冒涜から為る奇跡 Ⅰ
バジリスクがついに倒れた。
それと時を同じくして、例の影――街の隙間という隙間から侵入して防衛を手こずらせた影の騎士も消え失せる。
不死と思わせる怪物と、無尽蔵を思わせる影の二つが同時に消えたことは勝利の証としては非常に明確なものだっただろう。その光景を目にした者たちは口々に言葉を漏らす。
「勝った、のか……?」
「あ、ああ……。勝ったんだ……!」
互いに確かめ合うように言葉を交わした冒険者と自警団員は感動に打ち震え、武器をそれぞれ空に掲げて勝鬨を上げた。
街の外にまだ魔物の群れが残っているので終わったというには早いが、勝利は間違いないだろう。
ついでに言えば楽観してもいい。〈遺物〉がダンジョンを産むように、フリーデグントが形成した外壁は要塞じみた強固さだ。おまけに塀の上にはバリスタ等の兵器もふんだんに備えられている。
魔術師が疲労していても、誰かがそれらを操って適当にあしらっていれば飢えに飢えた魔物は勝手に共食いを始めたり、四方に散ったりして消えていくはずだ。
戦闘経験が少ないカドですら予測できるのだから、冒険者や自警団が図り違えるはずもない。
「は、はは……。ようやく終わったんですね。痛たたた……」
トリシアは力が抜けた様子でその場にへたり込む。
バジリスクの魔眼を〈剣卸し〉によって反撃の一手にしていたはいいが、御しきれなかった石化に侵された利き手の掌はひび割れ、血が止めどなく流れていた。
熟練者のイーリアスは包帯で応急処置を始める彼女に「おう、お疲れさん」と笑いかけている。
「お父さんっ……!」
別方向では、新たな身を得たフリーデグントにエイルが跳びついていた。
彼は兜を脱ぐと、娘を軽く抱き留めて頭を撫でる。穏やかなその表情からするに、人格がほぼそのままなのは間違いないだろう。
勝利したが故に残すことができた素晴らしい光景だ。
それらを見て取ったカドは、心の中でエワズに言葉を投げかける。
『こちらはハルアジスを倒しました。後処理をすれば終わりです。そちらはどうですか?』
問いかけには相変わらず応答がない。
妙だ。ハルアジスがバジリスクに憑依した時からこんな状況だっただろうか。単に無言でいるのではなく、意識や感覚の共有そのものが機能していないように感じられる。
いくらあの大蝦蟇が強敵であろうと、エワズとリリエのタッグであれば攻撃力と素早さにおいて負けるはずはない。
一時応答がないのはともかく、これだけの時間折り返しがないのはどうも不可解だった。
「倒した以上、ハルアジスの仕込みももう機能しないはず。でも、あちらの状況を確認するまで気は抜けませんか」
流石にカドとしてもこの連戦で疲労が蓄積しているのだが、場の雰囲気に任せて倒れ込むにはいかなそうだ。
ひとまずそちらは置いておこう。
カドは改めて目の前の勝利以外の面に目を向ける。
一番に勝利を分かち合うほど親しい相手はこの場にいないので思考は至って冷静だ。
戦いは終わったし、生存者もいる。けれどもそればかりではないことはバジリスクをこの街まで逃がしてしまった時点で予期していたし、今まさに視界に映している。
勝鬨の傍らにいる人は力なく壁にもたれたままで、いくら観察を続けても呼吸がない。
また、魔物がやってきたのと真逆の南側には非戦闘員が固めてられていた。
戦闘中には注目する余裕がなかったが、様子を見るにそちらにも影の騎士が入り込んでいたらしい。目に見える傷や血化粧の人間が何人か地面に倒れたままだ。
その警備に当たっていた自警団員は、負傷者に抱き着いて泣き叫ぶ子供に苦しげな顔を向けていた。あちらには勝利に酔う空気なんてない。
『よかった。この子は生き残った』
『こんなところで死にたくないっ……!』
『なんでお前まで死んでしまったんだ……』
死霊術師としての能力だろうか。そこかしこの死体に視線を合わせると、様々な末期の声が聞こえた気がした。
近場で嘆く亡霊に目を向けたカドは、ぽつりと零す。
「大丈夫ですよ。何とかするために力を温存しましたから」
意思を共有している黒山羊は呼ばなくても傍らに歩み寄ってきた。
使い魔は単なる戦力というわけではない。魔力の余剰タンクとしての使い道もある。だからこそ、あんな苦戦をしてまで出し惜しみをしたのだ。
「シーちゃん、一回おやすみです。預けておいた魔力、有効活用させてもらいますね」
額に手を置くと、黒山羊の体は魔素に還った。
使い魔は自分の分身である。その力は全く同質なので、底を尽きかけていた魔力は乾いた布に水を垂らすように充填できた。
「さて、それじゃあ尊い戦死を冒涜するとしますか」
カドは残ったバジリスクの頭骨に目を向けた。そこにはもう魔力をほぼ感じられないが、妄執が残っていることはわかる。
別にハルアジスの成仏を願うわけでも、理解してやるわけでもない。カドは今から、自分にできることをするだけだ。
最期まで死霊術師としての求道にこだわり続けたハルアジスには別の可能性を見せつけることがせめてもの餞になることだろう。
ふうと深呼吸を挟み、その場で腕を広げる。
決着の一撃に込めた魔力よりよほど大きく、異質な魔力を編み始めたことで周囲の空気は一瞬にして鎮まった。




