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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第一章 出会い
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第一章 ②

 宋禮領は、それほど広くはない。

 領内の隅から隅までを、馬であれば、三十日程度で駆けることが出来るらしい。

 瓏国建国から、三百年。

  小国の宋禮領は、近隣の大国に飲み込まれてしまうことがなかったのは、後ろに瓏国……ひいては、国王がいたからだ。

 元々、国祖の甥が辺境の監視のために移り住んだのが宋禮領の起源で、国祖の家臣が領主を務めている他領とは扱いが違っていた。


 ……現状、決して、磐石とは言いがたい瓏国の内情ではあるが、表立って国王を敵に回すような領地もなく、宋禮領の領主には己は王族の血を受け継いでいるのだという誇りだけが残った。


 だからだろう。

 他領では、領主の居住空間も屋敷と称されるが、宋禮領の場合「城」と呼ばれる。

 さぞや、豪華な造りになっているのだろうと、他領の領主を招くと、皆絶句する。ただ大きく、広いだけで、内装は質素そのものだ。

 城を支える幾つもの柱は立派だが、過去に張られていた金箔ははげてしまい、所々木目がむき出しになってしまっているし、玉座だって昔からそのまま使っているので、塗装ははげてしまい、ただ大きいだけの椅子と化している。

 裕福な商家の方がよほど良い暮らしをしているだろう。

 もしも、今までの宋禮領主達が自主的に質素倹約を心掛けてきたのならば、尊敬すべき祖先達だ。

 しかし、莉央は、彼らと血の繋がりがあるわけではなかった。


「またお出かけですか?」

「…………私が出かけると、何か不都合でも?」


 莉央は、後ろを振り向かずに毒づいた。

 どうせ、城にいたところで、莉央にやることはない。 

 この男に、良いように操られているお飾りの領主なのだ。


「……ほう。大層な口を叩かれるようになりましたな。領主様。一体、誰のおかげで昼間からほっつき歩くことが出来るとお思いか?」


 この男の名は、(ちょう) 王英(おうえい)という。

 幼子だった莉央を、城に連れて来て、領主の娘として養育したのは、この男だった。

 莉央は父であり前領主であった貴翔(きしょう)が死ぬまで、城はおろか、ほとんど部屋からも出ることがなかったので、一日に関わる人間は、数人の侍女と、この男だけだった。

 莉央にとって唯一の異性であり、育ての父に相応するものだが、この男が莉央に与えたのは、愛情ではなかった。

 今は、ひらひらした官服を身につけ、長い黒髪は、丁寧に豪奢な冠の中に閉じ込めているものの、元々武官の家柄なので、体はがっしりとしていて、大柄だ。

 独特の威圧感があって、恐ろしかった。


 莉央は、自室の付近に人がいないことに気が付いた。

 この男は人払いをすると、こうしてくだけた口調に変化するのだ。

 唇を噛み締める。

 口を出しても、手を出しても、この男と戦って、莉央に勝ち目はないのだ。


「私は……、大宰(たいさい)である貴方に、すべておまかせしていますから」 


「大宰」は、領主の次に権力のある人物を指す。

 前領主の死後、すぐさま、その座にこの男は就いた。

 主命であることになっているが、莉央はそんな命令を出していないので、この男の独断だろう。

 莉央の敬語は、この男から習った。

 臣下には敬語を話す領主として、莉央は好意的というよりは、変わっていると思われているらしいが、これは仕方ない。直すことが出来なかったのだ。

 莉央は、幼い頃からこの男に、何度も繰り返し、自分は偽物の姫君で、最下層の人間なのだと、刷り込まれてきた。


「まあ……、おまかせ頂いて恐悦至極と言いたいところだが……」


 王英はゆっくりと近づき、小声で囁く。


「命が狙われたそうだな?」 

「なっ……」

「おや。俺が知っているのがおかしいっていう顔をしているじゃないか?」


(……知っている?)


 莉央は凍りついた。


 ……あの日。

 莉央は付き添ってきた臣や、出迎えた女官に口止めをして、王英が自分のところに訪ねて来る前に、装いを改めたのだ。

 ばれるだろうとは予想していたが、王英が知っていたかと思うと、この男の掌の上で遊ばされていたような気がして、情けなかった。 

 暫時、無表情を仮面のように装着していた王英だったが、やがて少しだけ片目を吊り上げた。切れ長の黒眸に嘲りの色が浮かんでいる。


「愚かだな。お前の信頼している女官は俺の管理下にある。あの寺にお前が通っていることもお見通しだ。俺が知っていて当然だろう。そんなことも分からなかったのか?」 


 莉央は何も言わない。

 口を開かないことをいいことに、王英は自慢気に話を続けた。


「幸い、すぐに刺客は取り押さえた」

「嘘!?」

「ほう。刺客を捕らえたことが不都合とでもいうのか?」


 王英は、竦み上がるような白眼を莉央に向けた。しかし、莉央は気になっていた。

 あんなに、素早い行動をした刺客達が直ぐに捕まるものだろうか?


「一体、彼らは誰の差し金だったのですか?」

「お前と俺の反対勢力。徹底した前領主派の一人だ」

「名は? 黒幕がいるのではないですか?」

「いちいち、うるさい小娘だな。俺が対処してやったんだ。文句があるのか?」


 王英は、莉央の顎を掴んで上に向かせた。


「…………偽物のくせに」


 王英の冷たい声が莉央の傷を抉る。

 精々莉央にできるのは、この男に分からない程度に、拳を握る程度だ。 


「あれは、今の季節だったかな。陋巷で死にかけていたお前をここに連れてきたのは」


 王英は嫌味を言う時だけは、楽しそうだ。

 腹立たしいのを通り越して、もはや淡々と観察するしかない。


「本当に、先の領主は馬鹿に磨きがかかっていたな。死んだ娘と陋巷の孤児の区別すらつかないなんて……」


 そして、顎を擦りながら、ゆっくりと莉央専用の緋色の椅子に腰をおろす。……と、王英の重そうな黒の袖口から、灰色と白の着物が垣間見えた。

 前領主の喪は、とっくに明けている。

 現に莉央は、白の喪服から派手ではないものの、通常の装いに戻っている。

 だが、この男は過剰にこういう演出をするのが好きなのだ。

 前領主を慕っていたことを周囲に嘯いているくせに、それと同じ口で、莉央の前で前領主を罵倒する。 

 そう……。

 前領主・貴翔(きしょう)は、ほとんど一人娘の莉央と会おうとはしなかった。

 生まれてもいない息子に、家督を継がせたいと切望していたのだ。

 しかし、そんなことは土台無理だった。

 領主は体が弱かったのだ。たった一人の娘を、この世に遺すことがやっとだった。

 その娘すら、年端もいかないうちに流行り病で死んでしまったのだから、不憫としかいいようがない。

 娘など、生まれた時からまったく興味がなかった領主は、自分の死を覚悟するまで、莉央と口を利こうともしなかった。


 だから……。


 王英の姉であり、前領主の妻は我が子が死んだことを領主に知られることなく、拾ってきた孤児とすりかえることが可能だったのだ。

 確かに……、王英にはそうせざるを得ない事情があった。

 歴代の領主は、人格者として領民には評判が良いが、権力争いは絶えなかった。

 現に、前領主の時代に領主の弟が謀反の疑いをかけられて、獄死した。

 その弟側とも緊密だった張家、そして王英は、莉央が正式に領主を継ぐまで、重要な官職に就くことは許されず、辛酸をなめてきた。ここにきてようやく返り咲くことに成功したのだ。

 王英は、莉央が領主についたことで、官吏としては最高位の大宰の位を手にしたのだ。


(汚い……)


 けれども、その姑息な手の中にいなければ、生きていけないのが「宋禮領主 莉央」という創られた人間なのだ。


「まあ、今のところは好きにすれば良い。前領主の喪に服すふりでもしろと、お前を遠ざけたのは俺だ。とっとと出て行くが良いさ。……しかし、不思議だな」

 王英が近づいてくる。莉央は後ろに何歩も退き、部屋の壁に背中をぶつけた。

「…………っ」

「何故、お前は逃げないんだ?」

「えっ?」


 王英の冷たい瞳の中に、莉央の顔が映りこんでいた。


(どういう意味?)


 しかし、王英はそれ以上追及することなく、話題を変えた。


「まあ、いいさ。お前は今のところ領主だ。人形とはいえ、やってもらわなければならぬことはある。精々、優秀な衛兵を沢山つけることだな」


 一方的に皮肉をぶつけて、去って行く。


「大……」


 言いかけて、莉央は言葉を飲み込んだ。

 もしかしたら、宋鄭寺の祥玲について、王英が何か知っているのではないか? 

(でも……)


 それを訊いたら、もしも、王英が祥玲の存在を知らなければ、彼があの寺から追い出されてしまう可能性がある。


(それは、駄目だ)


「……何でも、ありません」

「ふん」


 莉央は、すべての政務を王英に受け渡しているので、彼も忙しいのだろう。たいして、気にするでもなく、その場から出て行った。

 空虚な部屋の中で、莉央は壁に背中を預けたまま、ずるずると床に座り込んだ。

 少しの時間でも、一人にしてもらいたかった。

 けれども、気持ちとは裏腹に、すぐさま、扉の外から声がかかった。


香鈴(こうりん)です。……あの、少しよろしいでしょうか?」


 莉央はゆるゆると、顔を上げた。許可する前に引き戸が開いた。


「失礼します」


 香鈴は、素早く部屋の中に入ってくる。

 長すぎるでもなく、短すぎるでもない薄茶の髪を緩く一つに束ね、水色の上着に純白の裳が視界の中心に入った。

 莉央よりは年上だが、彼女は母親の後を継いで女官になったので、女官の中でもまだ地位は高くない。


「貴方も、強引ですね」


 莉央は溜息交じりに言った。きっと、たいした用がないから、女官長に見つからないように、素早く室内に入って来たのだろう。

 香鈴(こうりん)は、莉央の素性を知っている数少ない人物である。


 彼女の母親・香蓮(こうれん)は生前、莉央の母に仕えていた女官長だった。莉央は当然のように母からは愛されなかったので、実質莉央を育て上げたのは、香蓮であった。


「女官ごときに、敬語はやめて下さいと、あれほど……」


 いいかけて、莉央の顔色を察知した香鈴は、足早に莉央の近くにやって来た。

 声を落として問う。


大宰(たいさい)が、また何か?」

「……私が宋鄭寺(そうていじ)に行っていること。刺客に襲われたことを王英は知っていたようです」

「――――も、申し訳!」


 莉央は目を閉じ、頭を振った。


「気にしないで下さい。特に行くのを止められたわけではありませんし。責めているわけじゃないんです」


 莉央は裾の汚れを手で払いながら、立ち上がった。


「引きこもってばかりいた私を気遣って、貴方があの寺を紹介してくれただけでも、私は嬉しいのですから」


 香鈴は完全に落ち込んでしまったらしい。

 つい口にしてしまった自分の言動を後悔していたが、今更莉央も撤回できない。

 慌てて、何か会話の糸口を探した。


「そういえば、香鈴と未海様は何処で知り合ったんですか?」

「…………生前、父が、宋鄭寺にはよく通っていたもので」


 香鈴の母の話は、よく耳にするが、父の話は初耳だった。


「香鈴のお父上は、どんなことをされていた人なんですか……?」

「私の父は役人をしていました。もう随分昔に亡くなりましたけど」

「そうだったのですか……」


 香鈴は笑顔を取り戻すと、深々と頭を下げた。


「私のせいです。貴方が危険な目に遭ったと聞いて、もっと警備を増やして欲しいと、大宰に交渉したのです。でも、実際増えてはいないようですし。大宰は何を考えているのか分かりません」

「犯人は捕まえたので、もう良いと思っているのではないでしょうか?」

「いいえ!」


 香鈴は、語気を強めた。


「どうぞ、私をお連れ下さい。こう見えても、武術は子供の頃から習っていたんです」

「私なら、大丈夫ですから。気にしないで下さい。香鈴」

「…………ですが」

「香鈴」


 念押すと、渋々香鈴は黙り込んだ。

 断じて、莉央は香鈴が嫌いなわけではない。

 莉央を領主としてだけではなく、一人の人間として大切に扱ってくれるのは香鈴くらいのものだ。


 だけど……。彼女は莉央の秘密を知っている。


 莉央が領主の娘でないことを知っている人間は、王英の指示で動いているのだと、莉央はもっと自覚するべきだ。


「何か用がない限り、貴方はここに来ないほうが良いと思います」

「……あ。いえ、用はあります。馬車の用意が出来たと……」

「そうですか……」


 莉央は、今朝起きてから、初めて力を抜いた。

 ようやく、……あの人のもとに、行くことが出来る。


 長い袖をひるがえして、莉央は香鈴の横を通りすぎた。


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