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倉毛信造、ララちゃんと出会う

   倉毛信造、ララちゃんと出会う


「年甲斐もなく、バラエティ番組なんぞに夢中になりおって……」

 と、写真の中のばあさんがぼやきよる。まあ、そう言うな、この番組だけは見ておかねばならんのじゃ。なんと言っても、ララちゃんが出ている番組だから。


 ララちゃんというのは、先日、二十二の誕生日を迎えたばかりのアイドル。そんなララちゃんに、三倍も歳の離れたわしが、なんで夢中になっておるのか、読者があらぬ誤解をせぬよう、まずは、そのことを説明しておこう。

 ララちゃんはちょっと小柄、胸もやや小ぶりじゃが、まずまずのスタイルをしておる。ふっくらした愛らしい顔だちで、テレビでこっちを見てニコッと微笑んだとき、人を思わずにやけさせる魅力を持っておる。ほら、ばあさんの若い頃にどことなく似ておろうが。

 断っておくが、わしは、容姿だけで女性に夢中になるようなミーハーではないぞよ。もちろん、いわゆるロリコンなどでは断じてない。なに? ララちゃんと、ちゃん付けで呼ぶこと自体、すけべじじいではないかと。うーむ、そうきたか。じゃ今後は「ララ」と呼び捨てにしようぞ。それで良いんじゃろう。


 ララのことが気になっておる本当の理由は、なんとこの娘、「倉毛族」の出身らしいことがわかったからじゃ。朝倉ララという芸名も、倉毛の倉の字を意識したからに違いなかろう。かく言うわしも倉毛の出、名を倉毛信造という。

 倉毛は「くらけ」ではなく「くらげ」と読んでほしい。そうじゃ、海に浮かぶあのクラゲのこと。わが倉毛族は、そのクラゲに由来するある特技を持っておる。特技というより能力と言った方が良かろう。それも人間離れした能力なのじゃ。


 おっと、番組が始まった。倉毛の話はあとあと。ララが出ているテレビを観ようではないか。

 司会は、いつものデブ。ジョニーなんたらといったか、まったくもって体系に似合わぬ名前じゃ。ルックスはもうひとつ、下品なしゃべり口で、とても教養があるようには見えぬ。元お笑いコンビのひとりらしいが、こいつの漫才なんぞ聞いたことがない。ドラマに出ればろくな演技ができんし、歌はどうしようもなく下手。そのくせ、ひと言ひと言が生意気。こんなやつが、どうしてテレビでもてはやされるんじゃろう。まあ、ここで愚痴っても仕方ないんじゃが。


 そのデブが、出演者を相手にトークを進めていく。

「じゃ、テーマトークいくよ。ええっと……、『肉食の女』についてね。あのさあ、男の人は、肉食系だの草食系だのって、言われるけど。女にだって肉食の女と草食の女がいるんじゃないの。ってことで、このテーマに意見ある人。はい、サヤちゃん」

「女の人って、だいたい受け身じゃん」

「そうよね。草食のイメージよね。肉食の人っていないんじゃなあい?」

「ぼくもそう思うね。肉食の女って、なんか飢えてるみたいだし……」

「なに言ってんだよ。女って、男の前で草食ぶってるだけじゃんか。本当は肉食って女ばっかじゃんか」

「おれは、肉食女の方がいいね。なんか、燃えてくるじゃん」

「ギャハーッ、いいね。ジョニー相手なら、あたし燃えてもいいよ」

「おめえはもう、燃えかすだよ」

「ひっどーい」

 どのゲストも大した話はしていない。なのに、みんなゲラゲラ。どうも年寄りは、こういう流れについていけん。


「ララ。お前はどう思う?」

 デブがララに話を振った。スタジオが心もち静かになった。みんな、なにかを期待している様子。

「うーん、肉か野菜かって言われたら……、あたし、焼き肉好きだし……」

 とたんに、スタジオが笑いにつつまれた。

「なっ、なんだよ、お前、肉食うか野菜食うかの話だと思ってたのか」

「えっ、えっ、ちがうの。あたし、メロンも好きだよ……」

 スタジオが一気に沸く。

「えっ、えっ、なになに? メロンって、野菜だよね」

 もう爆笑の嵐。出演者みんな、両手をたたいて笑っている。ララは、えっ、なんでなんで、と言いたそうな表情。


 そう、ララは、一応アイドルのくくりに入っておるが、いわゆる「おバカキャラ」。こういうピントはずれの返答をすることで人気が出てきたタレントなのじゃ。

 この娘、見た目はかわいいのに、しゃべることは、ことごとく間が抜けておる。「天照大神」をテンショウタイジンと読むのはまだ許せるとしても、昭和の前は平安時代とか、一億円の一万倍は一億万円とか、今の日本の首相はオバマさんとか、そんなことを真顔で話す、そんな娘なのじゃ。

 この番組も、ララにバカなことをしゃべらせて、ほかのタレントにイジられるところがうけておる。正直、ララびいきのわしとしては、面白くない。まあこれで、ララが人気者になっているというんじゃから、とあきらめておるんじゃが。

 ちなみに、天照大神は正しくは「アマテラスオオミカミ」と読むんじゃぞ。賢明な読者のことじゃから、解説するまでのことはなかろうが。


 さて、ここからが本題じゃ。

 ララが手を口もとに持っていって「えっ、なに? なに?」とまわりを見回したときのしぐさ、そのときの一瞬起こったことをわしは見逃さなかった。おそらく、ほかの人は、誰ひとり気づかなかったじゃろう。

 なんとこのとき、ララの手の向こうに、ララ自身のくちびるが見えたのじゃ。「えっ? どういうこと」じゃと? 鈍いのう。ララの手が、透けていたんだよ。うすく透明になっていたのじゃ。そう、このことこそ、ララが倉毛族出身であることの証しなのじゃ。


   *****


 ここで、わが倉毛族のことを、少し説明しておこう。

 日本のとある場所、具体的にどこかは明らかにはできぬが、山深い場所とだけ言っておこう。そこに、倉毛一族の村がある。

 倉毛の村に生まれた者は生まれ持ってある能力を持っておる。そうじゃ、いまララが無意識に使った身体が透ける能力のこと。どうじゃ、まさに人間離れした能力じゃろ。

 ただ、さっきのララのように、身体がうすく透けるというだけでは、あまり役には立たん。水とかコップとか窓ガラスとか、透けているものは世の中に山ほどあろう。じゃが、そういうものはみんな、透けてこそいるが、人に見えんわけではない。つまり透明でも「そこにその物がある」ということが誰でもわかってしまうということじゃ。面白い特徴のひとつかも知れんが、なにかに使おうとするとまだ不十分なのじゃ。

 だが、わが倉毛族の力はこれにとどまらない。詳しい説明はまたの機会とするが、昔、一族の中で、この能力をさらに高め、完全な透明人間になれる術をあみ出した者がおった。言わば究極の「雲隠れの術」、この術は「倉毛の術」と呼ばれ、わが一族の中で秘伝中の秘伝として伝えられていったのじゃ。


 実はこの術、江戸中期のある出来事がきっかけで闇に葬られてしまっておった。そんなわけで、わし自身も、最近まで、こんな術が存在することすら知らなかったのじゃ。

 十年ほど前になろうか、わしは倉毛族の歴史を調べることを仕事にしておった。村には、数多くの古文書や伝承が残されているのじゃが、それを整理してひとつの歴史書にしようと取り組んでおったのじゃ。調査する中で、わしは、意味不明の単語がたびたび登場してくることに悩んでおった。「信比」とか「師野美」とか「士乃日」とか。人名でも地名でも物の名前でもなさそう。はて、なんのことじゃろ。ずっと心の中に引っかかっておった。

 きっかけというのは、ひょんなときにあらわれるもの。いつだったか、古い友人が亡くなったという知らせを聞いたときのことじゃ。気の合う友人で、一か月前には電話口で元気な声を聞いていただけにショックじゃった。奥さまもさぞ落胆しておられるに違いない。何はともあれ弔電を打たねば……、と文案を考えていたのじゃ。

「突然の悲報に接し驚いております。故人を偲び……、ええと、それから……」

 あとはどう文章をつなごうか、適当な文言はなかろうかと思案しておったのじゃ。偲び、偲び、しのび、しのび……。

「はて、しのび?」

 ここで、わしは、はたとひらめいたのじゃ。今まで心の中に引っかかっておったあの言葉。「信比」、「師野美」、「士乃日」、どれも「しのび」と読めるではないか。この「しのび」はたぶん「忍び」、つまり「忍者」のことではなかろうか。そうじゃ、わがご先祖は「忍び」という言葉を隠語に置き換えて、記録していたんじゃろう。おそらく、わが部族だけの秘伝として、他人に悟られないようにするためであろう。

 これを発見したとき、わしの興奮度はMAXに達した。例えるなら、はるか昔、中学生のころ、あこがれの女生徒の下駄箱にラブレターを入れたとき、そのときの興奮度に匹敵しようぞ。

 わしは、古文書をはじめから調べ直した。こんがらがった糸がほどけていくように、謎の真相が次々と明らかになっていった。


 わがご先祖は、伊賀や甲賀に並ぶ忍者の部族だったのだ。さまざまな忍術を発展させ、最後に究極の「倉毛の術」を編み出したことがわかったのじゃ。

 この術は、倉毛の血を引く者しかできない、とも記されていた。さっきララが見せたような、うすくても身体を透明にできる能力を持つ者、それは倉毛族に限られるのじゃが、もともと、そういう力を持つ者が、さらに訓練を積んでこそできる術、それが倉毛の術なのじゃ。古文書には、その訓練方法も細かに記されていた。

 古文書の謎はすべて解けた。わしも倉毛の血を引く者のひとり。せっかく解読した方法を実践しないという選択肢はなかろう。わしは、書かれていたとおりに訓練を行った。かなり複雑な手順を踏まねばならなかったが、ひとつひとつ忠実にこなしていった。

 そしてついに、倉毛の術をマスターすることに成功したのじゃ。

 訓練方法を見いだしたのはわしひとり。訓練を経て、術を会得したのもわしひとり。つまり、いまこの世の中で、透明人間になれるのは、わしたったひとり、と言えるじゃろう。どうじゃ、すごいことじゃと思わんか。

 そうそう、古文書には、こう追記されておったことも、補足しておこうぞ。

「倉毛の濃い血のみ引く者、訓練せずとも術の使い手」

 純粋に倉毛族だけの血を受け継いだ者は、生まれつき透明人間になる力を持っている、ということ。じゃが、今の時代、そんな人物なんぞいるわけがない。

 つまり、いまのこの時代、術を扱える者は世界中どこを探しても、わし以外にはおらん、と断言できるのじゃ。


 もちろん、術のことは世間に明かしておらん。とは言え、せっかく会得したこの術を埋もれさせておくのももったいなかろう。

 ということで、いまわしは「倉毛探偵社」なる看板を上げて、事業を営んでおる。浮気調査なんぞはお手のもの。普通の探偵社では不可能な依頼でも、わしにかかれば簡単なもの。なんといっても倉毛の術の使い手なのじゃから。

 この仕事、いまはひとりで切り盛りしておるが、年寄りにはきついこともある。一緒に仕事してくれるスタッフがいてくれればありがたい。じゃが、そう簡単にいかんのがつらいところ。スタッフと言えども、「倉毛の術」のことをばらすわけにはいかんからじゃ。まあ、当面はひとりで頑張るしかないんじゃろうなあ。


   *****


 倉毛族のことで長々と話をしてしもうた。ララに話を戻そう。

 ララは、ここのところマスコミをにぎわしておる。

 と言うのも、三か月ほど前になろうか、大勢の芸能レポーターの前で、交際中の男性がいることを明かしたからじゃ。ララは嬉々とした表情で語っておった。

 本当は喜ばしいことじゃろうが、わしは不安を覚えた。おっと、ララがわしから離れてしまうと思ったからではないぞ。相手の男というのが、いかにもチャラチャラしたやつで、ララは遊ばれているだけか、ひょっとして金づるにされているのでは、と思ったからじゃ。事実、ララはその男に、服やら靴やらアクセサリーやら、ほかにもいろんなものを買ってやったという。

 相手の男は、いま、サスペンスドラマの端役に出ている俳優じゃ。俳優と言っても、毎回、主役の後ろの目立たないところで四、五人の刑事とともに走り回っているだけでセリフもほとんどない。イケメンと言って良かろうが、「顔は見たことあるが、はて名前は?」程度の俳優なのじゃ。高木ヒロという名前もララとの交際がきっかけで知られるようになった、そんな男じゃ。

 わしの悪い予感は的中した。交際が明らかになった次の週には、高木ヒロの過去の女性遍歴が次々と暴露されていったのじゃ。はじめのうちは、男もいろいろ言い訳して、ララも納得しておったようじゃ。が、高木ヒロの女ぐせの悪さはとどまることがなかった。カフェの店員に手を出し、メイク担当の女性にちょっかいをかけ、エキストラの人妻をくどくという始末。つい先月も、まだ十八のタレントに手を出して、世間の非難をあびたばかり。なのに、今度は、女子大生と路チューしているところをスクープされたのじゃ。

 週刊誌によると、この男、ララとデートしたその日の夜にも、女子大生と会っていたらしい。芸能レポーターにそのことを追及されると、謝るどころか、

「ララと会ったあとは、おれにもバカがうつった感じするんだよね。おれだってバカになりたくないからさあ」

 とのたまったとか。

 週刊誌にはララの顔が大写しで載っていた。いまにも、泣きそうな表情じゃった。


 もう許せん!

 こんな男、わしが、徹底的に懲らしめてやらねば。そう、もちろん倉毛の術を使って。

 なっ、ばあさん、いいじゃろ。わしは行くぞ。高木ヒロが「チョイ出」してるというサスペンスドラマのロケ地に。


   *****


 サスペンスドラマの舞台は、なぜか観光地が多い。今回も「都心からわずか一時間」がうたい文句の温泉地でロケが行われておった。渓谷を流れる川のせせらぎが人気で、週末には家族連れが多く訪れる場所じゃ。

 河原で、大勢のスタッフが撮影の準備をしておった。どうやら、変死体が発見されて、そこに警察が駆けつけてくるというシーンらしい。

 ヒロは、撮影場所から少し離れたところで、台本を確認しておった。

「課長! ご苦労さまっす。ゲンジョウはこっちっす」

 上司の課長を、死体発見現場に案内するときのセリフらしい。

「うーん、『課長!』のところがちょっと棒読みっぽいかも……。それと、手はやっぱり、こうやった方がいいよなあ」

 と独り言。

「課長! ご苦労さまっす。ゲンジョウはこっちっす。うーん、まっ、こんな感じかな」

 また同じセリフをくり返す。

「課長、ご苦労さまっす。ゲンジョウはこっちっす」

 どうやら、セリフはこれだけらしい。たったこれだけのセリフを、一生懸命覚える姿は、涙ぐましくもある。おっと、こんなやつに同情は禁物じゃ。


 さて「懲らしめてやる」と言っても、高木ヒロに、危害を加えるつもりはない。サスペンスドラマの撮影で、本当のサスペンスが起こってしまってはしゃれにならんからのう。やつには、ロケ中に監督や大勢の出演者の前で赤っ恥をかかせてやるつもりじゃ。それも俳優としてありえないほど強烈なやつを徹底的にな。

 うまい具合に週刊誌の取材も来ておる。主役へのインタビューが目的のようじゃが、ロケ中にハプニングが起これば、当然、そっちも大きく取りあげることじゃろう。高木ヒロの失態は大きく報じられ、ドラマから降ろされる。そして今後二度と、芸能界に出てくることはなくなるのじゃ。


 方法は、いくつか考えておる。

 ひとつ目は「すってんころりん作戦」とでも言おうか、やつが駆け出すシーンで、やつの前に足を出して、すってんころりんと転ばす作戦じゃ。透明人間からすればたやすいこと。カエルのような格好で地面にひっくり返るやつの姿が目に浮かぶわい。ただ、転んだとしても、一回ぐらいなら「おいおい気をつけろよ」と注意される程度かも知れん。赤っ恥というほどのダメージでもなかろう。本当に恥をかかせるには、撮り直しになっても、また転ばしてやらねばならん。何度も、何度も。最後に監督から「いいかげんにしろ」と怒鳴られまで、徹底的にぶざまな姿をさらしてやるのじゃ。やつの落胆ぶりが目に浮かぶわい。

 それでも、撮影が続くようであれば「くしゃみ作戦」も用意しておる。「くしゃみ講釈」という落語を聞いたことがあろう。気に食わない講釈師の前にこしょうの粉を振りまき、講釈師がくしゃみで演じられないようにしてしまう、という話じゃが、それと同じ。ねらいは、高木ヒロが例のセリフをしゃべるとき。こしょうをひとつかみ、手のひらにしのばせておいて、やつがしゃべり始めるとき鼻先にばらまいてやるのじゃ。涙を流しながら、くしゃみと奮闘するやつの姿が楽しみじゃわい。

 さらに、つぎの作戦も用意しておる。「わたしまぬけ作戦」とでも呼ぼうか。要は、俳優としてあり得ないほどみっともない姿をさらしてやるという作戦じゃ。

 例えば、ほっぺたにゴハン粒をつけたままにしておくとか、尻のあたりで強烈なおならの音を立てるとか、靴の底に犬のウンチをべったりつけておくとか、ズボンの前チャックを全開にしておくとか……。こういう方法は、やつの身体に直接触れねばならん。つまり少々危険が伴うことになる。だが、成功すればやつの評判ががた落ちになるのは確実。俳優生命は確実に絶たれることじゃろう。

 高木ヒロ、見ておれ、きょうの撮影では、やることなすことに恥をかくことになるぞよ。


 それにしても、九月になったばかりというのに、ここは寒いのう。この歳で素っ裸というのは、こたえるわい。股間が完全に縮こまっておる。身体は透明人間になっても、完全に透明の服がないのが、この術のつらいところじゃ。夏の終わり、人には涼しくさわやかな川のせせらぎだろうが、わしには苦痛以外の何ものでもない。


   *****


 撮影が始まった。

 まずは、水死体が発見された現場にパトカーがやってくるシーン。数人の刑事がパトカーから降りるなり川辺に向かって走っていく。ヒロもその中にいるはず。わしは川の近くでヒロが走ってくるのを待った。やつが走り抜けてくるとき、ひょいと足を出してやるつもりだ。すってんころりんと転ぶやつの姿、今から楽しみじゃ。

 道路の向こうにパトカーが見える。

 モニターを見ていた監督が、あたりを見回して、インカムに向かって話す。

「よーし、本番行くぞ。みんな、準備いいか」

「1カメ、OKでーす」

「2カメもOK」

「音声も準備OKです」

「堤防の上です。通行人OK。高校生カップルと自転車と犬連れたお年寄り、スタンバイできてます」

「では、本番いくぞ。十秒前……、五、四、三、二」

 パトカーがやってくる。エキストラが一斉に振り向く。河原の空き地にキキーッと停まる。ドアがいっせいに開いた。ヒロも降りてきた。

 よーし、いいぞいいぞ。さあ、やってこい。

 と思ったそのときだ。ヒロのやつ、なんと、パトカーから二、三歩走った場所で、自分で勝手に、すってんころりんと転んだのだ。もちろんわしは何も手を下しておらん。

 監督が叫ぶ。

「あーっ、だめだめ。おーい、ヒロ、なにやってんだ。寝ぼけてんのか!」

「すっ、すみません、すみません」

 ヒロはペコペコと頭を下げる。共演者やスタッフは、「しょうがないなあ」という表情で、スタンバイ位置に戻っていった。ヒロは、しきりに首をかしげておった。

「やり直し、やり直し。はーい、もう一回。すぐに、テイクツーいくよ」

 まあ、よかろう。今度はここじゃ、わしの目の前で転ぶことになる。その次もその次も、何度くり返しても同じじゃ。

 ところが、変なことは続くもの。ヒロのやつ、二回目の撮影のときも、パトカーから降りるなり、一回目と同じ場所で、転びおったのじゃ。

 とたんに、監督のどなり声が飛んだ。

「こらーっ、ヒロ。いいかげんにしろ! このシーン、準備が大変だって、わかってんだろ!」

「すっ、すっ、すっ、すみません」

「んとに、もう。はーいみんな、も一回やり直し行くよ。すぐに、準備してーっ。おい、ヒロ、今度こそ、ちゃんとやれよ!」

 厄日というものがあるとするなら、きょうはヒロの厄日に違いない。なんと三回目の撮影でも同じ失敗をやらかしたのだ。ヒロは、またペコペコと謝っているが、まわりは冷たい視線。週刊誌の記者が、ヒロの写真を盛んに撮っていた。

「もういい! このカット、今日はやめやめ。花村さんのシーンを先に撮るぞ」


 主役の女刑事課長、それを演じる花村はるみは、日本人なら知らない人がいないという大女優じゃ。このドラマも花村で持っていると言っても過言ではなかろう。花村は今日もスケジュールの合間を縫って撮影に来ている。このあともテレビの対談番組が控えているらしい。監督にしても、花村がいる間に、撮影できるところはしておかねばならんということじゃろう。ヒロのしでかすNGにばかりつき合っていられない。

 女性課長は、死体発見現場を部下が調べているところに、あとから車でやってくる。そこをヒロが出迎えて現場に案内してくる、という流れじゃ。高木ヒロの唯一のセリフ、練習していたあのセリフを話すシーンじゃ。

 ふふっ、見ておれ。さんざん練習してきたセリフだろうが、このわしが台なしにしてやる。

 わしは、こしょうのかたまりを手に持って、課長の車が着く予定の場所で待った。

「本番行くぞ。十秒前……、五、四、三、二」

 車がやってきた。河原からヒロが駆け寄ってくる。

 そのときだ。また予想もしないことが起こったのじゃ。なんと、ヒロのやつ、車にたどり着く前に、途中で立ち止まり、突然顔をしかめて、口を大きく開け、特大のくしゃみをしでかしたのだ。

「ハッ、ハッ、ハーップシューン」

 当然、撮影はNG。また、監督の怒声が飛んだ。

「ヒロ一ッ! お前、いいかげんにしろよ」

「すっ、すみません、すみません」と平謝りのヒロ。

 花村はるみが、苦笑いしながら車から出てくる。

「まあまあ、監督。くしゃみぐらい出ちゃうことありますよ。もう一回撮りゃいいじゃないですか。ヒロくん、いいのよ、気にしなくっても」

「そうすか。まあ、花村さんがそうおっしゃるんなら……」

 もう一度、同じシーンがくり返される。だが、また同じ場所でくしゃみ。もちろんわしは、なにもしておらん。

「ヒロくん、風邪でもひいてるの? これじゃ、撮影進まないわねえ」

 と花村。さすがに今度はかばってくれない。

 結局、このシーンはヒロに代わって別の刑事役が務めることになった。ヒロはこのドラマで唯一のセリフがなくなったのじゃ。離れたところで、うなだれた様子で撮影をながめておる。週刊誌記者はそんな高木ヒロの様子を写真におさめていた。

 それにしても、偶然の失敗が起きすぎる。わしは「なんか変」と思いはじめていた。まさか……、とは思うが、ひょっとして……。


 その後もヒロの失態は続いた。ほっぺたにゴハン粒をつけたまま死体検分のシーンに出たかと思えば、第一発見者が状況を説明しているシーンでブーッと大きなおならをしたり、靴の底に犬のフンをつけたままパトカーに乗り込んだり。おならのときは音だけでなく、独特のにおいも周囲にただよわせたのだ。

「もーっ、ヒロったら、いやっだあ。吹き出しそうになったじゃない」と死体役の女優に言われ、「お前ねえ、屁ぐらい我慢しろよ」と第一発見者役のベテラン俳優に言われ、「なんだよ、きったねえなあ」と運転席の警官役に言われた。


「お前、もう、俳優やめてしまえ!」

 と監督が怒鳴る。ヒロは謝りながらも、盛んに首をひねっている。イケメン俳優の姿は見る影もなくなっていた。

 ただ、これらの失態、わしが計画していた「わたしまぬけ作戦」には違いないが、わし自身はいっさい手を下しておらん。ここまできて、わしは、ある出来事が起こっていることを確信していた。


 こんな状態だが、ヒロの出番は、あとひとつ残っていた。もはや汚名挽回できる状況でもないが、ヒロにすれば、最後の出番だけでも、きちんとこなしたいとの気持ちだったろう。少々、痛々しくもあるが、同情は禁物。こいつにはこのくらいの仕打ちは当然なのじゃ。

 そんなヒロの様子を見ていたときのこと。なんと、今度はズボンの前ファスナーが少しずつ開いてくるではないか。そう、俗に言う「社会の窓」じゃ。今までの出来事で、相当ショックを受けているのか、ヒロは、まったく気づいていない様子じゃった。

 わしはヒロに駆け寄った。ヒロのそばにだれかいる。透明人間の直感じゃ。わしは、その者がいると思われる場所をつかんだ。ぽよんと、何とも言えぬ感触があった。

「キャッ!」

 いきなり、からだをつかまれたその者が声をあげた。

「えっ?」

 ヒロが回りを見る。が、なにも見えないはず。わしはその者の口を押さえた。全裸のわしのからだが同じく全裸のその者のからだにべったりとくっついている。右手は、ぽよんをつかんだまま。わしは、その者の耳と思われるところに口を当ててささやいた。

「ララちゃん、もうよかろう」

 見えぬ何者かがうなずくのを、わしは感じた。


   *****


「ヒロっちってね、やっぱ、車はパンツだよなあって言うから、あたし、買ってあげたのよ」

「パンツ? ひょっとして、ベンツのことかいの」

「そっ、そっ、そのベンツ。ものすごく高かったけど、ヒロっちが喜ぶんならと思って。したら、ヒロっち、言ってくれたの。ララ以上の女なんてこの世にいないよって。人がなんと言おうと、おれはバカだなんて思っちゃいない、ララはジュースなだけなんだって」

「ジュース?」

「ジュースって言わない? ほら、赤ちゃんなんかによく言うじゃん。とてもジュースな目してるって」

「あっ、あっ、純粋のこと?」

「そっ、そうそう、その純粋」

 カフェで向かいに座るララ、高木ヒロとの思い出を語るララは、化粧が涙で崩れぐちゃぐちゃになっていた。じゃが、テレビで見るよりずっとかわいらしい。


 ララの話は延々と続く。よほどたまっていたのであろう。わしはひとつひとつの話にうなずいてやった。ただ、ただ、うなずく、それだけ。いまのララには、これが一番のなぐさめじゃろう。手を握ってやったり、肩をポンポンとたたいてやったり、涙をふいてやったり。そんなことは、下心のある男のすること、若い娘のからだにやたら触れてはならぬ。それが紳士というものじゃ。

 ララは椅子から立ち上がった。テーブルを回ってわしの方にやってくる。そして、わしの腕の中にくずれるように顔をうずめて「うわーん」と泣きだしたんじゃ。わしは、思わずまわりを見回したぞよ。カフェの客は、素知らぬ風にコーヒーを飲んでいる。じゃが、おそらく、じじいと若い娘の会話に、耳をそばだてておったことじゃろう。幸いなことは、化粧崩れのララが完全にパンダ顔になっていたこと。まさか、アイドルタレントの朝倉ララだと気づかれることはなかった。

 涙ぐみながら話すララの胸を見て、わしはあのときの感触を思い出した。ぽよんという感じじゃった。この小ぶりの胸から、あれほど、ボリュームたっぷりの感触が生まれるとは……。

 そうだ、ひとつ気になっていたことがあったが、ララに聞くのはやめておこう。あのときのおならのこと。あれは単に音だけではなかった。あのなんとも言えぬ匂い、まさしく人の身体から放出されたもの、そう、あれこそ若い娘から生み出されたかぐわしい匂いだったのじゃ。


   *****


「高木ヒロ、ミス、ミス、ミス。ミスの連発!」

 週刊誌がヒロの失態を大々的に報じた。ロケ現場の様子が事細かく書かれている。

「あんなの俳優にしとくべきじゃないよ。二度と顔を見たくないね」

 怒りに満ちた監督の言葉が、同じく怒りに満ちた監督の表情とともに掲載された。記事は、事実を淡々と書いているだけ。週刊誌らしくないが、脚色されていないことが、よけい、ひどい失態だったことを印象づけていた。


 今回のララの行動は、わしの意表をついていた。だが、もっと驚いたことは、あのララが、倉毛の術を身につけていたこと。倉毛の術は、わしが発見した方法で訓練してこそ会得できるもののはず。

 ただひとつだけ例外があるとされている。わしは、古文書の一文を思いだした。

「倉毛の濃い血のみ引く者、訓練せずとも術の使い手」

 なんとララは、生まれつき、透明人間になる能力を身につけていた人物だったのじゃ。おバカキャラで売り出しているララだが、倉毛族の中では誰よりも尊敬される人物だったのじゃ。


 今回は大きな収穫があった。ひとつは、わしのほかに、倉毛の術の使い手を見つけたこと、そしてもうひとつ、ララちゃんと知りあいになれたこと。

 なに? ララちゃんと、ちゃん付けで呼んでるじゃないか、じゃと。

 ばあさん、そう言うな。あのかわいいララちゃんを、ララなどと呼び捨てになんぞできんじゃろ。


 それにしても、こんなルンルン気分になったのは久々じゃわい。わしはサイコーに幸せなじじいかも知れん。ララちゃんとのあの出来事をもう一度振り返ってみようぞ。ばあさん、悪いが、ちょっと向こうを向いておれ。

 ばあさんの写真をひっくり返したあと、右手を見る。右手は自然と何かをつかむ形になる。あのときと同じよう。ぽよん……だったか。思わずほくそ笑んでしまう。

「おっと、いかん、いかん」

 わしは、右手を大きく振って、その形をほどいた。



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