夢を見続ける
いつもと変わらない街の様子、活気に満ち溢れて商人達は売り物をさばいていく。店番が大声を出して接客をしており、喧騒が街を包む。
食料売り場では、天が一生懸命商品を見つめては買うかどうか悩んでいる。その背中をネルは見ていた。
こうして見ると、本当にまだ子供だ。背は子供にしては少しあるかもしれないが、大人と呼ぶには雰囲気が幼い。
ふと、天がネルへと顔を向けた。キョトンとした顔でこちらを見ている。すると、少しだけ寂しそうに笑いながらこう言った。
「……帰りましょっか」
「え、いや、でも買い物はどうすんだ?」
「大丈夫ですから。ほら、早く帰りましょうよ」
何を思ってそう言ったのかは分からない。けどそれは、今のネルを見て何かしら思う事があったのだろう。
ネルにしては珍しく、その時は素直に言うことを聞いた。
◇◆◇◆◇
家に帰ってきた天は買った食料を食料庫に仕舞うと部屋に戻ってきた。その間にネルはちゃっかり脱いでたりする。
「……なんで?」
「家ぐらい楽に居させてくれよ」
「ネルさんは下着一枚が楽なんですか??」
頭に大量のハテナを浮かべる天だがネルは答える気がないようだ。やがて天は諦めたようでソファに体を預ける。
やや間を空けてから天が窓から見える空を見つめながら口を開く。
「……どうしたんです?」
「え?」
「買い物してる時にネルさん、人が変わったみたいに突然寂しそうにしてたから」
ネルは何かを言おうとしたが、言葉に詰まって喋れなかった。言えなかった、自分の中で割り切ったはずなのに、感情が邪魔をして口を塞いでしまう。
途端にネルは自分がここまで脆いものなのかと心底驚いた。たった一人殺しただけだというのに、今まで何人も殺してきたというのに、だ。
そこでネルは気づいてしまった。命の重さを、大切さを、尊さを。自分が今まで奪ってきたのは、間違いなくその命だという事に、本当に今更に気づいてしまったのだ。
だからといって、改心出来るかどうかと問われれば答えは否である。ネルはとうの昔に選択を終えているのだから。
他人の命に今更尊さも感じることはないだろう。他人なのだから。
「……分からないんだ」
「……」
「私には、何もない。私は生きていく為に要らないものは全て捨ててきた。人間の情も、常識も全部偽りでしかない。……私は今まで独りだった、誰も助けてはくれなかった。受け入れてくれたのは、タカシだけだった」
いつの間にか、天は正面を向いて真剣にネルの言葉を聞いていた。ネルは天の顔を見れなくて、項垂れて視線を落とす。
「初めて会った時には心臓がバクバクいったよ。自分と同じ人間に会えるなんて、そう思ってた。けど同時に、不幸だとも思った」
「不幸、ですか……」
「私と同じという事は、必ず同じ道を辿る。それは希望なんて存在しない。ただただ辛いだけだ」
だから不幸なんだ、とネルはそう言った。そして、だからこそ共にいる事を選んだのだと。そう告白した。
希望なんて存在しない、そう思ってた生きてきた人生に降って湧いた『奇跡』。それは、この世界の人間達にとっては最低最悪の忌み子の誕生であり、ネルにとってかけがえのない者の誕生であった。
その意味を、ネルは天に伝えたかった。だからネルは話す事に決めた。この世界における本当の姿を、不条理な現実を。
「薄々勘付いているかと思うが、そもそも私達がこうやって隠れて生活してるのもこの髪のせいなんだ」
「髪……。それって髪の色がやっぱり関係してるんですか?」
「そうだ。髪の色っていうのは種族とか結構密接に関わっていてな。人間にも様々な種族が存在するが大抵は髪の色で種族が分かるんだ。後は突然変異で髪の色が変わるっていう事例もあるが、これの末路は大抵白だから分かりやすいな」
ネルは自分の髪を摘むとプラプラと揺らす。赤い髪は光に反射してキラキラと輝く。
「けどな、ないんだよ」
「え?」
「赤と黒、この髪の色の人間がこの世にはいないんだ」
「え、いや……。僕には理由がちゃんとありますけどネルさんは? その、親とかの遺伝ですよね?」
「……私には親の記憶はないが、親は普通の髪の色だったと思う。そもそも事例がないんだ、私は。捨て子だったのもこの髪の色のせいだろ」
つまり赤髪であるネルと黒髪の天はこの世界において異質であり、存在しないはずの人種という事になるのか、そう思い天は質問してみたが返ってきた答えは予想外のものだった。
———同じ人間だよ、髪の色が違うだけでな
ネルはそう言った。同じ人間だよ、と言ったネルの顔はとても嫌そうだったのが何故か天の脳裏にこびりついた。
「……動機が小さすぎませんか? 髪の色が違うだけでそんな……」
「もしかしたらタカシのいた世界では違うかもしれないな。だけどな、皆怖いのさ。そもそもありえないんだよ、これは西から日が出るのと同じくらいありえない事だ」
「で、でも現にネルさんは赤い髪で生まれたじゃないですか」
「そうだ、ありえない事が現実に起きてしまった。それだけで恐怖の対象だろう。……それに、過去に私がやらかした事も相まって尚更恐怖の対象なんだろうな」
違うから怖い。それは天のいた日本でも実際にあった事実であったりする。昔の日本人は初めて外国人を見た時、鼻がとても高いからという理由で驚いて恐怖したそうだ。
その際に、外国人を天狗と呼んで皆は自分を納得させた。妖怪などは、そういった未知の恐怖から誕生したはけ口なのだ。
もっと最悪な例を挙げるとすれば肌の色だろう。日本人はイエローモンキーと揶揄されるなど恐怖の対象にはならなくとも差別の対象にはなってしまった。
魔女狩り然り、ただ違うだけで様々な不遇を背負ってきた者達は確かに存在する。それはこの世界でも例外なく適応されていたのだろう。
どの世界においても、違うという事は恐怖と差別の対象になってしまうのだ。
「……だから不幸、ですか」
「ああ。だから私はタカシをせめて同じ目に合わせないようにと思って引き取ろうと思ったんだ……。けど、やっぱりダメだった……」
「ネルさん……」
「……なぁタカシ」
ネルの体は震えていた。それが恐怖によるものなのか何なのかは分からなかったが、天はその姿がひどく儚げに見えた。
「……私は弱いみたいだ。お前がいないと私はどうにかなりそうだよ……。けど、私はお前に手を掛けてしまった……それが私を苦しめるんだ……」
「……ネルさん。手を掛けたとか、その意味は僕には分からないですけど……僕が原因で苦しんでいるなら大丈夫ですよ」
天は立ち上がると、ネルの隣へと移動する。ソファにゆっくりと腰を下ろすと、ネルの手を握った。
「僕はいつだってネルさんの味方です。僕だってネルさんの隣にいたい。僕は、ネルさんと共に生きたいんです。だから僕は、ネルさんに何をされようと構わないです」
「タカシ……」
「だから、ね? そんな顔はやめましょ? ネルさんには、笑顔が似合ってますよ。……僕は笑顔のネルさんの方が好きですよ」
天が優しい表情で微笑む。その表情を見た、その言葉を聞いて、ネルは。
「……あー、駄目だ。泣きそう」
今にも泣きそうな声でそう言うと、天井を仰いで片手で目元を覆う。ネルにとって、誰かに優しくされたのは初めてだったので感情の整理が追いつかなくなっていたのだ。
◇◆◇◆◇
「……旅、ですか?」
「正確には逃亡だな。今日中には出来ればここを発ちたい」
「はぁ、僕は構いませんけど……。けどこの家はどうするんです?」
つい先程まで泣いていたのでネルの目元は赤く腫れていた。少々鼻詰まりの声でネルは答える。
「ここへ来れるのはタカシと私だけだからな。空き巣に入られる心配もないしこのままにしておこうと思う」
「……帰ってこれますかね」
「帰れるさ、ここは私達の家だ。なら帰ってくるのが当たり前だろ?」
そうですね、と天ははにかみながら頷く。
「さ、荷物をまとめて置いてくれ。私は最後にやり残した事をやってくるから」
そう言うとネルは買い溜めしてた衣服を適当に着始める。麻で作られた簡素な衣服を身につけると、どこから取り出したのかボロボロの布を体に巻きつける。
「あれ? そんなに着ると嵩張りませんか?」
「いや、鎧は装着しないからこれで良いんだ」
「……それじゃあどうやって髪隠すんですか? 兜だけ被るんですか?」
「隠さない、このまま出かけるんだ」
ネルは赤い髪を見せない為に今の今まで鎧一式に身を包んで肌を一切誰にも見せないようにしていた。そのネルが隠さず外出するというのだから、天は少し不安に駆られる。
ネルは天の頭をポンと軽く叩くと大丈夫、と優しい声で言った。
「そんじゃすぐ戻るから手早く荷物まとめておけよ」
「……分かりました」
◇◆◇◆◇
(……さて、話も済んだし本命に行くか)
ネルは先程まで話をしていた青髪の少女の事を頭の片隅に追いやって思考を切り替える。次の目的地は城内の騎士の詰所だ。
人は誰でも構わない。ただ宣言するだけなのだから。
目的地まではすぐについた。元々門の近くに建てられているのだ。街からすぐそこである。ふと空を見ると日が傾き始めていた。
魔の夕暮れ時だ。街の人達もそれを嫌って外へ出ようとしない。今外にいるのはおそらく店じまいをする為に看板とかを片付けている店主や店番の人だろう。
それを尻目にネルは城壁の上へと座り込んで詰所を見下ろしていた。詰所の近くで騎士が二人雑談しているようだ。ネルはその二人に向かってある物を放り投げる。
「ん?」
「どうした?」
「いや……これを見てくれ」
拾ったのは破片だ。形状からしてそれは騎士達が使用してる鎧の破片だと理解出来たのだがそれが何を意味するのか分からなかった。
「鎧の破片か? お前どこか壊したのか?」
「俺じゃねーって! つーか、これ鎧よりかは兜じゃないか?」
「兜だぁ? けど兜つけてるやつなんかこっちにいたっけか?」
「分かんねー。というかこれ上から……」
そこで騎士は言葉を止めてしまった。何か見たのかと思いもう1人が視線の先を追うと、絶句した。
「お、おい……。あれって夕日でそう見えてるだけだよな……?」
「そ、そうに決まってるだろ!」
自分が見えてるものがありえないと言わんばかりに否定の言葉を探す騎士達。その騎士達に、ネルは言葉を放った。
「ネル=ロージュは死んだ。ここの王に伝えておけ。私は帰ってきた、必ず復讐するとな」
「ひっ……!」
騎士達は怯えた声を出す。確信してしまったのだ。今こちらに言葉を投げかけているのは、御伽噺でしか聞いたことのない赤髪の化け物だという事に。
普段の彼らならそれを鼻で笑ったろう。だが、それを信じてしまうぐらいの相手の殺気と迫力に気圧されてしまった。
それこそ、これしかないだろうと思い込んでしまうぐらいに。
「あばよ」
そう言うと、赤髪の化け物は姿を消した。それを視認はしていたが、しばらくは呆然として動けなかった。
どれくらい経っただろうか、詰め所から別の騎士が出てきて2人を見つけると声をかけた。
「おい、お前ら。早く門に行けよ。交代の時間なのに交代する奴が来ないって連絡きたぞ」
「…………呼んでくれ」
「は? おい、だからお前ら早く……」
「王様を早く呼んでくれ!! 大至急だ!」
何言ってるんだこいつ、そう思って早く交代するように急かそうとしたら、騎士の次の言葉に驚愕した。
「ロージュ様が殺された! しかも相手はあの“赤髪”だ!! 大至急王様に報告しなきゃダメだろ!」
◇◆◇◆◇
「……なんつって」
ネルは意地悪そうな笑みを浮かべながら森の近くまで走ってきていた。そこにはリュックを2つ背負った天が座り込んでいた。もちろん近くにはイスティーナもいる。
「おーい! 待たせたなー!」
「あ、ネルさん!」
ネルは天の近くまで来ると足を止めた。そしてから、イスティーナに視線を向ける。
「本当に来たんだな。ダメ元だったとはいえ正直来るとは思ってなかった」
「……私の名前、知ってた。それで、信頼」
「そうかい。それじゃ行くか。あ、タカシ荷物1つ持つぞ」
「これネルさんのリュックなんで持ってくれると助かりますね〜」
そういえば荷物置きっぱなしだったなと思い出して天に感謝すると、リュックを背負って歩き出す。先導するように歩くイスティーナにネルの後ろを歩く天。
天はネルに近づくとひそひそ声で話しかけてきた。
「……あれって勇者一行の1人じゃありませんでしたっけ?」
「おう。脅して勇者一行から引っこ抜いてきた」
「おど……!? ま、まぁネルさんのやる事ですから納得しますけど……。なんでわざわざ?」
「保険だよ。あのバカ勇者が執拗にこっちを狙ってくるからな。ああいう手合いもこっちに元仲間がいれば襲いづらいだろうなって」
な、なるほどー、と天は頷く。それにこれは天に伝えてはいなかったが、イスティーナは赤い髪を見てもさほど驚いてはいなかったのも誘う原因の1つだったりした。
よほど本名を知っているという効果が大きいらしい。一々騒がられるよりかはマシだと思い、人質がてら誘ったというのが真相だ。
「……この先、穴ある。そこ通れば、外」
「あいよ」
「分かりました〜」
三度夢は潰えた。けれど、彼女はまだ夢を見ようと切に願う。少年はまだ喰われず、また喰われまいと抗う。
彼女は少年と、少年は彼女と、寄り添い合う為に生き続ける。たとえそれが悲しい生き方だとしても。




