第二十四章 第三部 雛型実王
『目を覚ましてください、実王さん』
揺すり起こされるような小さな声。
世界はただただ暗い。闇の中に放り出された無重力の世界。
「一応、起きているよ。ここは、どこなんだ」
『今から見せるのは私の記憶の世界。少しずつ、風景を人を作り上げていきます。……ほら、見えてきましたよ』
まず、足の裏には感覚が生まれた。しっかりと地に足がついている。世界に色が付き、周囲を見渡せば、土色の壁に豪華な家具。位の高い人物がいるのではないかと思わせる雰囲気。奥を見れば、大きな机にこちらに背を向ける柔らかなソファ。誰かが座っているようで、回転することのできる椅子が小さく揺れる。
どことなく、作りはヒヨカの学園長室を思わせた。
「なんだここ……。バルムンクの部屋か?」
バルムンクの部屋、というのもおかしな言い方だが、俺はそう問いかける。
『いいえ、ここは私の部屋ではございません。……誰の部屋か、もうすぐ分かりますよ』
二度のノック。数秒、時間をおいて。
ギィ――。小さな音がする。ドアの開く音。それは、俺の背後からだ。
「あのぉ……。失礼します……」
自身のなさそうな声。でも、どこかで聞いたことがある。
俺は声のする方向へ顔を向けた。
「あ……」
少女がいた。知っている少女よりも、髪は短く、優しげな目が心配そうに動いていた。
『大丈夫です。ここは私の記憶なので、この世界の人に実王さんは見えません』
「いや、そういうことじゃなくてっ」
説明を入れるバルムンク。その説明どおり、体を小さくビクビクとさせながら少女は俺の体をすり抜けて歩いていく。
確かに、それも驚くべきこと。しかし、想定の範囲内の出来事だった。それ以上に、俺が目を奪われたこと。それは――。
「――あの子、バルムンクだよな」
俺の目線の先には、先程の通り過ぎた少女――バルムンクがそこにはいた。
バルムンクは、大きな机の前に立つと、その椅子に腰掛ける人物へと声をかけた。
「すいません、遅くなりました。――カイム様」
少女の呼んだ名前。嫌な汗が流れ出る。
名前を聞いただけで、俺にとってはつい先程までの、恐ろしい光景が脳裏に浮かぶ。
座椅子がくるりと反転。俺は、そこに目を向ける。
「また寝坊? 遅かったじゃない、ウルド」
カイムがいた。ウルドの顔を見れば、ため息をついた。
カイム……。今すぐ駆け寄って、怒りをぶつけたくなる。たくさん言いたいことがある存在が目の前に居る。
怒り。赤く、赤く、赤く、目の前が血の色で染まっていくような気がした。……いや、気のせいじゃない。
事実、俺の視界は赤く染まる。怒りで、目が血走っている。
マズイまずい。抑える気持ちと汚い言葉を吐き散らしたい気持ち。それがせめぎ合い、吐き出す息は荒く不規則。
立っていられなくなり、膝を曲げる。
『実王さん……』
バルムンクの心配そうな声。
「……大丈夫」
深くゆっくりと息を吐く。
生まれたばかりの子牛のように弱々しい足。みっともないな、と思いながら、折れた足を立ち上がらせる。
大丈夫、それを伝える意味で、姿の見えないバルムンクに右手を掲げた。
「ごめん、少し取り乱した。……あそこにいる二人って、カイムと……名前違うけど、バルムンクだよな?」
『はい、あれが昔の私とカイムです。この頃は、ウルドと呼ばれていました』
ウルドは、カイムの前で申し訳なさそうに体を小さくさせていた。
今は竜機神で戦う機械となり、昔は一人の少女だった。どこにでもいる、ただのか弱い少女。その姿を見た俺は、既にバルムンクのことを竜機神の名前で呼ぶことを拒否し始める自分がいた。
「……なあ、バルムンク。俺とお前だけしかいない時は……ウルド、て……呼んでもいいか」
俺の言葉を聞いたウルドが、嬉しそうに小さく、「実王さん」と口にした。
それからはすぐに言葉が続いた。
『――はいっ。名前、呼んでもらえて嬉しいですっ』
心底、嬉しそうにウルドがそう言った。
ウルドの気持ちが伝わり、俺は心に気持ちの良い余韻を残す、その声を飲み込むように聞いた。
気になっていたことがスッキリした俺は、ウルドへ向けていた気持ちを、過去のウルドとカイムに向ける。
相変わらず、ウルドはもじもじ。カイムは、呆れたようにウルドを見る。
「……まあいいわ、ウルド。貴女を呼んだのは、特別な仕事を任せようと思っていたの」
「特別な仕事ですか?」
ウルドは席を立ち上がるカイムに向けて首を傾げた。
「ええ、ウルドにしかできない特別な仕事よ。……ウルド、貴女は竜機神バルムンクの乗り手に選ばれたの」
「えぇ!? 私が……ですか……!?」
ウルドを落ち着かせるように、カイムはウルドの頬を撫でる。
「そうよ、貴女が……私達の救世主になるの」
ウルドは頬を赤く染め、カイムはその表情を妖艶な笑みで見つめる。
そして、暗転。再び、暗闇と無の世界に周囲は変化する。
『ご理解いただけたと思いますが、私は昔、乗り手をしていました。その時、巫女をしていたのがカイム、私がその大陸の乗り手をしていました』
どうしても、おかしい。疑問をウルドに投げかける。
「それは分かった。だけど、おかしくないか? 俺は父さんから、バルムンクの最初の乗り手だって聞いていたんだ。そのはずなのに、乗り手がウルドで……巫女がカイム? どう考えてもおかしいぞ」
音のない空間、言い辛そうにウルドの声が響く。
『……その質問には、今の私では満足のいく答えをお伝えすることができません。ただ、あの時の私は乗り手であり、カイムが巫女をしていたのは、間違いのない事実なのです。これから先に起こる私の過去を見ていけば、その答えにはならなくても、何かしらの結果をお見せすることがきでるでしょう。……話を戻します。それから、私はカイムと共に様々な竜機神の乗り手と戦っていきます』
俺の抱えた疑問を置き去りにして、世界は再び明るく輝く。
俺は空の上に立つ。風さえも感じそうなリアルな風景。触れることはできないし、その場の空気を感じることもできない。全方向に距離感を計ることのできないモニターに囲まれている気分になる。その時、二つの影が目の前を通り過ぎた。
バルムンクと緑色の竜機神が戦っている姿が目の中に飛び込んでいる。
緑の竜機神が操る無数の物体、それは銀の鎖。手の平から、何十ものの銀の鎖を伸ばして、鞭のようにも使い、一つにまとめては棍棒のように使う。網のようにぱっくりと開かれ交錯したかと思えば、それはバルムンクを覆うほどの大きさとなる。
バルムンクを捕らえるために動きだした銀の鎖は、執拗にバルムンクを追う。そして、とうとうバルムンクはその鎖に体を絡め取られる。
「ウルドッ!」
思わず俺は声を上げる。
『ご心配なく、この時もちゃんと勝利しましたから』
自信を感じるウルドの声。そして、発光。
眩い光の中、バルムンクの姿は全身白色に変色させていた。
再び、発光。
『私には、他の乗り手にはない特別なものがありました。それが――魔法の力。初めての戦闘で生死の境を彷徨っていた私を助けるために魔法を使ったカイムのおかげで、私の中にも魔法が宿るようになりました。……空音さんと境遇は似ていますね』
どこか寂しげにウルドは言う。
目を焼くような光が収縮していく。その中に、浮かぶのは全身を白に色を変えたバルムンク。まともにしていては、どうやってもほどけない鎖のロープが宙空にだらりと垂れる。それはまるで、最初から解けるために用意されていたかのように容易く外れた。
『ここで私は魔法を使いました。縛りついた鎖はとても強力で、引きちぎろうとしても、その鎖はより強く締め付けました。だから、魔法で鎖を解除したのです』
緑色の竜機神の乗り手の悲鳴が聞こえた。
バルムンクが構えた刀に魔法の光が宿り、刀身が魔法の波紋を打つ。そして、その刀をゆっくりと振り落とした。放たれるは、光の斬撃。
刀から放たれた魔法の刃は、バルムンクから離れていくごとに、少しずつ大きくなっていく。そのまま速度も増し、緑の竜機神を蟻でも潰すように音もなく掻き消した。
あまりに強大な力に目を奪われた俺は、呼吸をしていなことに気づき、肺に息を流し込む。
「これが、バルムンクの真の力か……」
『はい、バルムンクの刀も竜機神に一太刀浴びせるだけで、通常では計り知れないほどの強烈な攻撃になりました。それは、実王さんもよくご存知だと思います。……しかし、私にはそれを完全に使いこなすほどの操縦技術はありませんでした』
風景が変わる。
今度は地に足のつく感覚がある。目の前はただ広い荒野。
二体の竜機神が互いの刃をぶつけ合わせていた。交錯し、破裂し、互いの衝撃で地面を転がる。そして、すぐに立ち上がれば、再び刃を交えた。
バルムンクと銀色の竜機神。
「ほぼ互角じゃないか」
『いいえ、違います。私は確実に押されてます。……ほら、今も』
銀の竜機神は再び交えようとした剣を引く。分かりやすいフェイントだった。
それに気づくことなく、バルムンクはその刃を振り切る。見事なまでに、素振り。何もない空間を、轟音と共に切り裂くのみ。
銀の竜機神は、そのタイミングを逃すことなく、三度の斬撃をバルムンクの体に叩きつけた。体液を吐き散らしながら、遥か後方に吹き飛ぶバルムンク。
「強いな……」
『とても強い敵でした。だから、私は魔法の力を使うことにしました』
後方に飛ばされたバルムンクが立ち上がる。そこに立つのは、あの恐ろしく白いバルムンクの姿。
どれだけ速度を上げても十秒はかかる距離を、僅か一秒で銀の機体に接近。足を動かす動作すら見えなかった。それは、銀の竜機神も同じく、反射的に己の武器である剣を前方に構えて防御の体制を準備する。
虹色に輝く刀身。バルムンクは、力のない右手を頭上に掲げる、そのまま乾いた音と共に振り下ろす。
「……冗談みてえだな」
確かに銀の竜機神はその刀を受け止めた。それが、彼の大きな間違いだった。
魔法を帯びる振り落とされた刀は、銀の竜機神の剣を叩き割り、武器である剣ごと、銀色のその姿を真っ二つにしたのだ。
『これが、魔法。万能の力であると同時に、選ばれた者だけが持つ秘法』
「なあ、ウルドが力を貸してくれたら、きっとザイフリートにも勝てるよな」
『……おそらく。しかし、今の状況では目を覚ました後はすぐに戦闘になると思われるので、練習する時間はないでしょう。だから、動きを見て、使い方を感じて、魔法を使用した戦闘というのを学んでください。これが、魔法を使った戦闘を頭に叩き込む方法です』
事務的でいながら、はっきりとした口調のウルド。
俺の返事を待つかのような間を感じた俺は、すぐに返事をする。
「言ったろ? 最初から覚悟はできているさ」
顔は見えないが、ウルドが薄く笑ったような気がした。
『昔の私にも側に実王さんみたいな人が居たら良かったな……』
「ウルド?」
『あ、いえっ、なんでもないです。これからお見せする戦い、過去を……私の近くで見ていてくださいね?』
思った以上にドキッとすること言われ、少し鼓動が早くなるのを感じつつ、俺は頷いた。
「ああ、近くで見ているよ。ウルド」
『……はい』
嬉しそうにウルドが言う。そして、俺は再び、ウルドの過去。バルムンクの戦闘風景へと意識を放り出された。