旅の再開
自分について考えた事はあるだろうか。例えばどうして自分はこういう名前を付けられたのかとか、どうして自分はこれが好きなのかとか、そういったありふれた考えだ。
普段から考える人間は少ないだろう。気にしたこともなければ興味のない事ばかりだからだ。大抵自分について考えるのは人生の分岐点ぐらいだろう。
進路を考える時といった場合、それ以外は自分に意識を向ける人間はそれこそ記憶喪失などといった特殊な事例がない限りまず気にすることすらないと思う。
自分がどんな人間なのか、そう問われた時に応えられるだろうか? 胸を張って答える者、自信なさげに答える者や分からないと答える者もいるだろう。
人それぞれ、そう言ってしまえば終わりだがそれでもしっかりと応えられる人間はごく僅かでしかない。人間というの他人の評価によって成り立っているからだ。
どんなに自分がこういう人間だと主張しても周りが別の主張を多く唱えればそれが自分という勝手な評価となる。
なら自分が正しいのか? それとも他人の言葉が正しいのか? その答えは未だにこの世界にはない。何が正しくて何が悪いのか、それすらも答えは出ていない。
実に不安定ではないだろうか。皆何も分からないまま今を生きている、知る必要がないと言わんばかりに法という檻の中を歩き回る。
———実に滑稽ではないだろうか?
「つまりアレか? 人間は馬鹿だって言いたいのか?」
この考えを聞いた女はそう捉えて言葉を返す。いや、違う。そう否定すると「何が言いてぇんだお前は」と苛ついた様子で女は言った。
この問答に答えはない。ただ面白いか否かという話だと伝えると女は呆れたように嘆息しこう言った。
「お前……暇してるんだな」
「そうじゃの、じゃからこうやって会話をして暇つぶしをしておるんじゃろ」
月明かりに照らされる中、赤い髪をなびかせた女と影に溶け込んでるかのように静かに佇んでいる少女はそんな会話をしていた。
下にそびえる大きな機械仕掛けの国を前にして、二人はゆっくりとした動作で下へと飛び降りた。
◇◆◇◆◇
「それでは、もう旅立たれてしまうのですね……」
「はい、ネルさんが明日には出発したいって」
今もなお復興作業が続く中、休憩をとっていたヒスイと天が今後について話し合っていた。白髪を揺らすヒスイは分かりました、と頷く。
「こちらが引き止める理由は元からありません。少し寂しくなりますが……あなた方は冒険者ですからね、一箇所に留まるのは難しいでしょう」
「冒険者って名乗っていいのかどうか微妙ですけどね……。ずっと逃げてばっかりですし」
「……あぁ、そういえばネル殿はお尋ね者でしたね。それに天殿もその髪では……」
黒髪の存在が知られればそれこそ世界は恐慌に陥るかもしれない。それ程までに黒髪という存在は畏怖の象徴なのだ。
それにはもちろん理由があった。だがそれを知らない天は、どうして自分の髪がそこまで忌み嫌われるのかが分からなかった。
この世界の九割の人間もその理由は分からない。ただ『怖い』から、それだけで人として扱われないのは理不尽だろう。
この里だけが異例なのだ。そういった者に忌避を抱かず普通に接してくれる人間がどれ程までに少ないことか。
それはヒスイのお陰とも言える。呪いにより髪は黒く染まり、通常ではあればそこで忌み嫌われ正義という名の処刑により死んでいただろう。
事実里の人間は恐れて何度も長老に訴えかけた。
———あれは人間じゃない、殺さなくては。
———悪魔の使いだ、祓わなくては。
———殺されてしまう前に殺さなくては。
しかしそれを頑なに長老は拒否した。そして何度も何度も説得をしたのだ。
本当にそれで良いのかと、我々を迫害した奴らと何が違うのか、同じではないのかと。そして長老は言い切ったのだ。
———捨てられたあの子をここで見捨てたら誰があの子を愛してあげられるのか。
そんな長老の説得もあってか少しずつ、しかし確実にヒスイの見る目は変わっていった。そして皆一様に己を恥じた、間違っていたのは我々なのだと。
ヒスイはこの事を知らない。けれどそのお陰もあり、天とネルがすぐにも迫害される事はなかった。他所者という事もあり警戒はされていたが、それでもヒスイを助けてくれたという事には感謝をしていた。
そしてネルは、竜を討ち異常気象を解決し里を救った。命だって救われた、もう里の人間の中には誰一人としてネル達に悪意を持つ者はいなかった。
「天殿達は今後どう旅を続けられる予定で?」
「どうなんでしょう? 大体ネルさんが決めて僕達が付いていくって感じですし……。僕は地理に疎いのでどこに行きたいとかそういうのが無いんですよね」
水分補給をしながら話を続ける二人。今日も変わらず空は雲一つない青空で陽光が降り注いでいた。
遠くでどよめきが聞こえるのはまたネルが大量の荷物を持ったからだろう。もはや名物のようになりつつあるその光景も今日で見納めだ。
「ヒスイさんは……これからどうするんですか?」
「私は、許されるならここで一生を終えたいと思っています。もしかしたら皆には迷惑をかけるかもしれませぬが……それでも、ここが私の故郷ですから」
「良かった、割り切れたんですね」
「そうですね、家族だからこそ迷惑をかけて欲しいなんて言われてしまいましたから……。私は、ここの家族で本当に良かった」
その後はたわいもない話をして休憩時間を過ごすと二人は復興作業の続きを再開した。
◇◆◇◆◇
「ほれ、出発するぞ」
「わざわざ夜中に出発しなくても……」
「……眠い」
ネルの言葉に天は何度も里の方へ振り向きながらもネルの後を追う。ティナはうとうとしながらも天に手を引っ張られて歩いている状態だ。
深夜となったこの時間帯では昼とは違い温度差が激しくとても冷え込んでいる。夜というのもあり誰もが家におり、ネル達は難なく里から出る事が出来た。
「……本当にいいんですか? お別れも告げないで……」
「ああ。これ以上ここで私達と関わったところでアイツらにいい事なんてないからな」
それっきりネルも黙り込み一言も発さずに歩いていた。その様子に天は何も言えずただネルの背中を追いかける。
(今日はいつもより騒がしいな……)
天はそんな事をふと思う。毎日声は聞こえてはいた、けれど天は気にしないように努めてはいたのだが今日に限っては無視出来ない程に声が頭の中を暴れまわっていた。
頭の内側から圧迫するように変に脈動しているような、そんな不快な感覚が天を苦しめる。しかし天はそれを顔には出さないように気をつけていた。
(何度も迷惑をかけるのはもう嫌だ……)
ここ最近はそういう思いが天にはあった。ヒスイの暴走の後、事の顛末をティナから聞かされた後に天は安堵した。
誰も死んでいない事、ネルも無事だしヒスイも今はちゃんと自我を保ってる事に心の底から良かったと思ったのだ。
そして同時に、自分は何も出来なかったという後悔も生まれた。自分が非力である事は分かっている。それでも、何かをしたかったというのが天の本音だ。
繰り返される『もしも』。無い物ねだりだと頭では分かっていてもやはり感情は別だ。助けたいという我儘に付き合ってくれてネルは傷付いた。
それが申し訳なく、負い目となってしまっている。しかしネルはそんな天に気にするな、と笑いかけた。本当に、嬉しそうにそう言ってくれたのだ。
許されてしまったからこそ自分を責める事しか出来ない天は苦悩する。この世界において天はどこまでも非力だった。
———そう悲観する事でもあるまい
「!」
思考に耽っていた天は内側から聞こえる声から明確に自分に向けて放たれた言葉に驚愕した。
「どうした?」
「……何でもないです」
動揺が伝わったのか足を止めて気遣う言葉かけるネルに天は普段通りに振舞いながら答える。
「……そうか」
ネルは少し間を空けて頷くと歩みを再開する。そしてまた立ち止まった。
「ネルさん?」
「……起きろ、早めに終わらせたい」
「?」
誰に対して放った言葉なのか分からず首を傾げるする天。その直後、天の意識が途切れる。ネルが振り返ればそこにはほぼ寝かけているティナの腕を掴む少女の姿があった。
「ようやくかの。遅かったではないか」
「仕方ねぇだろ。私もここまで里に留まってるとは思わなかったんだからよ」
「とことんこやつには甘いのぅ……。まぁ良い、それで? どこに向かうのじゃ」
トプンと音を立てて影に沈むティナにネルはチラリと視線を向けた後、目的地を少女に伝える。
「ここからちょいと離れた先に小さい村がある。総人口は百を超えてるかどうかぐらいの小さな村だ。そいつらが餌だ」
「ふむ、ちなみにそこに決めた理由を聞いても良いかの?」
「あ? 食えれば何でも良いんじゃねぇのか?」
違う違う、と少女は手を振る。
「そういう意味で聞いたのではない。他にも選びようがあったろうに、何故その村を選出したのか聞きたくての」
「くだらねぇ質問だな。考えるまでもねぇだろたまたま近くに程よい村があった、だからそこにした。それだけだ」
「クハッ、なるほどのう。お主も随分と甘くなったのう赤髪?」
「……チッ、ほっとけ」
舌打ちをしながら村へと歩き出すネル。少女はいつもの和服では歩きづらいのか裾が短い浴衣のような衣服を纏いネルの後を追う。
(取り敢えずこれで消費した分の魂は補充できるかの……。不可抗力とはいえもう少し体を大切に扱って欲しいものじゃ)
◇◆◇◆◇
夜が明けて朝方、【アルテミア】に村の一つが消失した事が観測された。




