第三章 ⑥
ーーーまだ、実感がわかない。
莉央が急いで城に戻ると、重臣達が集って、評議が行なわれていた。
彼らの怒号が莉央に暗い現実を繰り返し認識させていた。途中から参加した莉央は、最後まで意見を求められることがなかった。臣下達の議論は、最初から混迷の一途を辿っていて、莉央が一言でも言葉を述べようものならば、更に混乱を招きかねなかった。
王英は旅立つ前に、エスティアから毎日宋禮に文を届けると口にしていたらしい。
それが突如、途絶えた。もう七日になる。予てから文が届かなくなった時こそ、自分に何かあった時だと、王英は側近に語っていたらしいので、これは緊急事態だと、莉央の知らないところで騒ぎになっていたらしい。
……莉央は、まったく知らなかったのだ。
そこにきて、更にエスティアが挙兵の報が届いた。
どうして、宣戦布告されたのか莉央には分からない……が、おそらく王英不在の隙をつかれたのだ。
エスティアに、莉央は見くびられていたのだろう。
既に一軍がエスティアの都を出て、宋禮に向かっているらしい。
(無力ね……)
常々実感していることだったが、王英がいないと肌で感じる。
宋禮領主の血は尊ばれているものの、莉央自身が評価されているわけではない。
あんな男だが、領主を尊崇している演技だけは、おそろしいほど上手かった。
(死んだ……?)
分からない。
憎いとも思った。この世から消し去ってやりたいと呪ったこともあった。
けれども、どんなに負の感情をぶつけても、涼しい顔をしていた男が何処かに消えてしまったと知ると、莉央はただ途方に暮れるだけだった。
……そして、長い間、劣等感から逃げ続けていたつけが回ってきている。
王英によって政治の世界から遠ざけられ、それをそのまま甘受していた莉央は、宋禮領の立場も、諸所の問題の深層も、まるで分かっていなかった。
王英は武官の出身で、軍部も掌握していた。王英がいれば速やかに決定出来たはずの派遣する兵士の人数や、それを率いる将軍の選出や戦法も、莉央にはまったく見当すらつかなかった。
「斎公……」
一人になりたいと、私室に入った途端、声がかかった。よく知っている高い声だった。
「香鈴です」
「……どうしましたか?」
「大変なことになりましたね」
扉越しに小さな声が返ってくる。
「……そうですね」
莉央は、一瞬追い返そうとも思ったが、もうそんなことを考えるのも面倒だった。
「入って下さい」
おずおずと、怯えた小動物のように、香鈴が室内に入ってきた。
莉央は、斎一族の血をひいているわけではない。なのに、彼女は怖いほど畏まっている。
……不思議だ。
そして。彼女の後ろに、萎縮している意外な人物がいた。
「……志雄」
「申し訳ありません。こうでもしないと、私が貴方の私室に入ることは許されなかったので。元女官長の娘御でいらっしゃる香鈴殿に頼めば、あるいはと思い、頼らせてもらいました」
志雄が拱手して詫びると、香鈴もつられて、跪いた。
「わざわざ人払いまでされていたのに……、お休みのところ申し訳ありません」
「別に構いませんよ」
莉央は、何とか笑みを作る。
「……で、貴方の用件は?」
薄い桃色の衣の裾を床につけて、莉央は椅子に腰かける。
志雄はしばらくためらっていたようだが、やがて覚悟を決めたのか顔を上げた。
武装せず、帯剣もしていない着物姿は新鮮で、少年のようだった。同じく童顔の香鈴と並ぶと、対の人形のようでもある。しかし、武官だけあって、眼差しはやはり鋭かった。
「これだけは、斎公のお耳に入れたいと思ったのです。エスティアと宋禮領の関係は、領民が思っているよりもはるかに深刻で、…………その。王英様は、莉央様をエスティアの王子に差し出そうとしているのです」
「…………結婚ということですか?」
莉央は目を見開いた。
今更、何を聞いても驚かない自信はあったのだが、さすがに少し動揺した。
「しかし、私とエスティアの王子との婚姻となれば、実権はエスティアに移りますよ。困るのは王英なのではないですか?」
「あの方は、多分…………」
言いにくそうにしている志雄に、莉央は察するものがあった。
「祥玲様ですね?」
「…………えっ?」
香鈴と志雄が声を合わせた。
莉央はもう現実に、怯んでいる暇はなかった。
「祥玲様は、領主の血筋を継ぐ御方。前領主の弟君の御子……。違いますか?」
それしか考えられなかった。
王英が前領主・貴翔の死後、莉央を狙った理由。何故か祥玲を気遣う理由も。
志雄は、無言で下を向き、香鈴は、複雑な表情で答えた。
「……ご明察です。斎公」
「王英は、祥玲様に、領主の位を継がせたいのですね。だから、前領主が存命中は張家の力を貶めないように、身代わりの私を奉じて、息を潜めていた」
莉央は、今まで疑問に感じていたことがすべて一つに繋がる瞬間を実感していた。
どうして、あれほどに王英に疎まれていたのか?
何故、自分は命を狙われたのか?
「―――前領主が亡き後、王英にとって用済みな私は、心底邪魔な存在だったのでしょうね」