嵐の前の静けさ
「あぁ〜生き返るなのですぅ〜」
カポーンと気の抜けるような音と混じって同じように気の抜けるような声が響く。 それに続いて安堵した声が返ってくる。
「いやぁ本当に一時はどうなるかと思ったよ。エリスちゃん途中から魂が抜けたみたいにぐったりしてから」
「あうぅ……寒さに弱いんですよぅ」
「そうみたいね〜。この後また外出るんだからあまり長湯し過ぎないようにねー」
「了解なのです〜。はふぅ〜」
◇◆◇◆◇
「…………」
「…………」
ネル達が使用しているテント内での場の空気は非常に重たかった。ネルとティナは何かを思案するように口元に手を添えて難しい顔をしていた。
その重い沈黙の原因を作った少女は自分の体をマジマジと見て何やらふむふむと頷いている。まるで今まで動かなかった病人が突然動けるようになって自分の体に驚いている、そんな感じだった。
ティナはその様子に気づかず思考が回らなくなってきたのかうなり声が小さく聞こえる。同じ沈黙でもネルの沈黙の意味は違かった。
(……どういう事? これじゃあまるでタカシは本当に……ううん、もうこれは……)
少女の言葉にティナはかなりのショックを受けていた。自分の想像してものよりも遥かに重く、辛い言葉だったからだ。
対してネルは冷めた表情で少女の言葉を聞き流していた。少女の言葉はネルにとって意味のないものだったからだ。
それぞれの内心を見透かしたように笑っていた少女はふと顔から笑みを消すと目元を細める。
「青髪のそれは正しい反応じゃろう。じゃがな、赤髪、お主はなんじゃ? お主のそれは人としてちと欠落しておるの」
「……ネルさん?」
「はん、そんな言葉は聞き飽きたよ。人として欠落? おいおい、無茶言うなよ。人として扱われなかった私が人の当たり前を理解できるわきゃねえだろ」
「少なくともあやつは人として生きて欲しいと願っておるようじゃがの」
ネルはイラついたように頭をガシガシと乱暴に掻くと少女の言葉に返答する。
「私が出来るのはあくまで『人間の真似事』だ。私は今更人間と仲良しこよしやるつもりは無い、それ以上に私は必要なもんは全部捨てたんだ。人間に成り下がるつもりはない」
「歪んでるの。……なるほど、これはあやつが心配するのも無理はない、か。つまらんのう、実につまらん」
「あ?」
「あーあー、せっかく悩み苦しむ姿が見たかったのに実につまらんの! 青髪だけじゃぞ! 面白い反応しておったのは!」
「お前の娯楽のために生きてる訳じゃないからな」
つまらーん、と駄々をこねるように少女は足をバタバタさせていたのだが、諦めがついたのか溜息をつくとおもむろに立ち上がった。
「はぁ……もうよい。散歩に行ってくる」
「……夜、もう遅い」
「妾は夜型じゃ。そもそも眠れる体ではないのでな」
そう言うと少女はテントから出ていった。ネルはその際、風は吹いていないのに影が一斉に蠢いた、ような気がした。
テントに静けさが戻るとティナはパタリと力なく倒れる。体調が悪いのか呼吸も荒くなってきて苦しそうだ。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫、瘴気に、当てられただけ……」
「そうか、今はゆっくり休んでおけ。後で解熱に効く薬草もらってくるから」
ネルの言葉に従ってしんどそうに体を動かしながら布団をかぶる。ティナはボーッとした表情で、ランプで揺れる影を見つめているネルに話しかけた。
「……ねぇ、どうして彼女は、私達に会いに来てくれたの?」
「ん? どうだろうな、アイツの考えてる事は分からんが……アイツはアイツで寂しかったんじゃないか?」
そう言うとネルは立ち上がりテントを後にした。
◇◆◇◆◇
澄んだ空には星がよく見える。月に負けじとその命を燃やして煌々と輝いているその姿に少女は嗤って見つめる。
少女にとって努力や輝くものは常に等しく道化、面白おかしいものである。何かのために必死になる様は大好物なのだ。
世界は愚者による滑稽な人形劇。少女はそれをただ遠くから眺める存在、だった。
「こうして受肉出来たのには感謝はしたいがの……」
影が脈動する。まるで生きてるかのように蠢き世界を白一色から黒一色に染め上げていくその影に飲まれていくのは人間だ。
ここは異常気象によって変化に耐えられず死んでいった者や飢餓により死んでいった者達を埋葬する為に作られた簡易の墓場だ。
その墓場に影が満ちる。影に触れた土は死に絶え死体は溶けて影に飲まれていく。そこにはあるの死だけ。形あるものは全て溶解し平等に死んでいくのだ。
「腹が減ってしょうがないのう……」
周り一帯を喰い尽くすとその場を後にする。しばらく歩いていると座るのに丁度良い岩があったので少女はそれに腰掛ける。
「あまりこの世には干渉したくはないのじゃがな……。さて、どうしたものか」
『なら何故受肉した?』
少女が静かな夜の中で呟いた言葉に返す言葉があった。声の方向へ少女は顔を向けるとそこには黒髪を一本にまとめた女性が立っていた。
◇◆◇◆◇
夜は終わり世界は朝を迎える。ゆっくりと日が昇る中、その朝日を覆うように吹雪が白銀の世界へといつも通り塗り替えている。
そんな白い世界に巨大な影が1つ、【アルテミア】目掛けて風を切りながら飛んでいた。
◇◆◇◆◇
「……ごめんなさい」
「大丈夫だ。それよりもちゃんと体を休めろ」
「……タカシは?」
「体はそのままみたいだが戻ってきてはいる。今は長老のとこにいるみたいだ」
ティナはそれを聞くと安心したのか瞼を閉じる。そうしてから規則的な寝息が聞こえてくるとネルはリュックからいつも腰に巻いていた袋を取り出すとテントを後にした。
ネルは早足で長老と天のいるテントへ向かう。入り口にかけられた布をくぐるとそこには天と長老、それに包帯を足と腕に巻いている白髪の女性だ。
「あ、ネルさん。ティナさんの容態はどうでした……?」
「熱があるだけだ。解熱作用のある薬草も朝イチに飲ませたし今日中には熱も下がるだろう」
「良かった……」
ホッとした表情でため息をつく天の頭に手をポンと置くとネルは天の隣に座る。そうしてから長老は頷くと口を開いた。
それは今後の方針についてだった。当初ネル達は西の領土を抜け出ようとしたのだが、謎の気流が西の領土を囲んでおり西の領土から出る事が出来なかった。
そうなれば原因は明白だ、この異常気象が必ず関係しているという事になるのだから。そこで立てた仮説はあの竜が関係しているのではないかという事だ。
天曰く、ここまで大掛かり的な仕組みだともしかしたら竜を操る、もしくは利用してこの状況を意図的に作り出した者がいるんじゃないかという意見にネルは賛同しその話を長老に伝える事とした。
それを聞いて、長老を1つの交渉を持ちかけた。その交渉の内容と今後の方針について、今から話し合う訳だ。
「では、まずは今後の方針についてだが……。我々はあの竜を討伐したいと思う」
「待った、いきなり話が飛躍しすぎだ。そもそも竜を討伐する事自体が無謀だ。お前らの戦力じゃ鱗1つ傷つけられないだろ、断言できる」
「その通りだ、だからこそ我々は……【アルテミア】に救援を求める事にした」
「お爺様! それは!」
立ち上がったのは白髪の女性だ。長老の言うことに反対があったのだろう。白髪の女性がその先を言おうとした時、長老が手で遮った。
「……っ、どういうおつもりですかお爺様」
「その話はこちらの問題だ。外部に身内の恥を見せる訳にもいくまいて」
「ですが! 外部も何もその案を取った時点で関係ないじゃないですか! 私は嫌です、その案には断固反対します!」
ネルがこっそりどういう意味なのか尋ねると天がこっそり耳打ちしてくれた。
「記憶によるとどうやらここはある一族の隠れ里みたいなんですが……。国から追われてる身らしくて外に出られる状況じゃないみたいです」
「追放……か、となるとアイツが怒ってる理由は」
「十中八九身の振り方でしょうね。あの案で事を進めた場合この里の住人は裁かれますし……」
天は何か他の案がないのかと考えている一方白髪の女性は今も長老に食ってかかっている。このままでは拉致があかないと判断したネルはため息をつくと手を叩いた。
パンパン、と乾いた音が響くと全員がネルに注目した。そこでネルは昨夜から考えていた自分の意見を口にする。
「竜の討伐にそこまでの人数はいらない。むしろ犠牲を増やす一方だろう。この天候となれば尚更だ、だから竜の相手は私がしよう」
「なっ……」
「えぇ!?」
驚いた反応をしたのは長老と白髪の女性だ。天も驚いているが天の場合は驚き過ぎて声が出ないといった感じだ。
「しかし客人よ、相手はあの竜だぞ? ……到底一人で勝てるとは思えん。客人が強いのはなんとなく分かるがそれでも、人間には出来る事と出来ない事がある」
「そうですよ……って、そういえば貴方方はどうやって私達を助けてくれたのですか? あの竜とは会ってるはずですよね?」
白髪の女性は治療を受けてから目を覚ました後、大体の事情を聞いていた。だからネル達に助けられた事も既に知っているのだ。
「殴って撃退した」
「…………」
二人の反応に天は内心でそうなるだろうな、と頷いていた。どこの世界に素手で竜に挑んで撃退する者がいるのだろうか。
天でさえも聞いた時はネルの規格外っぷりに驚愕したものである。だがどこか納得してしまったのも天は彼女ならやりかねないと思ってしまったからだろう。
「……わ、分かった。では客人の案を受け入れよう。だがそれでお主達に何のメリットがある? 今更かもしれんが取引とはいえ協力なぞしてもデメリットしかないのでは?」
「もちろん条件はあるさ、私は善人じゃないからな。まずは私の連れ2人をここで保護してほしい。それと……私達がいた事を誰にも話さないでくれ」
「それだけで良いのか……? いや、不満という訳ではないがあまりにも割合が……」
「あくまでこれは前払いの話だ。もしも竜を討てたら後払いで適当に請求するさ。あぁ金とかそういうのには興味がないから安心しな」
それでいいな? とネルが再度確認すると長老はこわごわと頷いた。
「それじゃあ話し合いはこれで終わりだ。仕事は早い方がいい、準備を整えたらすぐに私は出発する」
「ま、待ってください。なら私も連れて行ってくれませんか!」
「却下」
即答であった。それに対して白髪の女性は吠える。
「何故ですか! 私だって戦えます!」
「足手まといはいらん。それにだ、戦えるなら尚更ここに残れ」
ネルの言葉に白髪の女性は不快だと言わんばかりに渋面を作るが最後の言葉の意味を聞くために問いかける。
「ここが安全だなんていつから決まった? そもそもそこのジジイがさっきの案を出したのだって今の現状が問題だからだろ」
「ここは結界で隠されていて……!」
「あぁ、そうかお前出る時に振り向かなかったんだな」
白髪の女性は眼前で何かを語るフードの女性をギロリと睨む。表情は伺えないが冷たい感情だけは伝わってきた。
「……どういう、事ですか」
「ここの結界は風除けだ。隠すための結界じゃない。それでも隠れられていたのは日差しによる蜃気楼、私達がここに来る時には結界がこの吹雪を遮ってるものだから逆に悪目立ちしていたぞ」
「……!」
「ここまで言えば分かるな? 運が悪ければここは誰かに見つかる可能性があるんだ、その時ここを守れる奴は必ず必要だ」
その言葉に白髪の女性は渋々折れる。ネルの言ってる事は至極当然、当たり前過ぎる事だった。だからこそ不思議に思った、力もある、知恵もあるこの女性は誰なのだろうと。
「貴女は……誰ですか」
「人に語れるような名前は持ってないんでね……。なぁヒスイ姫?」
「!」
それじゃあ頼んだぞ、と言い残し放心するヒスイと呼ばれた白髪の女性に長老、天から背を向けてテントから出て行った。




