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王の空 番外編

奇跡を我が手に!

作者: 紅月 実

   孤独の氷は〈虚無〉にちくちく刺さり

   小さな小さな氷の棘は〈虚無〉に痛みを与えた   

   痛みに耐えられなくなった〈虚無〉は自分を粉々にしてしまった


      ───はじまりのうた───







 『村』で教えられた通りに歩くこと一時間余り、慣れない道行きに九歳のマルカは苦労していた。それはマルカの父も同じなようで。川で漁師をしている父にとっては、揺れる小船の上のほうがよほど気楽だろう。がっちりした体型で足腰が丈夫なのがせめてもの救いだった。

 村の者がよく利用すると聞いていたのに、道らしき道がないことが親子の不安を煽った。実際には踏まれて倒れた草があちらこちらにあるが、山に慣れていないマルカ親子の目には入らない。案内しているのは自分たちもそこへ行くという村の男たちで、汗はかいていても表情に余裕がある。マルカと父に合わせて歩き、人の背丈ほどもある段差を越えるのを何度となく手伝った。


 地上に顔を出した太い根を避けながらマルカはひたすら足を動かした。思いつめた表情で黙々と歩く少年を、大人たちは黙って見守る。指示に従って無心に登るマルカの頬を秋の風が撫でていく。その風がむっとした熱気を孕んだものに変わる頃には、マルカにも足元の道が見えるようになっていた。熱気に加え人の声が混じる風は、目の前の斜面の上から下りてくる。

「あそこに……いるの……?」


 苦しい息で尋ねるマルカに近くの男が答えた。

「そうだよ、あそこに君と同じくらいの年の男の子がいるんだ。きっと友だちになれるよ」

「友だち……」

 最後の力を振り絞ってマルカはそこを上りきる。その辺りだけ平らになった山の途中に、湯気の上がる池があった。

「わあ……!」

 初めて見た温泉に興味を引かれたものの湯に入っているのは大人ばかり。若くてもマルカの下の兄と同年の十五、六くらいの若者だ。友だちになれそうな相手はと周りを見渡しても、柱に支えられたひさしの下に裸の男たちが寝転んでいるだけで子供の姿は見えない。がっかりしたとき、もう一つある小屋から小柄な人影が出てきた。


 袖なしの肌着と膝まで裾をまくったズボンをはいた、茶色い髪の気の強そうな男児おとこのこは、背丈も年齢もマルカと同じくらいだった。中身の詰まった大きな籠をよろよろと運ぶその子は、マルカたちに気が付くと物怖じせずに話しかけてきた。マルカの父に目を留めて不思議そうに首を傾げる。

「おっちゃんたち……、新しいニュウショクシャ? 東ガラットに住むの?」

 ずばりと聞かれてマルカの父は返す言葉に詰まった。温泉へ案内した男の一人がマルカの背を軽く叩いた。

「いや、この子だけだ。西の集落に親戚がいるんでそこに住むんだと。お前ん家に近いんだから、色々と教えてやれよ」

 するとマルカが驚いたことにその男児おとこのこは大人相手に舌打ちして、これ以上子守りはできないと言い返した。


「あ、あの……」

 マルカは自分に子守りは必要ないとその子に訴えた。知らない土地で暮らすのに一人ぼっちなんて淋しすぎる。どうしても友だちが欲しいマルカは、勇気を出してその子に話し掛けた。

「ぼくと友だちになって!」

 その子はじいっとマルカを見ていたが、ほどなく腰に手を当てて胸を張り、右手の親指を自分に向けてにかっと笑った。

「おう、いいぞ! オレはナスデルってえんだ。東ガラットへようこそ!」



―― ◇ ――



 マルカは交易街マリダポールを横切る川を下った先の集落で生まれ育った。五世帯ほどの血縁が肩を寄せ合って暮らす、半農半漁の小さな集落だ。

 春に風邪をこじらせて熱を出し、数日寝込んでから少年の身に異変が起きた。駆けっこの最中に大人の背丈の何倍もの距離を一跳びしたのが最初だった。いとこの一人が長い棒で叩き落とそうとしていた木の実へ、飛び上がる真似をしたら手が届いてしまったこともある。

 運動能力の著しい向上はマルカに驚きと喜びをもたらしたが、困ったことに当人に制御コントロールできなかった。マルカ自身はひた隠しにしていても狭い社会のこと。誤って川に落ちたり藪に突っ込んだりがしょっちゅうとなり、生傷の耐えなくなった息子の秘密は両親の知るところとなった。大人たちは難しい顔で何かを相談後、すぐに一番近い村の役場へ助力を求めた。

 集落の住人にもその近親者にも能力者はいなかったが、彼らも東ガラット領の住人である。異能力の存在は聞き及んでいた。


 半月ほどして二人の役人がマルカの元を訪れた。もっと川下の町に用事があり、そこへ行くついでに寄ったのだという。マルカの上の兄と同じくらいの年齢の若い金髪の役人は、父の後ろに隠れたマルカを見て、マルカの弟や年下のいとこたちを呼び集めた。そして自分は、マルカを助けるためにやってきたと言った。

 「怖いことはないし、誰かが悪いわけでもない。虐めたり、たたいたりもしない」と約束した。そうやって童子たちと遊びながら少しずつ話を聞き出していった。不思議とマルカもその人と話すのは嫌ではなく、どちらかと言うと今まで持て余していたので、吐き出してしまいたかった。

 マルカはその人と色々なことをして遊んだ。どれだけ長いを歩けるかや、跳躍ジャンプで高い枝に触れるか競った。そんなことができるのはマルカとその人だけだったが、忙しい大人にあまり構ってもらえない童子たちは、石蹴りや鬼ごっこの相手をしてもらえたので大喜びだった。


 翌日役人たちは集落を発つときに、できるだけ早くマルカを東ガラット村へ連れて行くよう両親に強く勧め、このままでは遠からず身体を壊すと警告した。家族で移住するのが無理なら里親を探す仲介をするが、どうしても村に馴染めなければ、〈祝福〉――――異能力の使い方を最低限身に着けて両親の元に戻ればいいのだ。

 その役人は「この子のために良いと思う決断を」という言葉を残した。どこかに奉公させたと思えば、滅多に会えぬでもマルカは健康でいられる。悩みに悩んだ二月ふたつき後の今、マルカは父親と共に東ガラットにいた。




「その若い役人て、ガリだろ」

 マルカの話を聞いたナスデルは開口一番に言い当てた。マルカと父は一番近い町の役所で、初めてくだんの役人が領主本人と聞かされてひどく驚いたというのに。

「〈祝福〉を調べる専門の役人がいるのに、ガリ=テスは何でも自分でやりたがんだよ」

 能力の有無を調べるのは本来は巫女の役目らしい。確かに、マリダポールから北寄りなら東ガラットまでは馬車で数日なので、マルカたちのように苦労することもない。

 ナスデルはマルカと父親にも温泉で汗を流すよう勧めた。大地の恩恵は他にも数ヶ所あり、開放されている場所は、そこまで行きさえすれば無料で利用できる。

「入っちゃいけないとこもあるの?」

「もっとぐるっと森を回りこんで少し登ったとこに、テス一族専用の湧き湯があんだよ。そこはだめだ」


 ふ~んと返事をしながら、マルカは次の質問を考える。マルカと同い年のナスデルは、新しい友だちに根気良く付き合っていた。他にも雑用をする子が三人いて、水汲みから帰ってきたその子たちに仕事を任せたナスデルは、休憩がてらマルカの話し相手をしている。

 この仕事は十歳前後の童子の仕事で、乾いたタオルや喉を潤すための水の用意、脱衣所の掃除などだ。湯殿の雑用は役所から手当てが出るので、水以外の飲み物や果実を売れば小遣いが稼げた。

 何人でやっても同じ日当だが、湿ったむしろを干したり、近くの水場まで飲み水を汲みに行くのを一人でこなせるわけもなく。まとめ役の童子を年少の子が手伝う形で、複数のグループが交代で行っていた。そして当然ながら男女別に分かれるので、マルカたちがいるのは男湯である。


 温泉を出てそのまま帰る者は少なく、殆どは筵の敷かれた庇の下で汗を乾かしている。ある者は下穿き姿で、ある者はそれさえ着けずに涼んでいた。

 湯桶に当たる部分は大小二つの池を繋げた瓢箪型だ。狭い方は大人二人が両手を広げたくらいで、大きい池は大人三、四人分が手を繋いで並べるだろう。縁に背を預けて座ると胸まで湯に浸れる深さだ。

 まず大きい池で汚れを落としてから、ゆっくり温まりたければ端に寄って場所を空ける。湯の湧き口が狭い池、川に繋がる排水部が広い池にあるので、汚れた湯は少しずつ入れ替わっていた。

 マルカの父は初めて温泉というものに入り、温かい湯が滾々(こんこん)と地中から湧き出して、また地中に消えるという講釈を感心しながら傾聴していた。もっと『下』にも出湯いでゆがあると知って、明日は移動が楽なそちらへ行くつもりらしい。

 マルカは新しい友だちと一緒にいたかったのと、温泉に浸かっているのが大人ばかりなので遠慮した。叔父たちと水浴びしたときは平気だったのに、知った顔が父親しかいないのでマルカは臆病になっていた。


 飲み物を頼まれたナスデルがいなくなると、マルカはぽつねんと一人残された。手持ち無沙汰なので、湯の中の父親に水を渡そうと桶に近付いて椀を持つ。すると、桶のそばで立ったまま水を飲む男の腹部に目が行った。父や兄たちも決して貧弱な体型ではないが、上の兄と同年代と思しきその人の引き締まった筋肉と、湯気の上がるソレに言葉を飲み込んだ。

 ――――お、オトナだ!!

 椀をぎゅっと握ったマルカはすれ違いざまにちらと顔を見る。髪も目も黒いその人は何となく領主様に似ているような気がした。長めの髪から水が滴ってもお構いなしで小屋に入ると、自分の物らしい荷物をごそごそとやっている。

 小屋と言っても壁の一面は無く、風避けの筵が一枚だけ。中は壁際と真ん中に棚とざるが用意されていて、脱いだ服をそこに置いておけた。硬直していたマルカが気を取り直して桶の柄杓に手を伸ばすと、もうひとつの柄杓を別の手が握った。そして――――。


「す、すごい……!」

 思わず口から漏れた感想に上から不機嫌そうな答えが降ってきた。

「あんまりじろじろ見んな。……ん? 誰だお前」

「あ、あの……、ぼく……、ごめんなさい……」

 ソレから目を引き剥がしたマルカは、虫のように割れた腹、がっちりと盛り上がった男らしい胸を超えてその人の顔を見上げた。高い頬骨や薄い唇より何より、印象的なのは目だった。視線だけで氷結しそうなほど色の薄い瞳と、持ち主の気性を表わしているだろう眼力めぢからに身が竦んだ。


「おい、ヤス! オレのダチになんくせつけんな!」

「つけてねえよ」

 投げ付けられたタオルを首にかけたその人は、ナスデルの髪をぐしゃぐしゃにしてから小屋の向こうの筵にどっかと座る。駄賃をもらっていないのにナスデルは平然としていた。心配になったマルカが何か言う前に、さっき小屋に入った長い髪の人がナスデルに小銭を渡した。

「ヤスとカク、タカと俺の分だ。すぐに持ってきてくれ」

「果汁……、じゃなくてくだものを四人分、と。……シムはいないんだね」


 生返事したその人も肩にタオルを掛けただけでヤスという人のそばに座った。

「ふう、さっぱりした」

 声と同じ明るい茶色の髪の人が、ナスデルから汗取り布を受け取った。きれいな顔をしたこの人の方がさっきの人よりずっと領主様に似ていて、やはり凄い筋肉だ。さすがにもう腹から下は見ないように気を付ける。その人もマルカに目を留めた。

「知らない顔がいるな」

「あ、カク、こいつマルカってんだ。女みたいな名前だけど、オレのダチだから。今日はタカもいんの? タカも風呂嫌いなのに珍しいね」

 マルカは、ナスデルが自分のことを「ダチ」と言う度に嬉しくてにやにやしていた。だから名前について少しくらいからかわれても気にしないことにした。



―― ◇ ――



 『西の集落』と一(くく)りに呼んではいても、実際には区分けした地域のうち土地が平らな場所に、数戸から十戸程度の集落がいくつも集まったものだ。

 ナスデルはその中でも最も規模の大きい中心部、十数世帯が密集する集落に家があり、父と姉の三人暮らしだ。マルカはそこから童子こどもの足でも半刻(三十分)足らずの数戸の住宅しかない場所で、父の従姉夫婦と共に生活することになった。その女の人は息子二人が成人して家を出たので、マルカを引き取ることに喜んで同意した。

「この家にまた元気な男の子がきてくれるなんて……、嬉しいねえ」

 ケイラおばさんはマルカを歓迎してくれた。そのおばさんと、昔話に花を咲かせる父親も楽しそうだった。


 後で聞いた話だが、領主のお膝元である『東ガラット村』は、のどかな見た目に反して出入りに厳しかった。街道の終わりで通りすがりの旅人が立ち寄ることも無く、外の者が村へ入るには通行手形を必要とした。

 領主は手形と一緒に、慣れぬ子連れ旅に困らぬよう少々の路銀も用意していた。途中の役所や集落の顔役もこういうことに慣れており、宿屋が無くとも雨風をしのぐ屋根のある寝場所と毛布、それに温かい食事にありつけた。

 若いのに気配りのできる領主や好意的な親戚と暮らせることに安心したのか、マルカの父は数日滞在しただけで東ガラットを発った。でっぷり太った豪快なおばさんと枯れ木のように細いおじさんは、マルカを本当の息子のように叱り、とても大切にした。




 しかし、マルカが東ガラット村に来てから瞬く間に一月ひとつきが過ぎ、秋の収穫祭が終わった後からマルカの様子が少しずつ変わっていった。おばさんが用意してくれた新しい服を着て、ナスデルと一緒の祭り自体は楽しかったが、時々遠くを見てぼんやりすることが増えた。

 他にも祝福に目覚めて里子に出された子は何人もいた。縁もゆかりもない人のところへ預けられる子に比べれば、子供好きの遠縁に預けられた自分は恵まれているのだと分かっても、実の家族への思いは募るばかり。

 マルカはいつも川下を見ていた。川の先にあるマリダポールの更に遠く、見えるはずもない自分が生まれ育った小さな集落をずっと見ていたのだ。そうして両親や兄弟と過ごした家や、今時期の水辺の冷たい秋風。油瓶ランプに使う魚油の匂いを懐かしく思い返した。あんなに嫌いだった魚油が恋しくなるとは自分でも意外だったが。

「父さん、母さん……。うちに帰りたい……」

 森の中で膝を抱えて一人で泣いているとナスデルに見付かった。いくら待ってもいつもの遊び場に来ないので探しにきたのだ。


「なに言ってんだ、おばちゃんたちがいんだろ」

「でも母さんじゃないもん……」

 ナスデルもべそを掻くマルカと並んで腰を下ろす。

「それにお前には力があるだろ……」

 マルカの〈祝福〉は、隠そうとするのを止めた途端に言うことを聞くようになり、巫女というきれいなお姉さんにも会った。その人は、まだ力が不安定なので、もう少し身体が大きくなるまでは無理しないでと言っただけだった。

 今までできなかったことができるようになり、面白くて時々能力を使っていたが、使えない子もいるからとケイラおばさんにたしなめられた。そのとき始めてナスデルも『使えない子』に入っていると気付いた。マルカはいつの間にかナスデルも祝福を使えると思い込んでいた。


「オレん中にもあるみたいなんだけど、使えるようになるかは分からないって……。むりに起こすと『歪んで』使い物にならなくなるんだってよ……」

 羨望を隠しきれないナスデルは、狩り人になりたいと思っているのだ。望みさえすればマルカには狩り人への門戸が開かれるが、どんなに願っても素質がなければこの夢は叶わない。

「ジャックにたのんだら、お願い聞いてくれるかな……?」

「? だれだって?」

 以前、行き倒れた異国の旅人を助けたことがあり、養生のため父の集落にしばらく逗留していた。旅人は色々なことを知っていて珍しい話をたくさんしてくれた。その中に、秋の終わりにやる『ハロウィン』という祭りのこともあった。


「え、でもさ、死んだ人間が生きてる人間のたのみなんて聞いてくれんのか?」

「このあいだのお祭りのときに、みんなでもう死んじゃった人たちに祈ったよね。あれはきっといたずらしないでくださいってお願いしてるんじゃないかな。死んじゃったのにいたずらできるなら、良いことだってできるはずだよ!」

 マルカがそう言うと、ナスデルもその気になったようだ。何年も前のことだったが、マルカは自分とナスデルのためにそのときの話を詳しく思い出そうとした。

 特異な力があっても家族と暮らせないマルカと、家族と暮らしていても能力を持たないナスデル。大人にほど遠い二人は何かせずにはいられなかった。




 十の月の最後の日、欠け始めた月が煌々と地上を照らす。夜の森はいつもよりざわついて、擦れ合う枝葉や下生えがかしましいお喋りをしているようだ。乗り移った死者の魂が何か悪巧みしているのだろうか。

 住人が共同で使っている納屋に童子たちが集まった。こそこそする二人に年少の子たちが纏わりつき、目論見が露見した『ジャックにお願いをする会』は八人にまで人数を増やした。その中には女児おんなのこも三人いて、マルカとナスデルは困り果てた。

「お前らは帰れよ!」

「やあよ、男の子ばっかり好きなことしてズルいじゃない」

 つんと鼻をそびやかしたマリッサは、西の集落の女児をまとめるボスだ。マルカより一つ年上のその子は他の二人と固まって、マルカたちにちらと視線をくれてはくすくす笑い合っている。


 女が絡むとロクなことがない。いよいよだと気が急いたマルカはナスデルの不平を聞き流した。こっそりと持ってきた角灯カンテラからろうそくを外すと、ナスデルが用意したカボチャを被せる。

「…………こんなのでほんとに願いが叶うの?」

 マリッサが不信と疑惑の眼差しをマルカに注ぐ。ナスデルが改心の出来だと自負したそれは、マルカでも提灯と呼ぶのを躊躇った。光が漏れるように空いた目鼻口と思しき穴は、左右の目は大きさが違うし鼻も線のように細い。口にいたってはふちが変に歪んでいて笑っているのか怒っているのか……。

 ナスデルはこれの前に二個のカボチャを無駄にしていた。キッチンナイフで穴だらけにされたカボチャを見た姉に、「カボチャに何か恨みでもあるの?」とひどく呆れられたらしい。それを聞いたマルカが、おばさんの台所からくすねて渡したのがいま目の前にあるカボチャだ。

 苦労して中をくり抜き割らないよう注意して『顔』を作ったのに、遠慮無い物言いにナスデルは傷付いていた。


「文句ばっか言いやがって……。やっぱりお前ら帰れよ」

 拗ねてしまったナスデルをなだめたマルカは、早くお祈りしようと呼び掛けた。ナスデルのマリッサに対する怒りが爆発する前に済ませてしまいたい。ぶつぶつと不平を零すマリッサも、「祈るときに大事なのは気持ち」という巫女の受け売りを聞かせると黙った。

 カボチャのランタンを皆で囲み、手を繋いで一つの大きな輪を作る。目をつぶって無言で祈った。どれくらいそうしていただろうか。ろうそくの火がカボチャの内側を炙り、納屋の中に焦げ臭い匂いが漂った。

 女児の一人が遅いからもう帰ろうとマリッサの袖を引く。家を抜け出したのがバレるとまずいのだ。特に女児おんなのこは。マリッサが重々しく頷くと全員がほっとした。小さな子たちもマリッサに押し付けて、それぞれの家まで送らせる。二人だけになった納屋の中は、急に透き間風が強くなったようだ。閑散としていて心の奥まで寒さが染みた。

 

「ジャックにお願い届いたかな……」

「わかんねえよ……」

 二人はいびつで意地悪な表情のジャックを睨んでいるうちに、いつしか眠りにいざなわれた。そしてマルカは夢を見た。大きなカボチャが森の中をフワフワと漂い、それをナスデルと二人で追いかける夢だった。光る左右の目は大きさが違い、鼻は糸のよう。歪んだ口で二人をあざ笑い、捕まってなどやるものかと言っているようだった。




 翌朝、冷え切った空っぽの寝台ベッドを見た二家族に激震が走った。知らせを聞いた親たちは、すぐに我が子が丸めた毛布でないのを確かめた。中央集落の者たちは、青い顔でやってきたケイラを見て同じ考えに行き着いた。

 ケイラの住居付近にマルカの姿はないというので、中央集落を調べると二人はあっさりと見付かった。ぶどう酒の樽にもたれて身を寄せ合った二人の姿に、大人たちがどれだけ安堵したことか。

 ただしきな臭い匂いと、剥きだしの土の床に残ったものを見付けて眉をひそめた。カボチャに立てていた明かりのろうそくが倒れて台を焦がしたようだが、火事になったらどうするのだ。ドスの利いたケイラの怒鳴り声で夢の国から引き戻された二人は、弾かれたように立ち上がる。


 しかし説教が始まった途端にマルカがへなへなと座り込んだ。ケイラがマルカの額に手を当てて熱があるのを確かめると、大急ぎでマルカを連れ帰った。

 男児おとこのこなら多少の悪戯は仕方ない。どうせ家人がこんこんと説教をするのだし、火の始末についての注意は、マルカの熱が下がってから二人一緒にということで落ち着いた。ナスデルの父は息子を家に連れ帰ると、集落の顔役に詫びに行った。

 ナスデルは姉の小言をぼんやりと聞いていた。母代わりの姉はその様子に違和感を覚え、ナスデルの額に手を当てて天井を仰いだ。急いでナスデルを寝台に押し込んで予備の毛布も掛けると、父に知らせるために家を飛び出した。



―― ◇ ――



「なあ、デル。来月のハロウィンに誰か誘……」

「やかましい! 聞きたくないっ!!」

 収穫の買取待ちは順番が来るまで暇である。デルが籍を置く狩り組の頭で友人でもあるルカが、時間潰しにその話題を持ち出したのは必然だった。

 村で異国の地から伝わった『ハロウィン』なる祭りが催されるようになってから十年ほど。当初は小さな子供のためのものだったが、楽しい事は大人も好きである。今では大祭の後に行なわれる後夜祭として定着していた。

 何時の時代でも若者は気になる異性を誘って祭りを楽しむが、今のデルはそんな気分ではないようで。耳を手の平でしっかり塞いだデルはルカの言葉を締め出した。


「オレに構うな。行きたいなら一人で行け。……以上!」

「まあ、そう言うなよ~」

 はしばみ色の目から怒りのオーラを発し、肩にドス黒い何かを背負ったデルはぎろりとルカを睨む。換金所のデルの立っているところだけ真っ暗闇になったようだった。愛想笑いを浮かべたルカはデルをなだめた。

 去年のハロウィンはある姉妹の姉をデルが、妹をルカがダンスに誘った。そこから二組の交際が始まったが、デルとシスティナは夏に破局した。何とシスティナが他の男と人気の無い納屋で抱き合っていたのだ。

 運命とは残酷なもので、あられもない二人の姿を発見したのはデルとルカだった。当然の成り行きで修羅場になったが、当のデルは意外にも冷静だった。システィナがステファンの子を身籠っていると告白したのを聞くと、口を閉じて騒動から一切手を引いた。


「だってさ……、オレには他人の子供ガキの親になって育てるなんて……、できない。それにシシィは……、オレじゃないヤツを選んだんだ。だったらさ……、オレがぎゃあぎゃあ騒いだって、誰も得しないだろ……」

 そういう(・・・・)ことをしていないのだから、システィナの腹にいるのはデルの子では有り得ない。他に聞く者のいない狩り場では組の仲間に少しだけ愚痴を零した。

 ルカの交際相手のコリーンも姉の醜態を気に病んでいたので、この件は忘れてくれと言ってある。デルはこのことで、ルカとコリーンの仲がこじれるほうが嫌だった。来年の春にはシスティナは母親になる。デルは最後に、もう自分とは縁のない女性の幸せを声に出さずに祈った。


「あのさ、コリーンの友だちがお前とハロウィンに行きたいらしいんだ」

「へー、そらまた奇特なことで」

「いや、真面目な話だよ」

 デルの返事が棒読みでもルカは引かない。ルカはルカなりに友人を心配している。簡単に諦めずに食い下がった。

「北集落ので、先月越して来たばっかなんだってさ。あそこはほら、男が多いから」

 事情があって北の集落は何年も放置されてきた。しかし他の集落が手狭になったので、領主は思い切ってそこを整備する決断をした。伐採と同時に宅地や畑の開墾をするために、男ばかり二十人近く雇い入れた。その中には妻帯した入植希望者もおり、住居と生活基盤が整うに従って徐々に家族を呼び寄せていた。

 もちろん、デルやルカのような先住者も肉体労働を仕事として引き受けた。どうやらそのときにデルを見初めたらしい。


「北の集落だと、ちょっと遠いな」

「あそこは女日照りで皆ガツガツしてんだよ。誰か決まった相手がいるほうが、色々と安心みたいだぜ?」

「ふーん……」

 今までこの手の話を完全に拒絶していたデルが興味を持った。敏感にそれを察知したルカが畳み掛ける。

「とりあえず話だけでもしてみろよ。次の次の非番はまた北の集落に行くんだし」

「そうだな、とりあえず一度顔を……」

 デルの耳元に顔を寄せ、口元を手で覆ったルカがこそりと囁いた。

「年は十六、すらっと背が高くて色白で金髪ですげー美人なんだ」

「へ、へー……」

「コリーンがいなかったらおれがダンスに誘う! ……てくらい美人」

「そっか、それなら……。会って話してみて、良さそうな娘なら、誘ってもいいかも……」


 ぽつぽつと呟くのを聞いたルカは、その場で踊り出しそうだった。もし外なら軽業の一つや二つ……、いや、三つ四つくらい披露したかもしれない。そのはしゃぎ具合に、デルは自分がどれだけ気落ちしていたのか、親友の組頭がどれだけ心配していたのかをまざまざと教えられた気がした。

 あの(・・)現場に居合わせたルカは普段の軽薄さが嘘のように激高した。そしてステファンとシスティナを凄い剣幕で罵り、二人の振る舞いがいかに不誠実でデルを傷付けるものかまくし立てた。デルが冷静になれたのも、ルカに出遅れて毒気を抜かれたからだ。


「なあ、ルカ。お前がオレのダチで良かったよ。色々ありがとな」

「うわー……、なんか素直すぎて気色悪い……」

 頬を引き攣らせたデルがにんまりと笑って、ルカの肩に手を置いた。

「せっかく人が良いこと言ったのに、その態度はないんじゃないかな。……女みたいな名前のくせに」

「あ、あ~! 人が気にしてること言いやがったな。おれのデルは、おれのデルは……、昔はもっと優しかったのにっ!」

「ちょ……っ、誰がお前のだ! そっちこそ気色悪いこと言うな!」


 はてさて、若者たちの行く末はどうなりますやら――――。


『トリック・オア・トリート』


   了

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[一言] 拝読しました。 名前に馴染みが無かったので、最初メインメンバーとの繋がりがわからなかったのですが、そういうことでしたか! 昨年のハロウィン企画のお話、読んだはずですが、今回また読み直して、今…
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