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在りし幻影の塔 Ⅰ

 在りし幻影の塔(ハイ・ブラセル)

 

 空を飛んでいる。

 バッサバッサと羽ばたく竜に咥えられて、地中のはずなのに空を持つこの奇妙な世界を見下ろしていた。


 そんな時、ふと思う。


《竜の乗り心地って酷いなぁ。体が残っていたら気持ち悪くて吐いてましたよ》


 グライダーとは違って翼で空気を掴み、羽ばたくことで飛んでいる点が重要だ。


 竜というものは元々、飛べる体躯ではない。何せ身体が大きく、重たすぎる。

 それを力で強引に捻じ伏せる豪快な生き様だ。翼で空気を叩き落として身体を浮かせるものだから、その度に体が上下に揺れて船酔いどころでは済まないだろう。


 空を飛ぶ竜でさえこれなのだ。地上を爆走する地竜なんてものに乗るとしたら正気の沙汰とは思えない。

 そんな思いを抱いていると、竜が顔をしかめた。


『体が残っていたら、か。その卑屈さは笑えぬのだが』

《じゃあ話題転換。その翼を打ち下ろす筋肉の起始部と、骨のくっつき方についてお話しましょう》

『うむ、あまりにも強引な転換よな。加えて、内容もまたどうなのだ。汝、発想が人斬りと似ておるのではないか?』


 斬った際の感触を知りたい。命の駆け引きを楽しみたい。血飛沫や零れ落ちる臓物に興奮する。そんな猟奇的な人斬りと学術的な興味は似ているのだろうか。

 ふと、逡巡する。


 ……ざっくり表現すると、生物の中身を知りたいという衝動なので親戚くらいの近さかもしれないが、それはそれだ。

 動けない杖の身では適わない事柄である。


 実行不可能な以上、ただの思考遊びに過ぎない。思想の自由があるのだ。こんなところでの倫理なんて気にするのも馬鹿らしい。


『汝が肉体を手に入れる方法については提案できるのだが、世に解き放って良いものか今更ながらに悩まされる』

《何やら凄くファンタジーな発言が》


 当然のごとく口にするのだ。魔法もあるこの世界では確立された手法でもあるのだろうか。

 世界の在り方に加えて超常の現象やら、果ては亡霊なんてものまで見たのだ。今更何があっても驚きはしない。


《意識があるといっても杖ですよ。そんなものが肉体を手に入れるってどんな手法なんです? そこんとこ詳しく》

『懸念を生ませるのはそういうところぞ』


 肉体が復活するところに飛びついて喜ぶのではない。

 杖に憑いた地縛霊のような状態から、何をどうしたら人間に復帰できるのかについてをまず気にしていた。その点がいけないらしい。


 しかし、仕方がない。

 あやふやな人格が杖につきまとっているだけなのだ。風が吹いたら消えるかも知れない自我なので、自分の命の大切さというものが酷く希薄なのである。


 原因は何となくわかる。手付かずに残された専門知識が悪いのだろう。

 考えてもみてほしい。肉体が求める三大欲求は体があるからこそ発生するものだ。

 杖という我が身はその本能が希薄で、知識ばかりが肥大している。その結果、三大欲求より探究心が先行してしまうのだ。


 下手をすればマッドサイエンティスト一直線かも知れない。

 そんな思いがあるのだろう。竜には呆れられたのか、溜息を吐かれてしまった。


『しかしどちらにせよ、汝の叡智がなければ我の身も危うい。拾った責任もあるのだ。しばらくは汝の目付けをするとしよう』

《それはどうも。その目付けついでにそろそろ聞きたい事柄がいくつか。この場所やドラゴンさん自身、それから復活の仕方について教えてください》

『汝、やはり最後については執着しておるな』


 そういうところぞと、もう一度念を押されている空気を感じる。


《まあ、自分の身にも関する事柄なので。残念ながらその理論について学ばない選択肢はないですよね。とりあえず、ここはどういうところですか? まず、元いた世界の常識からすると、この世界のあり方自体がどうにも馴染まないんです》


 剣と魔法のファンタジーな異世界。

 そんな程度の認識しかないとあってはよちよち歩きにも程がある。


 ふむと頷いた竜は語り始めた。


『この場は先程までいた物質界に隣接する別世界だ。魔力が渦巻き、万象を律する法則も異なる非物質の世界――異界と言う。物質界にはいくつもの異界が隣接しておってな、人はそれを境界域と呼称している。この異界はアツィルト境界域という名だ』

《非物質? それにしては地上と大差ない場所に見えるんですけど》


 見下ろした世界には草原や森、さらには山と大自然が広がっている。

 その中に突然、巨大な塔や神殿などゲームで言うところのダンジョンじみたものがある点が奇妙だが、非物質とはどういうことだろうか。

 重力を始めとした物理法則も変わらないようなので見当もつかない。


 例えばの話、非物質な世界と言われて思い浮かべるのは霊界や天国だ。霊がそこら中にいて、物体は宙に浮いている――そんなぼんやりとしたイメージである。


『何事も徐々に移り変わるものなのだ。このアツィルト境界域は七つの階層から成っている。空に浮いた世界、水に溺れた世界、ひたすらに穴倉しかない世界――。深層ほど地上の常識からはかけ離れ、物質ではないモノが支配していく。汝も我が体躯の変化を見たであろう? あれよ。操れば己が肉体を形成するだけでなく、炎や氷にさえ変容させられる。そんな万能の元素が深層ほど濃く存在する世界なのだ。我らはそれを魔素と呼んでいる』

《なるほど。ここは地上寄りだからそんなに変わらないわけですか》

『然り。故に異界は神の領域への通路とも考えられている。その意味での境界であり、領域というわけだ。尤も、それほどの深淵を有する異界があるかは知れぬがな』


 要するにダンジョンと同じなのだろうが、その割に閉塞感はない。

 空を飛ぶ竜から見渡しても見えるのは地平線のみなのだ。一つ一つの階層とやらも途方もない広さなのだろう。


 とりあえず迷宮に関しては深層ほどファンタジーが極まる世界。それとだけ把握しておき、次を問いかける。


《じゃあ次はドラゴンさんの名前とか、素性とか、生態について詳しく》

『汝は隙あらば探究心を捻じ込むよの』

《全てはこの世界の常識がないためです、ハイ》


 一応、そういう意味もあるのでしばらくはこれで押し通すとしよう。


 屋敷の襲撃や英霊からの逃走と息をつく暇がなかったのだ。

 二人称などで呼び合うだけなのである。これからしばらく行動を共にするというのなら、このままお互いを知らないというのは何とも他人行儀だろう。

 コミュニケーション的にも、これらは大事な情報である。


『我が名か。呪術的な意味もあって汝に真名を明かすのもは憚られる。≪変じる者≫、≪天変の事触れ≫、≪雷光≫……様々に呼ばれたものだ。竜はそういるものではない。汝といる限りは竜と呼んでも困ることはなかろうて。しかし、ヒトは多い。汝の名は?』


 問いかけられ、答えようとしたものの思い浮かぶ名がない。


 そういえばそうだ。

 知識に関しないこと――個人的な思い出は真っ先に消されていた。

 自分の名もわからなければ、家族がいたかどうかすらも思い出せない。


 これについてはもう下手に考えるとハルアジスを想起してしまうだけなので恨むのも億劫だ。

 奴だけは許さない。その結論で終わりにしておく。


《記憶にないですねー。思い出せる気がしない》


 幽霊が自分の死を自覚した時、「あぁ、私って死んじゃっていたんだ……」としんみりすることがあるだろう。その気持ちがよくわかる。

 杖を基点にしているだけの地縛霊で、他に何もできないのだ。お先真っ暗にも程がある。

 何をどうしたところで絶望するしかないとなると、深く考えるだけ損だと思うのだ。


 竜はしばし無言になった。多少、配慮してくれるのだろう。

 そんなことを思っていると、翼が傾いた。どうやら急に方向転換を決意したらしい。


『一つ、汝に良いものを見せてやろう』


 そう言ったドラゴンは羽ばたくと、遠くに見える塔に向かい始めた。


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