第三章 ③
特に何処かに寄る気力もないので、莉央は城に戻った。
他の官吏につきまとわれるのを避けるように、志雄は馬車を衛兵に託して、莉央についてくる。これはいつものことだった。
――が。
いつもと違うのは、莉央の口数だった。
「……何かあったのですか?」
馬車に乗り込んでから、ずっと無言だった莉央を気遣って、志雄が声をかけてきた。
「何でもありませんよ」
「……しかし」
「私は、まだ本当に子供なんですね…………」
「えっ?」
「いえ、何でもないです」
突き放すように微笑して、莉央は扉の衛兵を見遣った。揃いの軍服姿の衛兵は深々と頭を下げてから、大扉を二人がかりで内側に引いた
ぎい……っと、音を立てながら扉が開く。
広くて、白い。
特徴といえば、その程度しかない莉央の住まいである。
宝石のような白石が敷き詰められている床を、莉央は音を立てて進んだ。
回廊に面して衝立が置かれていて、部屋は余るほど存在しているのだが、難儀なことに、この城の最上階が莉央の私室なのだ。
「斎公!」
「ああ。貴方は」
そこにいたのは、先日多額の税金を見直すように命じた法令部の長令だった。
本来であれば、莉央に声をかけるのにも、予約がいるのだが、今回はそんなことも言っていられなかった。
「大宰……は、いらっしゃらないようですね」
白髪頭をきょろきょろさせながら、周囲を確認して、長令は口を開いた。
「例の税金のことですが、見直しをいたしました。確かに斎公がおっしゃるように、税は高い。少し下げるべきでしょう。しかし、蛮国が油断できない今、多少の増税は仕方ないことかと……」
「…………エスティアが」
「斎公は、朝議も欠席されているので、ご存知もないこととは思いますが……」
「……で。エスティアが油断できないのは、何故なんですか?」
「最近、力をつけてきているそうで、近々瓏国に向けて、挙兵するのではないかと、もっぱらの評判なんですよ」
「まさか。それは本当なのですか? 志雄……」
莉央の背後で空気のような存在になっていた青年に、莉央は振り返った。
しかし、志雄が答える前に…………。
「戦争になりますよ」
「えっ?」
低い声が回廊一杯に響き渡った。
「大宰……」
王英は白々しく、莉央の沓に鼻をつけるように、叩頭した。
「恐れながら、その件も含みまして、私は準備が整い次第、蛮国に向いたいと思います」
「…………なぜ。急に?」
「呼び出されましてね。エスティアの皇帝陛下から直々に」
「何ですと!?」
莉央の隣にいた長令が驚愕した。志雄は目を見開いていたものの、特に反応はなかった。予感していたのだろうか……?
「斎公御自ら、エスティアにご足労頂くわけにもいかないと伝えたら、私で用が足りるということなので、行って来ようかと思います」
「その用とは?」
「貿易についてのことで、折り入って話があるそうです」
(―――怪しい)
どう考えても、変だ。
「本気で行くつもりなのですか?」
「せっかくですから。エスティアを見に行こうと思います」
「しっ、しかし。一体何があるか分かりませんし、わざわざ大宰が赴く必要など……」
長令が遠慮がちに引き止めていたが、王英の態度は変わらなかった。
「宋禮には、斎公がいらっしゃいます。斎公がいらっしゃれば、宋禮は安泰でしょう」
(この男は、今更、何を言っているのだろう?)
王英は少しだけ顔を上げたが、表情は見えない。
莉央に分かるのは、漆黒の着物の袖が白い床の上に落ちて、際立っていることくらいだ。
「黄玉侍」
「はっ」
慇懃に返事を返した志雄も、膝をついて、王英を眺めていた。
「お前の推挙した者を、護衛として連れて行く。お前は斎公のお側を離れるな。しっかりと斎公をお護りしなさい」
「御意」
「…………大宰」
莉央不在でどんどんと会話が進んでいた。王英は本気で、城を出てエスティアに行くつもりなのだろうか。
「税の件は、斎公のご裁断に従います。斎公のご随意に」
そこまで言われれば、莉央は王英の申し出にうなずくしかなかった。
王英がいなくなる?
嘘か、誠か。
物心ついた時から、莉央の周囲には常にこの男がいた。
その男が莉央から離れると言う。
莉央は唖然としてしまい、自分のもとから去って行く王英にかける言葉を失っていた。
だから……。
その傍らで、黙然と王英の背中を凝視している志雄には、まったく気付いていなかった。




