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2 新入居者

 秋。木々の葉は紅葉し、やがてひらりひらりと地面へ舞い落ちていく。そんな季節。

 外は寒さを増し、街を往く人々の足取りは速い。

 しかし家から出ない灰次にとっては、そんなことどうでもいい話だった。

 どこかで猫の鳴き声が聞こえる中、目の前にいる白衣を着た男が、今の灰次にとっての一大事であった。

 身長は低めで、ウェーブのかかった黒髪は肩甲骨のあたりまで伸びている。中性的な顔立ちに赤い眼鏡をかけているその姿は、一瞬女性と見間違えそうになる。

 スティーブンというその男、明らかに日本人である。偽名なのは明白。

「あの……伊織くん、このスティーブンって、何者なの……?」

「見てわかんないか? 博士だよ」

 横で腕組みをして立っている伊織はそう言った。

「博士……って、何の? それ以前に、なんでこの家に住むのさ。他人じゃん! おかしいでしょ!」

「この前言っただろ、この家をお前ひとりが使うのはもったいないって。それで俺考えたんだ。その結果がこれ」

 伊織はスティーブンの肩をぽんと叩いた。

 そのスティーブンはというと、顔を見回し、家の様子を窺っていて、ふたりの会話には興味がない様子。

「知らない人と住むなんて困るよ……勘弁してよ」

「大丈夫、俺が今まで以上にサポートするから」

「そういうことじゃないよ普通に嫌なんだよ!」

 声を荒げる灰次に、伊織は困った表情。

「うーん、別にスティーブン悪い人じゃないからさ。な?」

「じゃあなんで偽名なんて使ってるのさ。家だって普通にどっか借りればいいじゃん。怪しすぎる!」

「なあ灰次……」

 伊織は静かに灰次と距離を詰め、顔を近づける。

「な、なにさ……」

 そして声のトーンを落とし、灰次にささやいた。

「……スティーブンと住めないって言うなら、俺もここに来るのやめたっていいんだぞ?」

 伊織が家に来なくなる。灰次にとってそれはすなわち、死。

 家から出ない灰次に伊織以外の友人知人は皆無。もちろん伊織はそのことを知って言っている。

「脅迫じゃないか……」

「お前が外に出ればいい話だ」

 灰次は目の前の伊織から目を逸らし、うつむいて黙りこくる。

「できないんだろ」

「……卑怯」

「じゃ、スティーブンをここに住まわせるってことで決定だな」

 言い終わると伊織はパッと灰次から離れ、相変わらずきょろきょろと周りを見回しているスティーブンの方へ向いた。

「という訳だ、スティーブン。話はついた。この家、使ってくれて構わないよ」

 しかしスティーブンからの返事はない。

「スティーブン?」

「……ん、ああ、そうか。こっちもちょうど今終わったよ。この家は本当に空き部屋が多いんだね」

 若干の時差があってから返事をしたスティーブンだが、よく見ると彼の左手の周りに小さなハエのようなものが飛んでいる。

 灰次の視線に気づいたのか、スティーブンはそのハエのようなものを手に取り、喋り始めた。

「小型自律飛行偵察機。試してみたかったんだよ。けっこう自信作」

「はぁ……え!?」

 さっき灰次と伊織がふたりで話してる間、このハエの形をした偵察機を飛ばし、家の様子を見ていたということらしい。

「勝手にそんな――」

 文句を言いかける灰次に、伊織がその肩に手を置いて制した。 

「それだけスティーブンの技術がすごいってことだ。ほら、信用できそうだろ?」

「そうはならないでしょ!」

「君も見てみるかい? 遠慮しなくていい」

 スティーブンが、手のひらよりひと回り大きいサイズの平たい金属製の板を灰次に差し出した。その表面には液晶画面がついている。いわゆるタブレットというやつだ。

「なんですか、これ」

「ここに偵察機が撮っている映像が出る。ほら覗いてみなさい」

 どうしても覗かせたいらしい。灰次はしぶしぶその画面を覗いてみた。

 そこには自分がよく知る見慣れた自宅の玄関が映っていた。ハエのホバリングに合わせて、画面の映像も揺れている。

「スティーブンの技術はすごいだろ! こんな人がいればお前の生活も楽しくなるんじゃないか?」

 なぜか伊織が誇らしげである。

「こんな怪しい機械作る人を家に置くなんて怖すぎるって!」

「それじゃあ中を案内しよう。玄関で立ち話も疲れるだろ」

「えっ、待ってよまだ俺は何も……!」

 灰次の制止は無意味に終わった。伊織もスティーブンも無遠慮にずんずんと廊下を進んでゆく。

「もう……!」

 慌てて灰次も彼らの後ろに続く。

 伊織たちは居間をまっすぐ通り抜け、奥へと続く短い廊下をさらに進む。

「ほら、この部屋がいいんじゃないか?」

 灰次がふたりに追いついた時、伊織はスティーブンにひとつのドアを示していた。

「ちょっと――」

 灰次の声も虚しく、伊織によってそのドアは開かれた。

「おお……!」

 感嘆の息を漏らすスティーブン。そのドアの向こう側の景色に目を輝かせている。そのままドアの向こうへ一歩踏み出す。伊織と、渋い顔の灰次もそれに続く。

「素晴らしいな……いや最高だよ!」

 スティーブンが高らかに喜びの声を上げた。

「何が最高なんだよ……」

 しかし灰次はその喜びに同意できなかった。

 六畳の薄暗いその部屋にはダンボール箱がたくさん積まれ、放置されていた。洗濯機や炊飯器などの電化製品の空箱が、畳まれもせずにこの部屋へ放り込まれているのだ。

 ダンボールは空箱だけではない。家主の灰次ですら用途を知らない、見覚えすらない謎のガラクタがごちゃごちゃと詰め込まれた、得体の知れない重そうな箱もいくつか見える。ここはいわゆる物置部屋だった。

 スティーブンはこの部屋を見て興奮に沸いているのだが、灰次にはその感情が全く理解できなかった。

「伊織よ、正直あまり期待してなかったが、これは素晴らしい! ぜひここに住まわせてもらいたい!」

 何がどう素晴らしいのか。灰次にはわからなかったが、とうとうスティーブンはこの家に住む意思を自ら表示した。

 彼の言葉に伊織は喜び、灰次は落胆した。

「おお、やった! でもこの部屋でいいのか? 二階にもいろいろ部屋があるけど」

 伊織が尋ねたが、スティーブンは手を振ってそれを遮った。

「いいや、ここでいい。ここがいい。庭も近いし、一階の方が都合がいい。さてと……」

 スティーブンは話を切って、白衣のポケットからスマートフォンを取り出した。さっきのタブレット端末とは別のものだ。彼はそれを指で操作し、耳に当てた。誰かに電話をかけているらしく、しばらくしてからスティーブンが話し始めた。

「……ん。それじゃあ始めてくれ。奥の部屋だ」

 短い会話で電話は切れた。

 すると、すぐに玄関の方からばたばたと人の足音が聞こえてきた。ひとりではない。三人か四人分の足音だ。その無遠慮な音はどんどん灰次たちのもとに近づき、やがて姿を現した。

「え、なになに……ええっ! 誰だよこの人たち!」

 灰次が驚きの声を上げた。

 目の前にやってきたのは、グレーの帽子と作業着を着た、背の高い男たちだった。全部で四人。それぞれが脚立やら工具箱やら細長い鉄パイプやら蛍光灯やらを両手にたくさん抱えている。まるで今から工事でも始めるのかという雰囲気だ。

 いや、雰囲気などではない。実際に工事が始まるのだ。

「よし、言っていた通りに頼むぞ」

 スティーブンが声をかけると、男たちは小さく態度の悪い返事をして、作業に取り掛かった。

 手荒くダンボール箱を次々にどかし、空いた場所に謎の機械を設置したり、木の板を釘やビスで繋ぎ合わせて棚をこしらえたりしている。

「ちょっと……いい加減にしてよ!」

 灰次はさすがに黙っていられなくなった。男たちが作業の手を止める中、灰次は誰にというわけでもなく怒りをぶちまけた。

「ここは俺の家なんだよ! それを何の断りもなく勝手に上がり込んで。しかもこれからここに住む? バカ言うなよ! そんなの認められるわけないだろ! 挙句に部屋を改造するような真似して……なんで勝手に業者を家に入れちゃうんだよおかしいでしょ! ドリルとか金槌とか大げさな音立ててさ、迷惑だとか思わないわけ!?」

「ううむ……」

 灰次の主張に、スティーブンがあごに手をやって何か考えるような仕草をとった。

 やがてひとり納得した表情を見せて、スティーブンは灰次に言った。

「確かに……私は少し配慮に欠けていたかもしれないな。確かにこううるさくしては迷惑というものだ。わかった……まずは壁全体に防音加工を施すところから始めよう。みんな、頼む」

「え……あ! いや、そういうことじゃない……!」

 期待していたのとは違う言葉に、灰次は一瞬だけ思考停止した。

 気がついた頃にはもう、再び作業の音が鳴り始めていた。作業員の男たちが、今ある壁の上に黒いシートを貼っている。それを壁に合わせてカットし、隙間なく覆っていく。

 そこへさらに正方形の板を重ねる。学校の音楽室の壁のような、細かい穴がびっしりと開いているものだ。

「はあ……」

 灰次は怒り疲れていた。思わずため息をつき、その場にしゃがみ込んでしまった。

「はは、諦めがついたか?」

 伊織が笑いながら灰次の横についてしゃがみ、尋ねた。

「諦めっていうか、呆れてるよ。何もかも強引すぎる……スティーブンも、伊織くんも……」

 そう言いながら灰次は、作業の様子を眺めた。男たちの作業は一見荒っぽく見えるが、丁寧だった。ひとつひとつの工程が素早く確実に行われている。

 連携もうまく取れていた。会話がほとんど無いにも関わらず、お互いの作業をしっかり支え合い、無駄が見当たらない。

 そのおかげで、灰次がもう一度立ち上がるだけの体力を取り戻すよりも前に、部屋の壁全体が防音仕様へと生まれ変わった。見事な早業だった。

「優秀だろ?」

 なぜか伊織が誇らしげである。

「もう好きにして……」

 灰次による敗北宣言だ。これにより、この家はもう、灰次ひとりだけのものではなくなったのだ。

「もう、寝るよ……」

 そう小さく呟いて、灰次はとうとう立ち上がることなく、四つんばいで部屋を後にした。

「灰次。赤ちゃんかお前は」

 ハイハイで廊下を進む灰次に伊織がつっこむ。灰次はそれを無視して居間に戻り、いつもの椅子に膝を立てて座った。

「めちゃくちゃだよ、もう……!」

 立てた膝に顔を埋めて目を閉じ、ひとりごちる。

 いきなり訪れた部外者。それが灰次のこれからをどう変えてゆくのか。それはまだ、誰にもわからない。

「静かだな……」

 物置部屋の改造は夜になっても休むことなく続けられた。しかし防音加工の効果なのか、その作業音が居間まで届くことはなかった。

 灰次は寝たり覚めたりを繰り返しながら、どこからか聞こえる猫の鳴き声に耳を傾け、とりとめのないあらゆる事を考えたり考えなかったりした。


 ――そういえば。

 そういえばあのスティーブンの声……聞き覚えがある気がする。それもつい最近。

 気のせいだろうか。

 いや気のせいだ。あんな男なのか女なのかいまいちはっきりしない、いかにも博士風な格好をした人なんか、今まで会ったことない。これが初めてだ。昔、似た声の人に会ったことがあるだけだ。そんな人がいたかどうか覚えてないけど。

 ……どうでもいい。何もかも、どうでもいい事だ。自分には関係ない。何も、何も関係ないんだ……。


 電気の付いていない居間。そこで眠る灰次の横。伊織がひとり、立っている。

「楽しみだな、灰次」

 伊織が立ち去り、体育座りの姿勢で眠る灰次だけが、そこに残った。

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