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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第二章 疑惑
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第二章 ③

 祥玲は、風にざわめく長ったらしい髪をそのままにして、木の幹に腰を下ろしていた。


 宋鄭寺は森の中にある。


 高い木に登るのは好きだ。

 更に、そこから見渡せる田園風景は見事なもので、心が浮き立つ。

 莉央を誘って、見せてあげたい。

 けれど、残念なことに、この巨木の上に、彼女を誘うことは出来ない。

 なぜなら、お互いに何から何まで嘘をついたままだからだ。


(畑を見て来て欲しいなんて……)


 あまりにも露骨すぎだ。

 風害は気になるけれど、ここから遠くを望むだけで、祥玲には農作物の被害などすぐに特定できるのだ。


 大体、伝染病などと……。

 自分は体だけなら健康である。


(色々やっていますね。私も……)


 罪悪感は抱いている。

 だが、どちらにしても、いずれ明るみに出ることなのだから、のんびりと構えていても良いのではないか……。


 既に、王英が勝手に進めていた、税の政策は見直しに入っていることだろう。

 莉央一人の命令ならばともかく、裏で祥玲が人を使って動いているのだから、この法律が施行されるはずがない。

 そして、王英もさすがに祥玲の仕業と気付いて、良からぬ企みの見直しに入っているはずだ。

 祥玲は表立って批判はしていないが、気に入らなければ全面的に邪魔はさせてもらう。


(悔し紛れに、今頃、莉央さんを脅しているかもしれないな……?)


 もっとも、もしもそうであれば、祥玲の失策である。

 祥玲は、莉央のことを気に入っているのだから……。

 

(さすがに嫌われるかな?)


 彼女が普通の感覚を持っているとしたら、そうだろう。

 だけど、たとえそうだったとしても、祥玲はもはや莉央を逃すつもりはない。


 ……………出会ったのは偶然ではないのだ。


 祥玲は何度も莉央が宋鄭寺に通っていたのを知っていた。

 独り、膝を抱えてうずくまっている姿を何度も外から眺め、すすり泣く声を、地下で耳にしていた。

 あの日、彼女に手を差し伸べようと誓ったあの瞬間に、祥玲はすべてを決意したのだ。

 おそらく、香鈴から宋鄭寺と、祥玲の存在を報告された王英は、彼女を宋鄭寺に駆け込ませてたかったのだろう。

 こんな小娘を、領主にしてしまったら、宋禮には後がないと祥玲に知らしめるためか。


(娘を犠牲にしたくなければ、私に領主になれ……と)


 祥玲は、斎家の血筋を引く者だ。

 王英が自分を領主に据えたい気持ちも分からなくはない。


 ……それにしたって、自分で擁立した領主を追いつめるというのは、一体どういう気持ちなのだろうか?


「祥玲様!」


 地上から、大声で呼ばれた。祥玲は面を上げずに、声だけを送った。


「志雄ですか」


 茶髪の青年、志雄は頷くこともせずに、早口で捲くし立てた。


「王英様が、怒っていますよ! 自分の意図を貴方はご存知なはずなのに、何故、邪魔をするのかと?」

「それは、簡単です」

「はい?」

「すべてが気に入らないからです」

「……祥玲様。それを、王英様に直接話したら、私が殺されます」

「彼は過激でやることがいちいち派手でいけませんが、決して愚かではない。そう簡単に、貴方に手出しはしないでしょう。現に、貴方が莉央さんを守ったことについては、お咎めではなく、出世となったでしょう」

「しかし、私は何か不自然さを感じます。斎公を襲った犯人が何者なのか、玉侍である私ですら知らないのですから」

「あれは、王英の翠塾出身の弓の得意な家来ですからね。まさか貴方に教えるわけにもいかないでしょう」

「はっ?」

「王英は、莉央さんを譲位させたかったんですよ。口に出して迫ることも出来ないから、遠回しに彼女を狙ってみたり、根暗な男です」

「何故です? 斎公を擁立したのは、大宰ですよ。もしも、祥玲様のおっしゃることが正しいのならば、斎公を助けた私は、とんだ迷惑者ではないのでしょうか? 何故、大宰は、私を出世などさせたのでしょう?」

「王英の策が変わってきたんじゃないでしょうかね?」

「変わった?」


 辟易している志雄の表情を俯瞰する。

 志雄の碧眼が大きく見開かれていた。

 エスティア人と、宋禮の混血児。

 前領主の訃報を聞いて、旅から帰ってきた祥玲が王英に最初に頼んだのは、王英の下で、着々と力をつけつつある志雄を、自分と王英の繋ぎに寄越すことだった。


「王英は、エスティアと戦争になることを想定しているんですよ」

「やはり、戦争になるのですか。今日……、エスティアが使者を送って来たのも、その辺りに関係があるのでしょうか?」

「エスティアの軍部が、宋禮に直接使者を寄越したんですか?」

「はい。それで、実は、そのお方は……」

「……言わなくて結構ですよ。志雄」


 聞いたところで、どうということはない。察しはついている。

 祥玲は、にっこりと笑った。


「元々、宋禮領はエスティアと西国の監視のために、国祖が創った国です」

「知っています」

「瓏国全体の力が落ちている。それでいて、宋禮領も安定しない。彼らにとっては、ここで宋禮を打ち破ることで、瓏国を攻める突破口にしたいのでしょうね。今日はその下調べというところかな?」

「…………まるで、今にも攻めてくるような言葉ですね?」

「間違いなく攻めて来るのでしょうね。エスティアは国王が代替わりしてから、過激になっていますから。宋禮でも、王英一人が焦っていますけど」

「焦る?」

「王英は、莉央さんを譲位させることが出来ず、領内の混乱を内外に露呈させてしまった。だから、次は彼女を売るつもりなのでしょう。…………政略結婚かな?」

「まさか……」


 志雄は目を剥いた。


「領主を、他国に売り飛ばすなんて。そんなことになったら宋禮は?」

「志雄、それは違いますよ。領主との婚姻だと、エスティアには媚びているようですが、あちらに送られる頃は、彼女は領主ではなくなっているという算段でしょう。彼はまだ譲位を諦めていないのです」

「そこまでして……。どうして譲位にこだわるのでしょう?」

「知らないのですか? 志雄」

「何をです?」

「てっきり、貴方は私の素性を知った上で、私と王英の繋ぎ役をしているのだと思っていました」

「私は、大宰から自分が世話になった翠塾の塾頭が祥玲様だと、お聞きして……」


 祥玲は、背後の太い幹に頭をもたれた。


「うーん。その翠塾は解散してしまいましたしね。私は、ふらふらと世界を見て回っていただけですよ。旅を切り上げて帰ってきたのは、領主の貴翔が死んで、エスティアと近々揉めるだろうと踏んでいたから、それを見届けようと思っただけですよ。公位なんて冗談じゃない」

「…………公位って。貴方は、もしや?」


 口ごもった志雄は、幾分幼く見えた。

 彼が何をどう考え、結論づけるのか、祥玲は興味深く感じるが、大体の想像もついていた。……悲しいことに。

 もう、ここに用はない。

 陽は完全に暮れてしまい、見る物を無くした祥玲は、木から降りようとする。

 ――しかし。


「祥玲様!?」


 途中で力をなくしてしまった祥玲は、木の枝にぶらんと、ぶら下がるような、無様な格好となってしまった。


「何やっているんですか?」

「すいません。木登りは得意なんですが、降りるのは苦手なんです」

「………………そ、そうなんですか」


 あらゆる文句を飲み込んだらしい、志雄は小柄な割に力を発揮して、祥玲を抱えておろして地上におろしてくれた。


「有難うございます」

「いえ」


 寺の中から、温かい煙が立ち上がっていた。そろそろ夕餉の時間なのだろう。 腹が減った祥玲は、そのおいしそうな香りにふらふらと、つられた。


「祥玲様? お話の途中だったかと?」

「…………ああ」


 祥玲は、自分より少し背の低い志雄の肩にぽんと手を置き、言い放った。


「王英には、何を言っても無駄でしょう。好きなようにやらせてれば良い」

「しかし、このままでは、斎公が」

「心配ですか?」

「それは、祥玲様ですよ。正直、あの方は……、領主の器ではないと思います。血ではないのです。あの方は心が弱い。ですが、祥玲様は、斎公を立てていらっしゃいます」

「そりゃあ、立てますし、ついていきますよ。私は莉央さんが好きなんです。何度も、見て見ぬふりをしようと思っていしましたが、結局腹は括りました。だから、そう簡単に引き渡す気もないし、どんな手段を用いても、彼女の力になるつもりです」

「はあ?」

「それにしても、寒いですねえ……」


 くしゃみを一つすると、志雄は自分の上着を脱いで、祥玲に差し出した。

 無言で祥玲は受け取る。


「貴方も大変でしたね」

「何をいきなり?」

「貴方と莉央さんは、何処となく似ている感じがしたのです」

「そうでしょうか? むしろ、私は恐れ多いことですが、祥玲様と境遇が似ていると思っておりした」

「……まあ、似ていないことはないですね。前領主は病的なまでに保守的な人でしたからね。領民には何の影響もありませんでしたけれど、私も含めて、特定の人たちは随分酷い目に遇いました。彼は、エスティア人がただ自分と見た目が違うというだけで嫌悪していましたから」

「仕事先が見付からなかったのも事実です。友人達も皆苦労をしたようです。私は幸い剣の腕があったので、王英様に拾って頂くことが出来ましたが」

「…………それが良かったとは、私の口からはまだ言えませんが、きっと、悪いようにはならないと思いますよ」

「――それを、願っております」


 祥玲は、ふらふらと歩き始めた。

 ここのところ本ばかり読んでいて、動いていないので、体がなまっている。

 しかし、それも後少しのことだろう。


 間もなく、この領地も自分も大きく動く機会がやってくる。


 祥玲には、その確信があった。


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