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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第二章 疑惑
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第二章 ➀

「……では、この法は真実だというのですか?」


 莉央は、今まで自分が何も知らなかった手前、怒鳴りつけることは出来なかった。

 法令部を仕切る役職のことを、長令(ちょうれい)というらしい。 

 それすら、ここに来て初めて教えられた。今まで、立ち寄ったことがなかった。

 それに、莉央が政治の場を視察する場合は必ず傍らには、王英がいたのだ。


「しかし。斎公。前年は不作ということもあって、国に上納する作物の量を減らしてもらったのです。今年は豊作ということになのですから、これくらい上納せねば……」

「全穀高の六割、七割か。……いくら豊作とはいえ、この量は無理だと思います」

「……しかし」

群司(ぐんじ)に上納する量と王に上納する量。昨年の件があったとしても、明らかに不審です」

「……不審とは?」


 白髪頭の長令が短い首をひねっている。

 莉央は懸命に、この税の高い原因を割り出そうとしていた。

 ――だが。


「斎公!」


 荒い声に、莉央は驚いた。

 王英だ。

 埃臭い、資料部屋の入口に大柄な男が数人の供を連れて立っている。

 それだけで威圧感があるのだが……。

 今まで、王英が他人のいる場で声を上げたことはない。何に腹を立てている?


(いや、何か……、後ろめたいことがあるのか?)


「斎公。かような場所に何か?」

「……私は」 


 一瞬、用件に関しては誤魔化そうと思った。実際、いつもの莉央だったらそうしていたはずだ。

 だけど……、心の中で祥玲の言葉がよみがえった。


大宰(たいさい)こそいかがしたのです? 私は今期の税について、詮議していたまで。長い間。父の喪に服していたため、(まつりごと)が疎かでした」

「そうですか」


 王英は優しい声音で納得したが、目は笑っていなかった。


(……怖い)


 だが、莉央はここで退くわけにはいかなかった。脳裏に阿沙の声が響いている。


「農民達に課した今期の税法を、大宰はご存知だったのですか?」

「…………さあ、存知ませんな。税については、法令部と農部(のうぶ)にまかせています」


(知らないはずがない……)


 これほどの重大な法律を、権力者である王英が耳にしていないはずがないではないか。


「この法は、悪法だと思います」


 莉央は、王英の手の中に、今長司から受け取った資料を置いた。

 簡単に目を通した上で、王英が首を縦に振った。


「そのようですな」

「――もう一度、見直して下さい」 


 自分よりも背の低い長司に視線を落とすと、分かりやすいほど単純に男は慌てていた。


「しっ、しかし、斎公。これはもう施行間近ですぞ」

「私は、今一度、見直すようにと言っているのです」

「は、はっ」


 男が(かしず)いたので、その後ろに静かに佇んでいた王英の姿がくっきりと見えた。

 王英は、顎を撫でながら、無言で資料を見つめている。

 てっきり何か言い返してくるだろうと、思っていた莉央は拍子抜けしたのと同時に、その静けさがかえって恐ろしかった。

 逃げるように、その場を去る。靴音だけが冷たい回廊に響いていた。


(早く、早く……)


 莉央は、恐怖から逃げるように足早に進む。


「斎公。お待ちを……」


 ついてきた女官を振り切るほどの速さを発揮していたのだが、そんなことでこの男から、逃げられるはずがなかった。


「斎公……」


 竦みあがったのと同時に、足が止まった。

 振り返りたくないが、どうしようもない。


「この先は行き止まりだったはずですが、どちらに行かれるおつもりだったのですか?」


 嫌味な聞き方だ。


「大……宰」


 声が掠れる。


「私は貴方が分かりません」

「何が……?」


 高圧的に訊かれて、莉央は一歩退いた。


「貴方が……。あの法を知らないわけがないじゃないですか」


 精一杯虚勢を張ってはいたが、膝はがくがくと震えていた。 

 きっと、王英には莉央の恐怖心などばれてしまっているだろう。


「では、何か、俺がお前の地位を乗っ取る気で、周囲に金をばらまくつもりだったとも?」

「―――なっ?」


 ……そうなのか。

 瞬時に莉央の顔色の変化を悟ったのだろう。王英は嘲笑した。


「愚かな娘だな」


 否定が出来ないのが苦しいところだった。

 王英は、さらりと踵を返した。灰色の長い袖が綺麗に弧を描いて、彼のもとに返った。


「即位祝いに、使者が来ている。謁見の間に来い」

「はっ?」


 莉央は己の耳を疑った。

 何処の領国からも、使者の言葉が莉央に伝言されるだけだったのに、今日に限って来いとは、一体どういう了見なのか?


「理由は後だ。あまり遅くなると志雄が応対しきれなくなるぞ」


 さっぱり意味が分からないものの、莉央は、無意識に、言われた通り王英のあとに続いた。


 広間には志雄ともうひ一人、男が待っていた。


「申し訳ありません。我が国には跪いて頭を下げる習慣がないので」


 立礼されたものの、長身なので、腰を折っても、莉央とそんなに背が変わらない。


(確かに、今……)


 たどたどしいものの、宋禮の言葉を喋っていた。けれども、金色の髪と、その格好。

 首を覆う純白の外套。皮製の道具で留めている下穿きも、莉央は初めて目にした。


(宋禮……、いや瓏国の人間ではない)


「貴方は、エスティアの……」

「聞いていませんでしたか?」


 ちらりと、男は王英を見遣った。大柄な王英も、男と並ぶと小さく見える。


「私は、キアノと申します。遅くなりましたが、斎公の即位を祝してエスティアより参りました」

「キアノ……」


 聞き慣れない名前だ。そして、この瞳の色。

 莉央は、既に一歩下がって畏まっている志雄に声をかけた。


「志雄? 貴方は……?」


 志雄は聞かれることが必然だったように、すらすらと答えた。


「私の母は、エスティア人なので、エスティア語は一通り、喋ることが出来るのです」

「そう……なのですか」


 宝石のような碧眼は、エスティア人の特徴らしい。


「一目、斎公にお会いしたいと思っていたのです。こうしてお会いできて、本当に良かった。志願してこちらに来た甲斐がありましたよ」


 キアノの茶髪が外から差し込む日差しに、きらきらと輝いた。

 おかしな男だ。領国の使者と会うのは、莉央も初めてではない。

 極力、莉央を政治から遠ざけている王英だが、領主が立ち会わなければならない外交もある。

 大抵、使者というのは、社交辞令か、額面通りの挨拶を並べて退散するものだが、この男はそうではない。自分の言葉で話しているようだ。


「私も初めて、エスティアの方とお会いしました。わざわざ来て頂いて有難うございます。今日は宋禮で、ゆっくりしていって下さい」

「そういうわけにはいきません。仕事も残してきていますので、今日中に引き取らせて頂きます。懐かしい話も出来ましたし……」

「…………懐かしい?」

「はい。以前、翠塾の慧月(けいげつ)先生がエスティアにいらしたことがありまして。私はその時、宋禮の言葉を教えて頂いたのです。大宰殿も、翠先生の門下にいらしたと聞いておりましたので、先生のお話を少し……」

「キアノ殿」


 王英が大きく咳払いをすると、キアノは首を傾げた。


「ああ。斎公は翠先生をご存知ないのですね。失礼しました」

「翠塾は、貴翔様に粛清されたのです。今の斎公もお許しになったわけではありません」

「いえ、私は……」


 そうではない。

 先ほど聞いたばかりの言葉に、莉央は驚いたのだ。

 (すい)という人格者が開いた私塾。


(そこに、王英がいた……?)


 王英は、莉央を一瞥したものの、すぐに視線を、キアノに戻した。


「キアノ殿。斎公は次のご予定がありますので……」

「それは、それは。大変失礼しました」

「志雄。キアノ殿をお送りせよ」

「承知いたしました」

「あっ、ちょっと……」


 手際よく、志雄がキアノを外に連れ出す。聞きたいことが生じた瞬間にこの処置だ。


「エスティアは、宋禮にとって重要な国なので、貴方にも使者と会ってもらいました」


 王英は努めて丁寧に告げた。警戒すべき人が周囲にいないのに、この態度は至極変だ。


「大宰。……貴方は」


 莉央に近づいてき王英は、小声で言った。


「翠塾について、耳にしたとか。それは、真かな? 斎公(さいこう)?」

「…………志雄が貴方に話したのですね? ――志雄は?」

「あの小僧にはお前との会話を聞かれてしまったんだ。子飼いにするしかないだろう」

「…………やはり、そういうことなのですか」


 いつ立ち聞きされたのかは分からないが、想像通り、志雄は、莉央の秘密を知っているようだ。


「翠塾……。懐かしい名だ」


 王英は、今日はもったいぶることなく、素直に口にした。

 莉央はそんな王英にただ狼狽えた。


「何故なんですか? 私は翠先生のことを優れた人だと話す農家の人を知っています。その生徒である貴方がどうして、税金で農家の人たちを苦しめようとするのですか?」

「道を踏み外したとでも? 俺はいつでも正常だ。目先の問題だけにとらわれていたら、あとで痛い目に遇うからな。今のお前のように」 

「どういう意味ですか」

「自分で考えろ」

「――ま、待ってください」


 莉央に興味をなくしたのか、王英はくるりと背中を向けた。

 重い下穿きが床を擦り、大きな紺色の冠が微かに揺れていた。 

 頭を振っているらしい。囁くような小声が莉央の耳に入った。


「分かっていないな。小娘。今、一番の敵が誰なのか、判断する目もお前は持っていないのか?」

「敵?」


 莉央は繰り返し唇に乗せることで、その言葉の意味を知った。

 翠先生は、先の領主の弟と親しかったのだと、耳にした。

 その弟は、謀反を企んだ罪とやらで、辺境に流罪となって無念の死を遂げている。

 翠塾の関係者は当然、領主を恨むだろう。


 ―――では……?


 領主の娘と名乗っている莉央は、彼らにとっては、忌むべき敵ではないのか?


 物思いに沈みながら、部屋に戻った莉央は、急いで香鈴を呼んだ。


「お呼びでしょうか。斎公?」


 香鈴は、机に向かっている莉央の背後で叩頭している。滑稽なほど仰々しい振る舞いに、普段であれば、やめくれと懇願するところだが、今日の莉央には時間が惜しかった。


「香鈴……」

「はっ」

「翠塾のことについて教えてください。貴方なら、何かご存知なのではないですか? 翠塾と王英。それと、宋鄭寺の祥玲様との関係を?」

「―――何故、…………それを?」


 莉央は、香鈴の顔色が変わるのを目の当たりにして、小さな溜息を零した。


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