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凛として玲瓏  作者: 森戸玲有
第三章 駆け引き
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第三章 ①

『そもそも「玲瓏(れいろう)」という言葉は、金属や宝石の冴えた音を示すものだ。しかし、宋禮で使う「玲瓏」は、豊かな作物の実りを差す。これはおかしいんじゃないか?』


 ――昔の話だ。


 王英は、なにげなく思いついた疑問を口にしたことがある。

 なぜ、そんなことを言葉にしてしまったのか、今でもよく分からない。

 言葉の意味など、時代によって代わるし、国によっても、領地によっても違う。

 どうだって良いことのはずだった。


 その時の王英も、すぐさま、自分らしくない質問だったと後悔をしたのだが……。

 でも、その場にいた少年は、責めるでもなく、笑うでもなく、沈黙の後、真摯に答えたのだった。


『宋禮にとって豊かな作物の実りを告げる風の音は、宝石が響かせる音のようなものですからね』


 今、振り返ってみれば、小憎らしい子供が適当に流した言葉のようにも思える。

 ……だが、その時、自ずと王英は納得したのだった。


 少年の背後に広がる黄金の景色と、二人の男。

 彼らが頷けば、その適当な一言も、すべてがその通りのような気がした。

 柔和な笑みを浮かべた男が、年端のいかない少年の肩に手を置き、微笑する。


『生意気だが、大切なわが子だ。この子を、よろしく頼むよ。王英』


 淡紅色の華やかな衣が、風に音を立てて揺れていたのを覚えている。


 …………一体、その時、どのような対応を自分はしたのか。


 了承したのは事実だが、その時のやりとりだけが記憶にない。

 それほど、その時の王英は子供だったのだ。

 子供を養うほどの実力も、権力も持ち合わせていなかった。

 守れと言うのであれば、張家(ちょうけ)の実権を握っている父に告げられるはずの命令だ。

 だから、きっとあの人が言ったことは、気まぐれだったのかもしれないし、その場の勢いだったのかもしれない。それでも、その一言は、王英を動かし続け、どんなに月日が経っても裏切ることのできない暗示のような効果を発揮した。


 まるで……、呪いだった。


 王英は、あの人がいなくなってから、己の良心を封印しなければならなくなった。


 ……小娘を。

 莉央を不憫だと、思わなかったことがないわけでもない。自分のせいで、帰る場所を永遠に失ってしまった幼い子供を、罵りながら養育することに抵抗した日もあった。

 だが、結果が変わらないのであれば、慈しんで育てたところで一層、酷いだけではないか……と、言い聞かせた。……いずれ、この娘はいなくなる存在なのだ。


 ――だから。


 いつか訪れる未来のために、王英は人とは思えない所業をした。自分の罪を忘れないように、念入りに娘に会いに行こうと誓った。


 小娘が王英の言葉に傷つき、目を潤ませるたびに、胸に刺さる棘があった。しかし、それはすべて無視した。


 一生隠し通せると思っていた。なのに、何故、祥玲は王英の深奥を抉るのか。

 まるで、あの人が祥玲の姿を借りて、王英に忠告しているようだ。


 ……お前のしていることは、すべて罪なのだと。


「―――最悪だ」

「えっ」 

「――いや」


 独り言のつもりが、しっかり反応されてしまった。

 周囲に人がいたとは、知らなかった。

 城の見晴台は、先々代の領主が城の最上階に造った私的空間だった。

 迷路のような廊下を抜けて行くと、日当たりの良い露台に突き当たる。

 圧倒的に狭い場所は、先代の領主すら存在を忘れていたそうだが、王英は、一人になることが出来る格好の場所として、ここを重宝していた。

 だからといって、油断をしていたのならば、気をつけなければならない。

 近頃、どうも人の気配に鈍感だ。そんな己を恥じながら、王英は素早く振り返る。

 女がいた。

 水色の長い上着は、身分が中くらいの女官が身につけているものだ。 


「俺は、お前のことを、呼んだ記憶などないが? 香鈴」


 にべもなく、突き放す。

 王英は、城に設置された見晴台から離れた。

 外界と比べて薄暗い城の内部に入ると、ようやく己を取り戻した。

 この女は、無視しよう。

 どうせ面倒ごとに、違いない。

 少し離れて侍っていた護衛を睨むと、彼らは面白いくらいにがたがたと震えていた。


「私が無理を言って、貴方に会わせるよう頼んだのです」

「お前にそんな権限があったとはな……」

「私は、香蓮の娘ですから」

「知っているさ。元女官長の娘。あの女は姉上のもとで権勢を誇っていたからな。でなくては、あいつらとて、お前に協力しようとはしなかっただろう。だがな。今は昔のようにはいかない。女官長も含めて、お前は俺の指揮下にある」

「仕事はしています……」


 香鈴は感情を隠そうとはしなかった。

 苦渋に満ちた顔をしている。大人びている莉央とは違い、丸顔で童顔だ。

 本来ならば、裏表のない綺麗な仕事に従事するのが似合っているような温かい雰囲気の娘であるが、この仕事に就いてしまったのならば仕方ない。

 それこそ、女官長の娘。

 莉央の秘密を知っている女官であれば、口封じに遠くに去ってもらうか、王英の指示にどっぷり浸かってもらうしかない。


「斎公は、落ち込んでいらっしゃいます。それもこれも、貴方の仕掛けのせいです」

「ふん。自分であの小娘にべらべらと喋っておいて、何を言う? 落ち込ませるようなことならば、口にしなければ良い」

「しかし、今すべてを話さなければ、斎公は何もかもを信じられなくなってしまうでしょう……」

「だから、どうした? そんなことを、わざわざ俺に報告して来るな。俺は忙しいんだ」


 王英の目は既に、香鈴にはなかった。

 大きな冠を背負ったために、頭が痛い。額を片手で押さえながら、真っ直ぐ進んでいると、自分の後ろについていた足音が消えて、不審を感じた。


「農民に対する重い税の法律も、裏で農政長官を操り、発案させたのは貴方でしょう?」

「…………小娘が言ったのか?」

「私がそう思ったからです。憶測で物を言う女として、罰しますか?」

「――別に。それは事実だ。憶測が当たって良かったな」

「貴方という方は……」


 香鈴の声が震えている。分かるはずがない。王英の考えていることなど。

 案の定、香鈴は汚らわしいものでも見るような目つきで、袖口を口元にあてて押さえた。腐臭でもするというのか。


「笑えるぞ、香鈴とやら。ここまで強気な女は滅多にいない。名は覚えておいてやる」

「そんなことはどうだって良いのです! 斎公の……、あのお方の御名を汚して、貴方にとって何の価値があるというのですか? 前領主が薨去なされて、今が大変なときです。この時に善政を敷いて領民を安寧に導くのが領主の務めではないのですか。こんなことをしていたら、どういうことになるか……」

「分からんな。どういうことになるんだ?」

「……貴方は、本当に翠塾の門下だったのですか?」

「父親から、聞いているんだろう? 俺が門下だったことを」

「父は貴方のことを、買いかぶっていたみたいです」


 香鈴の表情の変化を観察するのは、面白かった。呆然から、怒りへと、徐々に顔つきが変化していく


「きっと。………祥玲様なのでしょう。貴方の狙いは。だから、斎公を平気で貶めることが出来るのですね」

「……だとしたら?」


 香鈴に接近した王英は腕を組んで、彼女の顔に顔を近づけた。

 ふわりと柔らかい茶色の髪が、王英の頬を掠める。くすぐったいので、微笑した。

 昼間なのに薄暗く、冷たい廊下には、誰もいない。

 もとより、こんな裏道を知っている官吏は、王英を除いて皆無に等しい。

 護衛は離れているので、小声になった王英の声は届かないだろう。


「お前だって、何もかも知っているだろうに。アイツは偽者だ。今更何を言うんだ?」

「偽者を連れて来たのは、貴方でしょう?」

「その偽者を立てている、お前が分からんな」

「私は、生前母から斎公を頼まれました。母亡き今は、妹のようにも感じています」

「だから、宋鄭寺に寄宿している祥玲様と引き合わせたのか……。愚かだな。その思いがあの小娘に、通じていなければ、何の意味もないではないか?」


 王英は、必死に言い放つ、香鈴の細い腕を取って、耳元に囁いた。


「俺はしばらく留守にする。その間、精々俺の言われた通り、あの男の監視を怠らないことだな。そうでないと、お前の大切な領主が俺にやられる前に、死ぬかもしれんぞ」

「貴方は、斎公を何だと思っているてのですか……?」

「お前が護れば、大丈夫な話だ。一応、文武に秀でていた女官長の娘だろう。武芸の一つでも披露してみろ?」

「―――貴方は、最低です」


 顔を真っ赤にした香鈴は、丸い瞳を潤ませた。

 苛めるつもりはなかった。真実を指摘しただけだったが、こうなってしまったら、自分は完全に悪者ということになるのだろう。


(まあ、それも悪くはない)


 王英はさっさと手を離すと、黒衣の袖をなびかせて、歩き始めた。

 女のことなど、知ったことではなかった。

 気がかりなのは、先日領主に会わせろとやって来た、キアノという使者。

 尾行をつけたものの、何の気まぐれも起こさずに、国に帰ったらしい。それも、益々怪しい。

 王英が宋禮を変えようとしていたことを、キアノが気付いているのであれば、これを逆手に取って攻勢に転じなければ、宋禮領は消滅する。


(己の謀略で、国を乱す……か……)


 本当は、もっと上手くやるつもりだった。

 前領主が死ねば、好機とばかりに、隣国が攻めてくることは、分かっていたことだ。


(何故、俺はこんな所でもたもたしている?)


 胸に刺さった棘は、なかなか取れない。

 だが、王英は、前だけ。一点を見て歩く。

 前途にあるのは、見晴台から俯瞰した景色のその先…………、


 蛮国(エスティア)だった。



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