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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第五章 戦い
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第五章 ➀


  祥玲を常に自分の傍らに置くということは、莉央が珍しく頑として譲らなかった命令だった。

 彼がいてくれれば、莉央はこの緊急時に、自分を保つことが出来るし、何よりエスティアについて、事情を知っているのは、祥玲以外誰もいない。

  野蛮だと決めつけている臣下達は、誰一人としてエスティアに足を運んだことはないのだ。

  莉央は、祥玲に今後の方策を訊いたが、祥玲は莉央の好きなようにすれば良いと言って、指示を出さなかった。

  これでは、彼がここにいる意味がいなのではないかと、腹も立ったが、しかし莉央は、すぐに思い直した。

  人まかせにするなと、祥玲は言いたいのではないか。

  そう察した莉央は、すぐに各官に兵站の準備と並行して、国王と、隣の光西(こうさい)季靖(きせい)紫天領(してんりょう)にまで援軍を寄越すように使者を出した。


 部屋に呼び集めた臣下たちは、すぐさま四散した。


「やりますね。莉央さん」

「はっ?」


 特に、特別なことをやった記憶はない。

 莉央は応急処置をしただけだし、他に思いつかなかっただけだ。

 未だ、エスティアに対する情報も、王英に対する情報もほとんど入ってこないのだから手の打ちようもないだろう。


「でも、隣国が援軍を出してくれるなんて、保証はありません。私は、隣国の領主の名前さえ、うろ覚えなんです。本当は、エスティアとの和解の方法を模索したいのですが」

「それは、無理でしょうね」

「何故? 私には分かりません。エスティアは瓏国の何が気に入らないのですか?」

「別に、個人的に莉央さんが嫌いなわけでも、憎いわけでもないのでしょうね。ただ、瓏国が欲しいだけなんですよ」

「犠牲を払ってまで、そんなにまでして、瓏の国は、エスティアにとって、欲しいものなのですか?」

「国が広ければ、いろんなことが出来ますよ。エスティアは寒い土地ですし、海も遠い。瓏国に出向いた方が海に出るのは、早いです。それに、瓏国(ろうこく)を併合し、瓏国人を奴隷にすれば、安い人件費で、こき使うことも出来ます。農作物なんか食べ放題ですよね。こちらは瓏国も、宋禮もごたついていますからね。丁度良い機会です」

「……そんな」


 莉央には、理解出来なかった。

 幼い頃から、仮初の領主となるべく教育を受けてきたが、他国に攻め入ることを、考えさせられたことはなかった。

 ……莉央が子供だから?

 偽物の領主だから、エスティアの国王の気持ちが分からないのだろうか。


「エスティアの方が、瓏国よりも活気があるのでしょう? 勝てるはずがないじゃないですか」

「勝てない戦だから、貴方はしないのですか?」

「私は……。戦いの意味が分かりません」

「私にも分かりませんよ。莉央さん。……ただ、おかしなもので、国というのは他国に舐められてしまっては、体面が保てないという難儀なものです」

「まるで、戦争するのが当然のような言い方ですね?」

「いずれ、そうなるのは分かっていましたからね。ならば、こちらから仕掛けるしかないじゃないですか」

「あ、貴方っていう人は!?」


 莉央は、祥玲の言わんとしていたことに気付いて、思わず胸倉を掴んだ。

 ――が。


「私を幻滅しますか。王英を罵倒しますか? 私や王英がどんなことを考え、どうして、こうせざるを得なかったのか、実際、どういった策を長期間練っていたのか、貴方は知らないのに、ただ批判だけをするのですか?」

「…………私は」


 莉央は祥玲から手を放した。


「祥玲様と、王英は一体、何をしたんですか?」

「王英は途中まで本当に貴方を譲位させるつもりだったのでしょう。しかし、それがエスティアに漏れていることを知り、策を急遽変えた。貴方を政略結婚させるという情報を流すことは、王英の策です。私もそれに乗ることにしました。偽りの情報を志雄に持たせたんですよ」

「…………志雄が間者だというのですか?」


 莉央はいても立ってもいられずに、廊下に出た。

 珍しく大声で、人を呼ぶ。

 女官長を通して、莉央のもとにやってきた香鈴は恭しく傅いた。

 私室には、祥玲と香鈴と莉央しかいない。


「志雄は今、何処に?」


 香鈴は莉央がすべて知っていることに気付いたのだろう。直ぐに告白した。


「お許しください。私は王英様のご命令で志雄を監視しておりました」

「…………監視?」

「志雄は捕らえて、牢に入れております」


 莉央は、腕を組んだ。

 昨夜、あんなふうに身の上話をしてくれた男が今、牢に入れられている。

 想像がつかなかった。


「……志雄と、会うことは出来ませんか?」

「貴方は、また何をおっしゃっているのです」

「何故?」

「エスティアは敵です」

「だから?」

「斎公……」

「たくましいですね」

「感心してどうするんですか。祥玲様!」


 香鈴が叫ぶ。……が、祥玲は涼しい顔を崩すことはなかった。


「―――いや。実はね。香鈴さん。私も、志雄が莉央さんを私の所にまで導いたのは、意外だったんです。彼はその気になれば逃げることが出来たんじゃないかと」

「祥玲様まで……」


 渋る香鈴に、莉央は微笑みかけた。


「香鈴。牢に案内を……。貴方に案内するつもりがないのであれば、私が自分で行きますが」

「何処で覚えたんですか。そんな脅し文句」


 そう言う香鈴の視線が、祥玲に向かっていたが、当の本人は素知らぬ顔だ。

 香鈴は暫く逡巡していたが、莉央がもう一度頷くと、


「ついて来てください」


 背中を向けて、広い廊下に出た。

 莉央は領主ではあったが、牢に出向いたことは一度もないので、場所すら知らない。

 香鈴は迷うことなく、城の階段を下り続けた。

 息切れしながら、辿り着いたのは、城の地下だった。

 螺旋階段の入口に立つ衛兵には、莉央が目配せすると地下へ続く扉は難なく開いた。

 靴音が闇の中に、大きく響き渡る。

 祥玲が潜んでいた地下室よりも、じめじめして、寒かった。

 目についたのは、冷たい石壁からにじみ出ている濁った水だった。昨夜の雨が地下に浸水しているらしい。

 香鈴は地下室の入口に置いてあった手燭に火を入れて、高く掲げながら、早足で歩を進めた。祥玲が莉央の手を取って、足場を確保してくれる。おかげで莉央は長い緋色の裾に躓かないで歩くことが出来た。


「ここです」


 数室ある鉄格子の奥を香鈴が指差した。彼女の口からは、白い湯気が上がっていて、今更ながら莉央は冷えた体を擦った。


「志雄……」


 呼びかけると、闇の中で人の動く気配がする。

 莉央は香鈴から燭台を借りた。


「斎公ですか……」


 特にいつもと変わらない声が莉央の耳には届いた。

 明かりを傾けると、特徴的な碧眼が宝石のように輝いた。


「……志雄。どうして?」


 莉央は、思わず牢の格子に一歩、詰め寄った。


「貴方は、刺客に襲われた私を守ってくれたじゃないですか?」

「あれは偶然ですよ」

「嘘です!」


 莉央は珍しく怒鳴った。


「貴方は、私を殺そうとした王英とは違っています」

「凄いいわれようですね。王英」


 しかし、反応したのは、志雄ではなく、祥玲だった。

 莉央は、あの時のことを思い出して、身震いした。

 無数の矢が莉央を掠めたのだ。あれが演技だとしたら、最低最悪ではないか……。


「…………私は、死にそうになりました」

「だけど、私が異変に気付いて、間に合いました。もしも、王英が本気で貴方を殺すつもりだったら、わざわざ宋鄭寺の近くでやるようなことはしないでしょうし、腕の良い弓師を集めているのに、狙いをはずすようこともしない。どうせやるならば、直接、剣にするか、毒を盛ることも出来ますし、まあ……、もっと、あっさりと、すっぱりやるはずです」

「あっさり……、すっぱり……?」


 身も蓋もない言われようだ。

 しかし、祥玲の言い分は一理あった。証拠がないのは、もとより、そういった点に整合性を感じ取れなかったので、莉央は王英に詰め寄ることが出来なかった。


「しかし、王英も、まさか莉央さんを襲った相手と志雄が戦おうとするなんて、思ってもいなかったのでしょう。エスティアにとっては、彼女が何者であろうが、いなくなってもらったほうが良い存在でしょうし」

「なるほど」


 そこで、初めて志雄が口を開いた。


「大宰の策とは、それだったんですね。私も間抜けだな」


 久しぶりに彼も喋ったのだろう。声が小さく、かすれていた。


「私は大宰に誘導されていたのですね……。あの方は、わざと私を出世させて、自分と斎公の側に置いた。政略結婚の話を、私がエスティアに報告することで、一気に戦に傾くように仕向けた。私が盗み聞きすることは、貴方達にとって、計算内だった」


 祥玲は、しゃがんで志雄に目線を合わせた。


「貴方も違和感を抱いていたようですが、それが何なのか分からなかったのでしょう?」

「裏はあるとは、思っていましたが、戦うつもりだなんて思ってもいませんでしたよ」


 志雄は特に普段と変わらなかった。こんな状況にあっても静かだ。

 もしかしたら、覚悟をしていたのかもしれない。


「本当、キアノ副官の言う通りでした」

「……キアノが貴方に何か?」

「キアノ殿って、先日のエスティア人の……」

「莉央さんも会ったのですか?」

「はい。キアノ殿は翠塾をご存知のようでした。私はそれで、王英が翠塾出身だったと知ったんです」


 そういえば、今まで祥玲に訊くことを失念していた。

 翠塾のことを知っているのならば、当然キアノは祥玲のことも知っているはずだ。


「キアノは、翠先生が存命だった頃からの私の知り合いです。彼のことだ。新しい領主の莉央さんが物珍しくて、宋禮に見に来たのでしょう」

「…………丸め込まれる、と言ってましたよ。貴方に」

「彼らしい皮肉だな……」


 祥玲は欠伸交じりに告げた。


「大体、政略結婚なんて、ありえませんよ。対等の関係であれば、エスティアも受け入れたでしょうけど。今の状態では、無理、無理。完全に宋禮の分が悪いですから」


 それは、がっかりだった。莉央は最終的にそれで決着が図れるのならば……と思っていたのだ。


「大宰ならば、あるいは……と思ってしまうところがありました」

「……王英ならやりかねない危険性はあるのですが。結局のところ、この結婚を成立させるためには、私が公位に就かなければならない。――でも、私には微塵もその意思がないわけだから、意味がないと、さすがにあの王英も気付いてはいるでしょう」

「大宰は……」


 膝を抱えて丸くなっていた志雄が姿勢を正した。


「…………生きていらっしゃるのでしょうか?」

「さあ。連絡はありませんから分かりませんが、彼が生きていなければエスティアを油断させる計画は台無しですからね」

「それを承知で、王英は、エスティアに旅立ったのですか?」


 本当に、何がしたいのだろう?

 行くと耳にした時から、危険だと思っていたが、本人も覚悟の上だと知れば、尚更、どうしようもなかった。


(愚か者は、どちらなのだろうか……?)


「危険どころの騒ぎではないですよね……」

「私の仲間が大宰には同行しています。命が危険だと思います」


 志雄は淡々としていた。


「それは、どういう……」

「宋禮とエスティアの混血児。半端者同士の幼馴染です。今回、私が通訳に推挙したので、大宰に同行していると思います。急いで救ってくださいといっても、間に合わないでしょうね」

「王英が間抜けにも、自分の策に引っ掛かって、死んだとして……」

「祥玲様。その言い方は……」


 香鈴が睨んだ。


「まあ、ここは死んだとして……。そんなことしたら、貴方のお仲間だって命がないではないですか。そこまでするほど、エスティアは良い国でしょうかね?」

「さあ」

「せっかく、推挙してもらったのだから、王英に仕えるという手もあるのに」

「無理ですね。前領主の治世、長い間、ずっと混血児というだけで虐げられてきましたから。鬱憤が溜まっています。ここで手柄を立てれば、エスティアからは出世を約束されています」

「貴方は、玉侍まで出世したじゃないですか?」

「それは、大宰の策だったのでしょう?」

「たとえ策でも、力のない者を出世させるような男じゃありませんよ。あれは……。お仲間はともかく。貴方には宋禮に地位もあった。心の何処かでこのままで良いと思ったこともあったのでしょう?」

「違います。私は……」

「志雄。貴方も逃げようと思えば、いつだって逃げられたのに、どうして逃げなかったんですか?」

「斎公……」


 莉央は祥玲と並ぶ形で、しゃがんだ。裾が濡れた床についていたが、別にどうでも良かった。


「私は……、逃げたくても、逃げ方さえも分からなかったんです。逃げても良いと周囲に言われながらも、結局逃げる方法も、勇気すらなかったんですよ」


 ――行き場がない。

 この男もそうだったのではないか?

 宋禮とエスティアの狭間にいて、自分の居場所を見出すことが出来なかった。


  (私と同じじゃないか……)


「香鈴……。志雄を、牢から出すことは出来ないのですか?」

「それだけは、いけません。今、志雄だって、自白だってしたじゃないですか。これから、蛮国について知っていることを全部吐かせて……」


 香鈴がしどろもどろに、言う。

 ……しかし。


「彼がそんなに、エスティアについて知っているとは思えませんよ。私は莉央さんの考え通りで良いと思いますが。香鈴さん。彼をここから出しましょう」

「なっ……!」


 激昂をそのままに振り上げた拳を、香鈴は石壁にぶつけた。


「何をおっしゃっているんですか。祥玲様。この男は!」

「私はいたって真面目です。彼が簡単に捕まったのは、自分で自分自身の命を諦めたからでしょう。逃げようと思えば、貴方と戦ってでも、彼は逃げ果せたはずです」

「もしかしたら、そうかもしれません……けど。……しかし」

「貴方もここから出て信頼を得たいでしょう。志雄」

「――私を、牢から出して、それでどうするというのです。斎公?」

「それは……。…………し、仕事を」


 咄嗟に言い放った莉央の言葉に、志雄は眉根を寄せた。


「仕事とは? それはどんなことですか? また間諜でもやれとでも?」

「……それは、その」

「よく分かりましたね。志雄。その通りですよ」

「はっ?」


 莉央と同時に志雄も香鈴も驚いた。


「貴方、エスティアに行って下さい。……まあ、貴方がエスティアの要人とどの程度親しいのかは、分かりませんけど。とりあえず、帰ったら、宋禮領内がもめていて、兵力もたいしたことがない。援軍も来ないと伝えておいて下さい」

「祥玲様!」


 香鈴が声を張り上げた。


「そんなことをしたら……」

「相手の油断を狙いたいのです」

「私が貴方の言う通りにしたかったら、どうなるのです? 逃げるかもしれませんよ」

「さあ? 私にも分かりません」


 莉央にもよく分からない。けれど、莉央は即座に頭を下げた。


「香鈴。頼みますから、どうか出してあげて下さい。お願いします」

「貴方がそんなことする必要はないじゃないですか?」


 香鈴は呆れ顔から、笑顔になった。


「貴方は私に命じれば良いのです。私の主は王英でも、祥玲様でもありません」

「でも、私は……」

「偽物だと? そんなこと関係ないと、何度も私は口にしていました。信じていただけないのは私の不徳ですね」


 衛兵から預かってきたのだろう。袖の中から鍵を取り出した香鈴は、格子の小さな扉を開ける。志雄は開いた扉から出ることをためらったが、すぐに扉を潜って出てきた。

 莉央は志雄を見上げて、頷いた。


 ――逃げても良い。


 莉央はそう思っていた。


 祥玲の命じたことは、危険なことだ。忠実に実行したら志雄の命がない。

 志雄の仲間のことは、王英の消息と同様分からない。

 もしかしたら、残念な結果になっているかもしれないが、それでも……。

 志雄の命をここで奪うのは、嫌だ。

 志雄は、複雑な顔をしていた。

 そんな彼の耳元で祥玲が何事か囁いた。

 わずかに、志雄の顔つきが変化したものの、祥玲は志雄の変化を受け入れつつ、微笑する。


 その微笑がやけに冷たく見えるのは、どうしてだろう?


 莉央は、王英とは違う恐怖を祥玲に感じていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] そうだったんですか! ぜひぜひいつかお時間のある時に 春のお話を読んでみたいです! 私的にはキアノの気になりますが(笑) なんか彼も一癖も二癖もありそうで すごく魅力的な登場人物のように思え…
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