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8 村長誕生

 よく『秋』というと、芸術の秋とか、食欲の秋とか、読書の秋とか、様々な『○○の秋』が声高に叫ばれる。

 秋は多くの作物が収穫される時期であると共に、他の季節と比べて気候が穏やかで大きな年中行事も少なく、集中して物事に取り組める――というのが、○○の秋が乱立する要因なのだろう。

 何をするにもちょうどいい季節――それが秋なのである。

 しかし、今の灰次にはどうしてもそれが実感できない。

 なぜならば、彼は自分が何をしているのか、はっきりとわかっていないからだ。

「あぁやったあ! 完成! 完璧! レモン様にふさわしい立派な祠だわ! ああ、ああ……ああぁ……!」

 庭の片隅で叫んでいるのは涼葉。土と砂で汚れた軍手をはめたまま喜びの声を上げ、サンバイザーの下では恍惚の表情が浮かんでいる。

 ――久しぶりに庭に出て、俺は昼間っから何をやってんだ?

 レモン様のための祠作り。当初は涼葉がひとりでやると言っていたがなかなかうまくいかなかったようで、着手三日目で灰次に救援の依頼が入ったのだった。

「外は危険。太陽がいるんだもの。レモン様に守られてるとは言っても、不安なの。だ・か・ら……灰次くん、手伝って?」

 もちろん灰次は断ろうと思った。しかしそれは愚かな考えだった。

「なあに? レモン様のためなのに、嫌なの……? そんなわけないよね――?」

 こう言われてしまうともう灰次にはどうしようもない。彼女の手に握られている、庭作業にはつきものである小さなスコップが、その鋭利な先端部分が、この時の灰次にはとても危険な、極めて恐ろしいものに見えたから――。

 かくして灰次はやむなく庭へと引きずり出されることとなったのだった。

 下手な失敗は許されない。灰次はそんな風なプレッシャーを勝手に感じながら作業に取りかかった。

 地面の土を固めて強固な土台とし、握り拳ほどもある大きな石を粘土でくっつけてつなぎ合わせ、とりあえず上へ上へと積んでゆく。涼葉からは特に形についての指定は無かったので、灰次はなんとなく石で円柱を形作る。彼自身、レモンを祀る祠と言われても全然その形姿がイメージできずにいた。しかしそれを言うと涼葉が(いか)るかもしれない――。灰次はそう思い、黙々と作業を続けた。

 ――俺はいったい、何を作ろうとしてるんだ?

 そんなことを考えながら、灰次は粘土をこね、石を積み上げ続けた。

 その結果完成したのがこれである。

「すごいわあ……。これならレモン様も……ああ……いい。いいわ……ほんとうに……」

 涼葉が見つめる先にあるのはもちろん灰次が作った祠なのだが、作った灰次本人ですら「これを祠と呼んでいいのだろうか」と疑問に思うほどに、そのイメージからはかけ離れた見た目をしている。

 高さ約五十センチ、直径約三十センチの細長いドーム状をした、灰色のでこぼこした石柱。その上部の側壁に、かまくらや鳥の巣箱のような穴がひとつ、くり抜かれている。そこにレモン様を納めるということらしい。穴の大きさも一般的なレモンの大きさに合わせて、それより一回り大きく開けられている。

 確かに『レモンの置き場所』としてはこれで機能するだろうが、『神体を祀る祠』としてふさわしいかと問われると、首を縦に振るには正直厳しいような佇まいである。

「涼葉……ほんとにこれでいいのか?」

 製作者本人がそんな質問をしてしまうくらいだ。立派な屋根も台座も観音開きの扉も無い、土と石の塊。そんなもので彼女は満足するのか。灰次はそこがとにかく心配だった。

「ええ、素晴らしいわ灰次くん! あなたにお願いして正解だったわ!」

 しかし意外と涼葉は絶賛している。灰次はホッとする反面、なんとなく拍子抜けな気もしていた。

「さあて、それじゃあさっそく――」

 涼葉が意気込みながら、手にはめていた軍手を外し、ポケットの中からレモンをひとつ取り出した。それを祠へ静かに安置し、そっと手を離した。

「ぴったりね。レモン様も喜んでる」

「あれっ。涼葉、レモン様離して大丈夫なの?」

 灰次の脳裏には先日の事が思い起こされていた。レモン様が手からこぼれ落ちただけで異常なまでに暴れ回っていた涼葉の姿が。灰次の知る限りでは、彼女はレモン様を肌身離さず持っていなければ正常を保っていられない人間だ。それが今、彼女は自分の意思でレモン様を手放した。どういうことなんだろうか――。

「ふふっ、これはレモン様じゃないの。レモン様は……こっち」

 微笑みながら、涼葉はポケットからレモンをもうひとつ取り出して掲げた。

「今のこのレモン様はね、本来の姿じゃないの。レモンを依り代(よりしろ)にした、仮の姿なの。レモン様自体はもちろん不滅のものだけど、依り代のレモンはそうじゃない。すぐに腐ってダメになっちゃう。だからそのたびにレモン様の新しい依り代を用意しなきゃいけない。レモンを用意するのは簡単よ? スーパーで買ってくればいいんだもの。でも神霊魂(しんれいこん)の憑依儀式はとても手間がかかるのよね。しかもレモン様の御魂(みたま)ともなれば、要求される格式レベルは半端じゃない。手を抜けば即座に呪われて太陽の餌食。体を灼かれて塵となり、細胞レベルまで分解された挙句に熱線で蒸発・消滅させられる。だから私はこれまで万全の態勢で儀式を執り行ってきた。……でもちょっとだけ、それも疲れちゃって。それに同じ家に住むみんなにも迷惑かけるかもしれないし……だから、こうやって祠を作ることにしたの。そうすれば儀式はごく簡略的なもので済むわ。依り代がダメになったらここで少しの供物を捧げ、まじないをかけて念波を送り、波長を合わせればオッケー。それだけでレモン様は祠の中にセットしたレモンを新たな依り代として、私のすぐ側へと顕現くださる。私に加護を授け、太陽から守護してくださる。私の、ああ、わた、私、私の、この、こ、この手の中に、レモン様が……ああ……ああ、ああ! なんて素晴らしいのかしら! 私、興奮しておかしくなっちゃいそう……! 幸せ……私、とっても幸せだわ……レモン様……!」

 もはや涼葉の目に灰次の姿は映っていない。彼女のすぐ側にいるのだという、レモン様なる神。それだけをひたすらに見つめているのだろう。

「……んん」

 灰次もただひたすら、そんな彼女を見つめることしか、できなかった。


 数分後、灰次は涼葉を庭に置いたまま、ひとりで居間へと戻ってきていた。

 レモン様への想いが強くなっている状態の彼女と会話して無事に済ませられる自信がなかったのだ。

 居間の窓から庭の様子がガラス越しに窺える。涼葉はまだ祠の前にいる。しばらく動きそうにない。

「はあぁ……」

 深いため息をついて落ち着くのもつかの間、二階からドタドタと騒がしく階段を踏み鳴らしながら今日香が降りてきた。

「灰次ー来て来て来てー!」

 今日香のはしゃぐ声に灰次はすでにうんざり気味。彼女のいらついた話し声も苦手だが、今回のような楽しげな声も、灰次は好きになれなかった。今日香が灰次に何か話しかける時は、始めがどんな声色だろうと結局は灰次が損をするような結果になるし、どっちにしてもうるさい声だから、である。

「なんだよ……」

 あっという間に居間まで降りてきた今日香に対する灰次の反応は冷たい。それでも今日香のテンションは変わらない。

「いいから来なさいって。 女子がわざわざ男を誘ってあげてんのよ、素直に喜んでついて来なさいよ」

「素直に嫌がってんだろ……」

 灰次の気などお構いなしに彼の腕を引いて椅子から引きずり降ろし、今日香は降りてきたばかりの階段を上る。灰次は家主の割に、立場が弱い。

「ほら入って」

 灰次が連れて来られたのは、二階にある姉妹の部屋だった。今日香は灰次に、ドアを開けて中に入れというのだ。

「なんでだよ。今まで部屋には絶対入るなって言ってたくせに」

 そう。この姉妹は他の誰にも部屋へ入らせなかった。それなのに突然、灰次に部屋へ入れという。さすがの灰次も警戒を惜しまない。

「今までは今まで、今は今。入ってって言ってんだから入ってよ。女の子の部屋、入ってみたいでしょ? 童・貞・くん――?」

 勝手なイメージを持たれていることに関しては無視を決め込むとして、灰次はこの女に対する『彼女らの部屋に入らない理由』を思いつけずにいた。

 このままでは部屋に入らなければならない。けれどもそれは避けたい。何かよからぬ企みがあるに違いない。

 だがしかし今のままではそれを回避できない。飛んで火に入る夏の虫、だ。秋にも見られるとは知らなかった。

「なによ黙っちゃって。ほんとのこと言われてそんなにショック? そんなんだから童貞なのよ。ほらさっさと入って。ほらっ」

 今日香はすぐに痺れを切らした。灰次にドアを開けるよう指示しておきながら結局自分でドアノブに手をかけて開き、有無を言わさず灰次の背中を両手で突き飛ばして彼を部屋の中へ強引に押し込んだのだ。

「うわぁ!」

 状況を飲み込めないまま姉妹の部屋に両足を踏み入れた灰次。視界の真ん中には、明日香がいた。ドア正面の壁際にもたれかかって立っていた。

 灰次がやっとそれを認識できた直後――いきなり彼の体に何か大きなものが勢いよく衝突してきた。灰次の視界は大きく揺れ、映っていたはずの明日香はあさっての方向へ回転していった。

「ぐぁっ――!」

 瞬間、灰次は短い悲鳴を上げて横に吹っ飛び、すぐ隣にあったドアにぶつかっても止まることなく、部屋の隅まで転がってようやく止まった。

 姉妹は倒れ伏す灰次にそろりそろりと歩み寄り、ごく自然に声をかけた。ねぼすけを起こす親兄弟かのように。

「はーいじー、起ーきてー」

「死んでないよね?」

 灰次は最終的に今日香に体を揺さぶられてようやく意識を取り戻した。

「お、俺、何が……?」

 心身ともにショックが大きすぎて質問もままならない。

 聞くとこの姉妹、部屋への侵入者対策として、入り口に巨大ハンマーを設置したらしい。

 ドアを開けて部屋に入る際、決められた正しい手順を踏まないと、今の灰次にようにハンマーの攻撃を受けるというしくみだ。

「なんだよあのハンマー……漫画かよ……」

 なんとか体を動かして見ると、ドアの所には確かにハンマーがあった。打撃面が直径一メートル以上はある、まるで和太鼓のような、かなり現実離れした木づちが、天井から垂れたロープで柄を結ばれて逆さまに吊るされている。あれが振り子の原理で動き、灰次の体を殴り飛ばしたのだ。

「お前ら、こんなん……死ぬっつーの……!」

 あお向けに寝転んだまま灰次が呆れを含んだ怒りを見せた。

「女子の部屋に無許可で入るクソ野郎にはこれぐらいやってやんないとね」

「正当防衛、だよ」

「過剰防衛だよ!」


 その後灰次は理不尽にも部屋を追い出され、痛む体でどうにかこうにか居間まで戻ってきた。

「あーもう……ちくしょう、なんでこんな目に……!」

 ここ数日、住人たちによる勝手な今村家の改造、改築が進んでいた。灰次の許可も得ないまま、部屋や廊下様々なものを施してしまうのだ。

「ここは俺の家なのに……!」

 椅子に座って愚痴っている間に、灰次はいつしか眠りに落ちた。ハンマーのダメージがよほど大きかったということなのだろうか。


「――灰次、起きろ! 灰次!」

「……んん……ん? うわっ!?」

 数時間後。灰次は久々に聞く伊織の声で目を覚ました。

 しかし灰次は伊織の存在よりも驚いたことがあった。住人たちが居間に勢揃いして、自分を囲んでいたのだ。

 今日香、明日香、智、涼葉、そしてスティーブン。そこに伊織も加わり、その全員が灰次を見つめていた。

「な、な、なんだよみんな……!?」

「喜べ灰次。今日はお前の村長就任の日だ」

 伊織が灰次の肩に手をやった。

「村長?」

 唐突に登場したその言葉。灰次には飲み込めるはずもない。

「この家は、今日からひとつの『村』となる」

「むら?」

「みんなが思い思いに楽しく暮らす村……。それがここ、アルプス村だ」

「あるっ……ぷ……す?」

 伊織の言葉がどれも意味不明な音の羅列に聞こえた灰次は、他の住人たちの顔を窺ってみた。

「こんなサプライズプログラムを用意するとは、伊織も案外、エンターテイナーだねぇ」

「よかったじゃん灰次、村長だってさ。ニート脱却、みたいな?」

「村長は村民の要望に応えるんだよ?」

「レモン様が迫害されない場所……ああ、やっと……!」

「争いのない村にしたいものだな! 争いの中で育つ種はそう多くない」

 わからない。灰次にはわからなかった。

 ――俺の家が、村? 『アルプス村』だって? しかも俺が村長? 何がどうなってそんな話に?

「わからないか? 灰次」

「わからないよ、伊織くん。なんだよ、村って」

「簡単だよ。……お前と、ここにいるみんなは……家族になったんだ。――さあ、そろそろパーティーを始めよう! 涼葉の料理が冷めちまう!」

「イエーイ!」

 灰次を置き去りにして盛り上がる声。いつの間にかテーブルに置かれていた豪勢なパーティー料理。グラスに注がれるドリンク。居間中に飾り付けられている万国旗に折紙の鎖。それら全てが、ここにいる全員の心境を表している。

 喜び。希望。祝福。……つまりは、幸せ――。

「……家族」

 ほとんど無意識にそう呟く。

 今この場に渦巻いている、喜びだとか幸福だとかいう感情。それは灰次が長年忘れていたものだった。

「はい。灰次くんも飲んで? 涼葉特製、レモンサワー。けっこう自信あるんだ、これ」

 涼葉に手渡された透明なグラス。その中では、鮮やかな黄色い液体が、まるで踊るように気泡を放っている。

 ほとんど無意識にそれをひと口飲んだ。

「おいしい?」

「……おいしい」

 冷たいレモンサワーなはずなのに、灰次にはどうしてだか、それがかすかに温かく感じられた。


 アルプス村の誕生。それはこの灰次という男に、どれだけの影響を与えるのだろう。

 今はまだ、わからない。

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