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9 捨猫拾人

 灰次がアルプス村の村長に就任して数週間。外の世界には雪の気配が近づいている。しかし季節が移ろおうとも、住人たちの生活に変化は見当たらない。――今のところは。

「うーむ……」

「智、どうしたんだよ。わざとらしいため息なんかついて」

 薄ら寒い昼過ぎのリビング。椅子に座って悩ましげに声を漏らす智に、灰次は尋ねた。ひとえに、隣でうるさく悩まれてはこっちまで落ち着かないからだ。

「実はな、今度客を呼んで、手品の種明かしショーでもやってみようかと考え中なんだ」

「種明かし? そもそも智って占い師……いや、なんでもない」

 灰次は言いかけた言葉を飲み込んだ。智の職業について本人にとやかく言っても暖簾に腕押し、疲れるだけ。この智という男は、占い師でありながらも、心は手品師。どうしてなのかは未だにわからないが、とにかくそういうことなのだ。灰次は以前から、そうやって納得することにしていた。

「手品のタネを客に公開しちまうのさ。素人さんたちには大ウケするだろうなあ」

「まあ……そうかもね。それがどうしたの?」

「考えてもみろよ。一回タネをバラしちまったらもう二度とその手品は使えなくなる。新ネタを作るっていっても限界はある。たった一回のステージのために大事なネタを使い捨ててもいいもんか……それが悩みどころなわけだ。灰次はどう思う?」

「んん……そうだなあ。確かに悩むかもね」

「だろ? 村長として、アドバイス頼むぜ」

「うーん……」

 ここ数週間、住人たちの生活には変化がないと言ったが、ひとりだけ、住人ではなく、『村長』は少し違った。

 そのおもちゃみたいな肩書きにどれほどの影響があったのかは不明だが、灰次は村長に就任してから次第に、住人たちの声に耳を傾けるようになっていた。

 以前のような気だるさや無関心さはわずかに鳴りを潜め、住人たちとのコミュニケーションをあまり嫌がらなくなった。

 今こうして、智のどうでもいい悩みに付き合ってやっているのが証拠である。

「じゃあ最近あんまりウケなくなってきたやつから種明かししてみたら? どうせウケないんだったら、バラすついでに封印しちゃえば?」

「確かにその通りだ。それが一番無難かつ効率的だな」

「うん」

「ただそれには問題がひとつ。……俺の手品に賞味期限切れなんてもんは()ぇ。ウケないネタなんて持ってないのさ――!」

「……あっそ」

 人との付き合い方を変えたとしても、空回りするのは変わらないようだ。

「灰次ー!」

 二階から村長を呼ぶ声。姿の見えない場所からまるで弟でも呼ぶような乱雑さ。一方的な見下しの表れである。

 そんな風に彼を呼ぶのはひとりしかいない。

「ちょっとーあたしたちのアレどこにいったか知らない!?」

「知るわけねーだろ。まずアレって何だよ」

 ドタドタと階段を駆け下りてきた今日香に、ひとまず冷たい返事を返す灰次。コミュニケーションを取るようになったとはいっても、仲が良くなったというわけではない。特にこのふたりは。

「なにアンタ、あたしたちのこと探ろうとしてる? キモっ。ストーカー?」

「ちげーよ! 何探してんのかもわかんないのに知ってるわけないだろっつーの!」

「逆ギレ? そんな必死になられたら逆に冷めるんですけど」

「やっぱり女性がいると場が盛り上がるねえ。騒がしくなるとも言うかな」

 最後のは智の言葉だが、灰次も今日香もそれには全くの無反応。言い争いの声で聞こえなかったのか、あえて無視したのか。――おそらく後者だ。

「ついこの前買ったばっかなのに、もうっ、どこいっちゃったのよー!」

「俺は知らないって。涼葉にでも訊いてみろよ」

「すず? すずは今買い物でしょ。……ふう、村長っていう割に、役に立たないんだから」

 灰次に対して早々に見切りをつけ、今日香はすたすたと二階へ戻っていった。

 それを見届けた後、智が調子のいい口笛を吹き、やれやれとため息混じりにぼやいた。

「女の子ってのは忙しないねぇ。もっとゆっくり生きた方がいい。じゃなきゃ、あっという間に婆さんになっちまう。灰次、そう思わないかい?」

「意味わかんないよ……」

 本当に意味がわからない智の言葉。灰次は最初から理解を諦めていた。

 灰次はそんなことよりもむしろ、今日香の言葉に意識を集中していた。

 ――すずは今買い物でしょ。

 すず。今日香も、妹の明日香も、いつからか涼葉のことをそう呼んでいる。

 いわゆる愛称というやつだ。別段珍しい話でもない。

 しかし灰次には不思議だった。涼葉のあの狂気を目の当たりにして、一度は彼女を追い出そうとした姉妹が、今では愛称なんてものを使って仲良くしている。それがたまらなく不思議だった。

 ――もう涼葉のこと、なんとも思ってないのか? 許したのか?

 灰次がそう疑問に思うのも、これが初めてではない。

 だが実際、灰次が把握している限りでは、涼葉と姉妹の関係は良好を保っている。殺人未遂はもちろん、口喧嘩もない。すっかり仲直りしたように見える。

 そう。「見える」だけなのだ。

 仲良く見えるだけで、姉妹たちの心の奥底では、まだ涼葉への警戒が残っているのではないか――。そんな風な考えが頭をよぎっても、女性同士の人間関係に造詣が全くない灰次には、この疑問を解決することができないのだ。

「ううん……」

「どうしたんだ灰次。わざとらしいため息なんかついて」

 隣にはうさんくさい格好をした怪しすぎる男。年上なのになぜだか頼りたくない気分にさせられる男。

 ――智に相談してみるべきかな?

「いいや、なんでもないよ」

 一瞬悩んだが、一瞬だけだった。灰次は智に何も相談することなく終わった。

 猫の鳴き声が、聞こえたのだ。

 遠くから、かすかに。

「にゃあ」という、針のように細い鳴き声だ。

 耳をそばだてて意識を集中してみると、その鳴き声はまだ続いていた。「にゃあにゃあ、にゃおーん」と、しきりに声を発しているのが聞こえる。

「灰次どうした?」

 智には猫の声など聞こえていないらしい。急に動きを止めて黙りこくった灰次に不審げな目を向けるばかりだ。

「いや別に……」

 とは言うものの、灰次はやけにその鳴き声が気になっていた。

 思えばしばらく前から時折聞こえていた猫の鳴き声。

 猫、猫、ねこ。声はすれども姿は見えず。灰次は(こうべ)を垂れて目を閉じ、耳をすまし続けた。智が「ちょっと外に出てくるわ」と言って席を外したのにも気がつかないほどに集中して。

 ――いったいどこから聞こえてくるんだ? 遠い、遠い場所。俺の知らない場所。いや逆に、俺は何を知っているというのか。俺は何も知らない。世界の真理はもちろん、猫がどこにいるのかも、知らない――。

「にゃあ」

 真っ暗な視界のどこからか鳴き声が聞こえる。灰次にはその居所がわからない。

「にゃあ」

 灰次はふと、いつだったかこんな風に猫の鳴き声が聞こえる夢を見たことがあったような記憶を思い出した。

「にゃあ」

 ――でもそれはたしか……本物の猫じゃなくて――。

「にゃあ、にゃあ」

 思い出そうとするが、猫の鳴き声が灰次の邪魔をする。

 そして、その鳴き声がだんだん大きく、近くなってきていることに灰次は気づいていた。……まるですぐ側に猫が実際にいるようだ。

「にゃあ、にゃ、にゃうーん」

「……うるさいなあ」

 思わず口をついて出てしまった。と同時に、灰次はうなだれていた頭を起こして目を開く。

「にゃ」

 猫がいた。

 灰次の目の前。何者かに抱きかかえられて、ちょうど彼の目線の高さに、猫はいた。

「にゃ」

 毛色はこげ茶と黒の縞々、脚や腹の所は白。雉猫(きじねこ)と呼ばれる種類だ。

「にゃー」

 その猫は執拗に灰次へ声をかけ続けている。灰次が目を開ける前からこうやって鳴いていたのだろうか。

「にゃ、にゃおー」

「うるさいなあ。なんだよ」

 鳴き止まない猫にいらだつ灰次。もちろん猫は何も答えない。代わりに答えたのは、猫を抱きかかえる白衣の男だった。

「動物には人を癒す力があると言う。アニマルセラピーというのもあるしな」

 白衣の男――スティーブンはそう言うと、抱いていた猫をテーブルの上に放した。

「おい、そんなとこに上げんなよ!」

 灰次は声を荒げたが、スティーブンは気にしない。猫も悠々とテーブルを歩き回っている。

「はは、衛生面を気にしているのか? 飲食店でもあるまいし、問題ないさ」

 問題ないことはないだろう、と灰次は思ったが声には出さず、仕方なく猫は放っておくことにした。それよりも灰次はこの男に質問をするべきと判断したのだ。

「で、なんだよこの猫は」

 灰次が尋ねると、スティーブンは椅子にも座らず立ったまま話し始めた。

「私が庭で作業していたら、いつの間にか入り込んでいたんだよ。やたらとにゃあにゃあ鳴くもんだから、よもやこの家に用があるのかと思ってな、こうして連れて来たのだ」

「はあ?」

 テーブルの上で体を丸めて座り込んでいるこの猫が、この家に用事。もちろん灰次にはそんなスティーブンの予想を理解することはできない。

「つまりただの野良猫だろ? 用なんてあるわけない。俺もこんな猫に用はない。早く外に連れてってくれよ」

「ふむ……灰次は猫がお嫌いか?」

「そういうことじゃない」

「ただいまー!」

 唐突に玄関から声が聞こえて、それは足音と共に灰次たちの場所までやってきた。

「涼葉」

「ごめーん灰次くん、ちょっと遅くなっちゃった。いい形のレモンがなかなか見つからなくて」

 半透明のビニール袋を提げた涼葉がサンバイザーを外しながら慌ただしくしている。その後ろには先ほど出ていった智がいた。

「いやあタイミング悪く涼葉に捕まっちまってね」

「悪く、って何よ。暇なくせに。まあいいわ、すぐに洗濯しなきゃ……って、灰次くん、それ……猫?」

 涼葉も智も、テーブルの上でボスのように図々しく、それでいて優雅に座っている猫に釘付けになった。

「あ、あー、うん、ちょっと野良猫が――」

「その通り! アルプス村の新しい村人、いや、村猫(むらねこ)である! 皆で歓迎しようじゃないか!」

「スティーブン!?」

 灰次はスティーブンに先手を打たれた。それに気づいた時にはもう灰次の負けが決まっていた。

「うそぉほんと!? 灰次くんすごいじゃない! 猫を飼うだなんていい趣味してる。私は賛成よ!」

「いや涼葉待ってくれ……!」

「猫を使った手品……レパートリーを増やすチャンスかもなあ」

「そういうんじゃねーから!」

「なになにどーしたのー? スティーブンがまたなんか叫んでんのー?」

 声を聞きつけて二階から姉妹が降りてくる。灰次はもう頭を抱えるしかない。

「猫だ……」

「えーなにー、猫じゃんこれどうしたの?」

 涼葉が説明すると、姉妹はやはり大喜びではしゃいだ。

「うえぇマジで!? やば、ヤバいわこれ。ヤバ……!」

「かわいい……撫でてもいい?」

 明日香が猫の頭を撫で、今日香はそれをスマートフォンで写真に撮っている。

「くそぉ、スティーブンめ……!」

 住人たちの心は一瞬で猫に奪われた。ここで「猫なんか飼わない」などと言えば、灰次は全治三週間以上の怪我を負うことになる。想像にたやすい。

 故に灰次は、何も言わず、ただ椅子の上で丸くなるばかり。その姿はほんの少し、猫に似たものがあるかもしれない。

「あっはっは! 皆もお前が気に入ったようだ。よかったなあ、ホーキングよ」

「ホーキング?」

 スティーブンに視線が集まる。

「ああ、この猫の名前だ。いい名だろう」

 スティーブンの連れてきた猫の名前がホーキングとは何とも安直、と灰次は感じたが、他の住人からは特に反対意見もなく、ホーキングという名前は自然に受け入れられた。

「お姉ちゃん、よかったね」

「うふふ、そうね。灰次、あんたちゃんと世話しなさいよ」

「……えっ、俺?」

 予期せぬところで名前を呼ばれて、灰次は反応が遅れた。

「当たり前じゃん。村長はみんなの面倒を見るもんでしょ?」

「なんだよそれ……」

「引きこもりなんだから暇でしょうが」

「お姉ちゃんは灰次に仕事を与えてあげてるんだよ」

 もちろん灰次は釈然としない。そこに涼葉が優しく声をかける。

「灰次くん、エサぐらいだったら私が買ってきてあげるよ?」

「ありがとう……」

「すずは甘いんだから」

 お前がおかしいんだよ――と言いそうになるのをぐっとこらえ、灰次は耐えた。

 程なくして住人たちは解散していった。最後にスティーブンが「村に必要なのは団結力。ホーキングはそれを高めてくれる」というようなことを言った。灰次にはその意味がわからなかった。

 この日、灰次は涼葉の洗濯を手伝い、智の手品に付き合い、明日香に数学を教え、ホーキングにエサをやり、今日香と口喧嘩をした。

 夜遅く、灰次はふと呟いた。

「俺、けっこう忙しいよ……」


 数日後、その時は唐突にやってきた。

「灰次ー、久しぶりー!」

「伊織くん!」

「ほら、新しい住人、連れてきたぞ!」

 伊織の背後には、真っ白いワンピースを着た長い黒髪の、小学生と思わしき少女が、立っていた――。

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