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倉毛信造、博物館に潜入す

   倉毛信造、博物館に潜入す



「ふぁーあ、暇じゃのう」

 朝から、あくびを何回したことか。もともと、暇つぶしのつもりで始めた探偵社じゃが、こうも仕事が来んのは、困ったものじゃ。

「もめ事が少ないからでしょ。いいじゃん、平和で」

 とララちゃんは言う。

「そりゃ、そうなんじゃが……」


 倉毛探偵社の評判が悪いわけではなかろう。今まで引き受けてきた依頼は、確実に解決してきた。依頼者には十分満足してもらっておるはずじゃ。まあ、中には、少々、ヤバイ依頼もあったが、それはそれ、法律すれすれのところを見極めるのも探偵社の勤めじゃ。

 客には明かせんが、依頼を解決するときは、もっぱら「倉毛の術」を使っておる。言わば究極の「雲隠れの術」、透明人間になれる術のことじゃ。

 江戸の一時期、倉毛の術の使い手は百人にのぼったらしい。じゃが、いまの時代、術を使えるのは、わしともうひとり、アイドルタレントの朝倉ララちゃんだけ。

 ララちゃんはタレント業の合間にしょっちゅうこの事務所にやってきよる。若い娘がいてくれるだけで、こんな事務所でも華やかになるもんじゃ。ほれ、写真のばあさんも、喜んどるじゃろうが。


 わしはソファに座って新聞を開く。ララちゃんは向かいで少女マンガ。

「ほほう、『大古代展』っちゅうもんが開かれるんじゃと」

「えっ、ダイコン、ハクサイがどうしたの」

「ダイコン、ハクサイじゃない。ダイコダイテンじゃ」

「ダイコダイ……、ええと。まっいいや。で、それって、なあに?」

「昔の品物、古代の物を展示する博覧会のことじゃよ。ほら一年ほど前じゃったか、どこかの古墳からめずらしい鏡が発見されたってニュースがあったじゃろが。あの鏡が展示されるんじゃと」

「知んない。あたし、ニュース見ないもん」

「ニュース見んでも、あの鏡のことぐらい知っとるじゃろ。そうじゃ、確か、ララちゃんが出てたバラエティでも『世紀の大発見』ってやってたじゃろうが」

「そんなの、あったかなあ……。忘れちゃった」

 古墳時代の銅製の鏡は、そうめずらしいものではない。じゃが、この鏡はそんじょそこらの鏡ではない。驚くなかれ、なんと古代エジプトの象形文字とそっくりの記号が彫られていたというのじゃ。まさに世紀の大発見ではないか。

 大古代展は明日から開かれる。もちろん目玉はこの鏡じゃ。


 ララちゃん、マンガ読み終わったらしく、テーブルを回って、わしの新聞をのぞきに来よる。

「ダイコンダイコンってどれ?」

「ダ・イ・コ・ダ・イ・テ・ン、ほら、これじゃ」

 新聞をめくってララちゃんに見せる。鏡の写真を大きく写した広告が載っている。

「ふーん、やっぱり、覚えてなあい」

 わしは新聞の続きを読む。ララちゃんは退屈なよう。わしの後ろで歌を歌い始めた。今度出す新曲じゃろうか。

「だってー、わたしーっ。こいこいこいこい、恋してーるーっ、だもんね」

 タッタカタ、タッタ、とステップを踏む音。

「ねえっ、シンちゃん、見て見て」

「あのねえ、ララちゃん。そのシンちゃんっての止めてくれんか」

「いいじゃん、信造だからシンちゃんで。ねっ、それよっか見てよ」

「だからあ、わしのような年寄りにシン……」

 と言いかけたところで、わしは言葉を飲んだ。

 振り返って見えたもの、なんにもない空間に赤いリボンがゆらゆら揺れておる。ララちゃんが髪に結んでいたリボンじゃ。だがそこに、ララちゃんの姿はない。顔も手も足も。ララちゃんは透明人間になって踊っているのだ。頭を振るとリボンが揺れる。リボンの上では、手首につけたブレスレットと腕時計も揺れている。おなかのあたりで、ブラウスとスカートが歌に合わせて弾み、床の上では靴とソックスだけがステップを踏んでいた。


「ララちゃん。また、倉毛の術、使っとんか。好きじゃのう」

「だって、おもしろいじゃん。ターンタンタ、タタタタッ、ターンタンタ、タタタタッ」

 ララちゃんの振りがだんだん大きくなっていく。

 突然、リボンがソファを越えて飛んでいった。

「ギャッ!」

 わしは心臓が止まるほど驚いた。首が飛んでったのかと思ったぞ。ララちゃんが頭のリボンを取って投げただけなんじゃが。

「ねっ、びっくりした?」

「あったりまえじゃ。年寄りを驚かせるもんじゃない。心臓に悪いじゃろが」

 ララちゃん、面白がってエスカレート。ブレスレットが飛んでいく。腕時計が飛んでいく。靴が飛ぶ。靴下が飛ぶ。次にブラウスのボタンが外れていくのが見えたとき、さすがにわしは叫んだ。

「やっ、止めなさい!」

「なんでさあ、からだ見えないんだから、別にいいじゃん」

「ダメッ! ダメダメッ! 若い娘がそうホイホイと服を脱ぐもんじゃない」

「どして、シンちゃんとあたいの仲なのに」

「なっ、仲ってなんじゃ。人が聞いたら変に思うじゃろうが。とにかく、止めなさい」

「つまんない。せっかく面白い遊び、思いついたのに……」

「面白くなんかない。ダメッ! ダメダメッ! ダメッたらダメッ」


 そのときじゃ。ドアのチャイムが鳴った。

「ほら、お客さんじゃ。ララちゃん、すぐに術解いて」

 わしは、急いでテーブルの上を片づけ、入口に向かった。ドアを開けると、すらっとした男性がひとり立っていた。眼鏡をかけスーツを着た男性。どことなく知性が漂っておる。

「いらっしゃいませ。ささっ、どうぞ」

 ララちゃんは、ソファに寝転がって、髪にリボンをつけている最中。ブラウスのボタンは半分ほど外れたまま、足ははだしで、足もとには脱ぎ散らかしたソックスと靴がころがっていた。

「あのーっ、おじゃまでしたか」とお客さん。

「いえいえ、なんでもないんですよ。これっ、ララちゃん、お客さんじゃよ」

 ララちゃん、立ちあがって、言った。

「うん、おじゃまじゃないよ。あたいと所長、いまちょっと、暇つぶし、してただけだもん。ねっ、所長」

「はあ、暇つぶしですか……」

「あのね、いいこと教えたげる。あたいと所長ね、裸で抱きあった仲なんだよ」

「こっ、こっ、これっ! なに言うんじゃ。お客さん、本気にしないでくださいよ。この娘、いつも年寄りからかうんじゃから」

「だってーっ、本当のことだもん」

「あのときは、仕方なかったじゃろ」

「仕方なかったって、仕方あったって、抱きあったのは本当じゃん」

「だから、仕方なかったって。それにそんな話、人にしゃべるもんじゃなかろうが」

「シンちゃん、ずるい。うそつきなんだ。責任取んないんだ」

「せっ、責任って、わし、なんにも……」

 わしとララちゃんが抱き合ったという出来事、詳しく知りたい方は、前話「倉毛信造、ララちゃんと出会う」をご覧あれ。


   *****


「あのーっ、依頼の方は……」とお客さん。

「あっ、あっ、そうでしたね」

 客は、カバンから大きなポスターを取り出した。

「実は、このことなんです」

 落ちついた口調がどこか学者っぽい。はて、このお客さん、どこかで見たことがある気が……。

「大古代展」のポスター、さっき新聞で見たばかりじゃ。銅鏡の写真をまん中に、大古代展という文字が大きく書かれている。わしは思い出した。

「あっ、そうか。どこかでお見かけした方だと思っていたんですが、この鏡を発見なさった先生ですよね」

「覚えてくださいましたか。一時期、テレビ局にしょっちゅう引っぱり出されましたから、いっペんに有名になっちゃいましてね」

「あの鏡、大評判じゃないですか。わしも、この展覧会、見に行こうと思ってたとこなんですよ」

 ララちゃんがお茶を持ってくる。客に勧めたあと、わしの隣に座った。

「実はあの鏡、発見してすぐ、うちの研究所でレプリカを作ったんですよ。見た目には専門家でも区別がつかないくらい精巧なものでして」

「あたい、パプリカ、あんまり好きじゃない。だって味しないもん」

「ララちゃん、パプリカじゃなくレプリカ。複製、にせ物のことじゃよ」

「あっ、そう」

「お客さん、気になさらずに。で、そのレプリカが何か?」

「今回の展示会で展示方法を検討するとき、まずレプリカを持ち込んだんですよ」

「ふむふむ、本物に何かあってはいけませんからね」

「はい、で、本番前に本物の鏡に交換する予定だったんですが、あまりにも似せて作ったため、担当者が現場で区別がつかなくなってしまって、またレプリカを置いて帰ってしまったんですよ」

「ははあ、でも、それなら、博物館の人に言って交換すれば、良いことでは?」

「それがそうもいかなくて……。実は、博物館の館長というのが、考古学では相当な権威のある人なんですが、その館長が鏡を鏡をしげしげと眺めてですね。『素晴らしいの一言じゃ』と絶賛してくれたんですよ。そんな館長に、いまさら、あれはレプリカでした、なんて言えないんです。館長の顔をつぶすことになっちゃいますから」

「なるほど……」

「それで、お願いしたいことはですね」

 客は、身を乗り出して、小声になって続けた。もくろみはこうだという。

 厳重な警備をくぐり抜け、密かに鏡を持ち込んだり持ち出したりすることは不可能なこと。そこで、なんらかの方法で鏡の展示室に潜入し、部屋の中を荒らして来てもらいたい。賊が潜入したとなれば一大事。鏡はいったん依頼人の元に戻されて、傷がついていないか点検することにだろう。そのとき本物と交換するつもりだという。

「つまり、何者かが不法侵入した、そういう状況を作って欲しいんです。展示台をひっくり返すとか、鏡を床に放り投げておくとか……」

「いいんですか。床に放り投げても」

「ええ、レプリカは本物よりも頑丈に作っていますから、少々乱暴に扱ってもこわれはしません。まあ、布か何かクッションになるものがあれば、それに越したことはありませんが……。いかがでしょう。お願いできないでしょうか」

「ふーむ」

 確かに、これだけの依頼であれば、倉毛の術を使えば、簡単じゃ。しかし、これは明らかな犯罪行為。そんなのに果たして荷担してよいものか……。わしは、腕を組んで考えた。

 

 ララちゃんが、横から口出ししよる。

「所長、なに考えてんの。簡単な仕事じゃん。引き受けようよ」

「しかし……、これは、犯罪じゃろ」

「じゃ、どうすんの。ずっとにせ物展示してろって言うの? それこそ、人だましてるじゃん。杉の木じゃん」

「なんじゃ、そりゃ」

「所長知らないの。人をだますこと、杉っていうじゃん」

「?? 詐欺のことか?」

「あっ、そうも言うわ。ともかく、引き受けようよ。これ断ると探偵じゃないよ」

 ララちゃんの言うのも、もっともかも知れん。探偵業というものはもともと危ういもの。依頼人はわたしを頼って来てくれたのじゃ。その期待に応えねば。

「よし、引き受けるか」

「そうよ、やろやろ。さすが所長」


   *****


 翌日、博物館の前は、大勢の客が行列を作っておった。

「二時間待ち」のプラカードを持ったスタッフが、列の横に立っておる。

 すごい人気じゃなあ、と感心しつつ、わしは列に並んだ。まずは一般客にまぎれて下調べ。博物館のどこに監視カメラがあって、警備員がどういう風に配置されているか、それを調べるのが目的じゃ。

 こうして並んでいる間も、監視カメラの設置状況をデジカメで撮っていった。博物館の外は撮影自由じゃ。こんな写真でも、あとで何かの役に立つかも知れん。

 博物館の中も混んでおった。見学ルートの途中にも、いろいろ展示があったようじゃが、わしの目的は例の鏡だけ。よけいな展示室は飛ばして先に進んだ。


 鏡の展示室にやってきた。広い部屋のまん中に人だかりができておる。鏡はそこに展示されているらしい。

 この部屋は入念に調べておかねば……。部屋の出入り口は二か所。扉は今は開いてるが、夜は閉めるのじゃろう。たぶん鍵もかける。出入り口の上は通風口か。扉を閉めても、あそこだけは開いてそうじゃ。しかし、いくらなんでも、あそこからの出入りは無理じゃな。高さ三メートルはあろうし何よりもせまい。部屋の明かりは天井の照明だけ。これも夜は消されるじゃろう。非常口灯だけはついたままかも知れん。

「立ち止まらないで、お進みください」

 と博物館のスタッフにうながされ、わしは、人だかりの方に進んでいった。


 鏡の展示台のまわりは、何重にも見物客が取り巻いておった。

「へえ、こんなものがねえ」

「ほら、あそこ、エジプトの象形文字そっくり」

「エジプトの使者が、倭の国の王か貴族に献上したって説もあるらしいよ」

「また、はじまったよ、あんたの講釈。全部テレビで言ってたことでしょ」

 鏡の前に行こうとするが、なかなかたどりつけん。

「ちょっと、押さないでよ」

 横のおばさんが、わしをギロッとにらみよる。が、そんなのに負けてはおれん。わしは、人と人の間を縫って、じりじりと進んでいった。


 最前列まで行く。展示台に赤い布が敷かれ、その上に例の鏡が大仰に飾られていた。紋様を見えやすくするためか、少し斜めに置かれている。へえ、これがレプリカねえ。

 テーブルのまわりにはロープが張られ、その前に、警備員がふたり立っておった。さすがに厳重な警備じゃ。


 さて、「何者かが荒らしたように」との依頼じゃが、どうしたものか。わしはしばらく、腕を組んで思案しておった。テーブル、赤い布、鏡……。乱暴に扱っても大丈夫、とはいうが万が一にも壊してはならぬ。

 警備員がチラチラわしの方を見よる。いかんいかん、いまここで目をつけられては。わしは、警備員の視線に気づかぬふりをして、鏡の前を去った。


 展示室を出る前に、もう一度、部屋全体を見渡した。天井にも壁にも出入り口にも監視カメラ。ひょっとして、わしの様子も別室で監視されていたかも知れん。まあ、とがめられることは何もしとらんので、問題はなかろうが。

 部屋を出るとき、出口にいた警備員と目があった。わしが会釈すると、警備員も帽子を脱いであいさつを返してくれた。


 そうじゃ、これだけの監視カメラがあれば、それを監視している部屋があるはず。そこものぞいておこう。わしは、関係者用の細い廊下を入っていった。「監視室」と書かれたドアを開ける。中にいた警備員たちがいっせいに振り返った。前面パネルに何十台ものモニタが並んでいるのが見えた。

「あっ、すみません。あっ、あの、トイレ、どこですか」

「お客さま用のトイレですね。この通路ではなく、向こうのロビーの先です」

「あっ、そうですか。すみません」


 よし、これで下調べはOKじゃ。あとは今夜決行するだけ。

 最後に、これだけは忘れてはならん。出口の監視カメラに写り込むことじゃ。

 事件が起こると、警察はまず監視カメラを調べるじゃろう。入館したが退館していない者はいないか、ひとりひとり徹底的に洗い出すに違いない。もし、わしが、博物館を出ないでいたら、まっ先に疑われるのはわしということになる。わしが博物館を出たことは、監視カメラでしっかり撮ってもらわねばならんのじゃ。わしは、出口の監視カメラを見た。ほれ、この顔じゃ、しっかり記録しておくんじゃぞ。そうつぶやいたあと、ゆっくりと博物館を出た。


   *****


 博物館をいったん出たあと、今度は倉毛の術を使って、再び博物館にもぐり込んだ。決行は深夜、それまで博物館に身をひそめておくのじゃ。


 閉館時刻が過ぎ、客は全員出ていった。いま、ここにいるのは、関係者だけ。 わしは、監視室の隅で息をひそめておる。ソファでは、数人の警備員が談笑していた。開幕当日、まずは無難に過ぎたことで安心しているようじゃ。まっ、今のうちに、ゆっくりしておけばよい。明日は、朝から大変なことになるんじゃから。

 展示室はすべて扉が閉められ鍵がかけられた。電灯も消された。監視モニタはほとんど真っ黒の映像。白い部分が少しだけあるのは非常口灯の明かりじゃろう。展示品の様子はまったくわからない。

 やがて、警備員もほとんど帰った。残っているのは夜勤の三人だけ。

 わしは、人が座っていないソファに腰かけた。あまり深く腰かけると、ソファが不自然に沈んでしまう。だからゆっくり寝転んでくつろぐこともできん。これも透明人間のつらいところじゃ。


 午後八時が過ぎた。スーツ姿の初老の男が監視室に入ってきた。妙なことにサルを連れておる。警備員がいっせいに立ち上がって出迎えた。どうやら、ここの館長らしい。

「いやいや、座ったままでいいよ。ごくろうさんだね。大古代展は長丁場だが、よろしく頼むよ」

「はい、お任せください。警備は万全です」

「でね。悪いんだが、こいつ、きょうも頼めんかな」

 館長は、サルを指さして言う。

「はっ、はい、承知しました。館長のマンション、まだダメなんすか」

「そうなんだよ。ますます、もめちゃってね……」

 館長はソファに腰かけた。サルは館長の横、わしの正面でわしの方をじっと見ておる。警備員のひとりがわしの横に座った。


 館長がどうしてサルを連れているのか、ふたりの話によると、どうやらこういうことらしい。

 館長はペットOKのマンションに住んでいる。住民は全員ペット好き。だからもめ事は起こらないはず。ところがある日、どこかの家のフクロウが隣人のリスを殺して食べてしまうという事件があった。「凶暴なペットまで許可されてるわけじゃない」と住人が主張する。すったもんだがあって「当分の間、犬と猫以外のペットは禁止」と決まってしまったのだ。館長のサルも家で飼えなくなって、職場に連れてくることになった。昼間は館長室、夜は監視室に預けて帰る、というのが続いているらしい。

 サルはリードでつながれているし、小屋やエサは館長が用意している。じゃが、本来、職場にペットを連れてくることには問題があろう。ただ、相手は館長。文句を言いたくとも言えん。警備員の表情には、そういう気持ちがあらわれておった。


 サルの名は「モンキ」と言うらしい。モンキはわしの前に座って、わしの方をじっと見ておる。見えないはずじゃが、どうも気持ちが悪い。わしが座る場所をずらすと、モンキの視線もずれる。ソファから立ち上がって壁の方に向かうと、モンキの視線はやはり、わしが移動した方向に向いておるのじゃ。

 何かわけのわからんものがそこにある。モンキは、そんなことを感じているようなのじゃ。何か人間にはない能力があるのかも知れん。

 突然、モンキが歯をむきだして、わしの方を見てほえた。

「キキッキーッ」

 わしはあわてて本棚のわきにかくれた。

「これ、モンキ。何ほえとんじゃ」

 館長はポケットからボールを取り出して、モンキに投げた。モンキはお気に入りのボールをもらって、いっペんにおとなしくなった。

「ここんとこ、散歩に連れていっとらんから、ストレスがたまっとんかも知れん。悪いが、ほえよるようじゃと、このボールわたしてやってくれんか」

 そう言って、館長は帰っていった。


   *****


 館内の見回りは一時間に一回、モニタ画面にひとり残し、ふたりが各部屋を巡っていく。見回りの手順を何度か確認したあと、わしは、決行は午前二時、と決めた。


 午前二時、警備員のあとをついて行った。

 警備員は懐中電灯を持って廊下を進み、一部屋一部屋点検していく。部屋の鍵を開け中に入り電灯をつける。展示品を一通り点検したあと、無線機に話しかける。

「○○室、異常なし」

「○○室、了解」と監視室が応じる。

 電灯を消し、扉を閉め、鍵をかけて、つぎの展示室に向かっていく。とこういう流れじゃ。


 さて、目的の鏡の展示室じゃ。

 警備員が重々しい扉を開けた。部屋の中に入っていく。わしもあとにつく。部屋の電灯がつき、いっぺんにまぶしくなった。広い部屋の真ん中に、ポツンと展示台がひとつだけ。昼間の賑わいとは打って変わった静けさじゃ。警備員は展示台のまわりをぐるりと回る。

「第一展示室、異常なし」

「第一展示室、了解」

 警備員が部屋の電気を消した。暗闇の中、懐中電灯の光が揺れている。懐中電灯が部屋を出て行く。わしは、部屋の中に留まっておる。扉が閉まり懐中電灯の光もなくなった。外から鍵をかける音。足音が遠ざかっていく。


 いま、物音を立ててはいかん。決行は、警備員が完全に去ってからじゃ。

 非常口灯の光が異様に明るい。たったそのだけの弱い光に、目が徐々に慣れてくる。鏡のシルエットが浮かび上がる。からだにそよ風があたる。通風口からの風じゃろうか。そういや、警備員の足音も通風口から聞こえていたのかも。


 警備員の気配がなくなった。まったくの静寂じゃ。

 よし、決行。


 鏡のそばまで行く。ロープをどける。敷物の下から手を入れ、鏡を敷物ごと持ち上げた。そしてそのまま、展示台の脇まで持っていき、手を離した。鏡がドンと床に落ちた。敷物にくるまれたまま。

 仕事はこれで終わり。たったこれだけ。よけいなことはせん。あとは次の見回りで、警備員がやって来るまで、ここで待つだけじゃ。


 わしは、床にへたり込んだ。

 緊張が解けると急に眠くなってきよる。いかんいかん、こんなところで眠っては。倉毛の術は、意識がなくなると解けてしまう。フルチンの男がこの広い展示室で発見される、という最悪の事態になってしまうのじゃ。寝るな、寝るな。絶対に寝てはならんぞ。わしは、必死に睡魔と闘っておった


 つぎの見回り時刻がやってきた。鍵を開ける音がし、扉が開き、電灯がついた。

 とたんに警備員が叫ぶ。

「なっ、なんだ! あれは!」

 警備員が展示台に駆けつける。

「緊急です! 緊急連絡です! 監視室! 監視室! 応答願います!」

 警備員の叫び声を尻目に、わしは部屋を後にした。


 その後の展開は、詳しく語ることもなかろう。

 わしは、しばらく博物館の中で待機し、警察官がやってくるのと同時に、通用口から抜け出したのじゃ。


「密室の大ミステリー」

「犯行の目的はなにか」

「専門家が語る。犯人像と動機」

 あれから連日、新聞やテレビはこの話題で持ちきり。ニュース番組では、博物館の模型まで作って解説しておる。まあ、報道機関にすれば、格好のネタじゃわな。

 依頼者とは、しばらくは連絡しないこととしている。新聞によると、鏡はその日のうちに点検を終え異常がないことを確認した、と伝えられた。察するに、本物との交換も無事終わったのじゃろう。


 この事件、かなり世間を騒がすことになったが、それも一時のこと。事件はいずれ迷宮入りとなるじゃろう。

 依頼人は目的を果たし、倉毛探偵社は報酬を得て、館長の顔はつぶされず、もちろん鏡も無傷。

 一件落着、めでたし、めでたしじゃ……。


   *****


 ……かと思っていたんじゃが、話はここからこじれてきたのじゃ。

 警察がやってきたのは、事件から三日後のこと。

「倉毛信造さんですね。博物館荒らしの件で、お話をお伺いしたいんですが……」

「はい、じゃが、なんでわしに?」

「一応、監視カメラに写っていた人、みなさんにお聞きしてるだけですから。倉毛さん、大古代展に行かれましたよね」

 いつかは警察が来るじゃろうと思っていたが、さすがに早い。日本の警察は優秀じゃ。カメラ映像だけで、こうやって住所まで割り出して、やってくるんじゃから。

「ええ、初日に行きましたが……」

「その日の夜は、どこに?」

「もちろん、家にいましたよ。家で寝てました」

「どなたかご一緒に?」

「いや、ばあさん、亡くしたもんで、いまは、ひとりですが」

 通り一辺倒の質問だけと思っていたが、込み入った質問もしてくる。警察の力の入れようが半端じゃない。本当に、入館者全員にこうやって聞いて回っとるんじゃろうか。

「ところで、倉毛さんは、真っ先にあの鏡の展示室に行かれたようですね。ほかの展示には目もくれずに」

「そりゃ、あの鏡を一番に見たかったからですよ」

「そうですか……、でも、その割には、展示室の入り口で立ち止まったとか」

「ええ、鏡の回りがあまりの人だかりで、びっくりしましてね」

「あれ? そうですか。監視カメラとか、扉とか、通風口とか、展示品の鏡とは関係のない方ばっかり、見ていませんでしたか」

「そっ、そりゃ、あんな広いところですから、きょろきょろもしますよ」

「まあ、いいでしょう。で、鏡の前では、しばらく腕を組んで考えていたそうですが……」

「あんな奇妙な鏡、はじめて見たもんですから……、なんで、象形文字なんかが書かれてるんじゃろうと」


 警察の質問がしつこすぎる。わしは疑われとるんじゃろうか。質問は、まだまだ続く。

「博物館に入る前、監視カメラや警備員をデジカメで撮っていましたね」

「監視室にはどういう目的で行かれたんでしょうか」

「トイレの場所聞いたのに、そのあと、トイレに行きませんでしたね」

「博物館を出るとき、わざわざ監視カメラの方を向いて、何かしゃべったとか」

 いかんいかん、これはやばい。警察は、確実にわしにあたりをつけとる。

「もう少し、詳しくお聞きしたいんですが、明日、参考人として、署まで来ていただけませんか」

 翌日、わしは警察に行って取り調べを受けることになった。その翌日も、さらにその翌日も。毎日毎日警察に呼ばれ、しつこくしつこく、同じ質問をなんべんも聞かれる羽目になったのじゃ。警察は、言葉遣いこそていねいじゃが、いいかげんな答えでは納得してくれん。


 警察が、こうまで、わしを疑うには理由があった。事件直後の深夜、パトカーが博物館に到着したすぐあと、博物館近くを不審な男が歩いているところを、監視カメラが撮っていたのだ。

「これ、誰だと思います」

「さあ、わかりません」

「本当に、わかりませんか。もっとしっかり見てくださいよ」

 不審人物というのは、もちろんわしのこと。じゃが、それは認めるわけにいかん。当日夜、わしは家で寝ていた。そのことをひるがえすと、「なんで、うそをついた」、「ほかにもうそをついてるだろ」と追及が広がるに決まっとるからじゃ。


 参考人が聴取されていることはマスコミも報じた。実名や顔こそ隠しているが、見る人が見ればわかる。わしの家やマイカーを撮影する。近所の人にインタビューする。五十年も前の卒業文集まで探し出してくる。プライバシーは全くなくなった。ばあさんの墓まで映し出されたときは、さすがに、テレビにビールをぶっかけてやった。きのうは、わしの同級生だったという男がインタビューに応えておった。

「そういや、昔からちょっと変わった奴でしたよ」

 こんなやつ、わしは知らん。同級生だったとしても、たぶん違うクラスの男じゃ。

 一歩外へ出ると質問攻め。カメラを振り払うと、その様子がモザイク入りで放送される。もう、まったく身動きがとれん。


 ララちゃんが心配して電話してきよる。ありがたいことじゃが「しばらく、連絡して来んように」と伝えた。ララちゃんが、警察にポロポロしゃべってしまうかも、という心配もあるが、なによりも、ララちゃんが事件に関与しているとなれば、ララちゃんのタレント人生に致命的なダメージとなってしまうからじゃ。


 いま、警察が握っているのは、すべて状況証拠じゃ。じゃが、これだけ状況証拠がそろっていれば、わしが警察でも、わしを疑うじゃろう。

 しつこい取り調べが、毎日続く。正直、いらいらして、つい口走ってしもうた。「ねっ、刑事さん、もし、わしがやるんじゃったら、あんな敷物には包まんですよ。鏡ごと上着にしのばせて盗みますよ。その方が手っ取り早いですからな。ねっ、そうでしょ」

 言ってしまってから、わしは、しまったと思った。刑事がにやっと笑いおった。

「なんで、敷物に包んでたって、知ってるんです?」

「そっ、そりゃ、新聞に書いてあったでしょ」

「いいえ、そんなこと、発表してないんですけどねえ」


 ついに、決定的な失言をしてしまったのじゃ。容疑は、ますます濃くなっていく。いかんいかん、このままでは……。

 わしのこの発言のあと、追及はますます厳しくなった。わしは、重要参考人に格上げされたのじゃ。格上げと言ってももちろん喜ぶべきことではない。刑事の口調もだんだく荒くなる。朝早くから夜遅くまで、何人もの刑事に取り囲まれ、「吐け吐け」と追求を受けることになったのじゃ。


 ただ、警察にも弱みがあることを、わしにはわかっておった。ひとつは「動機」じゃ。古物に興味のないわしが銅鏡を盗む理由が見当たらない。それと、もうひとつ、事件の日、鍵のかかっている展示室にどうやって侵入したか、その謎がまだ解けていない。このふたつが解決しない以上、わしは容疑者に格上げされることはないのじゃ。


   *****


「大古代展」もあと三日残すのみ。そんなとき再び事件が起こったのじゃ。

 展示会が終わり客が帰ったあと、わしは、刑事数人に連れられ博物館を訪れた。もう一度現地で、わしの昼間の行動を再現することになったのじゃ。

 まず、博物館の外で列に並ぶ。このときデジカメで監視カメラを撮影する。入館したあと、ほかの展示室は無視して鏡の展示室に向かう。鏡の展示室の前でいったん立ち止まる。扉や天井に目をやる。スタッフにうながされ、鏡の展示台に進む。人に輪に入っていく……。


 事件が起こったのは、そのときだ。

 突然、「モンキ、待ちなさい!」と叫び声がした。

 見ると、展示室の先の廊下から、サルがやってくる。後ろから館長と警備員が追いかけていた。

 サルは一目散に展示室に向かってくる。そのまま、部屋に入ってくるかと思いきや、なんと、入り口の手前でパネルをするするっとよじ登り、ひょいと通風口にジャンプしたのじゃ。通風口を抜けたサルは、部屋の中に飛び降り、鏡の展示台に向かう。

「いかん! 触っちゃいかん! モンキ、やめろ!」と館長。

 サルは展示台にジャンプして鏡を突き飛ばした。赤の敷物がふわっと舞った。鏡がゴンと音を立てて床に落ちた。その場でぐるんぐるんと回る。敷物が鏡の横に落ちた。鏡は、敷物に引き寄せられるように転がる。そして敷物に巻き込まれて止まったのじゃ。

 そう、博物館荒らしの手口とほぼ同じ。


 まさか、こんなことが……。刑事たちは呆然といまの光景をながめていた。

 まったく持って予想外の出来事じゃった。急きょ、わしの行動の再現は中止になった。サルのモンキが犯人だったことは疑う余地がない。密室への侵入方法も、犯人にもともと動機がないことも明らかになったのじゃ。

 わしの行動にも不可解な面が残っておろう。しかし、これだけインパクトのある出来事からすれば些細なこと。警察は、もうわしを追及することはなくなったのじゃ。


   *****


 記者会見場で、わしは相当、不機嫌な顔をしておったに違いない。

「警察の取り調べについて、なにか言いたいことはありますか」

 なんじゃ、いままで、さんざん、わしのことをいじくり回しておったマスコミが……。

「怪しいというだけで、犯人扱いする。そんなの許されんじゃろうが」

「そうですよね。警察には猛省をうながしたいですよね」

「警察にじゃない。わしは、マスコミに言うたつもりじゃ」

 会見場の空気がいっぺんに凍る。シャッター音がぴたっと止んだ。

 この空気にわしの方が驚いた。いかんいかん、わしの悪いところじゃ。こいつらも仕事でやっとること。もっと大人の対応をせねば。

「いやまあ、それほど腹を、立ててるわけじゃないですけどね」

 そうじゃ、結果的にモンキに助けられたが、この事件の本当の犯人はわし。文句を言える立場じゃない。いま解放されとるだけで、良しとせねばならん。


   *****


 きょうは、ララちゃんが探偵事務所に来ておる。

「だってさあ、シンちゃん、かわいそうだったもん。毎日、おまわりさんにいじめられてさ……」

 あの日、ララちゃんは、倉毛の術を使って博物館に忍び込んでくれていた。

「いや、助かったよ。ララちゃんのおかげじゃ。それにしても、どうやってモンキを誘導したんかの」

「あの、おサルちゃん、なんか、透明人間の気配感じてるみたいなのよね。リードはずしたげて、おいでおいでーっ、ってしてやったら、喜んでついてきたの。たぶん、遊び相手、欲しかったんだよね」

「通風口、抜けさせるときは?」

「おサルちゃんの、お気に入りのボールをね。あらかじめ入り口に隠してたの。手前まで来たら、ほいって、投げただけ」

「さすが、ララちゃんじゃ」

 ララちゃん、おバカキャラは演じているだけで、本当はむちゃくちゃ賢いのではなかろうか。

「鏡、転がしたのは、ララちゃんだよね」

「うまく敷物に落ちてくんなくてさあ……。しかたないんで、手でゴロンゴロンって。シンちゃん、気づいてた?」

「そりゃ、わかるよ。わしも倉毛の術の使い手なんじゃから」


 ピンポーンと玄関のチャイム。そうじゃ、きょうは、依頼者がやって来ると言っておった。

「申し訳ないことを……。わたしが、妙な依頼をしたために」

「いやいや、これも仕事ですから」

 依頼者はもちろん、わしがどういう手を使って事件を起こしたかは知らない。聞こうともしないのは、わしがしゃべるわけない、と思っているからじゃろう。

「それにしても、探偵さん口が固いですね。警察でもいっさい、わたしのこと話さなかったんですから」

「ええ、依頼人を守るのは探偵の使命ですから」

「そうだよ。所長はね、依頼人のシャーレット、絶対しゃべんないんだから」

「シャーレット? イギリスの王女のことですか」と依頼者。

「この娘、たぶん、シークレットと言いたいんじゃ。なっ、そうじゃろ」

「そっ、その、シャーレット」


 さて、事件のその後のことじゃが。

 館長は警察にたっぷり絞られ、マスコミにも追い回される羽目になったとか。もともと、館長の顔をつぶさぬよう起こした事件じゃったが、結果的に、館長の顔は大つぶれとなってしもうたのじゃ。モンキは動物園に引き取られたらしい。


「それはそうと、二回目の事件のとき、モンキが鏡を床に落としおったが、鏡は無事でしたかな。本物の鏡は、レプリカほど丈夫じゃないと聞いていましたので、心配しておったのですが」

「それがですね。実は……」

 依頼者は、バツが悪そうに、下を向いて続けた。

「事件のあと、鏡を点検するふりして、本物と交換するつもりだったんですが……」

「はあ……?」

「そのとき、わたしも、なんか焦っちゃいましてね。また、レプリカの方を展示台に戻してしまったんです。つまりサルが落とした鏡も、実は、レプリカだったんです……。いやーっ、お恥ずかしい」

 その言葉を聞いて、わしは開いた口がふさがらんかった。結局、この一連の出来事はなんだったんじゃろう。いやいや、そんなことより、大古代展に行った観客は、みんなレプリカを見せられていたということか。

 それにしても、なんとも妙なオチになってしまったもんじゃ……。

 まっ、いいか。深く考えても仕方がない。世の中、こんなもんじゃろう。



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