第二十五章 第一部 バルムンク・リヒト
空にいくつもの炎が舞い、弾ける。
この宙域のそこかしこで、量産化され小型化した敵のヒルトルーンとイナンナの竜機人達が刃を交え、互いに振り落とした刃で互いを傷つける。今も、一体のシグルズがヒルトルーンを剣で刺し貫いた。直後、そのシグルズは頭上から突然出現したヒルトルーンに羽交い絞めにされると、下方向へ互いにもつれながら落下していく。
真紅のゲイルリングが、流れ落ちる火の玉をくぐり抜ける。軽量化されたヒルトルーンが空を飛び、真っ直ぐにゲイルリング――レヴィの乗る機体に距離を詰める。
軽量化されたヒルトルーンの腕は四本、上部の腕に剣を二本、下部の腕に盾を二つ。六本あった足は二本になり、腕以外は完全に人型の姿をしている。
二本の剣を重ね合わせる。その形、ハサミそのものだ。ハサミのように、開かれた二本の剣は真紅のゲイルリングの首を切り落とすために近づく。
研ぎ澄まされた集中力で、レヴィはすぐに、その攻撃に反応を見せる。
『そんなもの……。私を誰だと思っているのよ!』
急激に速度を停止させることで、ヒルトルーンは空を裂く。そのまま、ゲイルリングはがら空きの腹部に棍棒を叩きつける。ゴリゴリ削るような音がしたかと思えば、その胴を抉り、機体を粉々にさせながらヒルトルーンは高度を落としていく。
攻撃した際に、ヒルトルーンの体が強引に切り離された腕が目の前で舞う。真紅のその腕で、邪魔そうにその腕を己の手で弾く。
『これはレオン……いえ、私のお兄様が遺した力よ、この程度で止められるわけないでしょ! アンタ達なんかでは、相手にならないのよ!』
レヴィ思いのままに声を上げた。
戦闘が始まり、一時間は経過していた。多くの敵を討ち、たくさんの仲間達が消えていった。漂うカプセルが視界に入ることもあるが、制限解除した乗り手の死の形跡をも目にした。
合間合間には、ヒヨカから味方を鼓舞する演説も聞こえてくる。
みんなが必死に戦っている。そして、この本当の命のやりとりに慣れつつあった。
レヴィが戦闘の雰囲気を、やっと受け入れつつあった頃――ソイツはレヴィの前に姿を現す。
『やばいっ』
ほぼ直感だった。操縦桿を握り、ゲイルリングを空中で大きく後転させた。
――ブンッ。今、自分が飛ぼうとしていた先の空間を、何かが通り過ぎる。
大急ぎで、後方へと機体をバックさせるレヴィ。
『……アンタ』
ソイツを視界に入れることに成功したレヴィは、怒りの眼差しでその姿を睨む。
『まさか、巫女自らが戦場に立つとは。いや、元巫女でしたね』
淡々と口にする。
レヴィは、漲る殺気と共に強く操縦桿を握り締めた。
『余計なお世話よ。――セト』
ザイフリートがその大剣を構える。標的は、レヴィ。
頭一つは高い位置でレヴィの乗るゲイルリングを見下ろす。
レヴィは思った以上に冷静な自分に驚きつつ、意識を全て目前のザイフリートへ集中させる。宿敵に、これ以上の言葉はいらない。
敵は強大で最悪。それでも、レヴィの脳裏に背を向ける選択肢は存在するはずはなかった。
セトは受身の相手を予想していたが、その思考に反して、先に動いたのは真紅のゲイルリングだった。しかし、紅き閃光として突撃したレヴィの一撃は、軽くザイフリートの大剣によって防がれた。
『勝ち目もない、この戦いに……。巫女といえど、力がなければ、ただの愚図』
セトの軽視する言葉を耳にしながら、レヴィはすぐさまザイフリートから距離を開く。そして、すぐさまレヴィはその棍棒を振り上げて、ザイフリートに挑みかかる。
『お喋りする暇なんて、ないわよ!』
『――愚図め。無能な女よ』
振り落とされた棍棒。レヴィにとっての渾身の一撃は、ザイフリートの左腕によって造作もなく受け止められた。
響き渡る轟音は空しくレヴィの耳に残り、その顔をしかめた。
『竜機人に乗ったからといって、私に勝つもりか』
『そんなんじゃないわ! 勝てないなんて、言いたくないのよ! アンタ達の決め付けた運命だけには負けたくないのよ!』
ただ運命を受け入れることしかできなかったレヴィが吼える。
ザイフリートに刃を向けるということは、レヴィにとっては運命への反逆であり、今までとは違うという意思表示の結果。
ガンッ、ガンッ、ガンッ。何度も何度もレヴィは、ゲイルリングの両腕を全力で持ち上げ、ザイフリートへ振り落とす。それでも、ザイフリートを揺れ動かすどころか、傷一つ付けることも叶わない。
ザイフリートは力なく垂らしていた、大剣を握る右腕に握り絞る。
『失せろ、忘却の巫女よ』
大剣を無造作に振るう。一切の構えもなく、振り払われた刃に反応するどころか、自分が何をされたかも分からないままに、ゲイルリングは後方へと空を吹き飛ばされる。吹き飛ばされながらも、真紅のゲイルリングはバラバラと竜機人の部品を分解させ、体液を道筋のように垂らし続ける。
『思ったより、軽いな。まだ、か。……逃がさん』
流れる体液を目印に、ザイフリートはその姿を追いかける。色のせいもあるが、すぐに目的の敵を発見するセト。真紅のゲイルリングはダメージから、体を宙に漂わせていた。
セトの口からは、これ以上言葉も出ることはない。大剣の刃先を水平に、それを腰の位置にして後方へと引く。セトの中で、自分の剣で刺し貫かれるレヴィの姿が息を吸うように思い浮かぶ。
ザイフリートは宙を蹴る。距離はみるみる内に縮まり、その刃の先が到達しようとしたその時。ザイフリートは、その動きを止め、すぐに後退。前方を無数の何かが通り過ぎた。
例え、万全の状態で身動きのとれる竜機人でも、今のザイフリートの一撃を避けれる者はそう多くない。――しかし、竜機神ならば、それを捉えることも可能である。
『レヴィ、大丈夫?』
庇うように前に立つのはルカの操縦するブリュンヒルダ。
意識をつい先程まで失っていたレヴィは、その声に反応を示す。
『……ルカ、何してんのよ。アンタは、カイムの元に向かうことを優先しなさい』
ルカはその言葉に答えない。
彼らには作戦があった。レヴィを含めた竜機人の精鋭部隊が、ザイフリートの囮になり、その間にカイムを直接討つ。
単純な作戦であり強引な手段ではあった。それは、多くの命を危険に晒して、さらに多くの命を救う方法。
いつものヒヨカならば決して行うことはない作戦。それだけに、ヒヨカが追い詰められていることに気づいたレヴィは、その部隊の中心で戦うことを選んだ。例え、自分がどれだけ危険な目にあっても、命を失うことになっても、もう一人の友人であるルカが戦争を終結に導くと信じて。
別ルートにいたはずのルカが、ブリュンヒルダが真紅のゲイルリングを守るために戦っていた。レヴィは焦燥感を胸に抱えて、その姿を見る。
ブリュンヒルダが何十もののクロウを放てば、ザイフリートの大剣を振るう際に放たれる疾風に薙ぎ払われる。
ザイフリートが距離を詰めようとブリュンヒルダに近づき、距離を開き、再びクロウの嵐。先程よりも、クロウの数が増えているところを見れば、ルカは制限解除をしているに違いない。
『なにやってんのよ……ルカ……』
装甲の薄いブリュンヒルダ。クロウを受けながらもザイフリートは接近を止めない、一つ一つのダメージが軽いせいか、ザイフリートはその動きを止めることもなく、ブリュンヒルダを追い回す。
このまま長時間戦いを続ければ、勝機は見てくるかもしれない。しかし、接近するザイフリートの攻撃を完全に回避することはできていないブリュンヒルダは、確実に損傷を広げていっている。
苛立たしい気持ちを我慢できなくなったルカは叫ぶ。
『何をやってんのよ! ルカ! 早く、ここから離れなさい!』
何百というクロウを繋ぎ合わせたブリュンヒルダは、ザイフリートの移動を妨げるには十分なほどに頑丈で巨大な盾を完成させる。迂回をするには大きく広く困難、ザイフリートといえど、そう易々とは通行することはできない壁の役割をも持つ。
一瞬だけ、驚いたような声を漏らすセトだったが、すぐさま、敵への通り道を再び作り出すために盾を叩き割ろうと大剣を振るう。その隙に、ブリュンヒルダは真紅のゲイルリングに接近する。
硬い金属に硬い金属をぶつけ合わせる音が鳴り響く。
『さっきから、うるさいよ。私は私のしたいように、やってんの』
面倒くさそうに喋るルカに、レヴィの苛立ちは増していく。
金属のぶつかる音は、次第に変わっていく。硬いものを砕く音から、硬いものをが柔らかいものへ崩れていく音。それは、クロウで作り出した盾が崩壊していく兆し。
『は!? アンタねえ、わがまま言ってるんじゃないの! この戦いが、どれだけ大事か分かっているんでしょ!? ここは、命を懸けてでも私が時間を稼ぐから、さっさとアンタはカイムのところへ行きなさい!』
『……それよ、だから来たの』
レヴィのイライラは、違和感に変わり、ルカの声は不満気なものになる。
ギィンギィン、と高く鳴り渡っていた音は、ゴリゴリと盾を揺らし、不安定そうにクロウの壁を揺るがす。崩壊は目前に迫っていた。
レヴィは、ルカと共倒れになることを恐れ、悲鳴にも似た声を上げた。
『やめてよ。ルカ! なんで、逃げないのよ――!』
『――友達だから』
レヴィはその一言を聞き、次の言葉を失った。
クロウで作り出した盾は、崩壊し、その破片の中からザイフリートが出現する。
『死ぬために、制限解除なんてやめて。友達の屍の上で笑いたくない。前に、頼む頼むって、私に生きてほしいと言い続けた人がいたの。……今なら、少しだけ、分かるわ。戦いの中で、生きてほしいと願う気持ち。……頼む、だから生きて。レヴィ』
盾を壊している間もクロウに傷つけられ続けた、細かい傷を受けたザイフリートが周囲のクロウを薙ぎ払いながらも、ブリュンヒルダにどんどん迫る。
『アンタ、馬鹿よ……ルカ……』
レヴィは口元には笑みを、目元は切なげに、複雑な表情を浮かべて、彼女の言葉を心に澄ませた。
『貴女もね、レヴィ』
愉快そうにルカがそう言えば、何十もののクロウを体に集め、ザイフリートを向かい討つ体制をとる。
『手間をとらせるな』
セトの声の中に、この状況を煩わしく思う感情を感じた。
ルカはセトの負の感情を受け、笑い転げたい気持ちになる。
『偉そうに言うわりに、手間……とってたんだ?』
『貴様ぁ――!』
感情のままに大振りになる大剣を回避しつつ、ブリュンヒルダは多量のクロウをザイフリートの体に叩き込んだ――。