第二十二章 第四部 巫女の義務
先生に捕まえられて連れて行かれそうになっていたルイザに巫女の場所まで案内を頼むことにした。しかし、向かった先は学園ではなかった。
巨大な学園の門が見えたと思ったら、門の前を通り過ぎ、そこから一キロほど歩いたと思う。そして、見えて来たのは、どこかで見たことのある建造物……巫女の神殿。イナンナのものと違うところといえば、都市の内部にあることと何センチものの積雪があるぐらいだろうか。
「とーちゃっくっ。お兄ちゃん! この中に、クリスカ様がいるよ!」
神殿の前の階段を雪の地面などものともせずに、飛ぶように駆け上がるルイザ。
それほど距離も離れていないというのに大きく手を振るルイザの姿に、俺は目を細めて答える。
クリスカ、ナンナルの巫女の名前か。
宝石のような綺麗な名前を心の中で繰り返しながら、俺はルイザの姿を追いかけた。
雪の絨毯から、足場が踏みなれた固い地面に変わろうとした頃。
「実王っ」
神殿に入ってすぐに声をかけられた。
「あ、ルカ」
神殿の下に向かうための螺旋階段の前、俺に駆け寄ってくるのはルカとリックさん。
「あ、ルカ。じゃないわよ。迷子にでもなって、何か厄介ごとに巻き込まれたんじゃないかと心配したんだから」
大股歩きで近づいてくれば、ルカは俺のことをジッと睨んでくる。その後ろから苦笑をしながら歩いてくるのはリックさん。
「ごめんごめん、二人なら先に向かっているかなて思ってね」
「実王はイナンナの乗り手なんだから、かもしれないで行動しちゃダメよ」
「ははっ、なんだか空音みたいなこと言うな」
少し笑って見せれば、ルカは己の視線で俺を射抜く。
「何か、文句でも?」
「い、いや、文句はないよ。ごめん……」
素直に頭を下げれば、リックさんが庇うように前へ出る。
「ルカさんは、ずっと実王さんのことを心配していたんですよ。いろんなところを探して、学園の先生から連絡を受けて、私達も神殿にたどり着いたのです。もしも連絡がなければ、ルカさんはずっと実王さんのことを探していたはずですよ」
「ルカ……」
ルカの方を向けば、怒り半分に恥ずかしさ半分という感じに視線を逸らした。
「実王のおたんこなす。……空音の代わりは私がしないとね」
ここまで寒い場所はシクスピースの中でも、そうそうあるわけがない。寒さに耐えながら、俺のことを探すルカを脳裏に浮かべる。胸の奥がやんわりと締め付けられる気持ちになる。
「迷惑かけたな、ありがとう」
謝罪ではなく感謝のことを述べることにした俺を見れば、ルカは満足したようで鼻を一度鳴らせば表情を緩ませた。そして、目線を変えれば、俺の足元へ。
「ところで……その子、誰?」
指を向ければルイザへ。ルイザは、ルカへ向けてニパッと笑う。
「私はルイザ。ナンナルの乗り手だよっ」
「は?」
屈託のない笑みを浮かべるルイザを見て、つい数十分前に俺がしたように驚きの表情を向けた。
※
その後、案内役のリックさんと別れ、階段へを降りていく。
指輪を見せることでルイザが乗り手だということを何とか納得したルカ、相変わらず遠足にでも行くように軽い足取りのルイザを連れて進む。
「もうすぐ、到着でーす。あそこが、クリスカ様の部屋になりまーす」
見慣れたといえばおかしな言い方だが、巫女の像達の中を降りていけば、扉の付いた四角形の箱が最深部に見えて来る。
どうやら、そこが巫女の部屋になっているようだった。
「ここの巫女は、学園長室にはいないんだな」
「学園には行くことないよ。だけど、学園のこともちゃんとしてるから、凄い人なんだよっ」
自分のことのようにルイザが胸を張る。それだけで、ルイザが巫女クリスカを尊敬する気持ちが伝わってくる。
「ルイザは、本当にその人のことが好きなんだな」
「うんっ、好きっ。……あ、もうすぐだよ」
気が付けば、俺達は扉の前に立つ。その白い石の壁は目の前に立つと強烈な威圧感を思わせた。
ルカも緊張した面持ちで、その扉を見つめる。
「こんにちはー! クリスカ様ぁー!」
そんな俺達の緊張など置いてけぼりにして、ルイザは扉の中に飛び込んでいく。遠慮なく突撃していくルイザにびっくりしつつ、俺とルカは少し遅れて中に入る。
しばらくの間、俺は呆けたように部屋の中を見渡した。
壁側には、様々な輝きを起こす石の結晶ドラゴンコアが並ぶ。外側から内側に伸びる結晶は、内側のカプセルに手を伸ばすように守るように突き出す。不思議な光源に反応して足元を見れば、光る液体が血管のように地面を流れる。その流れ出た先に待つのはやはり中央のカプセル。
鍾乳洞を思わせる幻想的な空間で、この光景に目を奪われていた。そんな俺に、ルイザから声をかけられる。
「どう!? クリスカ様、綺麗でしょ!」
「は……? クリスカ様って……どこにいるんだ?」
キョロキョロと周囲を見るが、それらしい人物は見当たらない。
部屋の中央に近づいてみるが、そのカプセルの中には不思議な光を放つ液体の中に浮かぶ脳みそが浮いていた。
正直、趣味の悪い置き物だと思った。ルイザがこれだけ好きなクリスカという人は、もっと優しいイメージを持っていたが、こんなものを私室に飾るなど、まともな神経をしているとは思えない。
腰を降ろして、俺はその脳みそを見つめる。ぴくりぴくりと動くその人間の一部に、いよいよ生理的嫌悪感が限界に到達しようとする。
「コレ、本物なのか……?」
「脳みそを飾るような指導者に、まともな奴はいないわね」
後ろからやってきたルカが、俺の心の声を代弁することを口にする。
「おいおい、それは言い過ぎだぞ。もしかしたら、ナンナルではこういうものが流行っているかもしれないじゃないか」
『あの……。別に私の大陸ではこういう流行はありませんよ』
頭の中に響いたのは聞いたことの無い女の声。
綺麗な声で、いきなり聞こえたにも関わらず、俺は穏やかなその声を布が水を吸い込むようにすぐに受け入れることができた。
怖さはなく、ただ心に浸透する可憐な声。
「二人とも、何か言ったか?」
「私は何も言ってないけど。今の声、何? ……もしかして、クリスカ様……」
表情を曇らせつつ辺りの様子を窺うルカ。その隣のルイザは不思議そうに俺達を見ていた。
「うん! クリスカ様の声だよ。……でも、二人とも何を言っているの? クリスカ様なら、ずっとそこにいるよ」
「ずっと、そこに?」
首を曲げてみる。そこにあるのは、液体の中でぴくりぴくりと動くもの。それは、本来なら人間の頭の中にないといけないはずのものだが。
『……恥ずかしいので、そんなに見つめないでください』
また声が聞こえた。
もしかして、今の声はこのカプセルの中から聞こえているのか。
カプセルの中には、脳があるだけ。……て、まさか。
「も、もしかして、クリスカ様……ですか?」
びくびくしながら、目の前に浮かぶ脳みそに声をかけてみる。
第三者目線で見てみれば、俺は相当ヤバイ奴だ。
『ああはい、この趣味の悪い飾り物が……私です』
根に持っているのか、わざわざそんな言い方をするクリスカ様。
俺はといえば、姿形が脳みその巫女に絶句しそうになる。
「ねっ、うちの巫女様。脳みそなのっ、凄いでしょっ」
弾んだ声のルイザ。
「えと、はじめまして。……イナンナの使者の雛型実王と申します。……ほら、ルカも」
いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず自己紹介をしてみる。
「あ……ルカです。はじめまして」
『あ、これはどうもご丁寧に。遅れましたが、私がここの巫女であるクリスカです。以後、お見知りおきを』
丁寧な口調。実体があったなら、深く頭を下げてくれていただろう。
しばらく、その水の中に浮かぶ物体を見つめる。いろいろ言いたいことの先頭に来る質問をしてみる。
「……失礼じゃなかったらでいいんですが、クリスカ様は何でそんな姿をしているのですか?」
突っ込み過ぎた質問かと思ったが、クリスカ様はあっさりと答えてくれた。
『気になってまともに話が進まないと思っていたので、聞かれなくても説明しようと思っていたところでした。この大陸ナンナルが、他の人間達から視認できないほどの結界が張られているのはご存知でしょうか?』
「うん、その結果があるから、戦争をすることもなく今まで平和に過ごすことができたんだよな」
『ええ、その結界を維持するためには、本来の巫女一人の力では一分と持ちません。それを解決するのが、この姿なのです』
俺はまじまじとそのカプセルを見つめた。自分のものより小柄な脳を見て、大陸のために犠牲になった少女の姿を思い浮かべた。
「……それでいいのかよ」
『そんな辛そうな顔をしないでください。私は好きでこの姿でいるのです。生まれた瞬間に肉体から脳だけ移され、この大陸に直接繋がる存在になりました。喋ることはできませんが声は貴方達の心に、想いはこの脳の中で生きています。それほど苦しいことはありません。ナンナルの人達は、私を優しく包んでくれています。……雛型実王さん、私は幸福なのですよ』
しっとりとした声色。しかし、耳に残るのは自分と同年代と思われる少女の声。
「もしも……巫女の役目が終わる時が来たら、どうなるんですか?」
『それは、私が巫女という職をやめる時です。他の大陸と違い、ナンナルの巫女は代々、大陸と直接繋がる核とも呼べる存在になります。他の大陸と違い、学園を卒業する年齢になったからといって、巫女の力が消えることはありません。もしも、消えることがあるとすれば、私の意志で巫女という立場をやめ、死という選択をする時です。そう決心する時、次の巫女を託すのです』
「そんなのずっと、犠牲になっているのと変わらないじゃねえか!」
『――二百六十五歳。これが、先代の巫女が亡くなった年齢です。ほぼ未来永劫生きられる存在も、愛した人達を見送るのは辛いものです。……私は人間と変わらないと思います。ただ、こういう立場になってしまったというだけで、人と一緒に生を謳歌し、死の前に嘆き恐怖を覚えます。犠牲ではありません、ただ人よりも長く共に生きる権利と見送る義務を貰っただけの話なのですよ』
その言葉を聞いた俺は、口を閉ざす。
肉体はないが、生きているだけで人と変わらないと彼女は言う。生まれた瞬間に肉体がないから、体を持つことの素晴らしさを知らないとも思う。……しかし、その少しずつ紡がれるクリスカの言葉からは悲壮感など感じられなかった。
俺は再び熱くなりそうな気持ちを抑えて、クリスカ様を見る。
「……ごちゃごちゃ言って、すいませんでした」
『いいえ、実王さんの人となりが少し分かったので、私も嬉しいです。少なくとも、今の実王さんの顔は悪い人ができるものじゃないですよ』
「……すいません」
『謝らないでください、それよりも己の優しさに自信を持ってくださいよ。では……本題に入りましょうか。イナンナとナンナルの同盟の件について、ですね』
クリスカ様の言葉に気持ちを切り替える。
「はい、今のイナンナは危険な状況なんです。実は――」
俺はイナンナの現在の状況を細かに伝えた。
ヒヨカから聞いた都市の住人達が抱えている不安について、空音から教えてもらった竜機人の乗り手達の戦力、そして、いずれは世界の全てを飲み込もうとするカイムの存在。ところどころ、ルカが捕捉で説明を入れつつ、ナンナルへの同盟を結ぶことになった経緯を話す。
その間、黙ってクリスカ様はその話を聞いていた。沈黙の後、クリスカの声が届く。
『つまり、イナンナはエヌルタに対抗するための戦力を増強するために私達と同盟を結びたいと?』
「はい、もちろんイナンナからもドラゴンコアの提供や、そちらの防衛網も厚くするための協力は惜しみません。同盟とは言っていますが、カイムをこれ以上侵攻させないための抑止力としての同盟を組もうと考えています」
『なるほど、ですね。確かに、このままなら力を蓄え続けたカイムが、いついかなる時にイナンナをナンナルに侵攻するか分かりません。互いの脅威に対して、同盟を結ぶというのも、ある意味、理にかなっているといえましょう』
クリスカ様の言葉に俺は手ごたえを感じつつ、言葉を続けた。
「だったら、イナンナと是非同盟を結んでください! きっと、悪いようにはなりません。イナンナの巫女であるヒヨカも、大陸の人のことを一番に考えられる凄い奴なんです。きっと、クリスカ様とも気が合うはずなんです! ……だから……どうか、お願いします!」
俺は深く頭を下げた。ルカもほぼ同時に頭を下げる。
意外にもすぐに返事は返ってきた。
『顔を上げてください、お二人とも』
俺とルカはおそるおそるという感じに、下げていた頭を元の位置に戻す。
この空間の中も相変わらず寒いというのに、俺の服の中がじんわりと緊張から出る汗で湿っていくのが分かる。
『イナンナの気持ちは大変よく理解できました。この同盟が、大陸のことだけでなく、この世界を守るための同盟になるのだと思います』
「だ、だったら――!」
飛びつくように、脳の揺れるカプセルに一歩近づく。
『――しかし、同盟を結ぶわけにはいきません』
「え……」
俺の喉から出るのは乾いた驚きの声。
先程から出ていた汗が引っ込み、次に感じるのは言葉に殴られたような眩暈。
『ダメなのです。私は、ナンナルの巫女。大陸を守るために、ここにいるのです。……この同盟は戦うための協力。私は戦争をする為に、同盟を組むわけにはいかないのです』
若干、強めの口調。
続けて出る言葉に、俺の眩暈は増していく。
「じゃあ……どうして……」
『どうして、自分達を呼んだのか。ですか? 理由は二つあります。一つは、直接イナンナの人間の口から現状を知るためです。イナンナの現状では、資源の豊富なナンナルに何の利益も生みません。そしてもう一つ、このナンナルという都市を見てもらいたかったのです。……実王さん、この都市を見てみての素直な感想を教えてもらえませんか』
思い出す。ここに来るまでの出来事を。
リックさんは平和な笑顔で都市を歩き、学園の先生は元気の良い生徒を追いかけることも楽しげにしている様子だった。追いかけられている時は気づかなかったが、ルイザを説教する先生の姿は都市の人間達には日常茶飯事のようで、穏やかにその光景を見る人達の姿もあった。
言ってはいけない言葉を声にする。
「……とても幸せそうでした」
『はい、そうなのです。同盟を結ぶということは、この幸せを壊すことなのです。奪えますか、笑顔を。壊せますか、幸福を』
「俺は……」
「――クリスカッ!」
言いよどむ俺の背後から、ずかずかと出てくるのはルカ。顔は怒りに染まっていた。
「さっきから黙って聞いていれば……。自分の大陸だけを守っていられる状況じゃないことも分かるでしょ。少し前なら、それでも良かったかもしれないけど、そうも言ってられないのよ」
「ルカおねえちゃん、落ち着いてよっ」
ルイザが怒りのルカをなだめようと服を引っ張るが、それを無視して鋭い目つきで目の前のカプセルを睨みつける。
『……私の力があるならば、ナンナルをきっと守ってみせます。これまでも見つからなかったのですから、きっとこれから先も見つかることはないでしょう。……力を借りずとも、自衛はできます』
はっきりとした否定の言葉。それは鋭く突き放すもの。
ルカは怒りのままに拳を振り上げ、持ち上げたところで自分のしていることに気づいたのか、わなわなと震わせたままの拳を下ろす。
「これまでとかこれからとか、もうありえないのよ。これからだったメルガルも崩壊しているのよ。そんな悠長なことをいつまでも……。こんな辛気臭い大陸の中しか見ないから、頭にカビでもできてるんじゃないのっ」
『お引取りください。――同盟など関係なく、友人としてなら、いつでもお待ちしています』
ルカはクリスカの言葉に目を大きく見開く。
「バカにしないでよっ。アンタなんて……ブリュンヒル――」
ルカの竜機神の指輪が発光していくのを感じ、俺はすぐさま声を上げた。
「――やめろ! ルカ!」
ルカの舌打ちが聞こえた。少しずつ、指輪の発光が小さくなっていく。
「……ごめんなさい。実王に免じて許してあげるわ」
ルカはじろりと視線をある方向に向ける。それは、クリスカ様ではなく、一人の少女。
「うん、そうして。ルカおねえちゃんを壊したくないんだ」
俺はそこで初めて気づく、もう一つの小さな発光。ルイザが右手を持ち上げ、その指輪が光の粒子を洩らしている。そこで、俺は気づく。
ルカがブリュンヒルダを出した瞬間に俺達の首が飛んでいたこと、それと、ルイザが紛れもなく竜機神の乗り手だということに。
俺は深く息を吐いた。それは、この場が血に染まらなかったことへの安堵感。
「……行こう、ルカ」
ルカの手を握り、まだ不満そうに力を入れるその手を無理やり引けば歩き出す。
外に出る前に足を止めた。
「クリスカ様。……ご迷惑をおかしました」
『いいえ、私こそ申し訳ございませんでした。……ごきげんよう』
俺は軽く会釈をすれば、その場を後にした。
強引に引っ張り出したルカの手は悔しさに震え、俺は悲しさにただ叫びだしたい気持ちを歯を食いしばって我慢することしかできなかった。




