決別の道 Ⅰ
鼓膜が破れそうな叱責であったが、そう来るだろうと心構えさえできていれば大したことはない。
すんなりと受け流したカドは率直に答えた。
「このまま成仏させるのはもったいないなぁと思いまして」
「そのような世迷言をほざくか!?」
暢気に対話したのも束の間のこと。
防壁に走ろうとした者や、負傷者を運び終えた者の一部が血相を変えてこの場を取り囲み、武器を構えた。
ふーっ、ふーっと手負いの野獣に囲まれたかのような空気である。一触即発とはこんな空気を言うのだろう。
これには激昂していたハルアジスも緊張で身を強張らせた。
だというのにカドはただ一人緊張を覚えていない。
何故だろうか? ふと、自問自答する。
答えは単純だった。
ハルアジスの叱責を受けた時と同じく、心構えができていたからだ。
エワズの願いに助力したいという不動の目的に繋がっているからだろう。定まっている以上は対話でも何でも順次こなして結果を掴み取るだけ。何も難しいことはない。
静かに状況を受け止めていると、フリーデグントが動くのが見えた。
「落ち着け! 事を荒立てるなっ!」
いち早く冷静さを取り戻した彼は場を宥めるべく動いてくれる。願ってもない。彼の主導に任せるのが最も穏便な手だろう。
ひとまず暴走はないと見たフリーデグントは重く息を吐き、見つめてくる。
「カド殿。どのような要件なのか説明をして欲しい」
囲みの一歩前に出た彼は手を広げて周囲を制止させたまま、問いただしてくる。
彼でさえ動揺を隠せないらしい。努めて冷静に振る舞いながらも、場合によっては周囲の勢いに同調するのもやむなしと苦渋が窺えた。
うん、それはカドとしても好ましくない展開だ。
無難に終えるために必要な方向性を見定め、静かに答える。
「まず、いきなり〈血命の盃〉を使った理由はこの人が成仏しそうだったからですね」
カドは視線をフリーデグントからハルアジスに移す。
手段を選ばず手を尽くして敗北したことで、未練も晴れかけていたのだろうか。
「……ふん」
ハルアジスは何も語らない。忌々しそうに目を背けるだけだ。
けれども彼は〈死屍跋扈〉を見届けた後、確かに人知れず消え去ろうとしていた。
こんな風に警戒される事態を行おうというのに、一から了解を取っていれば間違いなく間に合わなかったし、ともすれば邪魔が入ったことだろう。
突然の展開になったのは致し方なかった。これ以上は弁解のしようもない。
そう思ってきっぱり答えると、フリーデグントは頷く。
ひとまずこれについては理解を得られたようだ。
言葉なんて伝わらなさそうな周囲の敵意もフリーデグントというフィルターを挟むことで少しは理解してくれたようである。
「では、敵である彼に体を与えた理由はどこにあるのだろうか?」
そこが最大の謎だろう。
騒ぎを聞きつけて戻ってきたトリシアやエイルも理由を問いたがっている表情だ。
「僕は皆さんが言う守護竜に恩返しをしようと考えています。どんなことより、それが一番大事です。詳細は省きますが、その目的のためにハイ・ブラセルの塔の〈遺物〉を手に出来るくらい強くなろうと思っています」
ハイ・ブラセルの塔といえばかつての英雄リーシャの遺物が眠る場所として有名だ。この境界域に関わる者ならば常識と言っていいだろう。
過去から現在に至るまで五大祖も冒険者も届いていない高み。そこを目指しているということは伝わったはずだ。
その前提を踏まえた上で続ける。
「でも、今回の事態で痛感しました。僕には経験が足りません。じゃあ、一体何から学ぶのが最善の手かって話です」
「カドさん、それは……」
「そういうことならやりかねないよね……」
答えてみると、トリシアとエイルの二人が揃って自分の頭を抱えた。
何かの道に通じたいなら、最も詳しい相手から教授するのは真っ先に思い浮かぶものだろう。
無論、それが良いかどうかは場合によりけりだ。
疑心暗鬼な上、これだけの被害をもたらしたハルアジスなんて厄ネタ以外の何物でもない。周囲が理解を示さないのも当然である。
けれど、カドからすれば少々異なる。
確かに自分も最初は不倶戴天の敵と考えていた。だが、最後に問答をした時からハルアジスの求道を知った。
カド自身、エワズに恩返しをする以外に人生の価値が未だに見出せていない。そこからすると、自分とハルアジスにどれほどの違いがあるかわからなくなってきたのだ。
ハルアジスは受け継いできた道のため、自分はエワズの想いを遂げるために死霊術を追求したいと考えている。状況が違っていたら、手を組めていたっておかしくなかっただろう。
だからなおのこと、一度決着がついた今なのだ。
しかし、そんな背景が伝わるはずなどない。周囲は理解できないと眉を寄せている。
さて、どう説き伏せたものだろう。
(最悪は力技で逃げるのもアリなんですけど……)
今回の事態に巻き込んでしまったのは申し訳なかったが、守るだけ守った以上、この街の住人よりはハルアジスと対話する方がカドとしては重要案件だ。
そんなことを考えながら腕を組んでいると、エイルと目が合った。
「……! ……~~っ」
彼女はフリーデグントの横に並ぶと、首をぶんぶんと横に振ってくる。
なんということだろう。彼女には思考が筒抜けになっているらしい。
この辺り、エワズの声も届いていたらもっと人を学べとお小言を頂いていたことだろう。
(ああ、本当にエワズの方もどうしたんでしょうね……)
問題はハルアジスと対話できるかどうかだけで、こんな配慮なんてどうでもいい。
そうして気が急いてきたところ、この囲みに新しく分け入ってくる姿があった。
「皆さん、よく御覧くださいませ。今のハルアジス様はほぼ魔力を持ちません。脅威たりえない存在なのですよ?」
フリーデグントよりも前に出てくるのはユスティーナだ。
表情を崩しもせず、堂々と立つ様には肩書きに相応しい空気が伴っていた。ささくれ立っていた空気はその視線がひと撫でするだけで凪いでいく。
周囲に等しく視線を配った後、ユスティーナはちらりと視線を向けてきた。その際、彼女はひっそりと和らげた表情を作る。
明確な肩入れではないが、とても心強い援護だった。
カドは密かに感謝の念を送りつつ、姿勢を正す。
「問答無用で僕は理解を得るための努力はしたいと思います。妥協点としては、僕の目的を叶える他にこの街にもう危害は加えないと契約系の魔術で約束させることですね」
「なるほど。それが君の言い分か」
「はい」
「……この災禍でも、君は手を尽くしてくれた。その甲斐あって、街での人的被害は指折りする程度だ。だが――」
フリーデグントは非戦闘員が固まっている方向に目をやる。そちらにいるのは巨大樹の森の集落から保護された少女だ。彼女こそ明確な被害者だろう。
それだけではない。
地を駆ける音に加え、「おわっ!?」と驚いた人の声がある方向から聞こえた。
それは石鼬が今まさにハルアジスに飛び掛からんとした動きだったらしい。すんでのところでフリーデグントが脇に抱える形で止めてくれたが、ともすればハルアジスの首元に食らいついていたことだろう。
石鼬の獰猛な様子からも痛感する。これだけの恨みをバラまいた人間を利用しようとするのはまともな判断ではないのだ。
フリーデグントは石鼬を脇に抱えて止めたまま、言葉を口にした。
「カド殿。その言葉で本当に、この場をやり過ごせると思ったか?」




