4 百合姉妹
「おーっす灰次ー。元気してるかーい?」
「伊織くん、今日はやけにテンション高いね」
朝十時。居間にひとりでいた灰次のもとに伊織が訪ねてきた。
伊織はいつも比較的明るいタイプだが、今日はさらに明るい振る舞いだ。浮かれている、とも言える。
「ふっふふ、これから起こることを見てれば、お前もこうなるぞ」
「なりたくないな……」
「まあそう言うなって。――よーし、こっち来ていいぞー!」
灰次に有無を言わせず、伊織は玄関へ向かって呼びかけた。
「うわ、待ってよ! また誰か連れて――!」
慌てる灰次。そして彼の予感は的中する。
スタスタと軽い足音が鳴り、居間へとやってきた。
「うわホントだ超ひろーい!」
「セレブリティだね……!」
女子。しかも、ふたり。腕を組んでぴったりくっついたまま部屋を見回している。
「いいじゃんここ。思ったより綺麗で。やっぱさー、住む場所にはこだわりたいじゃん?」
その内の片方。髪を茶色に染めて耳にはピアスを刺している。そして細身のジーパンに固そうな生地の黒いジャケットを着たその姿。強気な性格を物語るには十分だ。それに加えて怖いもの知らずな口調と立ち振る舞い。灰次は息を呑んだ。
彼女自身『ギャル』とまではいかないものの、灰次はそういうタイプの女性が苦手だった。――わがままで自分勝手で話の通じない人種……。
しかし彼のそんな考え方も、ある種、自分勝手かもしれない。
「静かで住みやすそう……!」
灰次はもうひとりの子へと目を向けた。ふんわりとした黒髪を肩まで伸ばし、両耳の上あたりに水色のリボンをひとつずつ飾っている。フリルのブラウスも水色で、リボンとお揃いにしてあるようだ。
ショートパンツの下から伸びる黒タイツに包まれている脚は細い。初めて来る場所に緊張しているのか、その両脚は落ち着きなくお互いを擦り合わせている。
灰次はふたりを見比べて、その印象の差を大きく感じた。性格キツそうなギャル系と、どこか気弱そうな少女。
そんなふたりが腕を組んで並んでいる。灰次が不思議な印象を受けた理由もそこにあるのかもしれない。
ふたりとも灰次より年下に見える。特におとなしそうな水色リボンの方はまだ中学生ぐらいの見た目だ。
いったいどういう関係なんだろう……。次に灰次はそんな疑問を持った。
「どうだ灰次、これでこの寂れた家も華やかさが増すってもんだろ。よかったな!」
伊織のはしゃぎっぷりが凄まじい。誰も女性を呼べなんて希望は出していないのに、彼ひとりだけ大盛り上がり。単純に伊織が女好きなだけ。灰次はそう考えながら呆れるばかりだ。
「あのさあ伊織くん……俺は男だろうが女だろうが、この家に人が増えるのを良しとしてないんだよ?」
「え? おいおい灰次くんよぉ、まだそんなこと言ってんのかあ? もうあの子たちで四人だ、諦めろ。こうなったら行けるとこまで行こうじゃないか、なあ!」
「まったくもう……!」
伊織はすっかりテンションが上がっている。
「ん、あれ? ……それ、誰?」
茶髪の方が灰次を指差し、伊織に尋ねた。
「今さら気づいたのかよ……」
誰にも聞こえない声で灰次はとげとげしく呟いた。
熱心に居間を観察していたくせに、今の今まで自分の存在に気づかなかったのか……? 灰次はまだ一言も会話していないこの相手への嫌悪感を勝手に強めた。
そんな事とはつゆ知らず、伊織が陽気に間へと入る。
「こいつがこの家の主人の灰次! 見た目はこんなんだけどいいやつだからさ、よろしくしてやってくれ!」
「ふうん……?」
女子ふたりは腕を組んだまま灰次につかつかと近寄り、品定めするような目つきで眺めだした。
「な、何か……?」
嫌悪と困惑でいっぱいの灰次。このふたりは自分の何を見ているのか、灰次には予想もつかなかった。
「よかった。お風呂はちゃんと入ってるみたいね」
やがて、安心したような口調で茶髪が灰次にそう言った。水色リボンの方も無言で頷きながら灰次を見つめている。
「はあ?」
「伊織から家主は引きこもりのニートだって聞いてたから、さぞかし不潔なキモオタなんだろーなって思ってた。でも近づいても臭くないから安心したわー」
――ずいぶん勝手な想像だな。これだからこういう女は嫌いだ……。
「……風呂は毎日入ってる」
怒りを抑え、冷静に返事をしようと努める灰次。しかし――。
「トーゼンでしょ! 毎日入らないとかキモいだけだしー?」
「ぐぐっ……!」
挑発的な態度。灰次は両手に力を込めて我慢するのに精一杯だ。もしこれがアニメだったら、彼の髪の毛は逆立っていることだろう。
そんな強気な表情ですましている隣でリボンの子が、組んでいる腕を引いて口を開いた。
「でもよかったねお姉ちゃん。キモい人じゃなくて」
「お姉ちゃん……!?」
灰次は椅子に体育座りしたまま静かにびっくり仰天した。このふたりが姉妹だなんて、にわかには信じられなかった。
「うふふ、そうね。良い家 、それなりの立地、なんとか我慢できそうな見た目の家主。……ま、明日香と住めるならどこだっていいけどね!」
妹に対しての態度が灰次とは別人のように笑顔であふれている。……人というのは数秒でここまで表情と声を変化させられるものなのか。灰次はひとり、そんな疑問に向き合うことを余儀なくされた。
「あはは。アスカもお姉ちゃんと一緒なら、どこだって行けるよ。お姉ちゃんと一緒じゃなきゃ、どこにも行かないもん……」
姉の腕をひしと抱きしめる妹。ずいぶん仲がいいようだ。
「灰次、お前今『ずいぶん仲がいい姉妹だな』って思っただろ」
伊織が急に耳打ちした。灰次はとっさに彼の方へと振り返り、困惑の表情を晒した。
「……だって、そう見えるじゃん」
「ふっ、だよな」
意味ありげに笑う伊織。もちろん灰次は質問した。
「違うっての?」
「いいや違わない。あの今日香と明日香の姉妹は大の仲良しさ。……これは内緒の話だけど、あのふたり、仲良しすぎて前の家を追い出されたんだ。まだ十代なのに身寄りもなくてな――」
「追い出されたあ!?」
こっそりと話された秘密に灰次は大声で反応した。それを聞き逃すはずもなく、姉妹は揃って灰次を睨みつけた。
間髪入れずに姉の今日香がキツい声を灰次にかける。
「ちょっと何コソコソしてんの? まさかあたしたちの話……してんじゃないよねぇ?」
「ん――」
返答しようとした灰次の前に、慌てた様子の伊織が飛び出した。
「そーんなわけないだろー!? お前たちの秘密はバラさないって約束したでしょ? 俺、約束はちゃんと守れる男だぜ!?」
灰次は白昼堂々目の前で行われた偽証に呆れるしかなかった。
ずっと以前からその気はあったが、この伊織という男、こんなにもいい加減だっただろうか……そんな風に考えてしまう瞬間が最近灰次には増えていた。実際、今もそんな瞬間が訪れている。
そんな時、今日香が深いため息をついた。
「……ったくさあ、藁にもすがる――って言うの? そんな気持ちで伊織についてきたけどさ、あんたけっこういい加減だよねー。ここに住むの、なんか不安って感じしてきたかも」
「だ、大丈夫だって! そうだよな、灰次?」
伊織の助けを求める懇願の目。しかし灰次にはいまいち響かない。なぜなら灰次は、どうして伊織が焦っているのかわからないからだ。ここに人を集める理由、灰次は未だに見当もついていない。
それゆえに灰次はどう答えるべきか迷った。それを察した伊織は踵を返し、ひとりで玄関へと歩き出した。
「じゃ、じゃあ俺、用事あるからもう行くわ! 今日香、詳しくは灰次に聞いてくれ!」
「あ、ちょっと――!」
灰次と今日香が同時に呼び止めるも、伊織はそのまま外へと出ていってしまった。
「……んん」
居間には灰次と今日香明日香姉妹が残された。
「なんなのよ、伊織ってば……!」
今日香が何やら伊織への悪態をひとりごちている。
思えば、伊織はそれほど親しくもないであろう年下の女性から呼び捨てにされている。伊織という男は実はなめられやすいタイプなのか、それとも今日香が物怖じしなさすぎるだけなのか。灰次にはわからなかった。
「……で」
今日香が今度は灰次の方を向いた。
「……ふう」
灰次も椅子に座ったまま彼女の顔を見上げた。
「人の顔見てため息とか、ちょっとないんじゃない?」
そう言って灰次の顔に人差し指を突きつける今日香。
「そう?」
もちろんそんなことでは動じない灰次。無表情に一言だけ返す。
「てかさ、お茶のひとつも出すもんじゃないの? そうやって座ってないでさ」
初対面の相手にここまで強く言える女性。逆に社会で必要な人材かもしれない。
「お茶?」
「お客が来たらお茶でしょ? 常識無さすぎ? ヤバ……」
驚いたように口元に手をやる今日香。その驚きは本気なのか演技なのか判然としない。
「……ここに住むんだったら、お客じゃないだろ」
「なっ……!」
口元の手を外して唇を噛む今日香。それを見た灰次は表情を変えないまま、内心ほくそ笑んだ。
気に入らない相手を言い負かしてやった。所詮頭に浮かんだことをそのまま口に出すしかできないバカな女。そんな奴に下に見られてたまるか。灰次はそう思った。――と、同時に、ここまで誰かに敵対心を燃やしている自分に意外性を感じていた。
「そ、それでっ!? あたしたちの部屋はどこよ!? 早く案内してっ!」
自分で自分の感情を受け止めきれずにいる間に、今日香が勢いを取り戻して灰次に語気強く迫った。その手にはいつの間にか大きなボストンバッグが持たれている。
「……二階に何部屋かあるから勝手に見て決めろよ……」
灰次は椅子から降りる気などさらさらなかった。特にこの女のために歩くなんて灰次には考えられない。
「はあ? ありえないんですけどこいつ! 明日香、行こ行こ。こんなヤツに構ってたら夜になっちゃう!」
「ん、うん……」
怒りに任せて明日香の手を引く今日香。灰次は膝を抱えるお決まりのポーズで無視を決め込んだ。
姉妹の足音が階段を登り始めて数歩、その音が止まった。
「明日香? どうしたの、ほら行くよ?」
妹へ向けられた今日香の声。どうやら先に足を止めたのは、手を引かれていた明日香の方らしい。
「灰次さん……!」
灰次は初めて明日香の大きな声を聞いた。……膝に顔をうずめたままではあったが。
明日香は灰次が無視するのも気にせず、彼へとさらに声をかけた。
「さっき……さっき、『ここに住むんだったらお客じゃない』って言ってたけど……だったら、アスカたちと灰次さんは、これからどういう関係になるんでしょうか……!?」
「明日香、変なこと言ってないで行くよ!」
「――う、うん……」
ふたりの足音は二階へと消えた。
「……嘘つき」
灰次の呟いたそれは、伊織のことだった。
『これから起こることを見てれば、お前もこうなるぞ』
テンションなんて全然上がらない。伊織の言ったことは嘘だった。
灰次は何もかも投げ出して眠りたかった。
だが妙に心につっかえるものがあって灰次の眠りを妨げる。
それは『声』だった。
『だったら、アスカたちと灰次さんは、これからどういう関係になるんでしょうか……!?』
この問い。灰次は実際に返答はしなかったが、もし答えを返すとするならば、どういうものになっただろう。
「……家族? そんなバカな……」
もしそうだとすると、あのスティーブンやら智やらとも家族ということになる。謎の博士に手品好きの占い師くずれ。まるでゴミ捨て場みたいな家族だ。
「ちょっと灰次ーっ!」
やっと眠りに落ちるところで明日香の怒鳴り声が灰次を引きずり上げた。声と一緒にどたどたと階段を駆け下りる音がしている。
「なんだよ……」
「あのテレビ何なの!? 全然映んないじゃん! 家にテレビ無しなんて聞いてない! 映るようにして!」
――そう言えば二階にテレビのある部屋がひとつだけあったな……。なんて思い出しながら、灰次はぼんやりと椅子から離れなかった。
「聞いてんの!? テレビ直せっつってんの!」
灰次のもとに辿り着いた今日香は強引に彼の腕を引っ張った。
「おわあっ――!」
椅子の上で体育座りという姿勢は、当たり前だがとてもバランスが悪い。そんな状態でいきなり腕を引かれればどうなるか。
「ぶはっ、落ちるとか……だっさー! ちょいウケんですけど」
「いっ、てぇ……」
椅子から落ちて体を床にしたたか打ちつけ、笑われる。これが当たり前である。