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命の器 Ⅲ

 バジリスクを一撃で葬る手段はある。

 だが、それを準備するだけの間を稼げない。黒山羊も、バジリスクが捨て身覚悟で突っ込んでくれば止めきれないだろう。


 せめて黒山羊と共に戦って泥仕合で勝利を掴むのが最善だろうか?

 しかし、そうすればこの場に転がる人間を癒す余力がなくなってしまう。


 考えつく手段は全てジリ貧に終わる。カドはギリと強く歯噛みした。


「悩むだけ無駄ですか。勝つ見込みが少しでもあるなら、シーちゃんが健在のうちに――」

「……カド殿」


 石鼬をその場に寝かせ、フリーデグントとエイルの横を通り過ぎようとした時、彼は口を開いた。

 深刻な負傷のせいで脂汗を掻き、失血もあって意識が朦朧としつつあるはずだ。

 そんな状態にも拘らず泣く子をあやすようにエイルの頭を撫でていた彼は、真っ直ぐに目を向けてくる。


「盾が、必要なのだろう……? ならば、私を使え。残った娘と、それを守ろうとした息子の忘れ形見を守れるのならば、この身の一片まで使い果たしたとしても……悔いはない」


 それが戦士として。そして、エイルたちの父としての矜持なのだろう。気持ちの強さだけはカドにも伝わってきた。


 だが、気持ちだけではどうしようもない話なのだ。

 エイルは死を覚悟したかのような物言いに目を見開く。


「お父さん、こんな時に何を言っているのっ……!?」

「ふふ……。言葉のとおりだとも」


 意識を保ち続けること、呼吸し続けることにも苦労した様子ながら彼は言葉を続ける。

 命が揺らぐその様子に、エイルの気は動転していた。

 フリーデグントは決意の表情からひと度父親の表情に戻り、エイルを押し宥めてからカドに目を向けてくる。


「君ならば、げほっ……。この朽ちゆく体も使役できる。そうだろう?」


 フリーデグントは血を吐きながらも問いかけてくる。

 冒険者としての経験が長い彼の経験からの言葉なのだろう。確信じみたものが感じられた。


 カドはその言葉を受け取りはするものの、否定も肯定もしない。


「単に動かすだけなら。でも、身体強化はできません。薙ぎ払われて終わりです。それなら攻撃魔法の一発にでもした方がマシです」


 無駄な行為であるという事実だけを告げる。

 そんなことをするよりも大切なことがあるだろう。そう思うからこそ、言葉はより冷たいものとなってしまった。


「ふむ……。ならばこの血肉を材料にでもすればいい。それならばどうだ?」


 何故こうも無駄なことに食い下がるのか。

 静かに聞いているのも耐え難い。再び返す言葉は先程以上に厳しくなってしまう。


「使い魔の創造には時間がかかりますし、生まれたては弱いんです。そんなの、使えるわけがありません! できるだけ生き残ることを考えてください。息を引き取ってすぐなら僕が癒せます。エイルを泣かせるようなことは――」

「君が戦いに行っても、解決しないんだろう?」

「……っ!」


 図星である。さっきまで早口に語ったのと裏腹に、カドは言葉を返せなかった。

 ハルアジスは現在、悠長に黒山羊との戦闘だけをしてくれている。


 だがそれはこちらを無視しているわけではない。

 変な素振りがあればいつでも攻撃できるように目を光らせつつ、黒山羊を潰してこちらの対抗手段を潰そうとしているだけだ。

 今は相手の掌の上で踊っている状態。何かしらの策を新たに練らなければ、勝機はないのである。


 歴戦のフリーデグントだからだろう。黒山羊と共に戦いを挑もうとするところに、行き当たりばったりさを見出したらしい。

 けれども、それならばどうすればいいのか。


 エワズもリリエもこの場にはいない。

 まともに戦ってもバジリスク相手には決定打が足りず、決定打を用意するには黒山羊をもってしても心許ないのだ。

 こうして死にゆくフリーデグントを前に嘆くエイルを前にするだけ胸が痛む。こんな場にいるくらいなら、戦いに専念したかった。


 ……ああ、これこそ無策たる主因なのだろう。この場に満ちる無念の全てを裏切る行為だ。

 ここで立ち向かったところで胸の患いが消えるわけがないのはカドもわかっている。だからこそ、この会話を振り切れなかった。


 フリーデグントは口元を緩める。


「だから君の手で造れと言うのだ。君は、その術を知っているはずだ」

「いや、何を言って……」


 そんな魔法はもっていないし、フリーデグントの前で特別なことをした覚えはない。

 だというのにこの表情に垣間見える力強さは何だろうか。


「〈遺物アーティファクト〉だ」

「は? いや、それは……」


 なんでその単語が今出てくるのかと、カドは困惑する。

 それはエワズに連れられていったハイ・ブラセルの塔で初めて目にした。

 魔素を多く取り込み続けた生物の命が尽きた時、それに成れ果てるという話だった。


「あなたが死んだ際に生まれるかもしれない〈遺物〉に全てをかけろってことですか?」

「近いが、少しばかり違う。私にはあのバジリスクも君も、〈遺物〉に近しいものに見える。〈遺物〉は会話も適わない化け物を生むばかりと考えたが――こうして意思疎通も可能な君ならばその成り果て方から、作り方を考え得るのではと思ったのだ」

「……っ!」


 その言葉に、詰まりかけていたカドの思考は一気に繋がった。


 そうだ、確かに違いない。

 自分はエワズに導かれたハイ・ブラセルの塔でどれほど短い間でこの形を成したか。そして、どうやってこの身を形にしただろうか?

 実に簡単な話だ。豊富な魔素を元に自分の体を思い描き、形となったのである。


 では、〈遺物〉になれる人間となれない人間の差はどこにあるか?

 魔素を体に多く含む――クラスが高い人間ほど〈遺物〉になりやすいとエワズは口にしていた。強い意志も必要だと言っていた。

 肉体が死んでも、魔素は残る。死に瀕しても意識を霧散させず、魔素によって新たな身を構成する。加えて言えば、周囲に豊富な魔素も必要――そんな条件が思い浮かんだ。


 意識を杖という触媒に憑依されたままだった自分は、ハイ・ブラセルの塔とエワズの魔素によって条件を整え、この身を成した。

 あのバジリスクが死地で魔物を生んだのもその応用。

 死地に溢れる魔素を元に疑似的な〈遺物〉と化し、死地自体を一つのダンジョンとして魔物を生んだのだ。


 だったら、どうすれば他人を遺物化すればいい?

 簡単だ。周囲の魔素を取り込み、新たな身体を作る呪いをかけてやればいい。

 〈大感染〉でも似たことをおこなったし、そもそも自分が生まれ落ちた時に同じようなことをしたはずなのだ。再現は可能だろう。

 精神と肉体を操ること――それは死霊術師にとっての得意分野だ。


 ……驚いた。確かにこの条件であれば、整えられなくはない。

 カドはフリーデグントを見つめ返す。


「……人格がそのままという保証はありません。最悪、バジリスクに憑依したハルアジスみたいに自我を失います。それでもいいんですね?」


 自分から言い出したことだ。改めて問うまでもないことだろう。

 フリーデグントは安堵さえ表情に混ぜ、頷き返してくる。


「構わんよ。死にかけたこの身では、有り余る希望だ。もしもの時は君たちが私を討て」

「お父さん、何を言っているのっ……!?」


 命を投げ打とうという空気に、エイルはフリーデグントの肩を掴んだ。踏み止まってと彼女は視線で訴えているが、彼は心を変えようとはしない。


 だって、そうだろう。この街も娘も守る上で最も実現性が高い手段だ。上手くいけば、カドと同じく自我を維持できる可能性もある。

 無策に戦いを挑んだ末に余力で治療を目指すよりはずっと現実的だ。


 カドはそこに手を近づける。


「やめてっ! カド、私はそんなことまで頼んでないよっ……!」


 けれども、エイルとしては話が違う。

 唯一の肉親の命がかかっている。もしかすれば全くの別物に成り果てるかもしれないのだ。

 悲痛に叫んだ彼女はカドの腕に爪を立てて止めようとする。


 その表情は、壊れかけだ。二人の会話でその意義は理解できていても、認めがたいのだろう。カドがすでに受けていた傷に彼女の爪が食い込み、血が滴る。

 自らの指も伝って滴り落ちるその様に、エイルは一層追い詰められた表情となったが手は放さなかった。


 けれども、それを前にカドの意思は揺らがない。


(こんなところで僕は人間性に欠けているんですね……)


 エイルの気持ちは思いはかることができる。

 だが、打開策としての実現性とフリーデグントの意思を考慮すれば止まる理由はない。一抹の痛みを抱えながらも、カドは彼の胸に手を向けた。


「……エイル、いいんだ。街と、ましてやお前たち(・・)を守れずして何が英雄なものか」

「でもっ……!」


 フリーデグントはなおも止めようとするエイルの手に自分の手を重ね、やめさせていた。


 少しばかりは待つべきだろうかと、カドは手を止めかける。

 けれども、フリーデグントはこちらを見つめて頷きかけてきた。

 そうと言うならば、急ぐべきだろう。


 行使する魔法は肉体を構成する術式を呪いによって周囲に伝播させ、主導権はフリーデグントに紐付けしておく。

 そんな構成になるかと思ったが、アルノルド少年の生命維持の時とは違って魔法を構築する必要すらない。


(ああ、そうですよね。リリエさんに天啓をもらう前に発現した奇跡なんですから、これは僕固有のスキルですか)


 自覚をしてみると、その使い方も仕組みも最初から知っていたかのように馴染んだ。

 これはトリシアが使う〈剣卸し〉と同様。天啓に縛られない己だけの奇跡である。


「ここに願い奉る。強き想いに応える盃を此処に。〈血命の盃(サンクラテール)〉」


 腕を伝っていたカドの血が魔素に変じてフリーデグントの傷から体内に沁み込む。

 たったこれだけだ。

 あとは〈大感染〉のように徐々に変化が拡散していくことになるだろう。


 カドは踵を返す。


「これより後に、ゆっくり変化が始まると思います。自分の心を強く持って、あるべき形を思い浮かべてください」

「カドッ……! 守ってって、言ったのにっ……。私、あなたを――」


 エイルは涙ながらに訴えていることだろう。背中越しでもその表情は想像できた。

 少しだけ胸が痛む。

 だが、先程よりはよほどマシだった。


「はい、恨んでください。でもその前に、フリーデグントさんが自分を見失わないように、導いてあげてくださいね」


 彼女の思いは受け止めよう。そう思ってカドは振り返る。

 同時にカドはふと思い出した様子で立ち戻り、石鼬の小さな体を拾い上げた。

 息も絶え絶えだ。元々治療中であったが、先程の握り潰しによって瀕死状態なのだろう。


 けれども伝わる。

 慣れ親しんだ集落の人間は惨たらしく殺され、その憎悪がこの街に襲い掛かる影の騎士を動かす材料に使われた。

 だからこそ忠犬のようにバジリスクに襲い掛かったのだ。想いを達成できないのが、さぞ無念だろう。


「お前なら、大丈夫。一緒にあれを倒そうか」


 この場には混成冒険者や魔物がやられた際の魔素が大量に満ちている。対象が一つくらい増えたところで材料不足にはならない。

 カドは手をガリと噛んで傷つけ、血を垂らす。

 垂れた血が魔素へと変じ、さらには周囲の魔素まで取り込み始めた。


 〈血命の盃(サンクラテール)〉はあくまで単なる命令式に過ぎない。だからこうして変化が始まってようやく異変に気付ける段階となる。

 黒山羊と争っていたバジリスクは一度距離を取ると、こちらを睨みつけてきた。


『貴様、まだ悪足掻きを……?』

「はい、無論です。僕はこんな事態を引き起こした張本人で、多くの人に恨まれてもいます。だから助けられるだけを助けきらないと恨まれて仕方ないんですよね。そりゃあ足掻くってもんでしょう?」


 そう言っている合間に石鼬は魔素の吸収を終えた。

 思いが純粋で強いためか、変化も一瞬である。


 その姿に大きな変異はない。体が大きくなり、頭尾長一メートルほどの白イタチになったという形状の変化くらいだ。

 腕をよじ登り、頭の上からハルアジスに向かって牙を剥いて威嚇し始めるが、微妙に重くて困る。


 新たな身を得たところで、特殊な技能を得るわけではない。その身を得た時のカドと同じだ。クラスⅤにしてみれば弱く、元から得ている技能しか使えない。

 だが、舐めていられる戦力ではないだろう。バジリスクも警戒して距離を取っている。


「シーちゃんは魔力温存のために退いてください。戦闘後の救命に、後からやってくる魔物の群れの排除に。片づけるべき問題は山積みですからね」

『カカカッ! 良いのか、若造!? そんな調子では儂の命を奪えぬのではないか!?』

「いいんですよ。僕はあくまで後衛の魔法使い。本当の壁役が目を覚ますまでの時間稼ぎなんですから。はい、下りてくださいね。ガーちゃん。痛てててっ!?」


 石鼬を頭から下ろそうと威嚇状態のところへ手を向けたため、手の平に深々と噛みつかれた。

 そんな石鼬を宙ぶらりんにさせながら下ろした後、カドは肩を慣らす。


「さて。それじゃあ力を温存するために省エネモードで戦います。思う存分、殴り合って泥仕合をしましょうか」


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