天使の沙汰も可愛さ次第 Ⅰ
カドたちが再始動に向けて動き始めていた頃、アッシャーの街でも静かな動きがあった。
ハルアジスの失脚以後、第二層との境界で起きている異変について五代祖の残る四家が重い腰を上げて対処に乗り出したのである。
もっとも、成果は芳しくない。
最精鋭であるクラスⅣを中心とした遠征チームは第四層にいて連絡つかず。その他冒険者も送り込んだが、境界から溢れてくる〈剥片〉の排除に手一杯。
第二、三階層を主な狩場としている熟練者も〈魔の月涙〉の原因である大蝦蟇が境界付近に居座っているとなると、命を惜しんで近付かなかった。
おまけに〈剥片〉の寄生する特性が厄介だった。
第一層上位モンスター、ガグに寄生してランクアップさせた時はともかく、〈死地〉の強力な個体に寄生された時は並の冒険者では対処できなかったのだ。
高ランクの冒険者はもっと大きな異変が起こった時のための保険と出し惜しみがされてきた。結果、境界域の各所で悲鳴が上がり、リリエは度々泣きつかれてきたのだ。
「はぁ。思えば私も遠回りなことばかりしているわね……」
リリエはほうとため息を吐く。
元気のなさは体にも表れ、憂鬱さからうつむき加減にもなっていた。
「そもそも、私はなんでお偉いさんのご機嫌取りみたいなことをしているのかしらね。そりゃあ密かな企みもあるけれど、もっとこう可愛い男子と戯れつつ、困ったり困らせたりしながら大きなことを成し遂げるって方向にはならないのかしら」
朝、ギルドの使いの知らせで目を覚まして雑用をこなす。その後、汚れた体を温かいタオルで拭いて清めて疲れのままに就寝。ついでに暇を見ては同族である天使の相談に乗る。
そんな味気のない毎日だ。
危なっかしくも可愛げがあるカドを抱き枕代わりにして寝た日が懐かしい。
唯一の良いことはギルド食堂で酒とおつまみがこれでも振る舞われたこと――いや、これはノーカウントだ。これで気を良くしては色々とかわいそうな人になってしまう。
ともあれ、今まで世話を見てきた同族や境界域の弱者を見捨てて個人の楽しみに興じることができなかった。
故にリリエは今日も大きなため息を漏らす。
こうして憂鬱に浸るのも、貴婦人みたくカフェや庭園という場でしているのではない。アッシャーの街の麓にある遺跡で、大鉈にもたれかかりながらおこなっている。
なんかもう、優雅な憂いとは別次元で本当に悲しい。
「こういうところなのよね、きっと……」
自分の生活スタイルからして華やかさや楽しさとは縁遠いことをよよよと嘆く。そんな時、廃墟からざっと砂をする音を耳にした。
それに気づいたリリエは顔を上げる。
音の方向に見えたのは、剣の一派から出てしまった英霊だ。
凛々しい女性騎士の亡霊。この廃墟に居座る英霊の代表格だった。
彼女はハイ・ブラセルの塔となった人間の英雄リーシャ――その分家にあたる剣士の大家で数世代前に現れた傑物と聞く。
「血縁だっただけに、あの子に面影が似ているわね」
過去の優秀な冒険者と平凡な冒険者の魔素を合わせて形成する混成冒険者は、過去の傑物の才能をコピーできる上に何度でも作り直せるという点で非常に便利だ。
しかし、どこまでいこうと別人は別人。
どこかしらの性質が合わないために小さな齟齬が生まれ続け、ついには精神力で負けて主導権を奪われた結果、こんな自我のない亡霊と化す。
まあ、目的意識も低い凡庸な魂と、死してなお形を残す意志の塊。それを混ぜ合わせればどちらの色になるかは言うまでもない。
各派閥からすれば亡霊を排出してしまうのは汚点でしかないが、それでも境界域から生み出される資源と利益のためにこのシステムを維持し続けようとしているのだ。
そんな愚劣さにはもう辟易してしまう。
「まあ、困らせてやるために頑張りましょうか」
困窮する事態であるほど、交渉で利益を引き出せるものだ。リリエはそこに抱いた野望故に、今日も勤労に励む。
地面から大鉈を引き抜くと、あちらも剣を構えた。
あの亡霊の特技は〈剣閃〉。斬撃をいくらでも飛ばせることを主軸に、その他数種類は厄介な技能を持つと聞く。
ならばまずは力比べの意味でも、遠距離で打ち合ってやろうではないか。
リリエは大鉈を粗雑に放った。
ただそれだけではあるが、速度は壮絶だ。目で追うのも至難で、衝撃波まで発生している。
英霊も剣閃を放ってきたものの、速度は比較にならない。技を放った直後に回避に移ってようやく難を逃れたというところだ。
外れた大鉈は先にあった遺跡を三棟ほどふっ飛ばして沈黙する。
人間ならばこの速度にぎょっとして的になっていたかも知れないが、そこは自我のない亡霊。染み付いた戦闘の癖で、見事に対処したようだ。
「おっと、こっちもよね」
それを見据えていたリリエは思い出したように自分も回避する。
突風に向かって木刀を振っても、全て防げないのと同じ。大鉈が一部食い破ったとはいえ、剣閃の残る部分が襲いかかってきたのだ。
鍔迫り合いなどしようものなら、ばっさり切られるという近接戦闘者殺しの特性である。
注意すべき点を見て取ったリリエは地面を蹴り、接敵した。
「こういうのもまあ、殴って終わらせるのだけど」
近距離戦に特化しているのなら、遠距離で合わせていく。
しかし相手もそれは承知なのだろうから対抗策は持っているはず。
――そんな駆け引きはまだるっこしい。全力でぶち抜くのみだ。
接敵は瞬き一回分もあれば終わる。
英霊は牽制としてまた剣閃を二つ三つ放ってきたが、それをサイドステップによって回避。避けた先を狙って再び剣を振ってこようとしたが、もう猶予は与えない。
瞬時に踏み込み、英霊が振りかぶった腕を左手で掴み止める。
「そうよね。反撃もあるわよね。でも……」
残る手を予備武装に伸ばし、刺突で対処しようとするのは見えた。けれども腕を引いて体制を崩してやることにより、その動きを妨げてやる。
そして、こちらの右ストレートを顔面に叩き込んでやった。
ぱん! と頭部が弾け飛ぶ。
あまりの威力に掴んだ腕と胴体も引きちぎれたが、単なるオーバーキルだ。魔素に還るスピードが早まるのみである。
「うん。小細工はだめよ、小細工は。後追いで些細な抵抗をしたって圧倒されるに決まっているじゃない。質や量で劣る相手なら、得意分野に持ち込まれた時点で引き際よ。もっとも、英霊にはそういう判断ができる自我はないでしょうけど」
リリエはさらさらと光の粒子になって消える英霊を看取る。
混成冒険者と同じだ。あの体さえ壊れれば終わりである。
ひと仕事を終え、んんーっと伸びをしながら街への帰路に着こうとすると前方から人がやって来た。
「これで廃墟の英霊は全撃破ですね」
「そうねえ。実力の確認っていう名目の雑用。もう本当に失礼してしまうから、私も容赦なく当たらせてもらいましょうね」
やってきたのはギルド職員だ。
ギルドと管理局、そして四家を依頼主として、ある仕事を頼まれそうなのである。
その仕事を受ける上での最低条件ということで、こんな力試しをさせられたのだ。
可愛くないお偉いさんなんぞに慈悲はない。
迷惑をかけられた分、大きい要求をさせてもらおうとリリエは心に決めている。
「じゃあ、会議場に向かいましょうか」
「はい、ご案内いたします」
促すと、ギルド職員は恭しく頷くのだった。
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この作品とは違い、公務員獣医的な視点&ノーチートで努力した作品なのでご興味の方は是非一読ください。




