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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第四章 雨夜の訪問
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第四章 ⑥

 目が覚めると、朝だった。


 目映い日差しが莉央の頬を撫でるので、寝返りを打つと、そこで初めて、自分がふわふわの寝台で眠っている事に気がついた。


(あれ……?)


 ここは莉央の寝床だ。証拠に、一人で眠るには無駄に広く、目に痛い金色がふんだんに使われている。


 ……おかしい。


 上体を起こして、自分の姿を見下ろしてみれば、いつも身につけている上質の寝巻き姿だった。


「斎公!」


 香鈴がすっ飛んできた。

 水差しを用意してくれていたらしい。

 乱暴に盆ごと寝台の脇の卓に置くと、心配そうに莉央を覗き込んだ。


「お加減はいかがですか?」

「大丈夫ですけど、私は一体?」

「宋鄭寺の僧が運んで下さったんですよ。粗末な着物を着ていたので、私が改めさせて頂きました」

「…………はあ。でも、私は、昨夜、志雄と」


 昨夜は確か……?


 不意に恐ろしい出来事を思い出した。


 みるみる顔が熱くなるのが自分でも分かる。


「どうしました? 斎公。お顔が真っ赤ですよ。やはりお加減が?」

「これは、そういうのではなくて……」


 祥玲が莉央を眠らせたのだ。しかも、いつ淹れたか分かりもしない茶を口移しに飲ませた。これで信じろという方が酷い話だ。

 莉央は無意識に、ごしごしと着物で口元を拭くと、勢いよく立ち上がった。


(そんなこと、どうだっていいのよ)


 祥玲と会ったことはどんな結果を生むのか?

 あれから、彼はどうしたのか?


 莉央には、さっぱり分からないが、祥玲は力になると言ってくれたようだし、これ以上のことは、考えたところで仕方ない。

 エスティアが攻めてきている事実は変わらないのだ。

 私情にかまけている時間なんてない。


「志雄は何処に?」

「志雄は……」


 香鈴の言葉を遮るように、


「斎公!」


 扉越しに低い声が飛んできた。

 莉央が命じたのならばともかく、官吏が莉央に取り次ぎを求めてくるのは稀なことである。


「エスティア……ですか?」


 先回りして問うと、香鈴が慌てて、莉央の着替えの準備を始めた。


「いえ……」

「はっ?」


 紫紺の衣を莉央の背中に羽織らせて、香鈴の手が一瞬止まった。肩透かしを食らった気分になったが、気を取り直した。


「では、一体何事なのでしょう?」

「斎公直々の面会を求めている者がおりまして……」

「今は、それどころではありませんので、帰って頂くようにお伝えして下さい」


 そう命じながらも、莉央は小首を傾げた。

 何か引っかかる。


「その者の名は?」


 莉央は嫌な予感を抱えつつ、頷いた。


「それが、斎公の親戚だとか、何とか……。一応、今が今なので、お耳に入れておこうかと。すぐに引き取るようにと伝えます」

「いえ。通してください。広間に。―――今、行きます」

「斎公」


 鮮やかな手並みで、着替えを終わらせた香鈴に莉央は微笑みかけた。


「香鈴……」

「はい?」

「近々、着物の着方を教えてください」

「えっ?」


 莉央は香鈴に微笑を返し、その先を封じた。

 ゆっくりと、大広間に向かう。

 名前の知れた客人をもてなす時だけ、城で一番広いこの部屋を使うのだ。

 金と白で装飾された壁に、天井には一面宋禮の花々の絵が描かれている。

 床は光沢のある白石で、歩を進めるとかつかつと音が鳴った。

 一堂に家臣が集まっていた。

 この非常事に、好奇心旺盛なことだ。

 こんな所に集まるようになど、莉央は命じていない。


 彼と会うには、格好の場所だった。


 ーー陽光に、目映く反射する部屋の中。


 莉央の予感通りだった。

 その男は、濃緑の衣を身につけていた。

 あの……、宋鄭寺の前に広がる森のような深い色だった。

 頭を垂れているので、顔は見えないが、ぼさぼさだった黒髪は綺麗に整えられ、頭は白地の布で団子状に一つに束ねられていた。


 どう見ても、立派な上位貴族だ。

 本来、この男はこういう男なのだろう。快活で華があって、才気に溢れ、人を惹きつける魅力を持っている。


 莉央には、ぼさぼさ髪で小汚い着物をまとっていたあの男が、遥か遠くに感じられていた。


 彼が昨夜の言葉をひるがえして、宋禮のためを思い、譲位を求めてきたのなら、莉央は素直に応じるつもりでいた。


 そしたら、もうこの男とも本当に会うことはなくなるだろう。

 いや、この国の緊急時だ。多少、莉央にもできることもあるかもしれないが……。それでも、同じ立ち位置にはいられない。


 莉央は憮然と、その男の前に立った。

 彼より一段高い壇上にいるため、自然、見下ろす位置となった。


「顔をあげて下さい」


 弱々しく指示を出すと、男は今までのゆったりした所作が嘘のように、きびきびと顔を上げた。

 そこにいるのは、誰もがはっと息を呑む堂々たる美丈夫だった。


「――お初にお目にかかります。斎公。私は先の領主・貴翔(きしょう)様の弟・玲宝(れいほう)が一子。祥玲(しょうれい)と申します」

「――祥玲……殿」


 莉央も初対面のふりをして、瞳を見開いてみせた。

 家臣たちが面白いくらい、ざわついているのが視界の隅に入り込む。

 ふてぶてしい挨拶である。

 初めてどころか、莉央は、昨夜のこの男の唇の感触まで覚えているくらいだ。


「我が父・玲宝は貴翔様の逆鱗に触れ、獄中で息を引き取りました。私は父と共に死んだこととなっておりましたが、実は、幼かったため、父の知人に引き取られ、今日まで、玲宝の息子とは名乗らずに生きていたのです。父が犯したのは、大逆の罪。お許し頂けない重罪であることは承知しておりますが、何卒、私からも、斎公にお詫びを差し上げたいと思い……」

「許します」


 皆まで聞かずに、莉央は断言した。

 咎める気もなければ、祥玲のいかにも長そうな口上を聞くのも面倒だった。

 それに……。

 莉央は、ここで自分に引導も渡さなければならない。

 演技と本心がない交ぜになった状態で、莉央は口を開いた。


「玲宝殿のことについては、私も父、貴翔が存命中の頃から、胸を痛めておりました。いつか時が来たら、玲宝殿の家族にお会いしてみたいと思っていたのです。実は……、もしも玲宝殿のお子と出会うことがあれば、為さなければならぬことがあると、私は、予てより心を決めておりました。玲宝殿は潔白であられた。我が父は、潔白であった自らの弟を殺したのです。これこそが大罪に当たると。ですから、私の公位は……」 

「何と!」


 祥玲は、癖のある微笑を口元に漂わせると、大げさに拱手した。


「斎公御自ら、そのようなお言葉を頂戴することが出来るとは、父も冥府で喜んでいることと思います。有難き幸せでございます」

「いえ……。あの、祥玲……殿?」

「時に、私がここに伺った真の理由は、隣国との戦争が一触即発の状態だと、知人から聞き及んだ故のことです。この緊急時に、宋禮の領民として、いても立ってもいられず、恥ずかしながらもこうして参上した次第です」

「は……、はあ?」

「私はこの非常事態に、斎公のお力になりたいのです。確かに、父は潔白だと私も信じておりますが、当時の私は幼かったゆえ、父の何も分かっていなかったのかもしれません」


 そんなはずはない。

 玲宝は無罪だ。


 証拠はないけれど、莉央には分かっていた。祥玲と翠塾を見ている限り、その父である玲宝が陰謀を働く男とは思えない。


 しかし、祥玲はあえて自分の父を貶めたのだ。そんなにまでして、一体何をしたいのだろう?

 せっかくここに来たのに、汚名をそそがないでどうするというのか。


(そんなにまでして……)


「私は官位などいりません。ただ、宋禮の領民として、貴方の側で力の限り働くことが出来たのならば、これ以上の幸福はないと思うのです。もしも、働く必要がない、足手まといということであれば、罪状に照らして私を父同様に処分なさりますよう、謹んで、お願い致します」

「…………祥玲……様」


 無心で呟いたら、いつもの呼び方に戻っていた。莉央の頭の中は、真っ白だ。

 何の見返りもなく、祥玲がこんな所にまで来るはずがない。

 それとも、今この時、領主になるのは危険だからやめて、この戦乱が片付いた時こそ、莉央に譲位を望むつもりなのだろうか?


「――斎公。何卒お願いします」


 祥玲がにっこりと笑った。

 家臣たちが騒いでいる。

 怪しい。受け入れるな……という意見が大半のようだ。

 莉央はようやく、祥玲の昨夜の言葉を思い出していた。


 ――誓約。


 そう言っていた。そんな理由で、莉央の唇を奪ったらしい。あまりにも幼稚だ。


(まさか……)


 半信半疑のまま、莉央はやっと一言だけ搾りだした。


「貴殿のお気持ち、しかと承知いたしました。存分に……、お働きなさい」

「――有難うございます」


 祥玲が恭しく叩頭する。

 家臣たちは、この決断に水を打ったように静かになった。


 ーーー作戦変更。


 祥玲の昨夜の台詞が脳裏をよぎる。

 彼の作戦はこういう路線に変更になったらしいことを……、そして、それが彼の本音であったことを、莉央はようやく実感として抱き始めたのだった。


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