第二章 ②
「彼女、宋禮領主に、一度、お会いできて良かったというのは、本音だよ」
回廊を歩きながら、キアノは志雄にエスティア語で語りかけてきた。
一つに結った金髪が歩きにあわせて大きく光を描く。一方で、彫りの深い顔は、陰影を深く刻んでいた。
ーーキアノは、今日初めて会った男だ。
王英に接待をまかされたのは、本当だし、志雄は予めキアノがここに来ることすら、まったく知らなかった。
初対面とは思えないくらい、貴賓室でぺらぺらと、喋り倒されて、勝手に友人扱いされてしまったが、志雄は精一杯一線を引いて対応していた。
「一体、貴方様は、何のおつもりで宋禮にいらしたのです?」
「新領主のお手並みを拝見したくてね。皇帝陛下には無理を言った」
「それで?」
「ああ、まあ、まだ未知数かな。さすがにあれだけじゃ、分からないよ。幼いというのは弱点だけど、裏を返せば彼女の側に強力な助っ人がいたということ。助っ人を側に置いておけるのは、彼女自身に魅力があるということだ。まあ、美人だとは思ったけどね?」
「しかし、あの方は……」
傀儡です……と言いかけて、志雄は口を押さえた。いくら言葉が分かる者が自分以外いないとはいえ、ここでその台詞を口にするのは、怖かった。
「君の言わんとしていることは分かるけれど、まだ即位して半月じゃないか。領主様だって、これからだろう」
「……はあ」
とりあえず、首肯しておく。
「ふーん。もしかして、君のその意見、そのままあのお方に報告してしまったのかな。大変なことになるよ。即位したての我が国王様は血気盛んだから」
「はっ?」
志雄はとぼけてみせたものの、無駄だったらしい。
「将軍から、同志の話を聞いてね。君だろう? 同志というのは。一度君を見ておきたくてね。わざわざ無理を言ってエスティアから出て来たんだ。敵情視察も兼ねてね」
「…………声が大きいですよ。キアノ副官」
「大丈夫だよ。ここにエスティア語が出来る人間はいない。あの怖い大宰殿だって、喋れやしないんだ」
「……しかし」
「まあ、アイツがいたら危ないけど」
「…………アイツ、ですか」
「祥玲という男でね。宋禮の人間は彼以外知り合いがいないけれど、本当、何につけても、ろくでもない男だったなあ……」
志雄は瞳を細めた。
人をくったような、祥玲の笑顔が浮かび上がった。
何もかも知っていそうで、何もかも知らないような。何を考えているのかさっぱり分からない男だった。
(祥玲様と、キアノが知り合い?)
志雄は複雑な内心に蓋をして、キアノに尋ねた。
「その友人には、会っていかれないんですか?」
「いや、今は駄目だな。アイツに会ったら、大変な事になりそうだから。やめておくよ」
「大変?」
「丸めこまれるかも……」
キアノは、あっけらかんと告げた。
「確かに、あの方は人の上に立っても、おかしくない空気は持っているかもしれません」
「しかし、人の上には立つまい」
「立つ……かもしれませんよ。緊急事態となったら、さすがに傍観はしないでしょう」
「それを君は阻止する? いや、支援するのかな。そうすれば、宋禮の内部はガタガタになる」
「私は、命令に従うだけです。余計なことをするなと厳命されていますし」
「ふーん。まあ、人にはそれぞれ性分がある。彼は賢い男だ。己の性分を心得ているだろうからね。君や、君の上司が考えているように動くかどうか……」
志雄が羨ましくなるような、大きな瞳が志雄を覗き込んでいた。
「そして、君もね……」
「キアノ……副官?」
「君のその性分が、果たして彼の下にいて、役に立つのかな?」
「…………私は」
志雄は言い返すことが出来なかった。
分からない。けれども、志雄はこの道しか選べなかったのだ。
(仕方ないじゃないか……)
去って行く、太陽のように陽気な純白の衣を見つめながら、志雄は腹を立てていた。
出来れば、キアノ副官も連れて行きたかったが、仕方ない。
その彼とやらに、志雄は会いに行かなければなるまい。
―――これは、王英からの命令だった。