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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第一章 出会い
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第一章 ③

 本当は、もう会うことはないとだろうと、思っていた。

 仮にも、この領地を支配している主である莉央が毎日ふらふら出歩くわけにもいかないだろう。――命を狙われたのだ。

 けれども、莉央は自棄になっていた。

 王英の言う犯人像は怪しさに満ちている。


(黒幕は野放しなのでは……?)


 ――ならば。

 襲ってみるのなら、襲ってみろという意思表示のつもりもあった。

 でも、何よりこの時間が愛おしくなっているのが真実だった。


「王都の維領(いりょう)は、駄目ですねえ。まったく覇気がなかった」


 今日も、祥玲は歌うように、扉の先で語る。

 彼の部屋の前には、来客用の御座が敷かれていて、それに座って莉央は扉越しに祥玲と話をするのが日課となっていた。もちろん未海の許可は取っている。

 伝染病なので、これ以上近づくことはできないが、過去の旅のことを、面白おかしく語ってくれる祥玲の体調が悪いようには思えなかった。

 莉央は瞳を輝かせながら、身を乗り出した。


「でも、私、とても華やかな都だと聞いていたんですよ?」

「建造物は、美しいかもしれませんが、そこに生きる人が溌剌としていませんでした。近いうちに、この王朝もお仕舞いですねえ。まあ、あれはあれで面白い旅でしたけど」

「おしまい?」


 あっけらかんと断定してしまうのが凄い。

 ……ならば、偽りの莉央が引き継いだ宋禮領などあっという間に沈んでしまうだろう。

 祥玲は、莉央の言葉を聞いているのか、いないのか、勝手にひとりごちている。


「覇気という点でいうのなら、お隣のエスティアの方がよほど活気に満ちていましたね」


 宋禮領は、瓏国の西の端に位置している。すぐ隣は、まったくの異国だ。文化も国民性も違っているのだ。


「エス……? 蛮国(ばんこく)のことですか?」

「それはこちらでエスティアを差別した呼び名ですよ。あちらの人達は自分たちのことをエスティア人と呼び、国名をエスティアとしている。国力も瓏国と引けを取らないんじゃないですかね。今は……」

「祥玲様は、異国語を喋ることが出来るのですか?」

「昔、少し塾で学んだ程度でしたが……。まあ、とりあえず、行けばどうにかなるもので、少しの間、留まったことがありました。あれはあれで、面白かったな……」


 口調はともかくとして、その声色からしても、この男、相当に若いと思う。


(……なのに、異国にまで足を伸ばして何をやっているのか)


「いつか……」


(いつか、行くことが出来たらいいのに)


 言いかけて、莉央は黙り込んだ。無理に決まっているのだ。そんなこと。

 ……しかし。


「そうですね! 旅は良いものですよ。一人よりも二人。一緒に行けたら良いですねえ。貴方にも王都の建造物と、エスティアの気風の良い市を見せてあげたいものです」


 祥玲が底抜けに明るく言い放った。


「……私と、祥玲様は一緒に行くんですか?」

「あっ。変な意味ではないですよ。純粋な好奇心に裏打ちされているだけですから」

「変な意味って?」

「うーん。逐一、懇切丁寧に教えてさしあげたいけれど、いや、そう言うと私は変なことを考えていたと認めることになりますね?」

「はっ?」


 益々意味が分からない。困惑していると、扉の先の祥玲が吹き出すのが分かった。


「何がおかしいんです?」

「いや、まあ、つまり貴方となら面白い旅が出来そうな気がしたんです」

「そうでしょうか?」

「もっとも、当分はお母様のことで手がいっぱいでしょうけど?」

「えっ……。あ、はい。そうですね」


 それは、宋鄭寺に参詣するため未海についた虚だったが、今更撤回することも出来なかった。


(みんな、嘘だらけだ……)


 本当は、いまだに祥玲と一度も面と向かって会ったことがないのも、莉央の心の底で違和感を覚えていた。


「貴方も若いのに大変ですよね。私が元気だったら、多少は薬についての知識もありますので、お母様のこと。少しはお役に立てたかもしれないのですが……」

「お気持ちだけでも、有難いです。正直、私、どうして良いのか分からなくて、ふさぎこんでいたので……」


 演技のつもりだったが、口走ってみてから気がついた。


(それだけは、本音だ……)


「実は…………。私と母は血が繋がっていないのです」


 さらりと告白した。

 この男になら、多少話しても良いのではないかと、常々思っていたのだ。

 祥玲は、やはり落ち着いていた。


「…………継母ですか」

「まあ。そんなところです」

「大変ですねえ」

「………………はい」


 不意に涙が溢れそうになった。

 今まで、莉央のことをそんなふうに労ってくれた人がいただろうか。


 ――たとえ、嘘だったとしても……。


「私は物心着く前に、継母に引き取られたんです。自分の子供が死んでしまった継母は、あくまで自分の娘を跡継ぎにするために、実の娘に似ていた私を攫って、自分の子供だとしました。だから、愛情なんてあるわけはないのです」

「でも、貴方はお母様のために度々参詣されているではないですか?」

「本当は、屋敷にいたくないだけです。実質的には母の親族が家業を牛耳っています。私は人形なので。でしゃばって余計なことをするより、外に出たほうが良いんです」


 祥玲は、「うーん」と唸ったきり、暫時沈黙した。


「私、思うんですけど」

「はい」

「貴方を本当の跡継ぎだと思って慕ってくれている人達もいるわけでしょう?」

「それは……。父亡き今は、名目上は私が跡継ぎです」

「じゃあ、貴方はその人たちだけのことを考えれば良いじゃないのですか」

「…………その人たち?」


 それは、つまり宋禮の領民のことだろう。


「血の繋がりなんて、たいしたことじゃないですよ。長い歴史で見れば、どんなに名君がいてもその息子がてんで駄目で、滅びてしまった王朝がいくつもあるじゃないですか」

「そうかもしれませんが。でも……」

「今の瓏国なんて酷いものじゃないですか。先代の叡台王(えいだいおう)から弱体化の一途を辿っているから様々な国が獲物を狩るのを待つかのように目をギラつかせている。叡台王の子だと名乗りを上げている、出世意欲満々の偽者だって結構いるっていうし、本当、ここの寺のように、神格化しちゃっている国祖が現状を知ったら、何と嘆くものか」

「えーっと。祥玲様?」

「ああ、すいません。つまらない話でしたか?」

「いえ……。やけに国の情勢に詳しいな……と思って」

「それは、詳しいですよ。飽きるくらい外の景色を見て来ましたからねえ」

「……面白い方ですね。祥玲様は……」

「それは……、莉央さん。私を褒めてくれているんですよね?」

「当然です。私、本音を話したことなんて一度もなかったんですから」


 莉央は膝の上に置いた手を握り締めて、崩れていた姿勢を正した。


「――有難うございます」


 心の底からの言葉だった。肩の荷が軽くなったようだ。

 ここに来て良かった……と、心底、思っていた。


「……あ、……風の音だ」


 がたがたと揺れる天井を見上げて、祥玲が呟いた。


「なかなか、激しいですね」 


 見上げると、燭台の灯が大きく揺れていて、天井からは、ぱらぱらと埃のようなものが落ちてきた。地下でもこんなに影響が出ているのだから、地上では相当吹いているに違いない。


「―――玲瓏……」


 昔、書物で目にした言葉だ。美しい響きだったので莉央はずっと覚えていた。


「豊かに実った農作物を揺らす嫋々とした風のことを、玲瓏と呼ぶ。宋禮の詩人もなかなかやりますよねえ」

「でも、玲瓏というのは、そよ風のことですものね。今吹いているのは突風だから、言葉の使い方が違っています」

「そんなに強いですかね? ここから外に出られないんで、確認の仕様がないんですが」

「―――本当に?」

「えっ?」

「……いえ」


 莉央は、喉から出かかった言葉を、寸前で止めた。

 祥玲は、病人だと言っている。伝染病だから、この部屋に閉じこもっているのだと。 


(だけど……)


 そのわりには、声には張りがあり、元気そうだ。

 まったく、隔絶した空間の中にいるのに、悲愴感の欠片もない。

 本当に病人なのだろうか。

 それに……。

 香鈴が手配したとはいえ、王英も絡んでいるのかもしれないのだ。

 ならば、未海だって、莉央が領主であることを知っていても、おかしくはない。


(知っていて、知らないふりをしているのか)


 ――一体、貴方たちは、何者なのですか?

 聞いてみたい。

 でも、聞いてしまったら、そこで莉央と祥玲の関係は壊れてしまうような気もする。

 祥玲の素性を質すということは、莉央自身も自分の口から秘密を白状しなければならない。 

 黙っていると、ぽつりと祥玲が告げた。


「莉央さんは、可愛い人ですねえ」

「……かっ、可愛い!?」

「気付いていないのが、また愛らしい」

「はっ? 一体、それは……」


 莉央には、世辞がよく分からない。

 顔も知らない相手の何が可愛いのだろうか?

 眉を顰めて、続きの言葉を促そうとしたが、話の流れは早かった。


「そうそう。じゃあ、外に出られない私のために、一つ、頼みを聞いて下さいますか?」

「は、はいっ!?」

「実は、今日のこの風。農作物に被害が出るのではないかと、私はそれが心配なんです」

「貴方は、一体……」

「莉央さんは、作物の具合が気にならないんですか?」 


 莉央は額を押さえた。

 寺で療養している貴族の子息が、農作物の心配をするなんて不思議も不思議だった。

 ――変だ。

 しかし、祥玲はこちらが呆れるほど、平然としていた。


「私はね。小さい頃から好奇心だけは旺盛で、以前農家の手伝いをして、暮らしていたことがあったのですよ。だから、その時の癖が未だに抜けず、強い風が吹くと、畑の様子がつい気になってしまうんですよ」


 それは、難儀な癖だ。


「お願いします。帰り際にでも、ちょっと様子を見てきて私に教えて頂けると有難いのですが……」

「様子って、どういう……?」

「小麦の穂が倒れていなければ、それで良いんです。……駄目ですか?」


 これは演技なのかもしれない。明らかに、不自然だ。


(もしも、これが謀略だとしたら……)


 莉央を狙った刺客は、まだ捕らえられていないのではないか?

 ふと、日頃抱えている疑念が頭をもたげる。

 ……でも。


「分かりました。私でよろしければ……」


 莉央は微苦笑しながら、うなずいた。


 たとえ、何であっても構わないと開き直ったのだ。


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