな気持ちがヒシヒシと伝わってくる。ネルは困ったような表情を浮かべるが兜で覆われている顔は誰にも見られる事はない。
「んー、ここら辺でいいよ。ここからなら【スリディナ王国】も近いだろうから歩いていける「
「へぇ……。それではよろしいので?」
「おう、お疲れさん」
御者はペコリと頭を下げると馬車を発車させすぐに遠ざかっていく。ネルは天の背中をさすりながら水の入った使い捨ての容器を腰に巻きつけた袋から取り出して渡す。
「ほら、これでうがいとかしとけ」
「ありがとうございます……」
顔面蒼白の天はその水を口に含んでグジュグジュッ、ペッと吐き捨てる。それを何度か繰り返し最後にうがいをして丁度水を全部使い切った。
「落ち着いたか?」
「まだ少し気持ち悪いですけどなんとか……」
「なら大丈夫だな。ここから目的地が近いからそれまで歩くけど我慢しろよ?」
「だ、大丈夫です!」
そう言ってしばらく平坦な代わり映えしない荒野を歩くこと10分、大きな壁が薄っすらと見えてきた。天はその壁の大きさと見た目の頑丈さから王国だ! と興奮している。
「門番がいるからちゃんと髪を隠しておけよ。見つかったらめんどくさい事になるから」
「あ、はい。気をつけます」
天は何故そんなに自分の髪を隠す必要があるのか疑問に思ったが口には出さないでいた。理由はあるのだろう、そしてその理由についてはある程度予測はついていた。
天はここに来てから誰一人として自分と同じ黒髪を見かけていない。皆カラフルな髪の色をしておりそれが自然に似合っているのだから「ああ、異世界の住人はやっぱり髪の色とかカラフルなんだな」と激しく心中で頷いていた。
話が逸れてしまったがつまるところ自分の髪の色が黒という点が問題ではないのか、と天は推測を立てていた。
理由は分からないが確かに今ここでそんな理由で捕まったら何をされるか分からない。知識の中にある異世界での禁忌は場所によっては死刑ものだってある。それを知っているからこそ天は言われた通り必至に隠す。
何より信頼のできる人に言われているのだから疑う余地などない。
あの場で天に忠告をして助けてくれたのがネルだったから、というのが理由だ。そんな理由ではただのチョロイ人、みたいな意見が出てくるかもしれないがそれは仕方のない事かもしれない。
思うだけなら簡単だ、だが実際見知らぬ土地に飛ばされ、頼れる人もいない、そして何が起きるか分からないそんな状態で普通にいられる方がおかしいのだ。
人にとっての最大の恐怖は「未知」だ。分からない事は恐怖となりやがで精神を蝕んでいく。だからこそ人は分からないものを自分の常識に当てはめて精神の安定を図る防衛機構があるのだ。
天は遠くに人影がある事に気付きそれを注意深く観察する。
「おおー、想像通りの恰好。槍も持ってる」
「無駄に予算ケチってるからな」
「……なるほど??」
「絶対分かってないだろ」
門番がネルの甲冑姿を視認すると顔を強張らせたがネルが手を振るとホッとしたように安堵していた。どうやら兵士か何かと思ったようだ。ようやく門の近くまで来ると門番が頭を下げる。
「お疲れ様ですロージュ様。門を開けますのでどうぞお通りください」
返事を返す事なくそのまま門を通るネル。その背中を追うように天も付いて行こうとしたのだが槍に阻まれた。
「そこのお前は何者だ。不振な者は通す訳にはいかん」
「私の連れだよ。いいからさっさと通せ馬鹿」
「……これは失礼しました。ご無礼をお許しください」
「い、いえ! お仕事お疲れ様です!」
天は門番のジッとした視線を必死に流しつつ門をくぐると街並みを見て思わず足を止めてしまった。初めて見る城下町に目を奪われてしまったのだ。幻想なんかじゃない、現実にある建物の造形の美しさに天は心を打たれていた。
ただの城下町なのだろう、けれど異世界から来た天はその城下町をただの城下町として見る事は出来なかった。
奥に大きく構えられた城、白と青を基調としたそのカラーリングは見る者に慎ましさと爽やかな印象を与える。壁で囲まれていたこの街でもう一つの壁、それが城を守らんとする城壁だ。壁の上に黒光りする丸いシルエットが等間隔に並んでいる。
そして城に劣らず街も壮観だ。【ゴルセット】とは違いほとんどが煙突のあるありふれた家で、形もまばら、一致する点は煙突以外ほとんど見つからない。けれどその全ての家の形や色がまばらだというのにお互いを邪魔する事なく建っているのだ。
【スリディナ王国】の壮観な風景を作り出しているのは城だけではなく街もあってこそなのだ。統一性がない建築物が見事に調和が取れているのだ。誰だってこの景色を見れば目を奪われてしまうだろう。
「……すっごいですね」
「ふふ、お前も私が初めてこの街を見た時と同じ顔をしてるぞ。綺麗だよな、所狭しと建物が並んでるのにそれが見事に調和してるんだ」
「ええ、日本じゃ見られない景色ですよ……」
ネルは天の頭に手をポンと置く。
「また見れるさ。さ、行くぞ」
「はい!」
甲冑の擦れる音を鳴らしながら歩くその背中を天は見つめながら付いていく。高まる興奮に天は心を踊らせる。
まだ不安だけれど、初めて見る景色、初めて得る知識、そして色んな初めてを導き教えてくれたネル、それが何よりも楽しくてしょうがないのだ。
だから予測出来なかった。この後に控えていた恐るべき事実に。