番外編:酒は飲んでも呑まれるな 前編
「ネルさんネルさん」
「ん? どうした?」
ネルが外で体の調子を確かめようと体を動かしていると、長老に呼ばれて出かけていた天が帰ってきてネルの名前を呼んでいた。
ちなみにティナはまだ疲れが残っているらしくぐっすりと眠っている。ここ最近は力仕事ばっかりだったのでティナもかなり疲れているようだ。
「さっき長老さんから礼も兼ねて宴を開きたい、って言われてそれで来て欲しいって」
「んー、別に良いんじゃないか? というか何で私に聞くんだ? タカシが行くんだったら私も行くのに」
「そりゃもちろんネルさんの意見を聞く為ですよ〜。僕の一存で勝手に決めるの嫌ですもん」
それに、と天は付け加える。
「僕は皆と歩幅を合わせる方が好きですし」
「……そうか」
ネルはポンポンと天の頭を撫でる。くすぐったそうにしてる天の姿にネルは微笑む。
「起きたらティナにも聞いてみるけど多分アイツも行くと思うから長老には行くって伝えておいてくれ」
「分かりましたー!」
天は元気良く返事すると、とんぼ返りして行った。それを見送るとネルはまた体を動かす作業を再開させた。
◇◆◇◆◇
「「「「乾杯〜〜〜!!!」」」」
機嫌の良い声が重なる。次にはザワザワと賑やかな喧騒が場を包む。様々な料理が並んでおり、酒を飲んで高笑いをしている者、料理に舌鼓を打っている者と賑わっていた。
「賑わってますねぇ」
「そうだなぁ」
天とネルはテーブルで料理を食べながら談笑していた。ちなみに天は緑の液体のかかった不思議なサラダを、ネルは砂漠でよく獲れる【サンドフィッシュ】の刺身を食べている。
「こうして見ると結構人数は少ないんだな」
「元々少なかったんですけど竜に襲われた時に減ったらしいです」
「ふーん……。そういやティナは?」
「ティナさんはあそこでヒスイさんと話してますよ」
天が指差す先にはヒスイとティナが楽しげに会話をしているのがネルからも見えた。二人とも片手にグラスを持っている。
少し顔が上気しているのを見るにおそらくグラスの中身は酒だろう。ネルは隣を見ると天が「このドレッシング……スイカの味がする……」と不思議がりながらサラダを食べていた。
(こうしてまともに宴なんかに参加するのも久しぶりだな……)
ネルはフォークで刺身を刺して口に運びながらそんな事を思う。騎士長になった後でもネルは今の今までパーティーの招待を断ってきている。
理由は言わずもがな人間嫌いだからである。人と群れるのが苦手なネルは旅という名目で人との関わりを拒否していた。
何度か無理矢理ロワ王から招待などもされたのだが、鎧姿でパーティへ行きロワ王を殴るという暴挙に出た挙句に「二度と招待すんなクソ狸!」と暴言を吐いて帰ったという伝説を残している。
(けどまぁ……案外楽しいもんだな)
そう思えるのも天がいればの話だろうともネルは分かっていた。天は言わば灯のようなものだ、ネルの見る世界を暖かく照らしてくれる。
冷たく暗い欺瞞に満ちた世界の唯一の灯火なのだ。
「失礼、よろしいかな?」
長老が周りの人達と話を切り上げたのか、いつの間にかネル達の近くに立っていた。長老の呼びかけにネルはおう、と言葉を返す。
どうぞ、と天の言葉に長老は頷き対面の席へと座る。その時ティナが天の名前を呼んでいた。天は行ってきますね、とネルに言って席を立つ。
そしてネルと長老の2人だけになると、長老は世間話をするような気軽さでネルに話しかける。
「どうかね、ここの生活には慣れたかね?」
「こんだけ長居もすりゃ慣れるだろ」
「それもそうだな、しかし良いのかね? お主らは旅をしているのだろう、ここが打ち止めとは思えんのだが」
「そうだな、けど助けられるなら助けてやりたいんだとさ。タカシとティナには感謝するんだな」
「それはまた酔狂な。事実我々は助かっているから強くは言えんがお主はそれで構わんと? 人助けなぞお主がもっとも嫌いそうな行為だと思うが」
ここの住人は種族がバラバラだ、行く宛てのない者達が徒党を組んで隠れ里へと発展させた小さな里であるからこそ、住人達の絆は固い。
だがそれはあくまで住人達同士の絆だ。多くの面々はここに来ざるを得なかった者達だ、だからこそ外の人間に対してとても警戒心が高く心地良くも思わないだろう。
ネル達が最初にこの里に訪れた時もそれは変わらず、住人は否定的な態度でネル達を見ていた。
助けてくれたのには感謝する、けれど生かすべきかどうか。もしも里の位置を他者に漏らされては堪ったものではないと、そう思われていたのだ。
ネルが小屋で口に出していた言葉はこの場においてある意味的を得ていた。殺すか生かすかで言えば殺す方が圧倒的に楽なのだ。
人の口に戸は立てられない、ならば死人に口なしだ。殺してしまえば楽なのだからそちらの手段を取るのは至極当たり前とも言えるだろう。
それでもネル達はヒスイを救い里へ赴き、竜を討ち、里の住人を救い出した。長老にはそれが不思議でならなかった。
何故、その言葉が何度頭の中を反芻しただろうか。その答えを、ネルは口にした。
「そうだな、私はお前ら人間が嫌いだよ。どいつもこいつも自分が排斥する側だと思ってやがる、誰も彼もが認める事をせず否定しか出来ねぇ奴らだからな」
だがな、とネルは言葉を続ける。
「それとこれとは別だとも教えられた。許すのと耐え忍ぶのとは違うってな。私自身お前らを救ったなんて思っちゃいねぇよ。結果としてそうなっただけだ、感謝すんなら私じゃなくタカシ達にするんだな」
「結果としてそうなったとしても、お主も我らを救ってくれた事に変わりはなかろう。感謝もするだろうて」
「あっそ」
興味はないと言わんばかりに適当な言葉で返し刺身を口に運ぶ。その態度に長老は困ったように頷くと酒瓶をネルの前へと置く。
「……何だこれ」
「地下に隠してた秘蔵の酒をお主にやろう」
「何でまた」
「私なりの礼だよ。終わった後にでも飲むといい」
ではな、と言って長老は離れていった。取り残されたネルは酒瓶のラベルを見て美味しそうだなと思いながら、別の料理を取りに移動した。
◇◆◇◆◇
「それどうしたんです?」
「なんか長……ジジイからもらった」
「言い直す必要ありました?」
宴が終わった後に、それぞれ解散し家へと帰ってきたのだがそこで天はネルが手に持っていた瓶の存在に気付き質問したという訳である。
ネルの返答に天はふーん、と言いながらベッドに腰掛けて足をパタパタ動かしていた。
「……飲むの?」
「私はあんま酒飲んだ事ねえからなぁ……。いやまぁ一応飲むけども、ティナも飲むか?」
「……うん」
「僕は未成年なんで飲みませーん」
「ん? タカシって十五歳ではない?」
そう言いながらネルは酒瓶の蓋を外すと仄かな甘い香りが部屋を包み込む。おお、とティナとネルは少し期待を込めた声をあげる。
「……これは、期待出来るかも」
「だな。そうだ、それでタカシって十五……どうした?」
ネルが天の方へと振り向くとそこには顔をポーッと上気させてうつらうつらとしている天の姿があった。ネルはティナと顔を見合わせる。
「……タカシ? 大丈夫?」
「ふぁ、ふぁい! 大丈夫れすよ!」
「…………」
ティナの言葉にハッとしたように返事をする天だが何故だか呂律が回っていなかった。ネルは何やら渋い表情を、ティナは困惑したような表情を浮かべる。
「……タ、タカシ? その、もしかして……酔ってる?」
「……ふぇ?」
「酔ってるな……匂いだけで酔う事ってあるんだな……」
えぇ……とティナの困惑した声を漏らす中、コンコンとドアをノックする音が同時に部屋に響いた。そしてドアが開くとそこには二本の瓶を携えたヒスイがいた。
「夜分遅くに失礼します。タカシ殿に頼まれたソースを持って来たのですが……」
「……! ヒスイちゃん!」
「ヒスイちゃん!? 」
ティナの嬉しそうな声に驚きつつも言葉の内容にネルは思わず叫んでしまった。そんなに仲良くなっていたのかと思っていると天が朗らかな声でヒスイを歓迎していた。
「ヒスイしゃんーありぎゃとうぎょじゃいますー」
「な、なんと?」
「多分タカシ酔ってるから多分意思疎通は難しいぞ」
「そんなに酔うまで飲まれていたのですか……」
「いや、匂いで酔った」
「匂いで!?」
取り敢えず瓶を抱えたまま失礼しますと挨拶をしながら部屋へと上がるヒスイ。瓶の一つを書き物机の上に置きもう一つの瓶をティナに手渡す。
「お前も酒持って来たのか」
「これは頼まれて持って来たものですよ」
ふーん、と言いながらネルは天を抱えると自分の足に座らせて天を後ろから抱きかかえるような状態になる。
すっぽりと足と足の間に挟まれた天も抵抗なく体をネルに預けているといった感じで、心地良さそうにネルに頭を撫でられている。
「どれ、飲ませてもらおうかね」
「ご相伴にあずかります」
「……楽しみ」
最初に長老から渡された酒を飲もうとグラスに注ぎ口にする。ネルに続いてティナ、ヒスイも同じようにグラスに酒を注ぎ口にした。
「ん、美味いな」
「……うん」
「このような酒がうちにあったのですね」
「んー」
「タカシは酔ってるから飲んじゃダメだぞ」
「ふぁーい」
(まるで姉弟のようですね……)
その様な事を思っているヒスイも、酒をチビチビ飲んでいるティナもこの先の事を見通せなかった。誰も、ネルが酒に弱いとは考えられなかったのだから……。




