変わらない選択
「……確定だな」
「……それじゃあ、どうやって帰るの?」
ネルとシュティが現在いる場所は火山の火口付近だ。暑さにイライラしながらもシュティの質問には一応答えるネル。
「分からん。だが、こうやってその場から離れようとすると別の場所に飛ばされるのには意味があるんじゃないか」
「……けど、意味が分からない点が、多すぎる」
シュティの言う意味の分からない点とは、マグマから聞こえてくる悲鳴だ。断末魔の声が延々と響いてくるこの火山は一層不気味であった。
先程ネルが語った通り、どうやらその場から離れるといつの間にか別の場所にいるのだ。最初は見知らぬ部屋、次に死体で埋まっていた川、腐臭のする森など次から次へと場所を移されてきた。
何より、最初の部屋を除けば全て人の死体か断末魔が響いている場所で、心が休まる場所などどこにもなかった。
シュティは最初こそ苦しそうだったが、今は少し耐えられるようになったのか顔が青いだけですんでいるようだ。
「無理に共通点を挙げるなら、……死か?」
「……かもしれない。死体がいっぱいあるし……。常人がここにいたら、発狂するかも」
「その割にはお前は平気そうだな。流石は勇者一行ってか?」
「……死体見るの、これが初めてじゃない、から」
ネルはつまらなそうにあっそ、と言う。
短い間ではあるが、シュティはネルと行動を共にして気づいたことがある。それは他人について、いや自分以外に対して興味がないらしいのだ。
自分さえ良ければそれで構わないというスタンスというのが嫌という程理解したシュティはとにかくネルについて行くのに精一杯だった。
シュティはまだネルの事を許せなかった。だが、同時にその怒りは身勝手だと自重する自分もいた。ハルの為、と覚悟を決めてネルの前に立ったはずなのにまたもその思いは揺れていた。
(……そもそも、騎士長は関係ないはず。目的はあの子だけだった……)
「おい」
「! ……何?」
「囲まれてるみたいだ。かなり多いぞ、手伝え」
「……分かった」
シュティが黒塗りの短剣を取り出すの同時にそれは姿を現した。その姿を見て、シュティは思わず顔を歪めてネルは舌打ちをした。
「悪趣味だな」
ネルをもってそう評させる敵は、確かにネルの言う通りであったのだろう。それこそ先程シュティの言った通り、常人であればその姿を見ただけでも卒倒したかもしれない。
その姿はまるで人間を一つの形に無理矢理詰め込んだような歪な形をしていたからだ。
頭の部分は腕が何重にも折りたたまれて何とか頭の形を保とうとしているだけで、腕が飛び出ているためかなりグロテスクだ。
そもそも、パーツの位置が何一つあってないのだ。頭には腕、腕には骨のような何か、体はぶよぶよとした内臓が血を撒き散らしながら蠢いている。
人の形をした何か、そういった表現が一番正しいのだろう。
だが敵は敵だ。ネルは頭に浮かんだ嫌な想像を頭から振り払い先に行動を起こそうとしたその瞬間、場所が変わった。
「……!」
「あ?」
一瞬にして敵が消えて脱力したのも束の間、今度は場所に問題がある事に気付いた。
無いのだ、足元が。
すぐさま二人は落下し始めて、急速に目の前の景色が加速する。上へ上へと景色は上っては変わっていく。ゴウゴウと風を切る音が耳にまとわりついて離れない。
———どうして?
ふとそんな声が聞こえた。二人ともその声が聞こえたらしく顔を見合わせる。変化はすぐに現れた。目の前の景色がまるで古ぼけた映画のように切り替わっていく。
———違う、僕じゃない!
その声に呼応するかのようにまた景色が切り替わる。大きく炊かれた火は爆竹のような音を立てており、そしてその焚き火の中心には十字に組まれた木がある。
その木には小さな子供が括られていて———
◇◆◇◆◇
「ようやく起きたようじゃの」
その声にハッとする。意識が現実へと引き戻される感覚にネルは一瞬困惑するが、すぐさまその困惑は切り捨てて目を覚ます。そこには、天との別人格である彼女がいた。
「お前……」
今いる場所は光溢れる街、ではなくネルと天が住まいとしていた家であった。修練場として使っていた場であり、周りには真っ二つに割った木がゴロゴロ転がっている。
横にはシュティも困惑した表情で起きていた。元々無口なのもあり口には出さないが目が今の状態を雄弁に語っている。ここはどこだ、と。
「そう急かすでない。ここは現実じゃよ」
「……! ハルは、どこ」
「誰じゃそれ」
そうは言ったものの、すぐに思い出したのか、ああなるほど、と呟いた。
「おそらくあの光の申し子の事じゃろ? 安心せい、生きとるよ。今は殺すわけにもいかんかったからな」
「……貴女は?」
「もう少し逡巡するかと思ったんじゃが……。まぁよい。妾に名前なんぞない、時代と人によってそれぞれ勝手に呼ばれてはおったからの」
シュティが尚も問い詰めようとした時、ネルの苛立った声が割り込んできた。
「なんでお前なんだ。タカシはどうした」
そこでようやく彼女は表情らしい表情を浮かべた。いつもの艶かしい微笑ではなく、明らかに困ってるであろうと分かる表情だ。
「はぁ……。それじゃ、そこが問題なんじゃ」
「どういう事だ!」
ネルは思わず声を張り上げる。隣にいるシュティが驚いて肩をびくりと震わせたが、関係ないと無視をした。ネルにとって今重要なのは天についてなのだから。
「お主らこの体……というのも語弊があるか。ゴホン、別人格であるあやつに負荷でもかけたのか?」
「だから……!」
「あやつのために怒るのは結構じゃが落ち着け。今この場で怒りを発散させるべきじゃなかろうが。話を聞くのじゃ」
ネルは舌打ちをすると、そのまま無言になった。だがもしも何かあったら殺すぞと言わんばかりのオーラが溢れ出ている。
「……はぁ。別人格とはいえ呪いを大切に思う奴なんぞお主ぐらいじゃぞ……」
「……? それはどういう……」
「おっと、話が拗れるからその話は後じゃ青髪の。さて、話を戻そう。今あやつの人格は眠っておる。かなり深くな」
彼女はため息をつくと近くの切り株に腰を下ろす。
「原因は精神が恐怖に蝕まれていたのと、縛りもなしに妾の力を使ったからじゃな。まともな生活を送っていればここまで最悪の条件が揃うこともないと思うんじゃがな、命でも狙われたか?」
「クソ勇者に命を狙われたからだな」
「……それは」
「どうやら元凶はそれのようじゃな。あやつはまだ幼い。死の恐怖に意識を沈めてしまったのじゃろう。……それだけならまだ良かったんじゃが、よりにもよって妾の力を使ってしまった。それが原因で自我の崩壊を引き起こした可能性があるの」
理屈は分からないが、命を狙われてしまったのでその恐怖で天は意識を閉ざした、そうネルは解釈して隣のシュティに殺意を込めた視線を向ける。
その視線にシュティは蛇に睨まれた蛙のように体を動かせず、ただただ体を震わせていた。ネルは視線を固定したまま彼女に質問をした。
「タカシは戻るんだろうな?」
「正直可能性は低い。じゃが、確実に戻す方法はある」
「ならその方法とやらを教えろ。タカシを早く返してくれ」
「……そうじゃな。そうでないと妾も困る。さて、その方法なんじゃがな」
彼女はそれを口にする。その方法を聞いて、ネルが困惑の声を漏らした。事情の知らないシュティでさえも、その方法を聞いてショックを受けた。
◇◆◇◆◇
「……ごめんなさい!」
シュティは心の底からそう思いネルに謝った。だがネルは返事はなく無言だ。
ネルは家の中だというのに兜も脱がずに腕を組んで椅子に座っていた。その姿には、まるで決戦前の武将のような雰囲気がただよっている。
だというのに、どうしてだろうか。その雰囲気の中にどこか悲壮的な雰囲気が混じっているのは。
「……私が、私達が間違っていた……。本当に、本当にごめんなさい……!」
「……もういい。過ぎた事だ」
その声色にはどこか疲れが滲んでいた。いつもの辛辣な態度ではない。ネルの事をあまり知らないシュティでも分かる。ネルは憔悴していると。
「……けど、記憶が無くなるならそこまで気に———」
「本当にそう思うか?」
しなくてもいいんじゃないのでは、そう言い切る前にネルの言葉が遮った。
「理屈じゃ正しいだろう。事実、記憶さえなければ無かった事になるんだから」
「……」
「今更どうこう説くつもりはないがな、これだけは言わせておく。やる、やらないの問題じゃねぇんだよ。その選択肢を選ぶ時点でこれは間違ってる。正義を説いておきながらやってる事はただの人殺しの正当化だ。吐き気を催すな」
少し前のシュティなら反論をしただろう。だが今のシュティでは反論どころか、逆にネルの意見を理解出来てしまっている。
勇者一行の一人とは思えない思考、シュティにとっての当たり前が崩壊している。何が正しくてなにが正しくないのか、これはある意味、シュティが純粋だからこその悩みなのかもしれない。
人間として当たり前の悩みのはずなのに、この世界ではそれが異常と捉えられる。それをおかしく思い始めたのはここ最近だ。
そして一度それに気づいてしまえばもう安易な正義を振る舞う事は出来なくなる。揺れ続けてしまう。
「……っ」
「……始めるか」
ネルは立ち上がると重い足取りで部屋から出て行く。だけど、その前にシュティはネルに最後の言葉をかける。
「……イスティーナ、それが私の本名。私に伝えて、その名前を使えば必ず貴女を信用する」
「……そうかい」
ネルは一瞬立ち止まるが、すぐに廊下を歩いていく。歩きながらシュティには聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。
「やっぱりこうなるんだな……」
◇◆◇◆◇
そこからは特にこれといった事はしてない。人によっては嫌悪するかもしれないが私にとっては何も感じる事はない。
私はただ、タカシをこの手に掛けただけなのだから。人殺しなんてのは飽きるほどしてきた。だから、今回もそれと変わらない、変わらないはずなんだ。
私は———