凍土
「……これはまた」
どこか呆れたような声を出すネル。その声に何か心当たりがあるのかと思い、天がこの状況について問いかける。
しかし返ってきたのは、分からない、という一言だけだった。周りのおびただしい量の血も吹雪によって埋もれて段々と消えていく。
「その、西の領土にはこんな吹雪舞う地域が……?」
「……いや、それはない。そもそも西の領土は雨すらほとんど降らない砂漠地帯なんだ。資源には富んでるがその殆どは遺跡からの発掘のはずだ」
「それじゃあこの吹雪は……」
「普通ならたまたま起きた天候だって思うんだがな。多分それも違う」
天は足元に視線を落とす。それは地球でも普通に見ることがある雪の積もった地面だ。もう血など残ってない。その一面白銀世界はある意味天にとっては見慣れた光景ではあるのだろう。
その天でさえもこれは異常だと思った。これではまるで大雪の中台風が起きてるようではないか、と。ただ、天にとって不思議なのはあまり寒さを感じられない事だろうか。
「……ここ、寒い」
「———」
「? どうしたタカシ」
「あ、いえ、なんでもないです。そうだティナさん、寒いならこちらをどうぞ」
そう言って天が取り出したのは毛糸で編まれた手袋とマフラーだった。それを珍しそうに受け取ると、首を傾げた。
「……これ、何?」
「え、何って手袋とマフラーですよ?」
「……その、これはどうやったら?」
「まさかそういう文化がなかったんですかね……。えっとこうです、手袋はこうやって手にやって、マフラーは……はい、これでどうです?」
天はティナに手袋を着けてマフラーを首に巻いた。そうしてから自分の手を見つめて、にぎにぎと手を動かす。
「……暖かい」
「それは良かったです。しばらく着けてた方がいいですよ」
「おいおい、そういうタカシは大丈夫なのかよ。結構冷えるぞ?」
「あー、あれですよ。その、ほら、万物耐性? とかで僕そういうの受け付けないみたいなんですよね」
「……ふーん。なら良いんだが、んじゃこれ以上立ち止まってるのもあれだし移動するか」
天とティナはこくりと頷くと雪を踏みしめながらザクザクと歩を進める。だが途中で、天が足を止めた。
「——————」
「……タカシ?」
その様子に何か違和感を感じたネルが天の名を呼ぶ。だが呼びかけにも応えず天は苦しそうに胸を押さえる。心なしか息も荒くなってきているようだ。
心配になってネルが駆け寄ろうとしたその瞬間、天が膝をついて崩れ落ちた。これにはネルも大慌てで天に駆け寄る。
「おい!? 大丈夫か!?」
「———ッ、なん、これ、グッ!?!」
「おい! タカシ!」
痛みを堪えるかのように呻き声が天から漏れる。それと同時にか細い呼吸音だけが微かに聞こえる。どうすればとネルが慌てていると、天の容態が悪化する。
体をくの字に曲げて、頭を抑えてヒュ、ヒュ、ともはや呼吸もままならない状態で苦しんでいる。
「お、おい! しっかりしろ!」
「……ね、るさ、ん」
「喋るな! ゆっくり落ち着いて呼吸をしろ!」
ネルの切迫したその声に天は弱々しくかぶりを振る。もう声に出せないのか唇だけが動く。
に げ て
そう言ってるいるように見えた。何から? そう思った矢先、空気が震えた。地鳴りのような音が鈍くそして大きく響いてきたからだ。
その音を聞いた瞬間、ネルは慌てて天を抱えて走り出す。それに追随するよう顔を真っ青にさせたティナも付いてくる。
ネルは知っていた。これは声だと、自分とは比較にならない本物の化け物の鳴き声なんだと、十年前のとある記憶から呼び出された直感に素直に従った。
「ゴォォォオオオォン!!」
遠吠えが一声、その瞬間咄嗟にネルはティナと天を上空に放り投げた。ティナも突然のネルの行動に声も出ず驚くのだが、次の瞬間には別種の驚きへと変化する。
突如現れた巨大な爪がネルをなぎ払ったからだ。白い世界に鮮血が舞う。普通の人間なら今ので即死だろう。だがネルは爪で裂かれた脇腹から少量の血が流れているだけで五体満足をまだ保っていた。
それも時間の問題だ、少量とはいえ血が止まることなく流れているのは非常にマズイ状況ともいえる。しかしネルはそれもおくびには出さず現在の状況を判断するのに頭を動かす。
苦しんでいる暇などないのだ。状況はかなり切迫している。敵は一匹だ。しかし侮ることなかれ、敵の正体は———
「竜、か……。なんでこんなとこにいんだよ」
苛立ち混じりの声で吐き捨てるネル。チラリと視線を天達に視線を移すと、天を抱えて着地したティナがネルを見ていた。視線で逃げろと訴えるとティナは少し逡巡してやがて天を抱えて走り出す。
それを見て安堵すると、少し呼吸を整える。
「タカシを頼むぞ……」
◇◆◇◆◇
走る走る、ただ走る。背後からは雄叫びと空気がさらに震えるような音が連続して響いている。それだけでネルが奮闘しているのが分かる。
だからティナは必死に走る。今ここでネルが一番危惧していたのは天の事、それを任されたからには何としてでも応えたい。
それに何より不幸中の幸いとでもいうのだろうか、天の体重があまり感じられない事が走りにも影響していた。背中にあるのは天が背負っていたリュックの重みだけ、だからそこまでの疲労はなかったのだ。
「…………」
しかし問題なのはやはり天の容態が一向に良くならない事だろう。意識が朦朧としてるのか時折意味の分からない言葉を呟いている。
しかし、どこに逃げればいいのだろうか。吹雪が酷くて視界はかなり悪い、その上この雪だ。足がとられてしょうがない。
「……泣き言、後にする」
今はそんな事を考えていても無駄だ。それよりもどうやって逃げるのか考えねばならない。その時、天が途切れ途切れに意味のある言葉を発した。
「……北、進むと、……小屋が、あります……。そこに……行きましょう……」
「……! タカシ、大丈夫なの?」
「いいと……は、言え、ませんが……」
背後から怒りを含んだ咆哮が聞こえてきた。ビリビリと空気が震える。ティナは歯を食いしばって、雪原の中を目的の小屋まで駆けて行った。
◇◆◇◆◇
「はぁはぁ……。ぐっ、ゲホッゲホッ」
咳き込むと口に鉄の味が広がった。……よく生き残れたものだと自分でも驚いている。そして同時に、どうして自分だけ生き残ってしまったのだと後悔の念が湧き上がってくる。
皆、死んでしまった。不幸だったのはあの竜に襲われてしまった事、そのせいで最終的には皆殺されてしまった。幸運だった事は突如竜が別の方向へ飛び去った事、そのお陰で生き残ることが出来たからだ。
しかしこうやってようやく頭を働かせてみるとあの竜の挙動は不明な点があった。まず、あの竜は何故自分を見逃したのか? 自分という餌よりも何か感じ取るものでもあったのだろうか?
あの恐ろしい程までの嫌悪感を抱いた瞳、あれはもはや我を失っていると言っていいほどの狂いっぷりだ。一体どうしたらあそこまで怒れるのか。
「……ッ」
痛い、左足が冷たさにやられてしまったのか赤く腫れてしまっている。右手に至っては傷が勝手に開いて血だらけだ。満身創痍というやつだ。
その時、遠くからあの竜の声が響いてきた。突然の事に驚くが体は動いてくれない。これではきっと襲われてももう抵抗は出来ないだろう。
———本当に、なんで私だけ生き残ってしまったのだろう
1人になると負の感情が自分を押しつぶそうとしてくる。今はそれを否定してくれる仲間もいない、励ましてくれる者など1人もいない。
まったく、自己嫌悪で死にそうだ。この場に留まっていたところでまず自分の状態が悪化する事はあっても回復は向かう事はないだろう。
だからといって移動出来る状態でもない、今はゆっくりと死んでいる状態だ。せっかく皆が私を生かしてくれたのに、生き残ってしまったのに、私はそれに報いる事が出来ない。
それが、とても悲しい。ここまでくると今はただ死んでいった仲間達に対して申し訳なさしかない。あぁ、考えれば考えるほど自分の何かが壊れていっている気がする。
きっとこの溢れる涙も……意味のないものだろう。
もう瞼を閉じようとした時、悪寒が走る。あの竜に襲われた時よりも遥かに恐ろしい何かがこちらに近づいてきている。
生きるのを諦めた体でさえ、近づいてくる何かに怯え、生き残ろうとしている。変な話ではあるが、そんな自分の体に励まされた。
感覚のない体を無理矢理起こす。一瞬でも気を緩めれば意識が飛びそうだ。けど、動ける。戦える。
足音が近づいてくる。……これは、人の足音ではないだろうか? 走っているのか音は連続的に早く聞こえてくる。
足音は扉の前で止まった。すぐに扉は開かれた、頬に不自然な汗と共に冷や汗が伝う。そして霞む目に飛び込んできたその姿は、私とは別種の汗をかいた青髪の女性だ。
そしてその背中には、気を失っているのか瞼を閉じた———
「…………黒髪?」
◇◆◇◆◇
「……ふぅ。危ねぇな」
ネルは口元の血を手の甲で乱雑に拭う。……取り敢えずはあの竜の撃退は出来た。最初にもらった一撃は痛かったがそれだけだ。
「タカシは……っと、こういう時気配が大きくて助かるな」
ネルは腕をさすりながら寒いなぁ、とぼやきつつもティナと一緒にいるだろう天の下へと急いだ。




