殺さない
砂漠に出来たクレーターの中央にネルはいた。血化粧により、体を赤く染めていたが、本人は相変わらず気にする事なく普通に振る舞っている。
だが、その表情は怒りに歪んでいた。今にも周囲に当たり散らすのではないか、そんな危ない雰囲気さえ醸し出していた。
それを、エリスはひしひしと感じていたからこそ震えていた。
「じゃあなんだ、タカシはその乱入してきた魔法使いに拐われたってか?」
「た、多分なのです……」
「チッ、ふざけた語尾しやがって」
「ひっ!」
ネルがギロリと睨むと蛇に睨まれたカエルのようにエリスは動けなくなっていた。ネルがそのすくんだ邪魔者に再度罵倒を吐こうとした時、脳内に声が響く。
『これこれ、論点がずれておるぞ』
「うるせぇなぁ。そもそもテメェは何で気付かなかったんだよ」
「……?」
突然誰かに向けて喋り始めたネルに疑問を覚えたが、相手が怖いのでエリスは口を挟めずただ口を一文字に結んでこの恐ろしい空気に耐えるだけであった。
そんなエリスの心情は知った事ではなく、ネルは更にイラついたように口を開く。
「何の為にテメェがいると思ってんだ? あぁ?」
『言い訳をするのであれば、そこな娘が結界を張っていた為こちらでは感知出来なかったんじゃよ』
「……やっぱこいつも一枚噛んでんじゃねぇかよ」
殺気を醸し出してきたネルにエリスはもはや死を覚悟し始める。会話の流れは分からないがどうやら自分が何かをやらかしてしまったのだけは分かった。
つまり、責任を取らされる為に今から殺されるのだ。その考えに至った時、心臓が早鐘のように打ち始める。
呼吸が覚束なくなり、焦点が定まらなくなる。このまま気を失ってしまうのではないか、そうエリスが心のどこかで思ったその時だった。
ネルがエリスの気付けともなる言葉を吐いた。
「……殺しやしねぇよ。だからまずは喋れる事全て話せ」
「……ぇ」
予想外の言葉だった。いや、そんな事を考える事すら出来なかった。だってそういう存在だから、そういう存在だと知らされていたから。
鬼が怖いものだと、実態は知らないがそう誰もが思うように、赤髪とはそういう都市伝説として———御伽噺の存在として浸透していた。
だから戸惑う。何か裏があるんじゃないかと疑う。いくら口で語ろうと、行動で示そうと、どうしても信用出来ない。
だからまず違和感。そして次に一縷の望みを提示された希望による期待。両方の感情がごちゃ混ぜになってしまったエリスはネルの顔を見つめる。
「んな顔したって取って食いやしねぇって」
「……本当に、なのです?」
『そこは私が保証します』
そう答えを返したのはヒスイだった。だが姿は見えない、どこから聞こえたのか周りを見渡すがやはりネルしかいない。
そして隣には眠っているミリアだけだ。この三人しかいない。なのに、声はやはりどこからか聞こえてくる。
『あっ、申し訳ありません。私は今ネル殿の影に潜ませてもらっていまして……』
「その声……その喋り方は……」
エリスの記憶が脳内でフラッシュバックする。刀を持った黒い髪の女性———災厄の獣を宿した化け物の事を。
どうして影に、という疑問は直感で、ある結を導き出す。あの少年も、あの化け物も影を媒体とした何らかの妖術を用いていた。
だから、同じ黒髪である彼女が使えても問題ないのでは無いか。そう瞬間的に結論付けたエリスは言葉を返す。
「分かりました……なのです」
今はネルの言葉を信じるしか出来なかった。
◇◆◇◆◇
『本当に逃して良かったのか?』
「お前らが散々私の事煽ったくせに挙句にそこまでふざけた事抜かすんだなお前」
『妾はあくまであやつが悲しむだろうなーって思っただけじゃよ? この娘は本心からやもしれぬがな』
『うっ……』
日が傾いてきて少しずつ夕闇が世界を覆い始めた頃、ネルは変わらずクレーターの中心にいた。
体力の回復に時間を費やしているのかネルは未だにこの場から動こうとせず自身の内側から聞こえてくる二つの声と会話をしていた。
「おい、夜になったら私は動くがお前らはどうすんだ」
『夜ならば妾も動けるじゃろうから手伝うぞ』
『あのー、私は……』
『主は暫くは妾から出るな。ラースはまだ眠ったままじゃし力を使い過ぎじゃ、今出たところでこやつの邪魔になるだけじゃよ』
実はあのカラスの姿を模していた彼女?はネルの影に溶け込むとその影の中に力尽きて気絶していたヒスイを引きずり込んでいた。
どういった原理なのか分からないが、どうやら影に潜り込む事で体力の回復や様々な事が出来る(彼女?の言葉を信じるのであれば)らしい。
「というかそろそろ名前無いと面倒だな」
『ぬ?』
「お前だよ。好きに呼べって言ってたけどよ、流石にお前って呼ぶのは面倒になってきた」
『そういえば、私に宿った呪いはラースっていう名前があるんですからタカシ殿に宿る呪いの貴方にも名前があるのでは?』
(呪いに名前があったり自我がある時点で結構問題なんだけどな。無機物が有機物になるとかそんな話じゃねぇんだぞ)
そう思ったネルだが、面倒なので口には出さず会話に耳を傾ける。そんな事よりも名前を早く答えて欲しかったからだ。
『ふむ……そうじゃの……。ラースになぞらえるのなら取り敢えずアフェクシオン……。シオン、と名乗っておこうかの。ま、あやつの受け売りじゃがの』
「ふーん、アフェクシオンね。あんまし聞かない名前だな」
にしてもこいつは聞いてもない事までベラベラ喋るな……と思いつつもやはりネルは口にしない。ネルは基本無口な部類なので自分の中で自己完結し、相手には一切自分を見せないのだ。
それでも会話に応じるのは、そこまでネルは根暗ではないからだ。騎士長時代は職業柄その他大勢と接せる機会が多かった為、基本的な会話術をその時に学んでいたのである。
『しかしまぁ……本当によくお主はあやつらを殺さんかったのう? 妾にはお主の主体性がよう分からん。簡単に人は殺すくせに殺さない相手もおるんじゃの』
「テメェは私をなんだと思ってんだ」
『無差別殺人鬼』
「…………」
くっだらねぇ、と吐き捨てながらも一応はシオンの会話に応じる。なんだかんだで動くまで暇なのだ、この会話はネルにとって暇つぶしの一環だった。
「全員が全員殺すって訳じゃねえさ。私はただ気に入らない奴を殺してるだけだ」
『そういうのを無差別殺人鬼と言うのでは……?』
『そういうのを無差別殺人鬼と言うんじゃないかのう……』
声を合わせて否定されてネルはなんとも言えない顔になる。自分から言うのは構わないが他人に言われるとなんとなくイラッとくるネルであった。
◇◆◇◆◇
そして月明かりに照らされている中、ネルは赤い髪をなびかせながら、静かに佇んでいた。隣には夜になった事で人型として影から出てきたシオンもいる。
くだらない話をしながら、下に見える街並みを二人して見ていた。基本的にシオンが喋ってそれに返すにようにネルが喋っていた。
しかし大体の話をくだらねぇ、と切り捨てるネルなので話は続かないと思われたがシオンは意外にもお喋りで会話が途切れる事は無かった。
「……そろそろ行くか」
「そうじゃの」
下にそびえる巨大な機械仕掛けの国に二人はゆっくりとした動作で城壁から飛び降りた。




