ヒスイ
「貴方も……そうなのですね」
開口一番、ヒスイは少年に向かって何かを知っているよな口調で話しかけてきた。それはどこか憐れみを含むような言葉だった。
「私の暴走を止めてくださり……感謝します」
次に続いたその言葉にはティナは少し驚いた。里で暴れていたヒスイとはまったく違い、落ち着いた雰囲気になっていたからだ。
しかしどこか自虐じみた雰囲気を感じるのは間違いではないだろう。まるで子供が泣き喚いた後に全てを諦めたような、そんな子供じみた感じだ。
ティナは、そっと後退しようとしたがそれを少年が止めた。
『妾から離れるな』
「……ごめんなさい」
ヒスイはそっと目を閉じて、それから決意を秘めたような顔で少年に話しかけた。
「私を、殺してください」
『ほう』
「……!?」
少年は興味深そうに、ティナは今度こそ本気で驚いた。何故今更そのような事を言うのだろうと、そう思わざるを得なかったからだ。
あまりにも展開が急過ぎる。あんなに狂ったように激昂し、化け物と化して、それでも尚復讐を果たそうとしていたというのに、何故なのか。
『自暴自棄じゃな。まるで幼子の癇癪ではないか』
「……っ、いえ」
『冷静になったつもりか? 妾にはとてもじゃが冷静なようには見えんの。それともそうやってしおらしく振舞っておれば被害者にでもなれると思うたか? ん?』
少年は億劫そうに、相手を小馬鹿にしたような口調でヒスイに言う。それはどこかヒスイを糾弾しているような、咎めているような響きであった。
『くだらん、全くもってくだらん! なぁ、認めろよ人間。お主はわざわざ狂ってまで復讐を果たそうとして、それを阻まれた。それはラースのせいでも、そこで眠っとる赤髪のせいでもない、お主の力の無さじゃろ?』
「…………」
拳を強く握りしめて俯くヒスイ。羞恥によるせいか、顔を真っ赤にしている。少年はふん、と鼻を鳴らすと口を開く。
『人間であれば欲望には正直にいかんとな、お主はどうしたい?』
「……どうするも何も、私に願う権利なんてないでしょう。敗者は潔く死ぬべきです」
『まーだ言っておるのか面白人間め。願いに権利なんてものは存在せん、願いとはな、人間そのものよ。願いこそがその人間が自分たらしめる唯一のものじゃ、よりにもよって貴様がそれを否定するのかえ?』
「そ、れは……」
『さぁ願えよ人間』
ヒスイは困惑したように目を泳がせ、唇を噛んでいる。強く握りしめた拳からは血がポタポタと垂れており、足元に染みを作っていく。
時間を忘れるほどの緊張した無音の空間。どれくらい経ったのか、やがてヒスイは重く口を開いた。
「ここで、死にたいです」
『……』
「……この髪、もう私に生きる場所はありません。それでも今の今まで、生きていたのは……あの隠れ里の方々による、温情のお陰でした」
訥々と語るヒスイに少年は静かに聞いていた。それはティナも一緒だ、天と同じ黒髪である以上その言葉には天にも通ずるものがあるはずだからだ。
「私が里に引き取られてから五年の間、私は……復讐の為だけに自分を鍛えていました。私は自分鍛えるばかりで周りに対する意識が欠落していました。『どうせ復讐を終えるまでの関係だ』と、心からそう思っていたのです」
里の者が話しかけても答えようとせず、ただ必至に己を鍛え続けた。頑なに関係を拒み続けた、一人でいたかった。
復讐を終えるまでの関係、そう思っていながら関係を必死に拒んでいたのは今になれば滑稽な笑い話だった。一人でいたかったのも、結局は怖かったからだ。
◇◆◇◆◇
始まりは、赤だった。暗く狭い場所で、小さな隙間から見えたのは父親がナイフで喉を刺されていたところだ。
ボサボサの赤い髪、ギラギラと獰猛な獣のような目。そして全身を返り血で黒く染めたその姿は、どんな絵本に出てくる怪物よりも怖かった。
何度も、何度も、父親を滅多刺しにして執拗に殺し続けるその姿が怖かった。そうして赤髪が去った後も怖くてその場から動けなかった。
どれくらい経っただろうか、ようやく体を動かして扉を開くとそこには凄惨な現場があった。父親だったもの、執事だったもの、母親だったもの、人間だったもの。
肉塊しかなかった。誰かの血しかなかった。城をどれだけ回っても、私以外に生きている者は誰一人としていなかった。
私は、怖くなって駆けた。城から抜け出して、街から抜け出して、そこで馬車と出くわした。それは、商人に扮した盗賊だった。
けれどその盗賊は何故か私を保護し、来た道を引き返して東の領土から西の領土へと移動する。
盗賊達は、商人に扮して他の商人達が乗ってるであろう馬車を襲い食料を奪っていたそうだ。そう、隠れ里の住人が食料などを得る為に盗賊をしていたのだ。
隠れ里へと連れてこられた私は、しばらく塞ぎ込んだ。助けられたとはいえ、正直誰かと話せるほど私は強くなかった。
恐怖で寝る事も、何かを口にする事も何もかも出来なかった。この時の私は廃人だったのだ、皮肉な事に誰かの手を借りなければ生きていけないほどに。
不思議だった、拾ってきたただの少女を里の皆は受け入れてくれる。それが今でも疑問だった。
いつしか、私は一つの目的を立てた。それからだ、活力を得た私は無駄にした時間を取り戻すかのように食べては寝る事を繰り返した。
衰弱しきっていた私の体はとてもじゃないが運動する事など出来なかったのだ。だから私はまず回復に専念した。
その間にも里の住人は私の事を甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。その頃だったろうか、何故私に構うのかとヤケになって吠えたのは。
助けてもらった恩すら忘れて私は怒ったのだ。なのに、里の住人は口を揃えて、見捨てられなかった。そんな言葉を口にした。
ふざけるな、そう思った。私は腐っても貴族だ、下々の者に憐れみを、同情などされるなどまっぴらゴメンだとそう思っていた。
しかし手を借りなければ生きていけないのも事実。その際に私は決めた、父と母の仇を、スィリディナ家の生き残りとして私は復讐すると。
仇討ちではない、復讐だ。これは私の一方的な怨みだ、その為に恥や外聞は捨てようとも決めた。利用出来るものは利用する、里との住人の力を借りる為にも私は関係を取り繕う事にした。
そうしてから五年、私は成長し、武術の腕を上げていた。私にとっての日常は、自己鍛錬となっており修行の合間に長老から学問を習う事だった。
そうして里の住人と長く暮らしているうちに、怖くなってきた。私が意固地になってまで関係を作ろうとしなかったのもこれが原因だ。
一度に私の全てを奪われた事がトラウマになっていのだ。関係を築き親密になった時、失う痛みは想像を絶する。
それがどうしようもなく怖くて、私に関わって欲しくなくて、それでも関わってくるからせめてそれらしい理由をつけて心に蓋をした。
なのに、だ。いつしか私の方が折れていた、感化されていた。その優しさに感謝を、ありがたさを、愛情を持って受け入れていたのだ。
そして十年が経ち、戦争は終わったのだと私は気付いた。東の領土からの噂がパタリと途絶えたからだ。
私が戦争の孤児だとは誰にも伝えていない。十年も経った影響か、私は復讐を半ば諦めていた。だから私は孤児ではなく、この里の家族として生きていく事を受け入れた。
それからというもの、実に楽しい日々を過ごした。時には盗賊団として、時には砂漠に生息してるモンスター狩りを、時には農作業を。
私の日常はいつしか鍛錬ではなく、家族として皆と日々を過ごすものに変化していたのだ。それを私は苦笑と共に完全に受け入れた。
少し不思議だったのは、盗賊団として東の領土に向かった際に聞いた御伽噺だ。その内容は明らかに戦争の話だった、多少脚色はされていたが紛れも無い語り継がれるべきはずの事実だったのだ。
しかし誰もこれを御伽噺として信じて疑わない。だが私にはどうでも良かった。もう、私は戦争の孤児ではなく隠れ里の住人なのだから。
◇◆◇◆◇
ある日、自分の内側から声が聞こえてきた。怒りに満ちた声で私に語りかけてきたのだ。
何故忘却する、何故怒らぬ、何故吠えぬ———
何故と、私に延々と繰り返してきた。その問いに答えるような事はしなかった、いや、出来なかった。
私は、明確な答えを持っていなかったからだ。それよりも辛かったのは、自分の内側から溢れ出る怨嗟の声だ。
それは夢となり私を苦しめてくる。何度も何度も怒りの声が渦を巻いて私を閉じ込めて途切れる事なくずっと叫び続けるのだ。精神は磨耗し記憶が途切れる事が頻繁に起こるようになった。
そうしてから、いつしかストレスにより髪の色素が抜け落ち白くなってしまった。恐ろしい事に時折私の髪は黒く染まる。それを長老、お爺様は呪われていると判断した。
どうしたものかと悩みながら夜な夜な苦しむ日々、世界に変化が訪れた。異常気象、これにより隠れ里は大打撃を受けてしまったのだ。
そうして何日か耐え忍んでいたが、それも限界が近づいてきて私達は決断した。それは情報のリーク、この異常気象を東の領土に匿名で流し、解決してもらおうという考えだ。
だがそれも失敗に終わり、また私一人だけが生き残ってしまった。そこで私も死ぬはずだったが、赤髪達に救われてしまった。
最初は悩みに悩んだ、あれ程までに憎んでいた赤髪が私の手の届く範囲にいたのだ。だけれど、やはり私には復讐など出来なかった。
過去は捨てたつもりだ、だからもう赤髪について考えるのはやめよう、そう思っていた。けれどそれを、私の中の何かは許してはくれなかった。
生死を彷徨い、赤髪について悩んでいた私はそれに抗う程の精神力もなくそれに呑まれてしまった。
———許せない
私は、切り捨てなければいけなかった過去に囚われ大切なものをこの手で切り捨ててしまった。もう、どうでも良くなった、だからラースに体も明け渡した。
それでもなお、切り捨ててもなお私の目的は果たせなかった。あの時と一緒だ、私はまた全てを失ってしまった。
私は今度こそ生きる意味を失った。




