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カドとエイルが手合わせをした夜、エワズは偵察の旅から戻ってきた。
容赦なく殴られた痕があるカドが食事の準備をしており、エイルはいかにもな怒気を抱いた様子でそっぽを向いている。
サラマンダーと黒山羊は対象的に手厚い扱いで、彼女の膝で優しく撫でられていた。
そんな状況から多少は察したのだろう。
エワズが声にして事情を聞いてくることはない。意識共有によって真相を知ると、ため息を吐かんばかりの様子だ。
『カドよ。正座するのだ』
「あ、はい」
『そういうところぞ』
本当の戦闘でも対応できるようにとの模擬戦闘だというのに虫攻めは駄目らしい。
まあ、エワズの言い分はわからんでもなかった。
「そうですね。服の中に入ったヒルがエイルのおっぱいに挟まった後から攻めが苛烈になって、タコ殴りにされました」
「ふんっ!」
言った直後、サラマンダーがカドに向けて投げ飛ばされた。
顔を背けるというのに留まらないのは、彼女の性格がよく表れてきたところだ。
しかし巻き込まれたサラマンダーからすれば堪ったものではない。何やら口を開け、仰け反る形で固まってしまった。
これはどんな感情表現なのだろう。新手の死んだふりだろうか。全く理解できないカドはそれをそっと傍らに下ろす。
エワズはそんな全体を見回した後、呆れとは違う息を吐いた。
『ふむ。だが良い顔になった。エイルよ、様々な感情を抱き、此奴にぶつけたのであろう。それで良い』
かりかりとするばかりであったエイルはその声に不意を打たれたような顔になる。
『汝は死んではおらぬ。生かされ、今も生きている。死体じみた顔などする必要もない』
出会った時のように周囲に怯え、縮こまって生きるなんて、それこそ故人に願われた姿ではないだろう。
生きるのに必死で、本人はそんなこと気付く余裕もなかったのかも知れない。
エワズは今の雰囲気ならば敢えて言葉にして伝えた方が意味があると考えたのだろう。人外以外の何物でもない見かけの割に配慮している。
聞かされたエイルはすぐに受け止め直していた。
「うん、そうだね。今こうしていられること、無駄にしたくないな」
じわりと感じ入るものがあったらしい。
エイルは自分の尾を引き寄せ、ひと撫でしていた。
彼女とエワズも含め、そんな様子を見たカドは、ほほうと感心した様子で息を吐く。
すると、素早く気取ったエワズが半目を向けてきた。
『カドよ。言っておくが、我は年頃の娘と長らく生活を共にしてきた。このような姿であれ、汝よりは人の扱いがマシである自信がある』
「ドラゴンにも手酷く言われる僕って一体……」
外国人に母国語の知識で負けるような地味目のショックを感じてしまう。
まあ、この命を拾う過程で人間性やその他諸々を微妙に失っている自覚はある。エイルへの指摘と同じく、カドもこれを粛々と受け入れた。
「それはともかく、そちらの偵察はどんな具合だったんですか?」
『大きな問題はない。境界周囲に確認できた冒険者の数もさして多くなかった。〈剥片〉に関しては物の数ではない。第二層への進出は、それを越えた先の大蝦蟇次第ではあろう。然るに、行って確かめるほかない。だが、エイルよ。汝にはその前に一つ試練を課そう』
「またカドとの戦闘訓練とか?」
緩みかけていた雰囲気だが、彼女は真面目に取ったのだろう。背筋を伸ばしてエワズに視線を返した。
しかし、エワズはそれに対して首を横に振る。
『否。我らは人の世から離れた者。それに付いてくると言う者が世を捨てていないでどうする。目的地の境界からもさほど離れておらぬ。まずは汝の故郷に向かうとしよう。そこで付けるべきケジメを付けるが良い』
エワズの言葉にエイルはびくりと身を震わせる。
「で、でもっ――!」
『真実を口にすれば、我らは汝の力を必要としておらぬのだ。拠り所のない、憐れな者であれば同情もしよう。しかし、今はそれ以前の問題であろう?』
「〜〜……っ」
先程は細やかな配慮もしたというのに、今度のエワズは鋭利だ。
いや、違う。優しいからこその厳しさだろうか。
歩み寄りやすいからと、本来の居場所ではない場所にいつこうとするエイル。だから厳しくしているのかも知れない。
エワズは告げるだけ告げると、またどこかに行こうと背を向けた。
『もう夜の帳も落ちる。出発は明日だ。心しておくが良い』
そう言われたエイルに反応はない。彼女は酷く不安がってうつむいていた。
エワズは去り際にそんな彼女からカドに視線を移してくる。
『支えてやるのは、汝の役目だ。それも一つの訓練よ。真剣に向き合え』
この声は、カドにのみ絞って向けられたものだ。
エワズはそれだけ伝えると、バサリと翼を打って空に飛び立つ。
誰に何が必要なのか、面倒見よく考えてのことなのだろう。
常々、口煩く言われているカドは、去り際の言葉でそう理解した。
いやはや、人との接し方は理解できるものの、そつなくこなすように求められると不安が残る。
カドは慎重に考えつつ、エイルに目を向けた。
「親とか知り合いに会うのが不安ですか?」
「……うん。だって――」
彼女は改めて口にはしない。そこに抱いた本音はもう以前溢していた。
彼女は兄を死なせ、自分だけ生き残ってしまったことを後ろめたく思っている。
そして、忌み子じみた存在として追われ続けたことで、知己の存在とも今までの関係が崩壊してしまったらどうしようかと不安がっている。そんなところなのだ。
言葉にできずにいたエイルは口もとをわなわなと震わせていた。
「私、父さんにどんな顔をして会えばいいんだろうね……?」
答えのない問いだ。
面と向かう合う自信がないからこその言葉である。
当然、向けるべき表情の答えなんてカドにも思い浮かばない。笑顔も泣き顔も、絶対の答えにはならないだろうということしかわからなかった。
故にカドは彼女に問いかける。
「そうですねえ、エイルはその顔を変えて他人になりたいってわけでもないですよね?」
「顔を変えたら、会えるかな……?」
自分にはそういう資格がないとでも言いたげに、声が震える。
カドはそれを聞いて、首を横に振った。
「エイルの顔は、変えようがありませんよ。さっきのドラゴンさんの言葉じゃないですが、お兄さんが生かそうとしたのはずっと一緒に生きてきたエイルで、家族が知っているのも今までのエイルです。違うものに変えたって意味がないんじゃないかなと思います」
自分には整形技術なんてないからそんなこともできないし――との考えも、一瞬頭を過ぎったが、これは適切な考えではないなとカドは判断する。
これは文字通りに顔を変えたところで意味はない。
本当は出来ることなんて何もないのだ。残された家族の気持ちなんてわからないし、それがどう思うかもわからない。体裁だけ取り繕って接触しに行ったところで、彼女は救われない。
だからこそ、支えるなんて曖昧な助けが必要になる。
「僕たちは最後まで見届けますよ」
「私っ、こんな顔で泣いているのにっ……」
ぐずっと鼻まで啜って涙を流す顔は見てくれも悪い。エイルはそれに付き合わなくてもいいと突き放すような言葉を向けて来ていた。
しかし、見届けると言った以上はそれで揺らぐはずもない。
「事をやり遂げられるなら、好きなだけ泣いたらいいんじゃないでしょうか」
「カドの、バカッ……!」
なんだろう。心にもなさそうな悪態である。人の機微には疎くとも、そんなことは察せられた。
彼女の感情の波が落ち着くまで、カドは彼女の様子を見続けたのだった。




