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第二十三章 第三部  絶望

 篝火空音は、その道を不規則な呼吸で走る。彼女の呼吸を狂わせるのは、焦りと不安と憤り。

 ――ナンナルの竜機神が、学園の中庭に突っ込んできた。

 ただ事ではない事態に空音は不安を押し殺して冷静な指示を与えていた。しかし、彼女の様子が急変するのはその直後の報告を耳にしてからだ。

 ――傷だらけのバルムンクも一緒だ!

 そんな、まさか……。不安が頭をよぎる。必死に嫌な想像をかき消したが、そこには冷静な彼女の姿はなかった。狼狽した空音は、ただその竜機神の墜落地点を目指した。

 そして、彼女は人だかりを掻き分けて、二体の竜機神が墜落した現場にたどり着く。目にした光景に、空音の乱れた呼吸は身体的な異常の域に達する。

 はぁはぁはぁ、と胸の鼓動よりも早く吐き出される息。おかしな鼓動の音と、ぼやけていく頭は自分の体が緊急事態だと知らせる警報だと空音は気づく。

 これ以上見てはいけない。そう言い聞かせるが、目を逸らすことができない。

 鳥型の竜機神は、頭から地面に突っ込むように墜落したみっともない着地。しかし、空音の心をここまで混乱させたのは、それが原因ではない。

 点々と芝の地面に浮かぶのは、バルムンクの垂れ流す体液。鳥型の竜機神のすぐ側で、無防備に仰向けてで倒れるのは、腕を無くし、腹を裂かれ、頭部を粉々に潰された救世主だった存在。


 「いやぁ……! 実王……!」


 苦しい。胸を強く握り、その痛みに悶えつつも、空音は震える足で距離を縮める。

 笑顔で、いってきます、と告げた彼。必ず帰って来る。どんな危険があっても、彼なら負けるはずがない。そう思っていた。

 大丈夫、大丈夫と空音は自分に言い聞かせた。きっと、あの開いた穴から操縦席を覗き込めば、申し訳なさそうに笑っているのだ。


 ――大騒ぎになっちまって、ごめんな。……ただいま。


 きっと、そう言うのだ。頭を打ったり、擦り傷程度はあるかもしれない。大丈夫だ、私の魔法を使えば、三秒もあれば傷など癒すことができる。

 空音は思った。笑顔で、迎えよう。想像の中の彼じゃなく、今目の前にいる彼に告げるのだ。

 空音はバルムンクに歩み寄り、その穴に触れる。そして、手や顔を体液に汚しながら、操縦席があると思われる場所を覗き込んだ。


 「おかえり、み……お……」


 彼が居た。

 操縦席に固定されたままで、彼の頭が揺れる。太陽の向きが変わり、彼の表情が空音の目に飛び込む。


 「ぁぁあ……。――いやああああああああああああ!!」


 雛型実王の目は死んでいた。腹部に刺さった金属、表情は分からない。そのはずだ、多量のバルムンクの体液と実王自身の血液が顔に張り付き、黒く塗り潰されたようになっていた。彼の指は全て反対方向を向き、足の関節から突き出した骨が、彼に激痛を与えていたことを知る。

 信じられない量で溢れる涙と、自分でも聞いたことがない絶叫。薄くなる意識に抗おうとするが、抗おうとする意識すらも薄くなっていく。

 そう、空音はそういう姿を知っている。そういう姿の彼は……そういう姿の人間は……。


 「……みお」


 空音は糸の切れた操り人形のように、その場に倒れこんだ。

 意識を失う空音が最後に見たのは、血まみれの己の手の平だった。



               ※



 場所は変わり、イナンナの学園長室。

 雛型実王は、病院に緊急搬送された。手術が行われ、ヒヨカの魔法による治療も施された。それでも、実王の意識は戻ることもなく、意識不明のままで生死の境をさ迷っている。

 篝火空音にいたっては、強烈なショックで意識を失い。実王の眠る部屋の近くの病室で、まだ意識が戻ることはない。死人のような青白い顔で空音は眠り続けていた。

 ヒヨカ、ルカ、レヴィ、クリスカ、ルイザ。各々、そこには暗い表情を浮かべている。レヴィには泣きはらした形跡があり、ルカは己の無力さから下唇を噛んだ形跡があった。ヒヨカにいたっては、青ざめた顔で自分の机で、ただただ頭を抱えている。


 『申し訳ございません……』


 机の上に置かれたカプセルの中からクリスカが小さく言う。その声から、彼女が本当に申し訳なく思っていることも伝わる。

 レヴィは、怒りにまみれた視線を送る。


 「なんで……!? ……なんで……なんでなのよっ!?」


 今にも飛び掛らんとするレヴィの前にルカが立つ。


 「どいてよ! ルカ!」


 「――どけないわ。……貴女を通したら、実王の頑張りが無駄になるの」


 怒りに燃え、血走った目のレヴィ。ルカは、その目を精神力で殺した無表情で見つめ返す。


 「だって……!? そいつのせいで、実王は……!」


 「実王はまだ生きている。今は、意識を失って、生死の境をさ迷っているの。……私達は、それを信じて待つのよ」


 淡々と告げるルカの顔を見れば、レヴィは酷くどろりとした濁った眼差しでルカを見る。


 「ねえ……ルカ。忘れてない? 自分のせいでもあるのよ? 実王がこんなことになっているのは! それを誤魔化そうとしているんじゃないのっ」


 「……そんなことはない。レヴィ、落ち着いて」


 レヴィは乱暴にルカの胸元を掴むと自分に引き寄せた。


 「落ち着けぇ!? 落ち着けって言うのが、無理な相談でしょ!? それとも、アンタは、実王の命なんてどうでもいいと思っているんじゃないの! そうよね、もともとアンタは敵だもの。実王の命なんて、これっぽちも大切じゃないわよね!?」


 ルカは、その言葉に目を大きく開く。その表情は、とても攻撃的なものに変わると、ルカは己の中で膨れ上がる怒りのままにレヴィを見据える。


 「いい加減にして。くだらない、これ以上おかしなことを言うなら、私も我慢ならない。……実王が大切なのは、私も一緒よ。自分の命なんていらない、実王に生きていてほしいの」


 レヴィは冷めていく思考の中で、さらりと恐ろしく刃物ような言葉を口にする。


 「そう? ……じゃあ、死ねば?」


 「……それ、本気で言っているの? 冗談だとしても、絶対にイヤよ」


 表情を厳しいものにするルカに、嘲笑うようにレヴィは言葉を続けた。


 「ほらやっぱり、さっきの実王のためなら、命なんていらないって言葉嘘だったんでしょう! 貴女は自分が大切。実王なんて二の次、だから、実王が……死ななきゃいけないんでしょ!? 貴女のせいで、実王が死なないといけないのよ! だったら、貴女が実王の代わりに消えてよ、実王の代わりに死になさいよ!」


 「――黙りなさい!」


 ルカはその細い腕を真っ直ぐに伸ばして、レヴィを突き飛ばした。小さく悲鳴を上げて尻餅をつくレヴィは、強く濁った目でルカを見上げた。

 レヴィの肩はわなわなと震える。そして、レヴィの片目赤色に、片目は黒色に変化する。ルカと東堂ルカの意思が一つになる瞬間だった。 


 「私は……私達は絶対に死なない! これは実王から、実王さんから貰った命! どれだけ苦しい人生でも、実王から貰った命という大切なものは絶対に譲れない。実王のために、彼のために守れなければいけないの! さっきの質問、答えるわ。私が死んで、実王が生き返るなら何度でも、何百回でも死んであげる。だけど、無駄死には絶対にしない。……それは、実王から託された想いを汚すことになるから」


 強く凛々しい眼差し、周囲の人間の鼓膜を無理やりにでも叩くような激しい言葉。そこから感じるのは、聞いた人間達の胸の中に伝わる想い。

 レヴィとルカ、互いに視線を交錯させる。ふと表情を崩したのはレヴィ、首を力なく傾かせて視線を落とす。


 「……私が、悪かった。言い過ぎたわ、ごめんなさい」


 レヴィはとても疲れたように、か細い声ながらはっきりと告げる。

 ルカは、その言葉を受け、怒りの表情を消していきつつ深く頷く。


 「いいえ、仕方のないことよ。立場が違うなら、私も同じことを言っていたかもしれないもの。……私こそ、突き飛ばしてごめんなさい」


 ルカはレヴィに手を伸ばすと、それをしっかり掴むと立ち上がらせた。

 そのタイミングを待っていたかのように、クリスカの声が響く。


 『……ヒヨカ様、私の覚悟はできています。私を吸収してください』


 クリスカの言葉にヒヨカの肩がピクリと動く。

 ルイザはクリスカのカプセルに詰め寄る。


 「クリスカ様!? それ、本気で言っているんですか!?」


 『ええ……本気です。私が思っている以上に、カイムは恐ろしい巫女です。まともにやっていれば彼女には勝てません。……ここにいるのは、いずれも立場の違う争うべき人間達。それが一つに揃っている。これは、運命かもしれません』


 ルイザはもじもじとして、言いにくそうに小さな声を出す。


 「でも……クリスカ様……。死んじゃうかもしれないんだよ……」


 『ええ、死んでしまうかもしれません。しかし、それは可能性です。死んでしまうという可能性は、死なないという結果と共存しています。私が死なないという未来に賭けてみませんか、ルイザ』


 穏やかながらしっかりとした言葉にルイザは視線を逸らした。


 「……クリスカ様に、死んでほしくないんだよ……」


 『じゃあ、祈っていてください。このイナンナにいるヒヨカ様と雛型実王さんは、私という存在とナンナルを託すことのできる人達だと思いました。もし私がこの世界から消えてしまっても、私の信じた彼らのことを守り続けなさい。きっと、ルイザの優しさに彼らは応えてくれるはずよ』


 ルイザは、悲しそうな表情で視線を落とす。一見すると、子供が駄々をこねているようにも見えるが、ルイザはその頭の中で乗り手として自分がどうすべきかを必死に考えていた。

 ルイザは、寂しそうにクリスカの脳が浮かぶカプセルを見つめると、小さく頷いた。


 「うん、クリスカ様。……私、祈るし、信じ続けるね」


 心底ホッとしたようにクリスカは返答する。


 『うん、ありがとう。ルイザ。……では、ヒヨカ様。ナンナルの意思は決定しました。後は、ヒヨカ様の決定を待つだけです』


 机の上で頭を抱えたままのヒヨカは、弱々しい瞳で部屋にいる人間の顔を見る。

 全員の瞳の奥から感じられるのは強い意志。ヒヨカは、既に己のこの先を見つめつつある彼女達に気持ちに気づく。


 「私の意志……」


 ヒヨカは深く考える。

 最初は、ただイナンナを救えればいいと思っていた。そう思っていたら、雛型実王があまりにもあっさりと救ってくれたのだ。このまま元の世界に帰そうとも考えたが、彼自身の意思がそれを拒んでいた。それを嬉しく思い、その彼の責任感に甘えていた。

 誰も争わない道をと目指そうとしていたが、それは様々な障害によって、とても歪んだ歩み方になった。争わないと言いながらも、ひたすらに争い続け、気が付けば強大な力を手にしていた。

 こんなはずではない、欲しいものは力ではないと言いながらも、守るために力を欲し続けた自分は間違いなく罪人だった。そして、私の大きな罪はこれだけではない。

 傷つき、倒れる彼の姿に罪悪感で辛くなることもあったが、絶対に彼は負けるはずがないと誤解をしていた。一人の人間である彼のことを、特別な存在だと勘違いしていた自分がいた。

 ただの願いが、暴力に、力に変わっていく。

 私は、優しい彼が傷ついていくのを眺めていただけだった。背負うつもりで、彼に全てを背負わせていた。

 こういう悩んだ時の、空音……お姉ちゃんも、今ではショックから意識を失い、実王さんのすぐ近くの病室で眠っている。先程、二人の病室を見てきたが、二人の存在を失ったことで、不安で気が狂いそうな自分に気づく。互いに守っていたつもりで、ずっと二人が守っていてくれたのだ。盾となり足となり、か細くみっともない自分の体ごと支え続けていたのだ。

 誰も助けてはくれないし、ただ流されることも許されない。私が決めなければいけない、今度は私が背負わなければいけない。

 だから、今度こそ私が――。


 「――同盟も結びましょう」


 イナンナの巫女ヒヨカが顔を上げた。

 今度は戦うために、世界を大陸を、愛した人達を守るために。


 「準備が済み次第、エヌルタに宣戦布告。そして、開戦日にクリスカ様の巫女の力を吸収します。残った大陸は二つ。その国境にて互いの巫女が戦地に出るようことを条件として全面戦争を行います。カイムが条件を呑んでくれるかは分かりません。ですが……絶対に、この長きに渡る戦争を終わらせます」


 ヒヨカの目から幼さが消え、そこに存在するのは大陸を統べる世界最強の存在である巫女の姿。

 堂々とした立ち振る舞いで彼女は歩き出した。決心と変わり行く気持ちの中、己の拳を強く握り締めた。

 

 「エヌルタを倒します」


 周囲が圧倒されるほどの迫力でヒヨカは、はっきりとその小さな口から開戦の宣言をした。

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