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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第一章 出会い
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第一章 ④

 城への帰途。長く続く一本道を迂回して、農村に入った。

 宋禮の国土の大部分が、農地である。

 さすがに城下は商店となっているが、脇道に入ってしまえば、今の時分、鮮やかな緑の大地がすぐさま視界に飛び込んでくる。

 いろんな作物を育てている畑があるが、祥玲の言う麦を見に来るのであれば、宋鄭寺から程近い、この場所が一番だと莉央は思った。


斎公(さいこう)……」      


 領主・莉央は平民に名前を呼ばれることは、まずない。姓の一字と国王から授かった「公」の位を繋いで「斎公(さいこう)」と呼ばれるのだ。


(何が、斎公よ……)


 莉央はこみ上げてくる感情をぐっと飲み込んで、年季の入った演技を始めた。


「着きましたか……」


 馬車から降りる莉央に手を差し伸べたのは、先日の暗殺騒動の際に刺客達を追おうとしていた小柄な茶髪男だった。

 腰に差している剣が体に比べて大きく感じる。華奢な体格は、そんなに強そうではない。


「貴方、名は?」


 髪色よりも色素の薄い碧眼が、目立っていた。こんな瞳を莉央は一度も見たことがない。地上に降り立つと、男と莉央は同じくらいの身長だった。


(こう) 志雄(しゆう)と申します。先日、玉侍(ぎょくじ)に任じられました。斎公のおかげです」

「……そうですか」


 玉侍は、領主護衛の長のことを指す。順当にいったら、こんな若者が長になどになれるはずがないのだから、これはきっと、王英の仕業に違いない。

 先日の刺客の一件で莉央を護った手柄だろうが、すんなり王英がこの若者を出世させるのも不自然だ。


「……あの刺客は」

「えっ?」

「本当に刺客だったのでしょうか? 何か引っ掛かるのです。貴方は知らないですか? 私を襲った刺客が捕らえられて、どうなったのか?」


 志雄は激しく首を横に振った。


「も、申し訳ありません。大宰(たいさい)が取り調べたという話なので、私は一切……」

「そうですよね。おかしなことを尋ねました。忘れて下さい」


 莉央は、いつもの演技を続けながら、拱手している志雄の横を通り過ぎた。

 一つに結った髪を、風が梳かしていく。耳の上に香鈴が挿してくれた大きな花飾りが音を立てて震えている。


「―――強くない……」 


 莉央は呟いた。独り言のつもりだったが、しっかりと志雄は聞いていたらしい。


「何が……ですか?」 


 仕方がないので、莉央は答えることにした。


「風のことです」

「はあ」


 振り返ると、やはりあどけない。童顔に鋭い双眸だけが浮いている印象だった。

 莉央よりも少し年上? まさか、同い年ということはないだろう。


「あの、斎公。この位置にいると風は来ませんよ。ここは小麦畑。直接風に当たらないように、背の高い木々でぐるりと畑を囲んでいるのです。宋禮は風が強いので、今日のような日が幾日も続けば、畑の作物は全滅してしまいます」

「……そう、なのですか?」

「はっ。はい。恐れながら、自分はそう聞いております」 


 語尾は消え入るようだった。

 高く掲げた袖に、顔を押し付けているので志雄の表情を窺うことは出来ない。


「しかし、すべての畑を木で囲うことなど出来ないはず?」

「いえ。宋禮は小麦や米だけを生産しているだけではありません。風に強い根菜の場合は木がなくても大丈夫なので……」


 早口で捲くし立てる志雄の説明を耳にしながら、莉央は泣きたくなっていた。

 自領のことだ。軍部に在籍している志雄が農作物について詳しいわけがない。

 領民ならば、誰でも知っている常識なのだ。

 なのに、莉央は知らなかった。――何も分かっていなかった。

 ここに至るまで、王英は莉央を外に出したがらなかったし、領地で育てている作物の種類など教えてもらう機会もなかった。


「……私にはよく分かりません」

「えっ?」 

「たまに馬車の中から外を眺めることもありましたが、作物だと思ってみたことはなかったです。私は、景色の一つだと思って見ていただけ……」

「斎公は宋禮を背負って立たれるお方。仕方のないことです。それに、私は幼い頃から、いろんな仕事を点々としていたので、それなりの知識があっただけですよ」


 果たして、そうだろうか?

 どんなに期待されても、莉央はこの領地を背負って立つことは出来ないのだ。


 本物の領主ではないから……。


 しかし、その考え方は、先ほどの祥玲の助言を無視した後ろ向きなものだ。


「作物を見てきます……」

「お、お待ちください!」


 すたすたと緩やかな下り坂を下りていく。

 慌てて、志雄と待機していた大勢の護衛が追いかけてくる。

 面倒だったが、ついて来るなと命令を出すのも億劫だったので、そのままにしておく。

 近くまでいくと、ふさふさと柔らかい音を立てて、青い穂が揺れている様をじっくりと目にすることが出来た。

 祥玲の心配するようなことにはなっていないようだ。倒れている穂もない。


「おやおや、貴族様がこんなところで何の用かね?」


 志雄の言葉よりも、それを遮った甲高い声に莉央は反応した。


「まだ発芽してもいない麦を持ってこうったって、無駄だよ」


 軽い歩調で、こちらに近づいてくるのは寒そうな一重の着物姿で、頭に汚れた頭巾を被った老婆だった。


「いえ。私は取るつもりはなくて」


 莉央は領主だ。即位の際には、顔も見せているが、まさかこんな所に領主がいるとは、老婆も思ってもいないのだろう。睨むように瞳を細めているので、目も悪いらしい。


「何時、この青い穂が色づくのかと思ったのです。私は黄色く染まった小麦しか見たことがないので……」

「貴族の娘さんには、ただの雑草と食い物の区別すらつかないだろうね。この麦があんたの毎日食べている主食になるってことも知らないだろう?」

「何だと! このお方は」

「騒がないで下さい」


 自分の前に出た志雄を押しのけると、莉央は前に出た。


「その通りです。私は何も知らないのです」


 莉央は恥じるわけでもなく、さらりと言った。

 祥玲の影響だろう。いつもの莉央だったら、老婆に会った時点で引き返している。


「ふーん。面白そうなお嬢さんじゃ。貴族の娘にしては珍しい。私は阿沙(あさ)。お前さんは?」

「私は、莉央と申します」

「どっかで聞いたような名前だな……。まあ、そんなことは、どうでもいいか」


 老婆は皺だらけの顔をくしゃりと歪めて笑った。

 前歯は抜けていたが、愛嬌があって優しい顔をしていた。


「やがて、雨期がくる。小麦というのは水を含むと発芽するのさ。発芽すると、穂が黄色くなる。肝心なのは、完全な雨季に入る前、たった一日だけ訪れる晴天の日に刈りいれをすることだ。その日を逃すと、大雨に飲み込まれて食い物じゃなくなっちまう」

「晴れるというのは、何か予兆でもあるのですか?」

「風がのう。吹くのじゃよ。こう、びゅぉっとな。いつものとは違う風がな」

「そうなのですか……」


 今、吹いている風とどう違うのだろうか?

 尋ねようとしてた矢先に、老婆は話題をとっとと変えた。


「貴族の娘さんよ。あんたの父御は何処の役人なのかえ?」

「何処とは……?」

「農地関係の役人の娘だから、農作物について調べようとしていたんじゃないのかい?」

「わ、私は……」


 否定しようか、しまいか迷っているうちに、老婆は独りで話を進めていた。


「お嬢さんは、税の話については知らぬのか?」

「……税?」

「こないだ即位した領主様は、今回から去年の未納分も合わせて、倍以上の六割を納めさせるつもりでいるらしいと、噂でな」

「えっ!?」


 ――知らない。

 いや、莉央は老婆の話の渦中にいるはずなのに、まったく言葉の意味が通じていなかった。


「去年は酷い旱魃で、作物の育ちが悪かった。それを、考慮して領主様は、二割の上納でよいと、言って下されたんだけどなあ」


 莉央は黙って耳を傾けるしかなかった。まったく寝耳に水で、身動きすら出来ない。


「六割はきつい。何せ、領主様に六割を上納しても、この土地の地主に一割。県長に一割上納しなければならないんだから。残りの二割で一年など食いつないでいけるはずがない。もしも、そんな法がまかり通ってしまったら、わしらは新しい領主さまにたてついてでも生きていかなきゃいけなくなる」

「し、知りません!」


 莉央が必死の形相で否定すると、老婆は土のついた手を腰で拭いて、ぽんと莉央の頭に手を置いた。


「まあ、噂なら良い。ただ、こないだ即位したばかりの領主さんは、あんたくらいの年頃の娘さんだっていうじゃないか。農家の者の暮らしなど、よく分かってないんじゃないかと思うてな」

「そうですね」


  (いくら何でも……)


 権力者になりたくて、莉央を担いできたのは王英だ。

 手段は稚拙だが、その分、莉央の正体がばれないよう慎重に事を進めてきた男だ。

 ここに来て愚策を施行するほど頭が悪いはずはない。


(すい)先生が生きていたらねえ……」

「……翠?」

「……(すい)(じゅく)という私塾がかつてこの近くにあったのです。名門貴族の子息がこぞって学んでいました。今、城に詰めている者の中にも塾出身者がいることでしょう。きっと、自分からは名乗らないでしょうけれど……」


 今まで人形のように気配なく莉央の背後にいた志雄が、老婆と莉央の間に割り込むようにして入ってきた。


「…………何故、彼らは自分から名乗らないのですか?」

「貴方様がお生まれになる前の話です。先の領主様の弟君が謀反を起こそうとしていると疑いをかけられた事件がありました。その際、弟君の学問の師が翠塾の塾頭だったのです。あの事件で、弟君は監禁先で亡くなり、翠塾の塾頭は身分を剥奪されたのです」

「でも、翠先生は、みんなの面倒をよく見てくれたよ。高い身分の時も身分を剥奪されても、ずっと……。みんな分け隔てなくな。城勤めの役人にも顔が利くから、気になることがあると翠先生に聞いて、とりなしてもらったりしたな……」

「亡くなったんですか?」

「一昨年の冬に……な」


 莉央は言葉を失くした。前領主と、その弟の争いは何度か耳にしていたが、翠などという教師が存在したなんて、今まで一度も耳にしたことがなかった。 

 誰も話してはくれなかった。いや、莉央は誰かが話してくれるのを待っていたのだ。

 世界は広くて、いろんな人間で溢れているのに……。

 今まで莉央は自分から、知ろうともしなかった。


「……多分、大丈夫だと思います。税金のこと。私、ちゃんと調べるので……」

「調べる?」


 老婆は怪訝そのものだったが、莉央は軽く頭を下げると、来た道を引き返した。  

 馬車に自力で乗ろうとすると、当然のように志雄の手があった。


「城に戻ります……」


 決然と言い放った。 


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