第二十五章 第三話 バルムンク・リヒト
バルムンク・リヒト。
バルムンクとグングニルが一つになった姿。二体の竜機神が一つになることで基本性能が飛躍的に上昇している。外見の大きな変化としては、本来のバルムンクに背負われるように、絶速状態の鳥型になったグングニルが体の一部として存在する。分かりやすく言うならば、翼の生えたバルムンクという感じだ。
バルムンク・リヒトの性能を信じ、様子を窺おうとするザイフリートに飛び込むために前方へ意識を集中させた。
「お前は俺から逃げられない。この世界に、俺の前に存在し続ける限り……絶対にだ。――絶速」
バルムンクの背中の翼から、光の粒子が放たれる。黄色の翼は眩い黄金に、溢れる粒は大きく広がった翼から巨大な花びらのように背中に咲き誇る。
グングニルは絶速という、戦闘を行う人型の姿を殺す代わりに高次元の速度を手に入れた。しかし、今のグングニルはバルムンクと一つになっている。二つの力が合わさったバルムンク・リヒトは、絶速を使いながら人型のままで戦うというグングニルの問題点を解決することで戦闘態勢を崩すことなく、どのような存在を到達できないスピードを手にした。
心のままに、思いのままに、それを通す力が今ここにある。そこから先の行動を頭の中で練る前に、湧き上がる感情のままに背後の空間を蹴る。
『なっ――』
セトが予期せぬ事態に、驚愕の声を上げる。彼が瞬きをした僅かな間に、バルムンク・リヒトは拳を抱えた体勢で目の前に突然と現れた。
左の拳を、ザイフリートの顔面に叩き込んだ。爆弾でも落とされたかのように、ザイフリートの頭部がガクガクと揺れる。そのまま、よろめくザイフリート。すかさず、右手に持っていた刀を、頭上に持ち上げれば一切の躊躇もなく、ザイフリートへ振り落とす。
『そう易々と……!』
その巨体に似合わず、ザイフリートは体は大きく捻らせて回避を試みる。過去のザイフリートならば、それも可能だったのかもしれない。しかし、今のザイフリートはバルムンクの斬撃を回避することはできない。過去に会った時の何倍も、バルムンクの刃は重く鋭く――ひたすらに速い。
次の瞬間、ザイフリートの右肩の装甲は宙を舞う。
肩の装甲が削れ落ちることなど、最初から想定していたのかのように、回避運動を行っていたザイフリートは、流れるような動きでバルムンクから距離をとる。
『――くっ。……この間と、違うのか……!』
忌々しげなセトの声。
逃がさないと、離れようとするザイフリートを追う。
目で追いかけると同じ速度で、刀を腰の辺りで水平に構える。
「今日はよく喋るじゃないか! 俺を殺し損ねたことを、後悔しやがれ!」
水平に構えた刀を前方に振り切るのと、ザイフリートの横を通り過ぎるのはほぼ同時だった。速度を落とすことなく、刀を振り切ったままの体勢のバルムンクがザイフリートを横切れば、背後のザイフリートがぐらりと揺れた。
そこに地面があるかのように、ザイフリートは地面に手を伸ばして、己の体を支えるように体の左半身を沈ませる。だがやはり、そこに地面はなく、空に浮かぶザイフリートは傷ついた肉体で漂う。
ザイフリートへ与えた斬撃の確かな感触に満足しつつ、後方のザイフリートへ機体を向ける。
「やっぱりな……」
傾いた体を起こすザイフリート。
右の脇には先程残した深い傷跡、全体のあらゆる部分がルカとレヴィが残した攻撃の形跡がところどころに見られる。
気づく、ずっと頭の残っていた疑問の答え。
「俺はずっと、お前が不死身の竜機神だと思っていた。それか、すぐに体の傷を修復できるのかとも思っていたよ。だけど、違うんだな。お前は、俺達の攻撃で当たり前にやられちまう竜機神なんだな」
ルカ達の残してくれたものが教えてくれた。
ザイフリートの防御力の高さは確かなものだ。だが、本当に不死身なら、この程度の攻撃はすぐにでも回復できるのではないか。そして、俺の手の中には確実に奴の腹部に刀を当てた感触がある。ナンナルで闇雲に刀を振っていた時とは違う、確実な一撃。
『それが分かったとしても、何になるというのですか』
「ああ、何にもならないかもしれないな。だけどよ、お前を倒せるって分かっただけでも、全然違うぜ。少なくとも、俺の気持ちはよ」
俺の言葉なんて、まるで意に介さずザイフリートは距離を詰める。
ザイフリートは大剣を軽く振るう。とっさに、剣を刀で受け止める。ぶつかり合い、衝撃の音、手の中にびりびりとザイフリートの剣が重たさを感じさせた。
『少しは、やるようになったようですね?』
「いいや。……少し、じゃねえよ」
向かい合い、お互いの力を比べる俺達の間に割って入るようにウルドの声が響いた。
――実王さん! 実王さん!
――なんだよ、こんな時に!
――……ザイフリートの一部を切り落とすことは可能ですか? 腕や足などの戦うことに大きく支障のでるものが良いのですが。
――無茶なことを……。
小さく笑うウルド。
――今の実王さんには、無茶なことではないはずですよ。
――簡単に言ってくれるよな。でも……二人なら、きっとそうなるかもな。
操縦桿、刀を握る柄に力を入れる。押し合う刃の均衡していたバランスが、少しずつ変化を始める。
ザイフリートの剣が少しずつ、自分の内側へ押されていく。
『ぐっ……!』
セトの上げる声は驚きと切迫を伝えるのもの。セトにとって、この状況が異常事態だった。
自分にとって格下だと思い込んでいた相手に押されている、プライドの高いセトならば心中穏やかなものではないはずだ。
――だからこそ、必ず隙があります。
ウルドの自信に満ちた一言を後押しするように、バルムンクの瞳が呼応するように輝く。
「ぶった斬られろよ――!」
バルムンクの刃が淡く光を放つ。それは、見覚のある魔法の輝き。
他者を絶望にも落とすことのできる、無慈悲な光。
蛍のように小さくとも生命を感じさせる光の粒子が刃を包む。ハサミが紙を切り落とすかのごとく軽い力で刀を握る手はザイフリートへと向かう。
一瞬、再びセトの驚愕する声を聞いた気がしたが、それに意識を向ける時間ももったいないと、ほぼ力の入れることが不要になった競り合っていた刀が持ち上がり、いとも容易くザイフリートの右腕を切り落とした。
大剣を握ったままのザイフリートの腕が宙を舞った。
続けて、ザイフリートの右腕を切り落とすために振り上げた腕でヤツの首を狙おうとしたが、すぐさまバックステップをとることで、再び距離が開く。
『貴様……!』
憎いとセトの声色が告げていた。
片腕を無くしたザイフリートは、悪魔のごとく赤い目で眼前のバルムンクを睨む。
腕を切り落とされてなお、戦意の落ちることのない相手に神経を集中しながら、心の中の声に向ける。
――腕、切り落としてみたけど、どうだ?
――やはり……。ザイフリートのこと、少し分かったかもしれません。
驚き混じりのウルド。
彼女は彼女なりに、何らかの答えに辿りついたのかもしれない。それを知るために、俺は質問を投げかける。
――今ので何が分かったんだ? 奴が不死身じゃないことは分かったが、腕が消えたり浮いたりしていたのは、未だに分からないんだ。前に奴と戦った時は、腕や足が急に消えたりしていたんだが……。
――えーと、それはですねえ……。あ! 実王さん、後ろっ。
今まさに説明しようとしていたウルドの逼迫した声に、反射的に背後を振り返りつつ横方向へと機体を動かした。
――ヒュン。
自分が今までいた場所を何かが通り過ぎた。すぐに、その通り過ぎた物体を目で追いかける。それは、切り落としたはずのザイフリートの腕だ。その右手には大剣を握っている。腕だけが意思を持っているように動き、ザイフリートの背後で大きく旋回すれば、再びこちらへ突撃してくる。
「ちょこまか動きやがって!」
大剣を前方へと突き出した右腕を、己の刀で叩き落す。何度も回転しながら、大剣と共に右腕は下降していく。
『勉強したようですね。前回はこの方法で終わりだったようですが』
不満そうに言うセトの口調からは焦りは感じられない。どうやら、これが奥の手というわけではなさそうだ。
「さすがに、同じ攻撃を二度も三度もくらうわけにはいかねえからな。……まあ、前回は何が起きたかも分からなかったけどさ」
気のせいか、ザイフリートが少しずつこちらへ近づいているように思えた。いや、事実、接近しているのだ。何か、本当の奥の手を使おうとしているに違いない。
無言の威圧に飲まれそうになるのを、相手への集中力で消そうとする。拭うこともできず、汗が流れる。頬を伝う嫌な汗は、緊張感からくるものだった。
――実王さん、今のを見てどう思いますか?
正直、ウルドの声にを耳を傾ければ、隙が生まれるかもしれない。そんなことを考えたが、ウルドだって、意味のない会話をこの状況でするわけがない。俺は先程よりも、余裕のなくなった意識を向けた。
――どうって……。ありゃあ、おかしいだろう。竜機神ていうのは、そんなにいくつも特性を持っているのか? 体を再生させる能力もあって、物を操れる能力もあって、あのザイフリートていうのは……底が見えない。それに、ウルドが戦っていた竜機神も、特性て一つしか持ってなかったし……。
――少なくとも、気持ちで負けてはいけませんよ、実王さん。そうなのです、実王さんの疑問は正解なんです。実王さんなら、お気づきになるでしょう。……機体の特性を超えた特性を扱う方法を。
――制限解除……。いや、そういうのとは、違う。もっと、根本的な……。そう、本来の在り方を変えるほどのチカラ、それは、まるで魔法のような……あ。
そうだ、これは俺が最初に気づくべきところだった。
ザイフリートの特性はこれではないはずだ。腕を浮かせたりするあの光景は、まるで外側から見えない糸で結び付けられて操られているようだった。その通りなのだ、奴はまさしく外側からの糸で操っていたのだ。
俺の考えが正解に辿りついたことが嬉しいのか、少しトーンの上がる声でウルドが会話を続けた。
――はい、セトは魔法を使えます。あの腕を浮かせ、実王さんを攻撃したのは、きっと魔法の力で操っていたのです。彼は、カイムから魔法を分け与えてもらっているのでしょう。ザイフリートそのものに魔法の力があるのか、それとも、セト自信がその力を持っているのかは分かりません。しかし、彼が自在に魔法を操れるのは間違いないでしょう。……そして、あれが特性でしょう。
ウルドの言う、あれ、を俺は見つめた。
『いいでしょう。これから、私の本気をお見せします。絶対に無慈悲、絶望的に偉大、絶世の砦。――王の棺ファーブニール』
セトが力の入った口調で宣言をすれば、ザイフリートの切り落とされた右腕が突然と出現する。それは、しっかりとザイフリートの胴と繋がっていた。
まるで別の写真から新しい写真を見るかのように、最初からそうであるかのように、ザイフリートの腕がそこに存在した。
「いいぜ、もう二度と俺はお前に負けるつもりはない。とことん、やり合って、見せてもらおうじゃねえか」
正直、俺は慢心していたのかもしれない。
ザイフリートが何か隠し技を持っていたとしても、今の自分ならどうにかなるのではないかと。
どんな一撃が来ようとも、全て避けきって、必ず反撃してみせる。そんな気持ちで、前方を見据えた。
『いいえ貴方は……ここで退場しなさい。――制限解除』
ザイフリートがその体の黄金を輝かせた。赤い目はギラギラと輝きを増していく。それは制限解除をしたということ。つまり、ここで初めて奴は本気を出したのだ。
そっとザイフリートはその手を前方に向ける。その手の先には、バルムンク。
『消えなさい、雛型実王』
僅かに手元が揺れた。
――そうして、俺はそこから姿を消した。
※
ザイフリートは誰も居なくなった空間に立つ。そこは、先程まで二体の竜機神が激闘を繰り広げていた場所。しかし、今ここに残るのはザイフリートのみ。刃を交えていたバルムンクは、そこから完全にその姿を消失していた。
持ち上げた手を下ろせば、先程まで自分を追い詰めていた敵の姿があった場所にため息をつく。
『ここまで追い詰めたのは、貴方が初めてでしたよ。もしかしたら、貴方ならば生の意味も……いえ、敗者には分かるわけありませんよね』
一人でぼそりと呟けば、さて、とカイムの待つ方向へと体を向ける。
『うん……?』
気配を感じ、その反対方向に顔を向けた。
周辺の機体を薙ぎ払いながら、真っ直ぐに自分へと向かってくるのは白く華奢な竜機神。
セトは感情を滲ませることなく、その接近する新たな敵の名前を口にする。
『イナンナの竜機神……ノートゥング……』
純白の機体は、二本の剣をその手に広げザイフリートへと一直線へと向かってきていた。
セトは、その光景を鼻で笑えば、大剣を振り上げてノートゥングを迎え撃つ体勢をとった。